あらすじ
「すみません」とすぐに言う、「それはいいですね」と言いつつ実は拒否している、自分の意見を押し出すと「空気が読めない人」になる、全員が“首をかしげる”提案がなぜか会議で認証される――日本独自のコミュニケーションの構造をひもとく。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
日本社会は「ホンネ」と「タテマエ」の二重構造でできており、この構造を理解していないと、コミュニケーションに支障をきたすという話。海外との比較で、この手の二重構造は悪く言われることが多いけれども、社会から争いを減らす意味で、むしろ上手く機能している側面を特に強調している。また、近年の日本では、タテマエを軽んじる風潮から社会がギスギスしている面が見受けられるとしつつ、現代の若者も、ホンネとタテマエの狭間で細心の注意を払いながらコミュニケーションをしている実態を明らかにしている。
私も、人の発言において、言外の意図や真意を読み取るのは非常に苦手だし、逆に自分が話す場面でも、どこまでの範囲を、どの程度まで正直に話していいのか今でも基準を測りかねているので、コミュニケーションは大の苦手である。特に、事前に準備ができないような突発的な場面では、コミュニケーションを上手くこなすことはまずできない。自分が責任を持てないことについて言質を取られるわけにはいかないし…。どうしてこんなに悩まなくてはいけないのか、背後にある社会構造を本書が明快に示してくれた意義は、私にとって非常に大きい。これからもバイブルとして時折り参照したい本。
Posted by ブクログ
日本に帰国して早い物で7年…今だにコミュニケーションで戸惑う私には目から鱗!欧米は言語文化(言った言葉に責任がまとわりつく)のに対して、日本はそうではなく、言葉にそんな責任はなく、その場、その場の状況に合わせて受け応えをする状況連動文化。言葉にあまり責任は無いらしい。
なんてお粗末な!と、思ったけど、
このロジックを頭に入れてコミュニケーションを取ると楽になるかな?
Posted by ブクログ
実は欧米のほうが 「タテマエ」の世界 建前を前に押し出して相手を説得していく 日本のほうがタテマエの謝罪に否定的で 具体例が多くて分かりやすい
Posted by ブクログ
書店で手に取りパラパラ眺め、面白そうだったのでそのままレジへ。読後、生きづらさを感じながら生きる現代日本人の一人として本書に関心がいったことをそれとなく気付かされたように思う。
ここに書かれていることは何も珍しいことではない。日本人であれば誰でも経験的に気付いているようなことが対象とされている。この誰もが日常的に抱く漠然とした認識が、心理学者ならではの明快な分析によって解き明かされる。とりわけ、欧米人との比較から日本人像が浮き彫りにされてゆく。たとえば、多重人格という症例が日本であまり認められないのに対し、北米ではそれほど珍しくはないという事実から、その差異の根底に欧米人と日本人との決定的な違いがあるとする著者の視点には脱帽する。
本書を一読すると、"生きづらさ"の正体が少し明らかにされたような気がする。ただ、その"生きづらさ"が私の十余年来の哲学の原動力であった。それから完全に解放されるとき、私の哲学は終了するだろうと思っている。ただ、それはまだ継続しそうである。だから、私にとっては、生きづらさの正体はここで言われているような表層的なものではないのだろう。洋の東西を分かたずに、さらにもっと深層の部分にあるのかもしれない。そして、現在私が辿りついていたところを解き明かすキーワードは"自然"。その"自然"の現れの相違を明らかにするものとして、本書を飽きることなく最後まで興味深く読ませて頂いた。
Posted by ブクログ
言葉によるコミュニケーションの文化による違い。
日本と欧米諸国の比較を日常から外交まで、分かりやすく例を挙げながら書いてあった。
日本は「場を和ませるためのコミュニケーション」になるほどと思った。
Posted by ブクログ
世間でよく聞く「日本人は自己主張がなさすぎる」というマイナスな意見。
確かに諸外国と見比べるとそうなのかもしれないけれど、そこには日本独自の「文化」と「社会」に深く根付いた然るべき理由がありました。
別に自己主張が苦手でも、やたらめったら自己嫌悪する必要はないというわけですね。
読み終えてから改めて眺めるタイトルの『すみません』に、これは日本の姿を本当に如実に表した言葉なんだなぁ~と、えらい納得してしまいました。
Posted by ブクログ
気が付くとうんうん頷きながら読んでいた。
「わかりました」と「はい」の使い方については、的確すぎて思わず笑ってしまった。
どうしてもっと効率よく出来ないのだろう、というような無駄な話し合いには "満足感を与えて一体感を醸し出す" 意味があるらしい。足並みそろえてというわけか。
アメリカ式のコミュニケーションを "良いもの" として取り入れようとするのも日本らしさなのだろう。
Posted by ブクログ
昨日の東京電力の株主総会は、「エアー謝罪」あるいは「つもり謝罪」をして、株主からの経営合理化などの提案ははねつけて、1兆円の公的資金注入を了承という虫の良い提案のみ賛成。独占企業の姿が良く分かる。しかも辞める会長は、関連会社にちゃっかり再就職。甘ちゃん(あるいはアマチュアという意味でのアマちゃん)経営の見本。
電車が何らかの理由で遅延した際にも「お詫び申し上げます」と何度も繰り返しアナウンスされる。中には、昨日のことなのに「ご迷惑をおかけしてお詫び申し上げます」とアナウンスが流れることもある。まさに「すみませんの国」だ。
さまざまな場面で聞く「すみません」。著者曰く、すみませんには、相手に対する思いやりがこめられていて、「すみません」を言うと、「空気」が良くなる。さらに、「すみません」を言った人に対して、必要以上に攻め立てるのは良くないという感覚が日本文化にはあり、「すみません」と言われることで、相手の怒りが和らぐ効果がある。おもわず、「すみません」は魔法の言葉かと思った。複雑だな。
謝罪会見で見られる胡散臭さについて言及されている。「自己呈示としての謝罪」と著者は述べている。では自己呈示とは何かといえば以下のように説明している。
自己呈示とは、他者に対して特定の印象を与えるために、自分に関する情報を調整して示す行動をさす。こう見られたいという意図のもと、提供する情報を操作する。いわば印象操作の一種である。
本心とは違う謝罪を行なう会見が目立つのはそのためか。著者は、責任の所在が特定の個人ではなく、「場の責任」にするために弊害が出ていると指摘している。ニュースで高校野球部員が不祥事を起こした際、起こした個人のみではなく、部員全体で責任を取ることがよくある。責任があいまいになって、本当に教育上よいのか疑問だ。
「タテマエ」には要求をコントロールする効果があるという指摘があり、意外に思った。利己的な心を抑制する役割があり、タテマエがなくなると利己的な心が表に出て、社会が混乱すると述べている。タテマエとハサミは使いようか。タテマエは、使いこなすのが難しい道具だな。
「すみません」にもと場の重みが感じられなくなっている。ポテトチップス並みの軽さといえば、「政治生命を賭けます」も同じだ。歌舞伎の大見得じゃあるまいし、そんなことを言われて感激する人がいるのか。今まで、何人もの政治家が使っては、姿を消していった危険な言葉。それにもかかわらず「政治生命」を使うとは、「政治生命」に魅力があるのか。疑問がふつふつとわいてくる今日この頃だ。
Posted by ブクログ
ついつい自分もいってしまう「すみません」。
その日本人にある背景を分析してくれる一冊。
結局は、同一民族で外からの攻撃も少ない島国においては、言葉により相手を理解することや闘うことをあまり必要としない環境に育ってきた。それゆえ、もっとも大事とされているのが「場」「空気」となり、おかしいと思いつつもその場を良好に保つために「すみません」を連発する。
そうは言いつつも、インターネットなどにより世界との距離がぐんと近くなり、諸外国の人々と接することも多くなっているのは事実。政治家の外交ができていないニュースが日々流れる中で、ディベートをはじめ、自分の意見をはっきり言うことが正しいという風潮が次第に勢力を増している。
それは確かに大切であるが、相手がどんな背景を持っていて、どんな考え方をもっているかをしっかりと把握したうえで、適切な対応を行うというのがグローバリゼーションに必要な能力だと思う。すなわち日本の中においては、そういうあいまいさを残して対応する一方、国外などの人々とは白黒はっきりつけて言うことが大事なのかと。
また日本国内においても、リーダーはしっかりとした芯を一本もって、あいまいさを残さずに突き進むことが必要なんですね。
Posted by ブクログ
あー僕は日本人だな〜と妙に納得してしまう一冊.もやもやに感じていた日本人のコミュニケーションについて,言語化されたおかげで(もちろんこれがすべてだと思わないが),頭がすこしすっきりします.
日本では,責任が個ではなく,場あるいは空気に帰される.状況依存社会と著者は命名する.相手の立場への共感性の高さ,多角的な意見への寛容性を,日本人は,ホンネを重視するためだと述べる.
「そうは言っても~という考えもあるよな.」と日本人が思える事は,相手の立場への共感性の高さに寄与しているとしている.物が言えない日本人は,相手の事を考え,一度相手の意見を引き受けてしまう,”やさしさ”のために生じるらしい.この人間味のある優しさは,対立を産むのではなく,安定した社会を形成するのに重要だと主張している.
しかしながら,共感性の高さは,感情と論理の未分化を伴うと指摘する.このことにより,日本では,議論をしにくい環境になっていると指摘している.意志決定の遅さ,責任の無い政治,全会一致の議決の大元には,共感性の高さが関わっているらしい.ちょっとなるほど.
また,最近の若者は,これまでの「話さなくてもわかる」状況であったのに,「話しても分からない」というあきらめの心理状況へ遷移していると言うのである.このあたりおもしろい.
日本的な曖昧さや緩さは,自他の共存,異質な文化,価値観の共存にとって非常に都合のよい性質であり,グローバル社会の中での日本の貢献として,この性質が有用では無いかと指摘しているとこは,そうかもと思ってしまう.このあたり,著者にのせられている感ありですが.
Posted by ブクログ
社会人としての自分の見直しになりました。
自分の考えがずれている点と、しっかり「すみませんの国」の人間である点が極端に割れていてバランスが悪い・・・。そんな自分の自己分析のきっかけになった本です。
似たような本を探すとともに、しばらくしてからまた読み返すとまた発見がありそうです。
ただ、「すみません」の国の考え方が、全般的に良い風に書かれている点は今はなにか気に入らない。
Posted by ブクログ
以前,この著者の別の本を読んで失敗したが,題名に惹かれて,懲りずに購入した.想像とは少し異なる内容であった.歴史を絡ませながら,日本人の抑制,日本的コミュニケーションの二重構造を指摘していた.日本は状況依存社会のため,原理原則がなく,海外から批判の対象になるが,それがきめ細やかな対応につながったり,必ずしも欠点になるのではないことを指摘し,それを逆手にとって何らかの貢献をする余地があるのではないかと問いかけていた.まずは自ら有する日本的コミュニケーションを正しく評価,理解したうえでないと,異文化との共生ができないという意見には共感した.
Posted by ブクログ
毎日のように交わしている「すみません」という言葉。日本人なら誰でもよく使う言葉ですが、この言葉に、日本独特のコミュニケーションの深層心理が隠されているという、とても面白い書籍です。日本語の使い方はとにかく難しいですね。
Posted by ブクログ
日本特有のコミニュケーションの問題だけでなく、利点にも焦点を当て、今後グローバル化が進展する中で、その良い面を再認識すべきであると。序盤がややクドイと感じたが、興味深いテーマ。日本語では「人間」と書いて「人」と同義。自身の中だけでなく、相手との「間」に自己を認識する状況依存的な文化という指摘に納得。また原理原則でなく状況で物事を判断する、自己矛盾を認められることが、欧米より圧倒的に多重人格障害が少ないことにもつながると。個人的には欧米スタイルのコミニュケーションスタイルを導入すべきという意見だったかど、そうとも言えないかもだな。
Posted by ブクログ
タテマエの国では、本音の自分をみうしなっている アメリカには多重人格の症例が多い
日本は、本音の国だから、逆に外向きには曖昧さやわかりにくさがが必要なのだ
Posted by ブクログ
ホンネとタテマエは「いやらしさ」と「奥ゆかしさ」
タテマエ謝罪を胡散臭く思う反面、ホンネの漏らす人物は器量のなさ、何が飛び出すかわからない、むき出しの心の不安定さを感じる。
Posted by ブクログ
昨今、タテマエを悪しきものとして思ったことをそのまんま発語する風潮が幅をきかせている。が、タテマエには利己的な心を抑制する大きな効用があることを自覚する必要がある。社会的存在にふさわしい振る舞いには自己にブレーキをかけるタテマエが間違いなく必須。自分たちの深層に宿る日本的なものをしっかり直視し良いものは自信をもって堅持しグローバル時代を生きていかなければならない。
Posted by ブクログ
日本は状況依存社会。すみませんと言われることでそれ以上攻め立てるのは無粋だという場の雰囲気を作り出す。
悪者探しをしないためにすいませんと言う。
日本社会に適応するためには言葉の背後にある思いを察することが求められる。
良好な雰囲気の場が形成されればお互いに相手が困る要求を突きつけることが出来なくなる。日本のコミュニケーションは意思を伝える手段ではない。
相手の出方を伺いそれにあわせて自分の出方を決める。相手の思いと自分の思いをいかに調査させるかに腐心する。
日本では言語によるコミュニケーションがそれほど重要視されてこなかった。
正論を言う人は嫌われる。何を言ったかよりも誰が言ったかが重要。
米国では自分の考えを相手にしっかりと伝え友達を説得して自分のしたいことを通すことが良い子。
Posted by ブクログ
日本は状況依存社会。原理原則より、お互いの立場に共感し曖昧でよしとする。言葉は意思を伝えるのではなく、場の雰囲気を保つためのもの。
だからダメ、ではなく、国際社会に対して日本的論理の良さへの理解を求めていこう。
より難しい、高度なコミュニケーションなのだと。
Posted by ブクログ
■日本文化
「共感性が高い」のが、日本文化の大きな特徴の1つといってよい。「みっともないことを嫌う」のもの日本文化の特徴の1つだ。このような事情によって、日本人はすぐに謝る事になる。つまり、非を認めてあやまる潔さをよしとする美学があり、非を認めて謝るものを責め立てて責任を追及するようなことはしない文化であるために謝りやすい。加えて、相手の立場への共感性が高いために、すぐに謝る。
Posted by ブクログ
日本人にとって言葉(日本語)はただ単に意思を伝える手段というだけでなく、「場」を整え人間関係を円滑にする役割も持っていることが本書を読むと良く分かります。(むしろ後者の方がより色濃い)
一方、欧米では言葉は相手に自分の意思を伝えるための役割がほぼ全てであるため、対立意見を闘わせるディベートが盛んに行われる。
こうした対比も勿論面白いですが、もっと興味深いのは、欧米社会のように意見の対立を論理で押し切ることは「物事を一面的にしか見ない」ことを意味するのであり必ずしも正しい結果を招かないという指摘です。
これに対して日本社会のように意見を「調整」して物事を決めるやり方の方が、意思決定は遅れるものの、多面的な意見からより良い結論を導きだせることもあるといいます。
日本語の「曖昧さ」が持つ良さに気付かされることでしょう。