松岡和子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
シェイクスピア全集 (1) ハムレット
(和書)2009年04月04日 16:39
1996 筑摩書房 W. シェイクスピア, William Shakespeare, 松岡 和子
松岡和子さんの翻訳を読み始めた理由は拓殖大学で「セミゼミ シェイクスピア入門」を取ったからだ。先生は富田爽子さんだった。様々な映画と英国ドラマと原文と様々な翻訳について学んだ。ロマンポランスキーの「マクベス」やロシアの映画の古い「リア王」も良かった。黒沢明映画ではマクベスの「蜘蛛の巣城」であり「乱」のリア王だった。ただ乱の「毛利元就の三本の矢」の男の三兄弟はは面白くない。やはり三姉妹の争いが面白い。親戚の叔母さんたちはマクベスの魔女の様でありリア王の三姉妹であった方がいい。
富田爽子さんは一番真面な先生だった。しかし彼女は英米語学科ではなかった。当時工学部助教授だった。はっきり言って英米語学科だったらよかった。先生が松岡和子が友達で翻訳をしているというので読み始めた。
拓大の第三食堂は工学部棟にあり綺麗だった。そこのビーフカツカレーが旨かった。一度帰りに寄ったら大盛りの半分はドライカレーで半分は普通のカレーのサービスをしてくれた。そこのカレーが好物だった。
富田爽子先生は福田恒存についても話していた。僕は提出レポートに柄谷行人の「マクベス論」とシェイクスピア悲劇作品で小論文を書きレポートで提出した。
結局評価は80だった。もっといいかと思っていた。やはり現実は厳しい。
福田恒存翻訳の新潮文庫の作品は全文読んだので松岡和子翻訳のちくま文庫を読み進めようと思いました。
ハムレットを読んでみて原文にはいろんな翻訳の解釈がありえるのだなって思った。ただ主眼が言葉の翻訳にあるように感じ現にある階級闘争または一切の諸関係を吟味するシェイクスピア作品の普遍性に触れられていないように感じました。まだ一冊なのでこの後も10巻まで買ってあるので読み進んで行こうと思います。 -
Posted by ブクログ
この前読んだ「夏の夜の夢」と同じ動機、河合隼雄先生とシェークスピアの翻訳家松岡和子さん対談本「快読シェークスピア」をより面白く読みたいという衝動から読んだシェークスピアの2作め。
あまりにも有名な本書だが、これまでは読もうという気持ちはゼロだった。きっかけはどうあれ、こうして名作を体験できたのだから良かった。
4大悲劇の一つだというのだが、正直のところ悲惨さはあまり伝わってこなかった。登場人物全員が次々と死んでいく。
話の筋としては、主人公のハムレットの復讐劇だが、ハムレットが次々と殺していくというのではない。登場人物は、それぞれに、予想外の形で死んでいく。
皆あまりにあっけなく死んでしまう。その死を悼むとか悲しむとかの暇もなく、また次の死が訪れる。最後は死のラッシュだ。そしてハムレットの死などは、潔さとか爽快さのようなものまで感じられた。
ハムレットの復讐がどのように為し遂げられるのか、そういう観劇者の初期の期待が、登場人物の全員の死となって幕がとじる。なんという凄まじいストーリー展開。
シェークスピアのプロデュースの凄みを少しでも体験できたようか気がする。 -
Posted by ブクログ
ちくま文庫からシェイクスピアの訳書をたくさん出している松岡さんの話を、演劇評論家の小森収という人が聞く、という本。蜷川幸雄の「彩の国シェイクスピア・シリーズ」に関わっている経験から、始めの翻訳が、稽古場でどんどん変っていき、原文に新たな解釈が与えられるという面白さについて語っている。
メインは上で述べたようなことだが、当然、作品そのものの解説も含まれているところがあり、特に『ヘンリー六世』の解説のところで、「征服王ウィリアムとか、ヘンリー二世とか言ってるけれど、彼らは今でいえばフランス人で、ウィリアムはノルマンディーのギヨームだし、中世イングランドのブランタジネット王朝の始祖とされるヘンリー二世も、アンリ・ド・ブランタジュネというれっきとしたフランス人。」(p.81)という部分、つまり英語名で読むけれどもその人の背景はフランスにある、という部分は、確かにそうだよなと思った。同じように「ヘンリー二世とヘンリー七世では名前も同じだし、単に遠いご先祖さまだと思ってしまう。遠いご先祖さまは間違いないんだけど、だからと言って、文化的な背景が一から十まで同じとはかぎらない。」(p.82)という部分は、言われないと気付かない所だった。あとは『オセロー』のデズデモーナを演じた女優、蒼井優が松岡さんにした質問、「デズデモーナはオセローのことを『あなた』『あなた』って呼びかけてますけど、この『あなた』は全部同じですか?」(p.155)で、実は原文は1つだけ違っていた、という話は、役者ってすごいんだなと素直に思った部分。「あそこでオセローが『元気ですよ、奥様』って、『奥様』っていうじゃないですか。それまで一度もそんなふうに呼ばれたことがなかったので、自分の『元気よ、あなた』っていう返事を、どういう気持ちで言っていいかわからなかった」(p.162)から聞いてみたら、実はそこの「あなた」だけ他と英語が違っていたという話。あとはシェイクスピアの話ではないが、「舞台って、回を重ねるごとに進化するんですよ」(p.268)というのが印象的。おれも昔に演劇やった時、何回目かの公演で、ちょっとした台詞の後にある動作を入れたりできるようになったのを覚えている。良い意味で自由にできるようになるというか…。
という感じで、シェイクスピアの面白さというよりはシェイクスピア劇の面白さが伝わってくる本で、これからはもっと頻繁に、シェイクスピアの演劇を見てみたいと思った。(18/06/25) -
Posted by ブクログ
よく引用もされ筋もよく知られている戯曲で、ハムレットとかよりずっとわかりやすいと思っていたのだが、逆に面白さが理解しづらかった。
読者に見えるイアーゴーは最初から裏表のある男、ずるい男、なのに、作中人物誰もが終盤まで「彼は善良だ、彼は信頼できる」と言う。これで戯曲でなかったら、作中で「うわあ、これは裏の顔を知らなかったらだまされるわ」と読者に思わせないとだめだと思うし、むしろ最初は善良な役柄として出しておいて話の途中で読者の度肝を抜くべきだと思うが、戯曲なので舞台ではそれを演技で見せられる、ということなのだと思う。
イアーゴーがどうしてそんなにもオセローを陥れたいのかはっきりは語られないが、黒人であり自分より下だと思う相手なのに、身分が高く尊敬されていて美しい貴婦人までめとったことが許せない、というのが現代ではわかりやすい解釈な気はする。
オセローにも意外と感情移入できるシーンが少ない(彼を取り巻くレイシズムに義憤は感じるけど)のだけれど、それも役者の魅力で変わってくるのかもしれない。
舞台で観てこそ、の戯曲なのだろうか。
追記
ナショナル・シアター・ライブで公演の映像を見たところで追記。いくつものプロダクションを見てこそわかることもあるのだろうが、とりあえず。
松岡先生も書いているが、ロドリーゴーやキャシオー、オセローなど名前のある役ほとんどが上流階級なのに対して、イアーゴーは召使などと同じくらいの、一段下の階級だということが大事なのかなと思った。みんなが彼を「正直者」というのもあなどっていることの裏返しなのかもしれないし、イアーゴーがあんなにオセローを憎むのも「自分は貴族じゃないから昇進は難しいかもしれないけど、オセローは黒人だから、他の貴族とは違うから、自分を取り立ててくれるんじゃないか」という期待を裏切られて、「黒人のくせに!」と憎さ百倍なのだとすれば腑に落ちる。
オセローがあんなに簡単にだまされるのは、ずっと軍隊の人間関係しか知らずに生きてきてきたことや、internalized racismのために自分が醜いと思っていること、デズデモーナとすごく年の差があって自分に不安があることが要因なんだろうなとは思うけど、でもやっぱり納得はしづらい。今の感覚で言えばDV夫だし、デズデモーナのことを「真珠」「宝」とは思っても、対等に人生を分かち合う伴侶としては見ていないから、彼女の愛情よりイアーゴー(軍隊の仲間)を信じるんじゃないのか。役者さんは軍人的魅力をよく出していたけどそれでも感情移入は微妙だったので、すごく難しい役だなと思います。