よく引用もされ筋もよく知られている戯曲で、ハムレットとかよりずっとわかりやすいと思っていたのだが、逆に面白さが理解しづらかった。
読者に見えるイアーゴーは最初から裏表のある男、ずるい男、なのに、作中人物誰もが終盤まで「彼は善良だ、彼は信頼できる」と言う。これで戯曲でなかったら、作中で「うわあ、これは裏の顔を知らなかったらだまされるわ」と読者に思わせないとだめだと思うし、むしろ最初は善良な役柄として出しておいて話の途中で読者の度肝を抜くべきだと思うが、戯曲なので舞台ではそれを演技で見せられる、ということなのだと思う。
イアーゴーがどうしてそんなにもオセローを陥れたいのかはっきりは語られないが、黒人であり自分より下だと思う相手なのに、身分が高く尊敬されていて美しい貴婦人までめとったことが許せない、というのが現代ではわかりやすい解釈な気はする。
オセローにも意外と感情移入できるシーンが少ない(彼を取り巻くレイシズムに義憤は感じるけど)のだけれど、それも役者の魅力で変わってくるのかもしれない。
舞台で観てこそ、の戯曲なのだろうか。
追記
ナショナル・シアター・ライブで公演の映像を見たところで追記。いくつものプロダクションを見てこそわかることもあるのだろうが、とりあえず。
松岡先生も書いているが、ロドリーゴーやキャシオー、オセローなど名前のある役ほとんどが上流階級なのに対して、イアーゴーは召使などと同じくらいの、一段下の階級だということが大事なのかなと思った。みんなが彼を「正直者」というのもあなどっていることの裏返しなのかもしれないし、イアーゴーがあんなにオセローを憎むのも「自分は貴族じゃないから昇進は難しいかもしれないけど、オセローは黒人だから、他の貴族とは違うから、自分を取り立ててくれるんじゃないか」という期待を裏切られて、「黒人のくせに!」と憎さ百倍なのだとすれば腑に落ちる。
オセローがあんなに簡単にだまされるのは、ずっと軍隊の人間関係しか知らずに生きてきてきたことや、internalized racismのために自分が醜いと思っていること、デズデモーナとすごく年の差があって自分に不安があることが要因なんだろうなとは思うけど、でもやっぱり納得はしづらい。今の感覚で言えばDV夫だし、デズデモーナのことを「真珠」「宝」とは思っても、対等に人生を分かち合う伴侶としては見ていないから、彼女の愛情よりイアーゴー(軍隊の仲間)を信じるんじゃないのか。役者さんは軍人的魅力をよく出していたけどそれでも感情移入は微妙だったので、すごく難しい役だなと思います。