玉木俊明のレビュー一覧
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「はじめに」に記載のある通り、本書は、経済史をベースとして、経済的覇権(=ヘゲモニー)の変遷を軸に、世界の変貌を叙述した教養書である。
一言でいうと、とても面白かった。
経済、物流、ネットワーク、それらを構築した人々の動きに焦点を当てて叙述し、経済的な覇権を握ることがすなわち政治的な覇権に繋がっていたことが浮き彫りになっている。その点が目からうろこであった。
中国はなぜ早期に経済発展を遂げ世界一の帝国であり続けたのに、近世になりヨーロッパに逆転されてしまった
のか。
グーテンベルクの活版印刷術や、大航海時代がもたらした歴史へのインパクトがどれほど大きかったか。
また特に、産業革命以降、第一次世界大戦までのイギリスの覇権確立の流れについての叙述は、特に気づきの連続だった。
高校世界史で習ったときは、なんで産業革命の頁で、いきなり「飛び杼」や紡績機の話が始まるのか分からなかったし、なぜ第二次産業革命がドイツで盛んになり重化学工業中心になったのかも、よく腑に落ちた。
惜しむらくは著者の専門外の時代だからだろうか、古代~中世くらいまでの項と、現代史の項は幾分叙述が薄いところか。
いずれにせよ、世界の覇権の歴史を、経済史という側面から眺めることで、より多面的に世界史を理解できる一助となる良書だと思う。 -
Posted by ブクログ
予想以上に面白い…興味深い本でした。
ヨーロッパ覇権史という書名ですが、内容は世界経済システム史の概説であり、個人的になるほどと思ったのは、工業国と資源供給国という単純化した従属関係ではなく、そこに「輸送(海運)」という確かに言われてみれば非常に重要なファクターを明示的に加えていることと、「決済」というこれまた当然ながら重要なファクターについては、それを成し得るための「電信」の重要性についても強調している点。
昨今の「資本主義の限界」についての議論の前提となる世界経済システム史についての理解を深めるための良書と思います。著者の他の著書も読んでみたくなりました。 -
Posted by ブクログ
移民と世界の発展の関係を述べた書。移民を言葉の通り移動する民族と捉え、遊牧民・ヴァイキング・黒人などの多種多様な民族にスポットライトをあてている。この本を読めば現代文明に移民が欠かせないことが分かるはずだ。
私は現代社会において、移民がネガティブな印象を持たれている状況に疑問を抱いている。市民は移民が雇用や治安を悪化させてるという偏見を抱きがちで、本当に移民が与えている影響を考慮しようとはしていない。そのため私は移民が社会、特に政治体制にどう影響を持つかより深く研究したいと思っている。本著はこの考えに対して、歴史の面から多大な見識を与えてくれたため深く感謝している。 -
Posted by ブクログ
タイトルにやや偽りあり。正しくは「経済からみた世界史」。
歴史の本には人物や政治を中心に語ったものが多いが、この本は経済の流れから、覇権の移り変わりを述べている。
「なぜ、歴史はこうなったのか」を考えたとき、やはり人物や政治体制よりも、経済による要因が大きいと実感する。
イギリスが産業革命により世界の工場になったが、貿易収支は赤字で、電信の手数料で大儲けしていた、というのはかなり衝撃であった。確かに、貿易黒字だけだったらその時はいいけど、その後も維持し続けることは難しい。将来に渡って稼げる手数料資本主義を構築したことがその後のイギリスの覇権につながったわけだ。
日本も、バブルの時の儲けをきちんとそういった手数料資本主義の構築に使っていれば、今みたいな凋落は無かっただろう。 -
Posted by ブクログ
近代ヨーロッパ経済史の専門家による、歴史研究とは何かを追求したもの。日本におけるヨーロッパ研究の経緯を述べ、それを題材に歴史研究とはどういうものかを明らかにしている。極めて学術的であり、面白い。
「誰の興味も引かず、学生がほとんど出席していないような科目が、ただそれが必要だったという学問に内在する要請によってのみ生きながらえたのではないか。社会全体からみた場合、そういう学問は、本当は死に絶えていたはずなのではないか。それが大学という制度によって、延命措置を施されているだけではないのか」p17
「目の前の研究に関係ないものは無視するという態度は、長期的には決して効率的なものではない。研究基盤が広くなければ、長く研究を続けることはできないのである」p50
「イギリス経済にとって重要な地域は、本国を除けば、西インド諸島であった。とりわけそこで生産された砂糖は、イギリスに大きな富をもたらした」p52
「こんにちの世界では、ごく一部の企業のトップを除くなら、賃金を上昇させる誘引はない。単純に言うと、企業では、ごく一部のトップの賃金だけが上昇し、通常の労働者の賃金は上がらないシステムが形成されつつある」p135
「近代世界システムとは、絶えず成長し続けるシステムである。未開拓の土地がなければ、このシステムは成り立たない。しかし、それがもはやなくなっているのである」p135
「持続的経済成長には、人口が絶えず増加し、人口ピラミッドが美しい三角形をなしているという前提があったことを忘れてはならない。こんにち、どの先進国でも高齢化が進み、持続的経済成長の前提条件はすでに崩れ去った。持続的経済成長とは、近代経済学が生み出したフィクションにすぎない」p136
「自然科学では、英語のみが世界語になって久しい。英語で書かれていない論文など、国際的評価には値しない。理論経済学も、そのような傾向にある」p154
「現在もなお、発展途上国の多くの国々では、母語で高等教育を受けることができない。彼らが一般に日本人よりも英語ができるのは、英語を使う機会がずっと多いからである」p158
「おおむね19世紀のあいだは、日本の高等教育は英語で行われたと考えてよいであろう。それ以降、日本人の学者の水準が上がり、母語である日本語で教育ができるようになった。そして、この頃から日本人の英語力は低下していった。新渡戸稲造のように、すぐれた英語で著作を出す日本人は、急速に姿を消していった」p159
「公正無私で客観的な歴史など存在しない」p171
「史料に書かれていることは、事実とは限らない」p179 -
Posted by ブクログ
情報に焦点を当て、ヘゲモニー国家の500年にわたる興亡について書いた本。著者によると今までヘゲモニー国家といえるのは、オランダ、イギリス、アメリカの3か国しかない。その3か国を情報の視点からみると、オランダは印刷機、イギリスは電信、アメリカは電話によって情報管理をしていた。ヨーロッパの歴史に詳しく、説得力ある話の展開がなされており、役に立った。
「アムステルダムは武器貿易の中心であった。それにより、戦略、戦術に関する情報が比較的容易に入手できたことは、極めて重要であった」p26
「オランダは活版印刷術、イギリスは電信、そしてアメリカは電話を使用した。これらが要因となって商業情報の中心となり、ヘゲモニーを握ることができたのである」p28
「ヘゲモニー国家とは、経済的に何が正しいのか決められる国家である」p31
「(16世紀まで)ヨーロッパでは、長い間、修道士などが書物を筆写して新しい写本を作成していた。筆写しか方法がなかったのだから、書物の出版数は、なかなか増えなかった。知識は、修道士などの一部の階級の独占物にとどまっていた。彼らが、情報発信と知識の担い手であった」p37
「個々の商人は情報の非対称性を利用して利益を得るが、社会全体としてはそれを縮小させなければ適切な経済活動が困難になる」p43
「フランス革命によって、フランスの貿易量が大きく低下したからこそ、イギリスがヘゲモニー国家になれたのである」p50
「17世紀のヨーロッパ商業の中心地はアムステルダムであった。アムステルダムが持つ、もっとも重要な機能は、商品の流通と情報の集約・発信であった。1600年に6万5000人だった人口が、1700年には23万人になった。さまざまな地域から、人びとが移住したからである」p68
「西欧の一人当たりの出版点数は、清や日本のようなアジア諸国と比較して、はるかに多かった。しかも、活版印刷術の改良により、書物の価格は安価になった。要するに、西欧はアジアよりも大きく進んだ知識社会であった」p71
「オランダにせよポルトガルにせよ、商業情報のネットワークとは、商人のネットワークだった」p85
「パリからブレストにはだいたい550kmの腕木通信線が整備されていました。そしてパリから発信された腕木通信の信号は、何とものの480秒(8分)後にブレストに届いたといいます。これは秒速1125m、音速の3倍以上の速さで信号が駆け抜けたことになります」p90
「アメリカという国は、アメリカ大陸以外の地域から大きく離れている。したがって、攻撃を受けにくい一方で、他地域を攻撃することができるという利点がある。それが如実に現れたのが、二つの世界大戦であった。第二次世界大戦が終わると、アメリカは圧倒的な経済大国として登場する」p134
「イギリスが世界に張り巡らした電信は、世界中で使われ、その使用料がイギリスに流入した。世界経済が成長するほど、イギリスは儲かるうえに、世界各国はイギリスが作り上げたシステムを使うほかなかった」p151
「明確なヴィジョンなき破壊のあとには、よりたいへんな生活が待っているだけかもしれない」p188
「ウォーラーステインによれば、飽くなき利潤追求が、近代世界システムの特徴である」199
「企業が短期的成果しか求められないのは、近代世界システムと新しく生まれつつあるシステムの構造の問題に由来するものと思われる」p202
「人は知らず知らずのうちに、貧困にあえいでいる人たちから搾取する可能性がある」p203 -
Posted by ブクログ
今年(2018)の読書の収穫の一つとして、ライバル多い欧州国のなかで、産業革命をイギリスがなぜ先んじて成功させられたのか、またイギリスが覇権を握れたのは、工業国として成功よりも、ライバルが成長しても自国にお金が落ちるシステムを作り上げたからだ、というこの本の著者の玉木氏の本を読んで、長年のもやもやが晴れたこどです。
その玉木氏が書かれた本を読んでみようと思い、この本を選びました。19世紀というのはヨーロッパにとって繁栄した最高の時代でありますが、それと同時に、その踏み台とされた、アフリカ・アジア地区の国々は相当な受難の時代であったこともあわせて書かれています。
人口増加の勢いは、東南アジア・中国の伸び方が頭打ちになってきましたが、その時代に増えることが無かったエリア(インド、アフリカ)で現在増えているのは、理解できるような気がしました。
私にとっては今までとは違った見方をすることができるようになり、歴史の面白さをさらに教えてくれた、玉木氏の本はこれから私にとっては注目していきたいですね。
以下は気になったポイントです。
・ヨーロッパは自国では議会制民主主義を発達させたが、植民地にそれを築こうとしなかったし、また工業を発展させようとしなかった(p13)
・イギリスはインドに第一次世界大戦後の独立を約束したが、それを反故にしたのでインドでは独立運動が激しくなった(p18)
・電信はおおむね1860-1870年の間に導入され、世界の距離をあっという間に縮めた、海底ケーブルも1903年には完成して世界中が結ばれた(p38、54)
・南アメリカ諸国はたしかに政治的には独立したが、間接投資(主として政府の公債)さらには直接投資(鉄道への投資)を通じて、イギリスへの依存傾向を高めた(p45)
・ドーバー海峡に海底ケーブルを敷くために、当初は銅線を麻で巻いて、それにタールを染み込ませて海水の浸透を防ごうとしたがすぐに使えなくなった、この問題を解決したのがマレーシア原産のガタバーチャというゴムに似た固体の素材であった。(p53)
・イギリスに代表される欧州の対外進出の特徴は、海上ルートを利用したこと。アジアでは陸上ルートであり、アジア船が欧州の海で活躍したことは歴史上一度もなかった(p55)
・支配=従属関係は、欧州船、とりわけイギリス船が輸送することによって成立した、ととらえる。19世紀以前の帆船の時代には、欧州の船舶はアジアに航行するのに、いくつもの港を経由するので、その日数がきわめて長く、往復に1年かかっていた。帆船の時代にはアジア船で運ばれることも珍しくなかった(p57)
・電信の発達により国際貿易の決済はロンドンでなされていたので、アジア・アフリカ・南アメリカの多くの地域は、欧州へ第一次産品を輸出することで従属していただけでなく、貿易決済でも従属していた(p98)
・オランダは工業国ではなく商業国であったが、イギリスはそのオランダに経済的に追いつき追い越すために、保護主義政策をとり、おそらく意図しないまま、世界最初の工業国家となった(p66)
・イギリスでは、サトウキビ生産に加えて、綿織物を生産した、西インド諸島・アメリカ南部で奴隷が綿花を生産、それをイギリスで機械化により加工した(p67)
・万国郵便連合により、国際的に郵便料金が統一され、安価になり、料金を払うのは手紙を送る人だと決められた(p88)
・イギリスは1873-1913年において、資本支出を中心とする世界資本主義への移行の時代であった、世界の工場から世界の銀行へ変貌した、海運業からの純収入、保険・貿易による利益、サービスからの収入が増えていった(p97、99)
・近代社会では賃金が上昇しても労働時間は減ることなく、そのため生活水準が上がることが前提とされる、だからこそ経済は成長し続けることができる=反転労働供給(p105)
・ブラジルは1640年代にオランダ領となったが、1654年にポルトガルが領土回復すると、オランダからきたセファルディムはカリブ海のオランダ領植民地に渡りサトウキビ生産を開始した、同様にイギリス・フランスの植民地にも伝授された(p120)
・イギリス領バルバドスでは、1700年の奴隷人口は4万人、それから100年間に26万人の黒人奴隷を輸入したにもかかわらず、1800年の黒人人口はたった6万人、死亡率が高かったので奴隷を輸入しなければならなかった。その奴隷が作った砂糖で欧州人の生活水準は向上して、平均寿命の上昇に貢献した。多くの地域で奴隷制が廃止されていた19世紀中ごろになってもキューバ・ブラジルでは奴隷制は続けられた(p121、122)
・イギリスは植民地(西インド諸島と北米南部)での綿花生産に成功したので、綿製品をインドに売り、インドから清へアヘンを輸出して茶の代価とするという三角貿易を行えた(p123)
・イギリスはフランスよりも農業の生産性が高かったので、農民比率が少なくて済んだので余剰労働者が生まれて工業化が促進された、これが決定的な違いである(p127)
・工場労働は、家庭内労働やその他の仕事よりも特別過酷ではなかった、子供たちはすでに中世から農業であれ手工業であれ、かなりの長時間労働をさせられていた(p132)
・ナポレオン戦争の後に行われたウィーン会議では、欧州の国境について再確認された(p182,183)
・永世中立とは、戦争を前提とした行為である、その承認とは、戦争を前提とした社会の肯定を意味する(p186)
・フランス領であった、アルザスロレーヌ地方をドイツ領にするまでは、ドイツは石炭をフランスから輸入していた(p195)
2018年9月24日作成 -
Posted by ブクログ
日本以外を取り扱っているのが世界史ですが、古代から現代まで、主要国のみに絞っても範囲が広すぎます。どこから手を着けようかと思って、何年も月日が流れていたのが現状です。
そんな私にとって、玉木氏によるこの本は、自分が面白いと思うから、人に話したくなるというコンセプトで書かれた本であり、この本の編集者によれば居酒屋で気分が良くなった時に話したくなる、というのが設定の様です。
酔っぱらっている時でも覚えていられるというのは、よほど印象強く残ったものに限られると思います。玉木氏により選ばれた13のテーマは全て、掘り下げたくなるようなものばかりでした。今後の私に良い目標ができたような気分にさせてくれた素晴らしい本でした。
以下は気になったポイントです。
・前9世紀に鉄製戦車と騎兵隊を導入したアッシリアは、前8世紀の終わり頃には、シリア・フェニキア・バビロンを併合、イスラエル王国を滅ぼし、前663年にはエジプトを征服し、史上初めて、メソポタミアからエジプトにかけてのオリエントの世界を統一的に支配した(p26)
・前323年、アレキサンドリア大王は早世し、プトレマイオス朝エジプト・セレウコス朝シリア・アンティゴノス朝マケドニアの三国に分裂した(p31)
・歴史上、掠奪行為と商行為を明確に区別することは難しい、買い手の方が強い立場にあり、売り手が想定するより低い価格で、半ば強引に買い取ったという場合は、掠奪行為とも商行為ともいえる(p35)
・西ローマ帝国が滅んだ後も、古代地中海世界という統一体は続いていて、それを打ち破ったのは、7世紀、、ムハンマドにより誕生したイスラム世界である(p40)
・アッバース朝は、イスラム世界に革命的転換をもたらした、それまではアラブ人のための宗教であったが、イスラム教徒であれば平等に扱われた(p44)
・ヴァイキングが切り開いた、北海・バルト海の商業ネットワークは、その後、ハンザ同盟に引き継がれる、その後継者がオランダ商人である(p48)
・ポルトガル人は初めからアジアを見つけたのではなく、アフリカに行こうとして大航海を始めたと考えるのが妥当である(p53)
・ガーナ王国は、金鉱自体ではなく、金を掘る部族との交渉を独占し、金の流通拠点として栄えた、商業力を高めるために中央集権化していった(p55)
・第二次ポエニ戦争(前218-201)頃のカルタゴは、砂漠化がまだ進んでおらず、カルタゴ周辺にもアフリカ象が生息できる環境があった(p56)
・ポルトガルは1444年に大航海をはじめ、翌年にはヴェルデ岬に到達、直接西アフリカの金交易に参加できた。その結果1452年に、ポルトガル初の金貨が鋳造された(p60)
・香辛料の輸送量で、喜望峰ルートが地中海ルートを上回るのは、バスコダガマの時代から100年以上経て、17世紀になってから。この転換は、イタリア経済に大打撃を与えた。インドや東南アジアとつながる異文化交易圏からイタリアが切り離された(p65)
・信長の段階で日本は欧州型火器の国産化に成功、硝石を除けば鉄砲生産に必要な物質は自国生産可能であった。江戸時代には硝石も自給自足可能であった。武器商人としてイエズス会の重要性は低下していた(p81)
・文字を読み書きできるのは聖職者のみであった、写本のおおくは修道院で作成され、ごく限られた人のなかでしか流通しなかった(p84)
・市場が発展するには、多くの商人が比較的容易に参加できるように、広く商業情報が共有されていなくてはならない(p89)
・12世紀のハンザ商人は文字が書けず、聖職者が代行していたが、14世紀にはラテン語や低地ドイツ語で文書を書くようになった。イタリアでも俗語であるイタリア語が通用してきた、グーテンベルクの発明した活版印刷技術により、聖職者から商人が力をつけてきた(p91、92)
・商売の手引きは、カトリック・プロテスタント・ユダヤ教といった宗教・宗派と関係なく広がっていった、商業においてはマニュアル化の力は宗教を超えた(p95)
・教皇子午線を設定したが、これによると大西洋の西側は全てスペインのものになるので、ポルトガルは反対して、1494年この境界線を西側に1500キロほどずらした線で分割することにした、これがトルデシリャス条約、1522年マゼラン一行が世界一周すると一本の線で分割できないことがわかり、サラゴサ条約が結ばれた。モルッカ諸島の東を通過する子午線を境界として、西をポルトガルとした。これによると日本はポルトガル領となる(p103)
・イギリス東インド会社がアジアで貿易するとき、現地交渉はポルトガル商人に頼らざるを得なかった、19世紀初頭までペルシア湾からマカオまでの商人の共通語はポルトガル語であった、商業ネットワークを切り開いたスペイン・ポルトガルであり、それを、オランダ・イギリス・フランスが活用した(p107)
・カール5世は、神聖ローマ皇帝であるとともに、スペイン王であり、さらにネーデルランドとイタリアを支配していた。フェリペ2世は1556年に父のカール5世が退位したとき、オーストリアを除く全領土を引き継いだ。つまり彼にとっては、スペインは支配地の一つであり、大事なのは帝国繁栄であった、すると銀の流出でスペイン経済が衰退、かわってネーデルランドが反映したというのはおかしい(p109)
・中国へのアヘン貿易は、イギリスが運んできたベンガルアヘン(インド北東部産)よりも、ポルトガル人によるマルワアヘン(インド北西部)が多かった(p113)
・イギリスは間接税(消費税)を中心にしていた、長期国債を新規発行するたびに、その利子を支払うために関税、消費税、スタンプ税といった間接税を増やしていった、このような税制がイギリスに幸いした(p142)
・政府、議会、中央銀行(予算案の対立無し、国債償還は議会が保証)が結びついた資金調達システムこそ、増大する借金にもかかわらず、イギリスが戦争資金の調達に成功し、財政を維持できた秘密であった、これがイギリスを欧州最大の国家に押し上げた(p147、150)
・インドの手織り綿生産と異なり、イギリスでは工場制度が発展した、1770-90年に10倍、それから12年間でその10倍になったが、1820年になってもインドの生産量を下回っていた(p161)
・イギリスのみが綿生産システムを成功させられたのは、アフリカから新大陸に奴隷を運び、新大陸で綿花を積み、本国で製品化、アジアで販売するまで、自国の船・支配下にある港で輸送し、海上保険まで自国で賄えたこと(p163)
・欧州では絶え間なく戦争を繰り広げながら、同時に海外からの大量物産を輸入し続けて経済成長ができた。これが可能だった秘密は、中立国・中立都市にあった。中立国の船を使えば、イギリスの商品をフランスに英仏が戦争をしていても運ぶことが可能であった(p169)
・戦争の世紀において、中立都市ハンブルクは一種の安全弁として機能し、商業都市となっていった。アメリカ合衆国も同様(p172、177)
・アメリカ合衆国の奴隷解放宣言とは、あくまで奴隷を国内では使用しないことであって、国外で奴隷が生産した商品を輸入しないことではなかった。キューバでは奴隷制は1886年まで続く(p180)
・欧州が経済成長し、アジアが停滞した理由の一つとして、欧州諸国は中立都市・国を利用して貿易を継続し、戦争の影響を最小限に食い止めらたことにある。宗教戦争により商人の大移動があり、欧州商人のネットワークは拡大した(p181)
・イギリスは工業製品の輸出で利益をあまり出していない、19世紀後半以降、海運業・保険・貿易による利益、サービスからの収入の大きな伸びが顕著である(p202)
・イギリスが敷設した電信は、近世の多種多様な国際貿易商人によって利用されたルートをほぼそのまま使った、ここに近世と近代の大きな連続性がある(p211)
・資本主義社会では、自分が働くのではなく、働かなくても自動的にお金が入る仕組みを作ったものが豊かになれる、これが国家になったものが、ヘゲモニー国家である。大事なのは他国の足を引っ張って競争に勝つことで儲けるのではなく、他の国も含む世界全体の経済が拡大することが自動的に自分の儲けを増やすことになるというシステムを創ること(p225,226)
2018年9月9日作成 -
Posted by ブクログ
歴史の楽しみ方は色々あります、どれが一番とかではなく、どれも面白いです。その1つが、歴史を通して眺めてみるものがあります。この本は、覇権争奪の歴史として5000年間を通して、覇権がどのように移ってきたのかが理解できるようになっています。
私が中学高校で習ってきた世界史は、西洋史が中心で、いかに欧州が優れているのかを学んできたように思いますが、なぜ欧州が世界の国境線を引けるほど強力になったのか、今一歩理解できていませんでした。
勢力を蓄えるためには、どんな場合も黎明期、成長期があります、その秘策は何であったのか、その点を知りたかった私にとっては、この本に書かれている内容は大変に参考になりました。
それを知ることで複雑な思いをすることはありますが、これも人間の成長記録(=歴史)ということで自分が成長するときの参考にしたいなと感じました。
以下は気になったポイントです。
・人類はこれまで三度、大きなグローバリゼーションを経験している、1)ホモ・エレクトスがアフリカからユーラシア大陸に拡散、2)ホモ・サピエンスがアフリカを出て、世界各地に広がった、3)大航海時代に欧州人が世界のあちこちに出かけて行った(p3)
・イギリスは、まず世界的物流ネットワークを支配したのちに、綿織物工業によって工業化、世界中に電信を敷設することで情報獲得時間を短縮、国際貿易がロンドンで電信により決済されることになった、これは欧州が工業を発展、商品販売をするほど、輸送料・貿易手数料が入ってくるシステムである(p6)
・排水システムが不充分な灌漑を行ってしまうと、土中の塩類を含んだ水が蒸発して地表付近に塩分を集積、作物が育たなくなり砂漠化が進む、これがメソポタミア(p31)
・アッシリア帝国により首都テーベは陥落、これにより全オリエントが統一、すなわち、メソポタミア文明とエジプト文明は融合した(p33)
・前6000-5000にはすでに長江流域に文明はあった、畑作中心の黄河文明と異なり、稲作文明であった、これが日本に伝わる(p37)
・移動する人がいないと文明の伝播はなく文明の交流はない、定住生活をする人と移動する人は相互依存関係にある(p47)
・平均寿命が短くなった理由として、1)狩猟採集民の食事に比べて単調な種類、カロリー少なく栄養状態悪い、2)限られた作物に依存していたので作物が育たないと飢饉、3)人々が密集するので寄生虫、伝染病が広がる(p52)
・始皇帝は中央集権制としたが、劉邦(高祖)は、直轄地には中央集権体制である「郡県制」を、それ以外にいは地方分権体制である封建制(=郡国制)と採用した(p62)
・チンギスハンが即位したときの支配領域は決して大きなものでなはかったが、モンゴル高原統一後のチンギスハンとその後継者は、中継貿易による利益に目を向けた(p77)
・ペルシア戦争とは、アケメネス朝ペルシアと、ギリシアポリスという2つの帝国主義的な勢力の争いであった(p88)
・古代ローマでは食料が不足していたので、それを供給したのはアフリカの属州(エジプト)であった、その輸送ネットワークはフェニキア人の流通網を使った(p94)
・ポエニ戦争とは、新興国古代ローマが、西地中海の覇権をカルタゴから奪い取った戦争と位置付けられる(p96)
・地中海世界の終焉は、古代ローマ帝国が滅んだ476年ではなく、ゲルマン王朝のメロヴィング朝と、カロリング朝の間(751年)に断絶があったとされる。カロリング朝において地中海はムスリムが支配していたので(p99)
・中世のイタリアでは会社は目的事業が終了すると解散し、永続化を前提とする会社ではなかった、中近世イタリアの経済システムは、そのまま近代的なシステムに発展することは無かった(p110)
・ヨーロッパ諸国(ポルトガル、オランダ、イギリス、デンマーク等)は、イタリアとは異なり、自国船を用いて自分たちの製品をアジアに輸出するようになった(p113)
・ポルトガルはイギリスとの貿易で赤字を出していたが、ブラジルから輸入される「金」で補填された、1580年には織物を販売して、それを奴隷と交換し始めた(p118)
・イスラム勢力が強く、サハラ縦断交易に参画できなかった欧州人は、イスラム勢力から金を購入せざるを得なかった、アフリカ産の金を入手するには直接海上ルートを使うしかなかった(p122)
・奴隷貿易は、1720-1850年が盛んで、ポルトガル船で輸送された奴隷数が最も多い、上陸地域としてはポルトガル(p126)
・イギリスは、砂糖のみならず、西インド諸島・北米南部・ブラジルから奴隷が栽培した綿花を本国へ輸入、綿織物に加工した、イギリス船で世界へ輸出した、このシステム構築はイギリスだけであり、これが世界最初の工業国家へとなった(p130)
・欧州は情報の非対称性の少ない社会を構築した、これは経済活動が活性化することを意味する、世界の商業システムを欧州に都合の良いものへと変化させることに成功した(p132)
・欧州は、軍事力というハードだけでなく、活版印刷術というソフトパワーによっても世界を支配した(p139)
・アントウェルペンは、ネーデルランドがスペインからの独立運動をしていたため、1585年にスペイン軍に包囲され陥落、そのため商人はアムステルダムへ移住した(p141)
・欧州最大の投資社会となったオランダの投資先として、イギリスが選ばれた、オランダ人はイングランド銀行が発行する国債を購入し、イギリスが覇権国家になるのに寄与した(p148)
・中国は、世界経済の活動が活発になることで中国に自動的にお金が入ってくるシステムを開発しようとしていない(p153、243)
・中国は18世紀、税金に必要な銀の輸送をスペインに委ねた、これは信じられないほどの物流システムの軽視であり、これが中国の致命的な問題点となる(p165)
・ドイツはイギリスと異なり植民地を持たなかったので、植民地から原材料を輸入、完成品である綿織物を輸出というシステムが構築できなかったので、重化学工業に投資して人工的に化学繊維を開発した(p176)
・電信は世界を根本的に変えた、その影響の大きさはインターネット登場よりもはるかに大きい、電信によって人間が動くよりも速く情報が移動するようになった(p198)
・アメリカがイギリスについでヘゲモニー国家になったのは、電信=蒸気船の発展の時代に、イギリスに次ぐ「情報国家」に発展していたら(p198)
・イギリスが金本位制を採用したのは1703年のポルトガルとのメシュエン条約の結果、ブラジルの金がイギリスに流入したから(p205)
・世界初のヘゲモニー国家・オランダは、30年戦争を終結させたウェストファリア条約(1648)で、スペインからの独立が認められた、ナポレオン戦争を終結されたウィーン条約(1815)により、イギリスがヘゲモニー国家となった。ブレトン・ウッズ体制によりアメリカが取って代わった(p215)
・AIIBは、2017年12月現在で、84か国が加盟して、ユーラシア大陸は本当に単一経済地域となり、大西洋経済に匹敵するレベル。(p219)
2018年7月16日作成 -
Posted by ブクログ
情報という観点から世界のヘゲモニー国を見た歴史書。活版印刷で欧州の商業習慣が統一化されそれが世界に広まった、その情報が承認国家であるアムステルダムに集まりオランダのヘゲモニーが始まる。それを受け継いだイギリスは産業革命を実現したがその裏では電信を主要な航路や陸路に引いて情報を集約、またその手数料を稼いで金融帝国を作り上げた。アメリカは電話を電信網では知らせることに成功し、特にその広大な国土を文化的に統一することで国民経済を作り上げ、イギリスにはない経済力を持った。その後インターネットを解放したがそれは情報を集約することにはならず曲のない世界が出来つつある。