榎本博明のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
わたし、この手のテーマ好きなんですよね。
卒論も似たようなところがあったし、
無意識に興味関心が高いのかなーなんて思います。
さて、本書ではインターネットの普及・発達とともに
増加の一途を辿っている「自分大好き人間」について、
その分類ごとの行動分析などを解説しています。
もう一言で「いるいる、こんな人(笑)」などと
他人事のように思ってしまいがちですが
少し時間を経て冷静に考えたとき
自分自身についても釘を刺されたようでひやりとしました。
自分のことを好き、もしくは自尊心というのは
決して悪いことではないのだけれど、
ようはその加減ですね、何事も。 -
Posted by ブクログ
上司のアドバイスや叱咤に対して、「上から目線で言わないでください」と抵抗する若者が良く見かけられる、という事例から、なぜ人は上から目線と感じてしまうのか、を論じた一冊。
そもそもの発端である事例では直接上司に「上から目線だ」と指摘しているらしく、それは信じがたい事例なのだが、陰で「偉そうにしやがって・・」と言うのはよくある事例だと思う。
結局その様に上から目線だと憤っている側こそ、実は上から目線でその上司なりを品定めしているというのが実態。
なんだか複雑な環境が生まれているようです。
著者は教育現場の変化や、家庭における教育やら道徳の変化にその原因があるようだと論じているが、これはある意 -
Posted by ブクログ
ネタバレ日本は状況依存社会。すみませんと言われることでそれ以上攻め立てるのは無粋だという場の雰囲気を作り出す。
悪者探しをしないためにすいませんと言う。
日本社会に適応するためには言葉の背後にある思いを察することが求められる。
良好な雰囲気の場が形成されればお互いに相手が困る要求を突きつけることが出来なくなる。日本のコミュニケーションは意思を伝える手段ではない。
相手の出方を伺いそれにあわせて自分の出方を決める。相手の思いと自分の思いをいかに調査させるかに腐心する。
日本では言語によるコミュニケーションがそれほど重要視されてこなかった。
正論を言う人は嫌われる。何を言ったかよりも誰が言ったかが重要。
-
Posted by ブクログ
目上の人を平気で「できていない」と批判する若手社員、駅や飲食店で威張り散らす中高年から、「自分はこんなものではない」と根拠のない自信を持つ若者まで―なぜ「上から」なのか―。ま、いろんな人がいますわな。
「目上の人を平気で「できていない」と批判する若手社員、駅や飲食店で威張り散らす中高年から、「自分はこんなものではない」と根拠のない自信を持つ若者」本当に世の中はいろいろな方がいるもんだとこの本を読んで思いました。
この本はなぜ「上から」ものを言ったり考えたりする人がいるのか?また「上から」という目線がどうして気になるのか?ということを心理学者である筆者が読み解いたものです。
個人的には筆者 -
Posted by ブクログ
ネタバレ目上からのアドバイスなどに対して「上から目線による見下し」と捉える被害者意識を心理学視点から読み解こうとしている内容。斬新な内容は無い。様々な展開を行っているが深堀りされず、結論が若者批評に収まっているのが安直すぎる。
どちらかというと内容として気になったのが、他国との違いだ。
いくつかのキーワードが存在する。
・アイディンティティの欠如
・「空気」という異質な存在
・世間体の形骸
・間柄を掴まないと自己規定が決まらない
相手によって一人称を使い分ける「俺」「私」「僕」「お父さん」「お母さん」
・父性社会と母性社会
父性社会は切断、母性社会は包含
こう並べた時、他国との違いは政治以外に宗 -
Posted by ブクログ
ネタバレ日本人にとって言葉(日本語)はただ単に意思を伝える手段というだけでなく、「場」を整え人間関係を円滑にする役割も持っていることが本書を読むと良く分かります。(むしろ後者の方がより色濃い)
一方、欧米では言葉は相手に自分の意思を伝えるための役割がほぼ全てであるため、対立意見を闘わせるディベートが盛んに行われる。
こうした対比も勿論面白いですが、もっと興味深いのは、欧米社会のように意見の対立を論理で押し切ることは「物事を一面的にしか見ない」ことを意味するのであり必ずしも正しい結果を招かないという指摘です。
これに対して日本社会のように意見を「調整」して物事を決めるやり方の方が、意思決定は遅れるもの