玉木俊明のレビュー一覧

  • 味の世界史 香辛料から砂糖、うま味調味料まで

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    香辛料、砂糖、缶詰瓶詰め、冷凍で止まらず現代まで到達してるのがすごい。トマト缶の話思い出しながら読んだ。加工食品化と食品添加物とうま味調味料の話をきちんとここまで 位置付けられたのは初めてじゃないだろうか。スパイスを産出して送り出す側ってどんなだったんだろう。古代のインド料理の本とかあったけれども繋がってるんだろうか。

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    2025年02月05日
  • 金融化の世界史 ──大衆消費社会からGAFAの時代へ

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    当方は新卒で保険会社に入社し、現在は総合商社系の保険ブローカーとして勤務する人間であり、金融業界に携わっている。改めて金融業について世界史的な位置付けを見直すきっかけとなったので、以下に流れをまとめる。

    アジアにおける海運の発達を経て、ヨーロッパ船が世界中の交易に利用されるようになって来た。その過程でヨーロッパ内のディストリビューターとしてのイタリア船、独自海運ルートを作ったポルトガル船の後、世界を支配したのはイギリス船であった。海上保険業の発達と、銀行の無利子収益の増大を経て、世界は一度工業化の恩恵で享受したミドルクラスの恩恵を捨て、金融の不可逆的な増大を迎え、トマピケティが指摘するような、格差の再拡大を経験しているのである。

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    2025年01月24日
  • 人に話したくなる世界史

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    物流から見た近世ヨーロッパ史。教科書で習ったのとは、かなり違う。目から鱗とはこのことかしらん。物流が歴史を進ませる本流なのかと思わされる。軽い題の印象より内容は深いと思う。

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    2019年06月30日
  • 物流は世界史をどう変えたのか

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    思い返すと赤面してしまふ。
    世界史を選択したことを後悔しながら
    己の至らなさを言い訳にして
    こういう形での世界史の解釈は実にエキサイティングです。
    情報・物流・経済・消費・・・
    もっと引き出しをお持ちの先生だと思います。

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    2019年02月19日
  • 逆転の世界史 覇権争奪の5000年

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    経済学者が書いた世界史で、政治上のできごとに金融経済が絡めてある。
    カタカナの人物や事件の羅列が頭に入らず、世界史の教科書が苦手だった自分でも、
    身近な暮らしに近いこと(食生活や貨幣、物流)の流れを追っているので、理解しやすい。

    中国ふくめアジア圏を世界経済の最初の覇者と捉えた視点が面白く。
    現代の中国経済の隆盛はリヴァイヴァルであるが、大航海時代から産業革命の近代英国が成し遂げた経済の覇権と異なるのは、交易上の手数料であるという指摘が興味深かった。銀行の引落やカードの利用時のように、ものの価値に関わらず、経済活動に対する手数料の源はそこなのだろうか。

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    2018年12月31日
  • 海洋帝国興隆史 ヨーロッパ・海・近代世界システム

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    西洋史を専門とする経済学教授による、ヨーロッパから見た帝国の興隆を海運・貿易の視点から読み解いたもの。ローマからポルトガル、オランダ、イギリスへと派遣が移る歴史をバルト海、北海の海運が影響していること、奴隷制による砂糖の生産よりも綿花栽培に着目したイギリスが産業革命をもたらしたこと、電信が覇権確立に極めて大きな貢献をしたことなど、今までにない切り口から論述している。研究、分析が深く、内容の濃い素晴らしい研究成果だと感じた。
    「11世紀から12世紀にかけ、世界的に平均気温が1度ほど上昇する温暖期が続いた。そのため海水面の上昇が各地で生じた。これをダンケルク海進という。そのため低地地方では、洪水により、大きな被害を被った。その影響はイギリスでは低地地方ほど大きくはなかったが、イングランド南東部はその被害を受けた」p13
    「北方ヨーロッパへは、アメリカ大陸からの海流が流れ込んでいる。それに加え、偏西風の影響もあって、ヨーロッパ人にとって、大西洋横断はきわめて難しい事業になった。ただし、ひとたびイベリア半島から下るならば、ヨーロッパからアメリカに向いた海流に乗れる。したがってイベリア半島の国々の方が、アメリカ大陸に向かうには有利である」p15
    「地中海はバルト海と比較してはるかに大きな海であったにもかかわらず、より早く統一した商業圏を形成できたのは、メソポタミアという文明の揺籃の地に近かったという地理的要因も無視できない」p17
    「ヨーロッパは、自然の恵みという点では、決して豊かな地域ではない。近くの森に行けば、天然の果実が簡単にとれるということはなく、増大する人口を養うためには、農業の発達が不可欠であった」p22
    「ヨーロッパ人は、みずからの貧しさ、弱さを自覚していた。ヨーロッパの拡大とは、強くなろうとしたヨーロッパ人の意志の表れと、とらえることができよう。ヨーロッパは自らの貧しさを克服するために、もっと強くなるために、他地域に行って、その地域の産物を略奪し、ヨーロッパにもってくる必要があった。ヨーロッパの対外的拡張は、このような自然環境が大きな要因となった。ヨーロッパが豊かになろうとするには、他地域に向かうほかなかった」p23
    「われわれが生きている資本主義社会は、たえず利潤を生み出さなければ存続できない」p28
    「ヨーロッパ経済は、商人がどんどんヨーロッパ外世界にマーケットを拡大することで成長した」p30
    「アジアの船が、ヨーロッパの海上まで進出したことは一度もない。それに対しヨーロッパは、世界中に船を送ったのである。この相違は、忘れるべきではない」p34
    「イタリアにはイギリスと比べるとはるかに少ない石炭生産量しかなかった。したがってイタリアの経済成長は、天然資源の付与という点で大きな限界があった。こうしたことからもイタリアから、世界最初の産業革命が生み出されたとは思われないのである」p81
    「オランダを中心として生まれたヨーロッパ世界経済は、北方ヨーロッパの海運業の発達により、地中海を呑み込んでいったのである」p86
    「日本人の研究者は、ヨーロッパの経済成長におけるアジアの重要性を強調することが多い。しかし、ふつうに考えれば、アジアではなく大西洋経済の形成こそが、ヨーロッパの経済成長に大きく寄与したとなろう」p91
    「新世界の発見から18世紀後半まで、大西洋経済とは基本的には中南米経済を意味した。北米経済の重要性はそれと比較すると非常に小さかった。本質的に大西洋経済形成にとって重要なことは、西アフリカから奴隷を持ち込み、新世界で砂糖を生産させるシステムであった。このシステムが形成されていく過程で、大西洋はヨーロッパ人の内海となったのである。やがてイギリスが輸入した綿花がイギリスで綿製品となり、産業革命を引き起こすが、大西洋貿易全体をみれば、それはまったく例外的な現象であった。イギリスの大西洋貿易だけが、産業革命を生み出したのである。それが世界の歴史に大きな変革をもたらしたのである」p100
    「大西洋から砂糖や綿花を輸入する一方で、イギリスの貿易相手としてロシアが台頭し、とりわけサンクト・ペテルブルクからの造船資材の輸入が増大することとなった。しかも、この都市から輸入された鉄は、イギリス産業革命のためにも使用された。サンクト・ペテルブルクから鉄を輸入することがなければ、イギリス産業革命は不可能ではなかったにせよ、かなり遅れたであろう」p120
    「(喜望峰ルート発見により)喜望峰ルートを使用して、香辛料をアジアからヨーロッパへ運ぶようになった。それによってイタリアは、インドと東南アジアのルートから切断されることになった。17世紀初頭には、イタリアから陸上ルートでインドや東南アジアへとつながる異文化間交易圏からイタリアが切り離され、その代わりにイギリスやオランダ、さらにはポルトガル商人が一翼を担うようになった」p130
    「オランダは、帝国を形成することなく、商人自ら海運業を拡大していった。それに対しイギリスは、まず帝国内部の海運業を自国船でおこない、ついでイギリスの勢力下にあった非公式帝国で、最後に世界中でイギリス船を使用するようになった」p178
    「インドからイギリスに送られた資金は、本国費(home charges)と呼ばれ、イギリス帝国のみならず、19世紀には本国の財政にとって極めて大きな位置を占めた。それと比較するなら、たとえばオランダ財政におけるインドネシアの重要性は、それほど高くなかったであろう。財政面からみても、イギリス帝国は他の帝国の追随を許さないほどの一体性があった。多くの植民地が、本国経済のために奉仕したのである。これほど強力な本国の権力を、イギリスの前のヘゲモニー国家であるオランダはもっていなかった。イギリス帝国は、極めて凝縮性の高い帝国であった」p180
    「(スーザン・ストレンジ「カジノ資本主義」)すべての国に同一のルールが適用される公平なシステムの代わりに、極端に非対称的なシステムが発展していたと述べた。そもそも世の中に、(ストレンジのいう)公平なシステムなどありえない。ヘゲモニー国家に有利なシステムが存在しているのである。それを構造的権力と呼ぶべきであろう」p182
    「イギリスは、電信によって、世界の情報の中心となった。イギリスは、いわば情報の帝国になった。そのため、金融の中心になり、世界の人々は、イギリス流の経済の運営方法=ゲームのルールに従わざるをえなくなった」p198

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    2018年10月24日
  • ヨーロッパ覇権史

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    近代以降の世界の権力史を、ヨーロッパを中心にまとめたもの。オランダ、イギリス、アメリカといったヘゲモニー国家をはじめ、スペイン、ポルトガルといった海洋国家、オスマン帝国や中国、マニラなどの記述もあり、広く覇権国家について理解できた。学術的だし論理的で読みやすい。
    「現在のアラブ世界の問題のいくらかは、ヨーロッパ諸国が勝手に国家なるものをアラブ世界につくったがために起こっている」p24
    「ポルトガル海洋帝国が育てた果実を取っていったのがイギリスであった」p27
    「火器を最初に使用したのはヨーロッパ人ではなく中国人であったが、その使用をもっとも積極的に行ったのはヨーロッパ人であった。そのために、やがて世界中の戦争で勝ち、植民地を獲得することができたのである」p33
    「火器をどのように受容するかで、この当時の国の運命が決まったといって過言ではない。この点で、ヨーロッパは最も進んでいた。そして、それに次いだのは、おそらく日本であった」p34
    「イギリスとフランスを単純に比較するなら、国土はフランスの方がずっと広く、人口も2~4倍多かった。にもかかわらず、実際に勝利をえたのは、イギリスであった。巨額の借金をしながらも、イギリスはフランスとの戦争に勝ち、ナポレオン戦争が終わった1815年には、ヘゲモニー国家となったのである」p50
    「近世のヨーロッパで生まれたグローバリゼーションだけが、政治的な統一体である世界帝国を形成せず、経済競争を行う世界経済となった。競争の単位は主権国家であり、各国が飽くことなく利潤を求めて競争した」p61
    「一般に、オランダは貿易によって繁栄したとされるが、それは正確な見方ではない。オランダは、海運業によって繁栄を謳歌したのである」p75
    「国家が戦争状態にあれば、敵国に対する憎悪感が増していく。そのため、ナショナリズムが高揚することになる」p80
    「(13世紀)ヨーロッパの軍隊は弱く、イスラームやモンゴルと戦争をすると、ほぼ壊滅状態に至った。つまり、ヨーロッパが、陸上ルートによって東へと出ていくことは考えられなかったのだ。だからこそヨーロッパは、アフリカ大陸を南に下り、喜望峰を経て、インドに行くほかなかったのである」p92
    「ルイ14世が死去した1715年からフランス革命が勃発した1789年まで、フランスは国際貿易で主導的役割を果たした。その中核となったのがボルドーであった」p113
    「(14世紀~)大西洋貿易で最も重要な商品は砂糖であった」p132
    「産業革命とは、どちらかといえば劣勢に立たされていたヨーロッパ経済が、アジア経済に追いつき、追い越す過程を表す」p174
    「さまざまな学問の共通語は英語であり、理系の場合、英語以外に国際的な雑誌はないというのが現状である」p185
    「アメリカは、自国に都合の良いことが正義であると無邪気に信じているところがある」p189
    「こんにちの世界では、ごく一部の企業のトップを除くなら、賃金を上昇させる誘引はない。このような世界の出現は、結局、近代世界システムが世界を覆いつくした結果だということに尽きよう」p197
    「会社はまさに株主の所有物であり、そこで働く人々の幸福は考えない」p198

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    2018年10月23日
  • 海洋帝国興隆史 ヨーロッパ・海・近代世界システム

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    欧州の中心がいつの間にか南から北へ移っていたこととか、米国がいつの間にか大きな商船団を持っていたこととか、ようやく合点がいった。あと、大英帝国を大英帝国ならしめたバルト海地域の重要性やらポルトガル海洋帝国は滅んでも、ポルトガル商人は滅びず!とか。ちょーおもしろかった。

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    2018年10月14日
  • 物流は世界史をどう変えたのか

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    今でこそ、パソコンでクリックすれば、本を初めてとして生活必需品が送られてくる便利な時代となりましたが、物流を整備・維持することが覇権を握るために必要な時代がありました。

    ギリシアから始まって、イタリア、オランダ、イギリス、アメリカと多くの国が覇権を握ってきましたが、彼らに共通していたのは、その時代における「世界」の物流を制していた点にありました。覇権が移ったのも、時代の変化とともに、定義される「世界」の範囲が変わってきたことにあるようです。

    英国がなぜ栄えたのか、私の習ったころの歴史の授業では、産業革命だったと習いましたが、この本では、物流を制御するために彼らが制定した「航海法」にあるとして面白い視点です。

    最近、いままでの通説を覆す、または異なった視点で書かれた歴史解説書が増えてきていると思います。読書をするのが、より楽しい時代になったと嬉しく思うこの頃です。

    以下は気になったポイントです。

    ・地中海型の経済は、奴隷のように安価な労働力があったから反映できた、彼らがいなくなると、経済が機能しなくなった。ここに地中海の経済成長の大きな限界があった、ギリシアは政治的な帝国をつくらず、商業的には商人のネットワークを利用したのに対して、カルタゴとローマは帝国化して広大な領地を有した(p28)

    ・フェニキア人なくして古代ローマはなかった、古代ローマはカルタゴの物流システムがあったからこそ機能した、物流面からみればカルタゴの後継者はローマである(p33)

    ・中国の始皇帝により、中国という広大な領土が単一通貨圏となった、これにより春秋・戦国時代に始まっていた経済成長がさらに加速されることになった(p37)

    ・漢王朝の劉邦(高祖)は、直轄地には中央集権体制である、郡県制を、それ以外の地には、地方分権体制である、封建制を採用した。このような政治システムは、郡国制と呼ばれる(p39)

    ・イスラムのアッバース朝(750-1258)になって更なる飛躍を遂げた、アラブ人の特権を否定し、非アラブ人がジズヤ(人頭税)を支払う必要がなくなったので。アラビア人の王朝ではなく、ムスリムによる王朝へと変貌した(p48)

    ・15世紀初頭、永楽帝の統治下には宦官でムスリムの鄭和が、宝船という巨大船によってアラビア半島にまで遠征するなど、積極的な対外政策を行ったが、1424年に永楽帝がなくなると、やめてしまう。1436年には大航海用の船舶建造が中止された。ヴァスコ・ダ・ガマが15世紀初頭にインド洋に到着していれば、ポルトガルはアジア領土を拡大できなかったであろう、中国が抵抗したので。アジアの商人が輸送していた香辛料を、ポルトガルは自国の船で輸送するようになり、インド洋の物流は欧州の手に奪われていった(p57)

    ・商人としてのヴァイキングは、ハンザ同盟の商人が後継者となり、さらにその後継者がオランダ商人であった、相手が代わるたびに、北海・バルト海の商業圏は大きくなり、密度を増やした、オランダは航海技術の発展により、潮流の速いエーアソン海峡を航行するルートを開拓したことで、バルト海貿易の覇者となった(p58、66)

    ・15世紀末になると、マラッカが重要性を帯びるようになった、インド洋で使われていたダウ船と、東南アジアで使用されていたジャンク船の結節点であり、海上貿易の最大の要所であった(p71)

    ・中国が世界で一番豊かな国であるなら、近隣諸国が朝貢品を自国船でもってくるというシステムを使い、流通を軽視しても問題は生じなかった。中国は自国船を使うことによって得られる利益など考える必要もないほど豊かな国家であった(p76)

    ・スペインにとってマニラを通じてアジアの市場に参入することが、唯一の方法であった。ヨーロッパ外世界の貿易は、まずポルトガル人によって、ついでオランダ人によって支配されていたから。スペインのガレオン船は、毎年200万ペソの銀を輸送していたが、その量は、ポルトガル領インド、オランダ領東インド会社、イギリス東インド会社のすべての銀輸送を合計した額である(p79)

    ・地中海では一度森林がなくなると新しく森林地帯として復活することはなかった、それに対してバルト海沿岸はいまなお多くの森林がある(p83)

    ・ヴェネツィアとジェノバは長期にわたり欧州側の地中海貿易の覇権をめぐって争い、やがてヴェネツィアが勝利した。18世紀のイギリスでは、中央銀行であるイングランド銀行が国債を発行し、その返済を議会が保証するという「ファンディングシステム」が発達したが、都市国家にすぎないイタリアではそうしたシステムを構築不能であった、銀行業、保険業の両方において、イタリアの発展そのものに決定的な限界があった、中近世イタリアの経済システムは、そのまま近代的システムへ発展することはなかった(p85)

    ・イギリスの石炭は、北海経済圏(デンマーク、ドイツ、オランダ等)に輸出された、地中海経済圏においては森林枯渇により木炭調達が難しいし石炭も産出されなかった、奴隷が櫂をこぐガレー船が長く使用されていた、なのでこの漕ぎ手(安い労働力)の供給がストップしたら繁栄は終わった(p87)

    ・ポルトガルが1509年、イスラムのマルムーク朝艦隊を破り、アラビア海支配を決定的にして、1510年にゴアを占領、ポルトガルのインドにおける拠点となった。1511年にはマラッカ王国を滅ぼし、モルッカ諸島からの香辛料を入手しやすくなった。喜望峰ルートで輸送されるようになり、紅海・アレキサンドリア・地中海ルートは、衰退した。1641年以降は、英蘭東インド会社が喜望峰ルートのみを使用するようになり、地中海ルートは消滅する、イタリアはインドと東南アジアのルートから切断される(p95)

    ・ポルトガルのアジア進出を皮切りに、オランダ、イギリス、フランス、デンマーク、スウェーデンなどが東インド会社を設立、アジアとの貿易を開始した。当初はアジア産品の輸入が主であったが、やがてインドから茶や綿製品を輸入するようになる。徐々に、欧州からアジアへと流通経路が逆転し、これが経済力の逆転となる(p97)

    ・ポルトガル商人は、国家とは関係なくアジアに進出していた、ポルトガルの領土が他国に奪われても、ポルトガル人は商業活動を続けることができた。19世紀初頭になるまで、ペルシア湾からマカオまでの地域の共通語はポルトガル語であった(p98、99)

    ・1690年にブラジルで金山が発見されると、ブラジルーリスボン間の貿易が発展した、ポルトガルのイギリスとの貿易赤字は、ブラジルから輸入される金によって補てんされた。この金は、イギリスの金本位制に大きく役立った(p102)

    ・当初、欧州からアジアに輸出できるものはほとんどなく、英蘭以外の国がアジア交易に参入することは難しかった、なので英蘭の東インド会社は、アジアからの輸入品を度億戦できた。17世紀においてアジアからの輸入品として重要だったのは香辛料、その代わりとして武器が輸出された、アジアにおいて欧州の船舶が輸送を担うようになっていった(p107、115)

    ・1857年にイギリス東インド会社が解散したのは、本国政府が直接統治するようになったから。蒸気船と電信の発展により、東インド会社がなくても直接統治が可能になったから(p110)

    ・オランダ経済にとってもっとも大切なものは、バルト海地方との海運業であった、バルト海地方から輸入される穀物、海運資材を欧州各地に運搬することで、オランダは巨額の利益を得て物流の中心になった。アジアとの貿易はコストがかかり、船が難破することもあり、リスクが高く安定した利益はもたらさなかった(p118、127、128)

    ・イギリスは18世紀後半に起こった産業革命によって世界経済の中心になったとされるが、実際に経済力が強くなったのは19世紀後半、イギリスの蒸気船により、世界の商品が輸送され、人々が移動したから(p131)

    ・オランダに対抗するために、輸送コストが低い船舶を建造し、オランダ人の手中にあった欧州の物流システムを自国の輸送システムへと転換することで、経済力を高めようとした国が、イギリスであった。1651年から数度にわたり、航海法を制定した。イギリスが輸入を行う場合、イギリスの船か輸入先の船でなければならないと定めた、輸出はすでにイギリス船となっていたので、イギリス以外の国々(フランス、スペイン、ポルトガルなど)は、大西洋貿易では自国船を使っても、北海・バルト海地方との貿易ではオランダ船を使用していた(p133、135)

    ・南アメリカの輸出品は主に宗主国である、スペイン、ポルトガルに輸出されていたが、ナポレオン戦争後には、ロンドンが輸出先の中心、その次はハンブルク、宗主国との経済的紐帯が弱まったことが、独立となった要因の一つであろう(p136)

    ・イギリスは1710-1910のあいだ、世界の工場であったが、貿易収支が黒字であることはほとんどなかった、19世紀以降、海運業からの収入が大きく増えた。物流を重視することで、イギリスはヘゲモニー国家となった(p141)

    ・ポルトガルに居住していたユダヤ人でカトリックに改宗した人を、ニュークリスチャンと呼ぶが、1500年初頭、ベルギーのアントウェルペンに定住しはじめた。しかしスペイン領となった1585年には、オランダ共和国、ハンブルクに住むようになった、宗教に寛容であったから(p159)

    ・中国役人からの干渉を避けるために、中国商人と欧州商人は通訳をできるだけ使わないようにして共通の言語を創出した。それは、中国語、マレー語、ポルトガル語、英語が混ざった人工的な言語であった(p168)

    ・スウェーデン東インド会社が主として、オランダとオーストリア領ネーデルランドに輸出した茶が、おそらくイギリスに持ち込まれ、低所得者層が飲むものとなった、茶に対する関税が高かったので、フランスからは高級茶、スウェーデンからは低級茶が密輸された、両国はイギリスが世界最大の茶消費国になることを助けた(p172、177)

    ・アメリカが本国に議員を送っていない以上、イギリス政府はアメリカ植民地に課税する権利がないと主張した、これは正しいと思われているが、イギリスとしては、自分たちが多額の戦費を出費し、フランスから保護した相手から反抗されたという意識があったあろう。アメリカの独立は1783年のパリ条約によって正式に終了し、国際的に独立が認められた(p192)

    ・1861年には、アメリカ合衆国で、奴隷州と反奴隷州に分かれて戦ったが、アメリカで反奴隷州とは、あくまで奴隷を国内で使用しないことであって、国外で奴隷が生産した商品を輸送しないということではなかった、スペイン領キューバの奴隷制は、1880年まで廃止されなかった(p197)

    ・人々はGDPや国民所得の上昇ではなく、日常生活が豊かになるかどうかで経済が成長していると判断する、そのために必要な流通はじつに細かなものであり、計画経済で形成できるものではない、ことに気づかなかったのが社会主義経済の大きな弱点であった(p219)

    2018年2月18日作成

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    2018年02月18日
  • 〈情報〉帝国の興亡 ソフトパワーの五〇〇年史

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    今まで何冊か覇権を取った国(17世紀中頃のオランダ、19世紀末から1次大戦勃発までイギリス、アメリカ=ウォーラーステインによればこの3つ、アメリカは二次大戦後からベトナム戦争勃発まで、p22)の解説本を読んできました、それなりに納得してきましたが、イギリスやアメリカが世界の工場の地位をなぜ明け渡すことになったのか、自分のなかで少しもやもやしたものがありました。

    また東南アジアの覇権争いで、イギリスはオランダに負けたのですが、それに対して徐々に海軍力をつけてきたイギリスが逆転したと理解はしてきましたが、それだけではなく、その影には情報力を制するシステム(電信網の構築)があったことがこの本で得た大きな情報でした。またオランダが覇権を握れた肝は、活版印刷技術、であったこともこの本で初めて知りました。

    他の国が発展すればするほど、その情報網を使うことでイギリスに手数料を払うことになるのでイギリスが益々発展する、という素晴らしい仕組みを作ったことで、イギリスは世界の工場の立場を守るよりも、より儲かるシステムを作り上げたことが、結果的に覇権国になったと理解できました。アメリカは、電信に対して「電話」という一般市民も使えるシステムを構築することで、それに対抗していった、という内容も面白かったです。

    以下は気になったポイントです。

    ・数年前にクロマニヨン人は言葉を発した、そのため動物や昆虫と異なり、無限ともいえる情報を伝えられるようになった。音声の誕生により人類は文明を急速に発展させることが可能になった、更に数千年前から文字を使うようになった。文字と音声の決定的な違いは、情報の蓄積量にある。15世紀のドイツにおいて印刷が発明され、文字は一般の人々が読むものに変わっていった=グーテンベルク革命(p8)

    ・ポストアメリカを議論する人は、近代世界システムがまだつづくという前提(= 持続的経済成長 )に立っている、現在は未開拓の土地はなくシステム前提が揺らいでいる(p11)

    ・文字ではなく音声によって世界が結び付けられるようになり、その中心がアメリカであった、電話はアメリカのソフトパワーとして機能し、ヘゲモニーを握る点で役だった(p13)

    ・19世紀にイギリスがヘゲモニー国家となったのに重要なツールとなったのは、電信であった(p21)

    ・オランダが正式に国家として認められたのは30年戦争の講和条約である、ウェストファリア条約(1684)の時、これは今日まで続く主権国家体制が認められた条約、さらには、スウェーデンが神聖ローマ帝国議会への参加権を得た、つまり北欧が正式に欧州国として認められた、そして現在の西欧の輪郭が誕生した(p24)

    ・オランダは活版印刷技術、イギリスは電信、アメリカは電話を利用して、ヘゲモニーを握ることができた、推移していったのは、そのつど、彼らのもとに比較的正確な商業情報が集まったから(p28、31)

    ・現在でも、ウォール街の取引高はシティよりお大きいが、外国との取引はシティのほうが大きい。それはアメリカ国内経済規模が大きいこともあるが、イギリス経済がいかに世界経済と、いまなお強く結びついているかを示している(p33)

    ・文書で通信するには、商人が文字の読み書きができる必要がある、ハンザ商人は文字を書けなかったので、12世紀中頃までは聖職者が代行していた。14世紀ころには、ラテン語に加えて、ドイツ北部で話される低地ドイツ語を書くようになった、これにより聖職者の地位の低下が商業界においても見られた(p41)

    ・グーテンベルクの活版印刷革命により、修道士が書物を筆写するという仕事の意味はほとんどなくなった、修道院における「祈りかつ働け」の「働く」ことのなかで筆写の占める割合は極端に小さくなった(p47)

    ・カトリックとプロテスタントの最大の相違は、前者が救済は神によってローマ教会を通じて与えれるとしたのに対して、後者は神の救済は、直接個人に与えられるとしたこと。但しこれは教義の相違であり、信徒がそのことをどこまで理解していたかは別の問題である(p48)

    ・宗教改革者は主としてラテン語でパンフレットを書いた、国際的な議論をするには当時の欧州の共通語の使用が必須であった、しかし彼らは、それぞれの国語(俗語)に自分たちの作品が翻訳されるのを嫌がらなかった、ルターのようにラテン語の聖書をドイツ語に訳した人もいた(p53)

    ・アントウェルペンには、ジェノバの商業技術が受け継がれていたので、ジェノバ→アントウェルペン→アムステルダムと、商業技術の伝播があった、さらにアムステルダムで活発に取引をしていたのはケルン商人などの外国商人であtったことから、アムステルダムがハンザの商業技術を導入していた可能性が高かった(p68)

    ・当時のインドとイタリアの経済力はインドの方が上だったが、少なくとも商業書簡という商業慣行においてはイタリアの慣行、ひいては欧州の慣行を押しつけることに成功した、欧州のソフトパワーがアジアの経済力に対して勝利していった、商業書簡の書き方の規則を守っていれば、初めて手紙を出す商人も比較的簡単に仲間として認めれもらえた、これによりネットワークが広がっていった(p76)

    ・欧州が暴力的手段を用いて支配地域を拡大し、その結果、商業空間の拡大をもたらしたのは事実であるが、同時に、商人独自の活動で欧州の商業空間が拡大していったことも忘れてはならない(p77)

    ・近世の商人は、いつ情報が届くかわからない不安定な状況の中で、商業に従事していた。それが変わったのが、電信の発明と、蒸気船の登場であった。船舶がいつ着くかということが、かなり予測可能となり事業展開に必要な時間が大きく短縮されるようになった(p79)

    ・ポルトガル海洋帝国は、商人の帝国、であった。ポルトガルの植民地のいくつかが、オランダやイギリスに奪われたのちも、18世紀末に至るまで、ポルトガル語は、アジアでもっとも頻繁に話された欧州言語であった(p85)

    ・ナポレオン軍が強かった理由の一つは、情報通信技術が発達(腕木通信)していたからに他ならない。戦争の際、手旗信号を使って、最前線での情報を最寄りの腕木通信基地まで送信し、さらにその情報を腕木通信で送信していた、問題は、通信塔に常時人間を待機させなければならない、悪天候には使えないこと。1846年に、フランス政府は腕木電信を、電気式電信ラインに切り替える決定をした(p91-93)

    ・大西洋世界の経済に参加する方法は2回大きな変化をとげた、最初は印刷機が事業に使用されるようになって、次が電信であった(p93)

    ・19世紀末、電信は世界を変えた、均質の商業情報がどこでも同じような価格で、タイムラグなく入手できた。電信によって初めて、人類が動くよりも速く情報が伝わるようになった、電信の8割はイギリス製(p95、98)

    ・イギリスをヘゲモニー国家にしたのは、工業製品の輸出ではなく、貿易外収入であった(p121)

    ・1870年にイギリスは世界第一位の工業国家でなくなったが、世界最大の海運国家、イギリス船で輸出されたり、イギリスの保険会社ロイズで保険がかけられた、イギリスは困ることはなかった(p123)

    ・1783年のパリ条約によりアメリカが正式に独立すると、それまでイギリスの保護下にあったが、突如として世界の荒波にもまれることになった。しかしフランス革命、ナポレオン戦争により、中立という立場を利用して世界二位の海運国になった(p134)

    ・アメリカで発達した電話は、電信ほどの革新性があったかは定かでないが、日常生活にまで浸透したという点でコミュニケーションの歴史上画期的な出来事(p135)

    ・1893年から電話の設置数が増えているのは、1893-94年にベルの特許の主要部分の期限が切れたため、新たな独立系電話会社が創設されたから(p146)

    ・電話はアメリカの女性に新しい職業を提供した、電話の交換手は、女性が社会進出するための数少ない職業の一つであった(p150)

    ・電話がアメリカの家庭で頻繁に使われた以上、活版印刷技術や電信よりもはるかに生活面の影響は大きかった(p154)

    ・イギリスの例外は、1)18世紀の時点で、イングランド銀行が国債を発行、その返済を議会が保証する、2)航海法に代表されるように、海運業の発展を国家が促進、3)大西洋経済における綿生産システムの形成(p195)

    2018年2月6日作成

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    2018年02月06日
  • 〈情報〉帝国の興亡 ソフトパワーの五〇〇年史

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    情報を切り口に、オランダから始まるヘゲモニー国家の経緯と、今後の展望について論じられております。
    ドイツ発の印刷技術を起点に、広告戦略など情報の集約と拡散により、商業起点をアムステルダムに築き、世界の貿易を制したオランダ。
    産業革命による機械化だけでなく、電信インフラを世界中に構築し、情報をいち早く統制することにより、域外に広大な植民地を統制・管理したイギリス。
    元々の広大な領土の性質上、ポテンシャルある工業生産力だけでなく、電話による音声通信の研究・発達と共に、情報の速報性を武器に、第二次世界大戦後に、世界の中心となったアメリカ。
    非常にユニークな視点で、なかなか面白い書物でした。

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    2017年05月07日
  • 味の世界史 香辛料から砂糖、うま味調味料まで

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    香辛料や砂糖を巡る本かと思いきや、中身はしっかり「貿易の本」。ヴェネツィアの香辛料中継からカリブの砂糖プランテーション、うま味調味料へと「味」の主役が移るたび、資本主義の誕生とヨーロッパの覇権史が重なって見えてくる。世界史をヨーロッパ視点で一巡りするような面白さだった。

    読み終えて一番刺さったのは「味の民主化」。中世、胡椒は金と等価で、家賃を胡椒で払った時代もあったという。今は数百円で買える。私たちは王侯貴族より贅沢な味を、毎日何の気なしに食べているのだ。

    そして共働き子育て家庭の食卓。疲れ果てた土日の昼、レトルトで一品増える恩恵は計り知れない。あれは手抜きではなく「時間」を買っている——そう思うと立派な経営判断だ。とはいえ手料理の方がおいしいと感じるのも確かで、その正体は旬や地域という、工業化された味が切り捨てた情報なのだろう。使い分けの基準は特にない。その日の気力で行き来できるのが、いまの食卓の豊かさなのかもしれない。

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    2026年08月16日
  • 海洋帝国興隆史 ヨーロッパ・海・近代世界システム

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    中央アジアに関する歴史&文化に関する書籍と合わせて、それ以後の世界史に関する書籍をとして購入した書籍である。(講談社の半額セールで購入した。)
    当書籍は「大航海時代」でヨーロッパとその他の地域で発達の違いは発生した理由を海運業の発達に絡めて解説している。その中でヨーロッパの海運業が発達する前の時代の情報とそれが発達した背景、および、ヨーロッパの中でも各国(各都市)が発達するためにどのような条件が影響したかを、参考文献から引用した具体的な数値を基に解説している。
    また、書籍の中で現在の世界史(特に15世紀以降?)がヨーロッパ目線、かつ、英語で記載されている文献がメイン、かつ、全体よりも各国、各都市単位で解説されていることが多い現状について、問題視すると同時に研究者それぞれの限界も踏まえて、ある程度は仕方がないこととして論じてる。途中、具体的な数字を基に解説する際などは、何が言いたいのかがわからなくなる部分もあったが、多くの参考文献を参照にしているため、致し方ない部分と思われた。
    産業革命後のイギリスがヘゲモニー国家となった理由についても、難解ながらも教科書的な解説よりも納得感のある説明であり、興味深かった。

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    2026年07月30日
  • ヨーロッパ 繁栄の19世紀史 ──消費社会・植民地・グローバリゼーション

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    19世紀がヨーロッパの全盛期だったことが、蒸気船の発達、植民地の獲得、鉄道の発達、工業化による労働の変化と余暇の発生等から説明されていて面白かった。

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    2026年07月19日
  • 味の世界史 香辛料から砂糖、うま味調味料まで

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    香辛料を求めた古代・中世から、砂糖の時代へ。
    その裏には地政学、宗教、帝国の興亡が全部絡んでいる。
    大人になって読む歴史は、点が線になり、線が面になる。
    教科書で暗記したあの出来事が、こんなところで繋がるのかと何度も唸った。

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    2026年03月18日
  • 味の世界史 香辛料から砂糖、うま味調味料まで

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    きっかけ
    食べ物×世界史で興味ドンピシャで読み始めた本
    内容
    香辛料、砂糖、化学調味料から見る世界史
    感想
    ヨーロッパが帝国として支配していたのは他の本見ても印象に残っているが、オランダ、ポルトガルが競っていた話はチューリップで弾けたくらいか印象がなかった。
    ちょうど香辛料がここに該当していて時代背景含め濃厚に書かれていて今までにない知見が深まった。
    東方見聞録とかもこの時代で、大陸間での移動がまだ細いのでアジアが未知すぎてワクワクに溢れていたんだなと思った。
    砂糖による生活革命で生活水準が上がったが、家庭内労働分を割いていると記載があり、自分の仕事と家事のバランスが取れていなすぎるのも、仕事やっていれば良しみたいな昭和の価値観もきっかけはここからだったんだろうなと恨めしく思った。
    ここ最近歴史の本読むのが今の結果の起因を紐解く様で楽しくもあり、学生時代にもっと勉強できておけば良かったなと思いつつも、子供にはこの楽しさに気づける様に働きかけたいなと思っている。

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    2026年01月11日
  • 物流で世界史を読み解く 交易、移民問題から食文化の革新まで

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    物流業界で働いていることもあり、興味深く読みました
    貿易・物流の中心が変遷していく過程が簡潔に描かれていて、物流を影から支えてきた人達の様子が分かったのが大きな収穫でした

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    2025年08月04日
  • 商人の世界史 小さなビジネス革命が世界を変えた

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    ネタバレ

    メソポタミアから現代までの中間商人の世界史をわかりやすく概説。ローマも大航海時代も先人のルートがなければなかった! という著者の思いが熱い。
    フェニキア、パルティア、イスラム、ソグド……
    そのダイナミズムが手軽に読める本。
    次は参考文献から深堀りしていきたい。

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    2025年04月23日
  • ユーラシア大陸興亡史

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    ものすごくおもしろかったです。
    ユーラシア大陸の興亡史をヨーロッパと中国を対比させながら展開し、非常に読み応えがありました。
    これまで、ヨーロッパの歴史はヨーロッパだけ、中国の歴史は中国だけと分割して歴史を俯瞰してみていましたが、並列してみてみると非常におもしろかったです。
    特に、中国がヨーロッパと比較して、16世紀ごろまでは経済水準が上だとは思ってみませんでした。

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    2024年09月15日
  • 金融化の世界史 ──大衆消費社会からGAFAの時代へ

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    ヨーロッパとアメリカを中心に近世から現在に至る歴史を見なおし、消費社会から金融社会への変遷と所得格差拡大の関連を説いた本です。
    ただし、解決の方向性が示されてないので注意が必要です。

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    2023年05月07日