原田曜平のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
渋谷のセンター街、女子高生が何人か行動に座り込み、めいめいケータイ片手にマスカラ塗にいそしんでいる。あたりの迷惑も顧みず、大声で喋り続ける彼女ら。
だが、メンバーのうちの一人がしゃべり始めると、ケータイやマスカラをいじる手はそのままに、ほかのメンバーたちは黙って聞いている、と仲間内で高度に「空気を読んだ」コミュニケーションをとっている。
近ごろの若者(10代後半-20代前半)のコミュニケーションの形態は、30代と明らかに違っている。
コミュニケーション能力が向上しお互いに高度に「空気を読」みあっている。
彼らの特徴は「ケータイ」依存。PCではなく、ケータイであることがキモだ。
これはは彼らが「情報取得<人間関係」となっている証左だ。
そして彼らはケータイを駆使して「広い交友関係」を維持している。
コミュニティも、SNS,HP,ブログ、(SNS付の)ゲームと、多種にわたり、「友達」の人数は数多く、その親密度にも濃淡がある。だが、この種のコミュニティーには継続性、義務制が生じている。
さまざまなコミュニティでつながった「新村社会」。
だが、その中ではいくつかのルールがある。
いわく、「弱っている人を見てたら励ます」「正しさよりも空気」「愛想笑いを絶やさない」「コンプレックスを隠す」などなど。
電子世界上に広がった、相互監視社会はあるいみ非常にムラ的な日本の社会ともいえる。
キャラ立ちをして「プリズンブレイク」をはかるものもいるが、たいていはその不文律に縛られ、委縮するものも多い。
「半径5キロ」以内で事足りる、あるいは事足らせる生活圏の狭い若者も多い。
閉塞感を募らせる時代に生まれ落ちた彼らは、新しいことをする活力よりは、将来に対する漠然とした不安感から、保守と諦観に身を固めている。
専業主婦を口にする女性も多いが多くは、「しんからなりたい」というよりも、上の世代の仕事と家庭の両立の苦汁を疑似体験した結果である。
そんな彼らのアイドルは「益若つばさ」である。
成功した芸能人にもかかわらず六本木といったステイタスのある地区ではなく、下町である足立区に住み続け、発言も「いつまで仕事があるかわからない」「金銭感覚を狂わせたくない」など将来に対する漠然とした不安に根差したものが多い。
一方で、多様なネットワークを生かし、性別、学校、地域、家庭環境に違いを超えて、「つながる」人種も現れてきている。
彼らは学校内では息苦しさを感じ、ネットワークを通じてしりあった友達とつるんで夜な夜な遊んだりし、オタクとギャルがつるむ例も珍しくなくなってきている。
ある有名私立高校に通う男子生徒は、地元は偏差値が高くない地域である。だが、彼は上流(学校の友達)との交流で、勉強やバラエティに富んだネットワークに刺激を受けつつも、視野も行動範囲も狭いがピュアで勉強でなくファッションに時間をかける垢抜けた地元(下流)の友達との付き合いもバランスよくこなしている。
この本も「超ネットワーカー」のひとりである男子大学生の協力も大きかった。彼は企業のオーダーに応じた学生を紹介し、学生も何かあると彼を頼るといった、世代、地域、国を超えてネットワークを使いこなしている。
以上から見えてくるのは、現代の若者は「ネットワーク格差」にさらされている。
そこで臆してしまうと狭いネットワークの中に閉じこもることになり、逆に活用できると世代、地域、国を超えて活躍することになる。
それを可能にしているのは、ケータイを主役とする情報インフラの発達であり、それらはまた「高度に空気を読む」能力を若者に要求する。 -
Posted by ブクログ
若者論といえば、的存在になりつつある原田氏の著作。情報病という本で原田氏の存在を知り、チェックしていたので著者名一本買う。
この本を読んで
「近頃の若い者はダメだ」
とは言えないあたりに、著者の皮肉が効いている。
携帯世代(ケータイネイティブ)と新村社会の関係性。新村社会の性質とそこに中に存在することの意味。
これらがメインのテーマである。
実際の若者の言葉から、その関係性が部外者にもおぼろげにつかめるあたりは、力作と言えるのではないか。
構成としては、まずネガティブな性質を洗い出しつつも、後半はポジティブな可能性と、そこに潜む問題を明らかにしていく。
はっきりと言えるのは、人間関係の質的な転換がもうすでに起きているということだ。それは若者でなくてもTwitterをやっている人間ならば実感できるだろう。もちろん携帯でつながっている世代とTwitterをやっている世代は重ならない部分が多いかも知れない。しかし、今までの日本社会の人間関係が崩れる変わりに、新しい人間関係が生まれていることは確かだ。
そこに潜む問題とは、それを有効に活用して個人の力を伸ばしていくような人間と、自分の好みの情報だけ寄り集め、タコツボ化していく人間との格差の問題であろう。
ネットワークの格差は、旧来の環境による格差とは質的に異なるものだ。お金持ちであるからどう、といった事はあまり関係が無くなってきている。コミュニケーション能力と前向きな意志、そしてネットワークを維持拡大していくための労力を払える人間は、今までの「若者」が手にすることができなかった力を持つことができる。
そういった世代に向けて私たちがどのようなメッセージを投げかけていくことができるのか。
「近頃の大人ななぜダメなのか」といった電子書籍が発売されないように、そのメッセージについて真剣に考えてみるべきかも知れない。 -
Posted by ブクログ
さとり世代である大学生へのインタビューをまとめたもの。最後の章は、バブル時代に大学生だったバブル世代と現大学生の対談は面白かった。特に、通信手段の発展によって人間関係が変化したことを改めて思い知らされた。著者曰く、
「ケータイとソーシャルメディアが普及する中、小さい頃から彼らががんじがらめにつながった人間関係の中を生きてきたことを指しています。だから彼らはかつての若者のように、無性に目立ちたがったり、ビッグマウスになることはありません。それよりも、ソーシャルメディア村社会の中で、出る杭にならないことを好み、周りの村人から『イタイ』と思われないように、強い同調志向を持つようになっています。
こうした社会環境の大きな変化から自分の身を守るために、過剰に世の中に期待をして振り回されないために、ある種の処世術として、今の若者たちはあくまでクールに、客観的に、さとったような冷静沈着な態度をとるようになったのです。
これが『さとり世代』の誕生の真相です。」
それにしても、LINEの「既読」機能は、想像以上に若者の価値観に少なからぬ影響を与えていることが、生々しい彼らの言葉からよくわかった。
以下は、さとり世代の消費についてのまとめ。
「一番重要なのは、ソーシャルメディアが彼らの消費を大幅に変えてしまったということです。もちろん、長引く不景気により、お金自体がなくなっていること、世代論的に見れば、生まれた時点では最も裕福な世代であったこと(だから、もともとお金にがつがつしていない)、『安かろうそこそこ良かろう』のデフレ商品・サービスに触れて育ってきたので、お金を出さなくてもある程度満足した消費ができてしまっていること、なども彼らの消費スタイルに影響を与えているとは思います。しかし、それ以上に、ソーシャルメディアの影響が大きい、ということがわかってきました。
例えば、ソーシャルメディアの普及により、さとり世代の人間関係数やコミュニティ数が増えたので、彼らは男同士でもカフェをハシゴするなどの『お付き合い消費』がとても増えています。いわば、『少額ちょこちょこ消費』が増えてしまっています。このため、消費を切り詰め、ひたすら貯金をし、車を買う、海外旅行に行く、などといったかつての『高額単品消費』を行いにくくなっています。また、ソーシャルメディアにより、様々な口コミ情報が得られるようになっているので、買わなくても、行かなくても、わかったようなきになってしまう。さとり世代はいわば『既視感』に覆われていて、これも彼らの消費の阻害要因になっていることが分かりました。
ただし、ソーシャルメディアは、彼らの消費にマイナスの影響だけをもたらしているわけではありません。例えば、ソーシャルメディア上で友達から『いいね!』を貰いたいから消費をするといった『いいね!消費』。ソーシャルメディアでつながったたくさんの友達と行う『思い出消費』や『経験消費』。友達に笑ってもらうための『ネタ消費』などがこれにあたります。企業側はソーシャルメディアによって生み出されるさとり世代の新しい消費に着目し、新たなマーケティングの機会の創出をしていかないといけません。」 -
Posted by ブクログ
時代が懸念していたのとは逆の保守的な層があるというような話なのだけれど。時代の衣を着てはいるが突飛な話に思えなかった。割とオーソドックスな日本人論に見える。見立てや括りとしては面白い幸福度が高いであろう点も見逃せない。あとはそれでいいのか? というような疑問を適切に持てるかどうかだと思う。幸福を感じつつ、それを脅かす資本家サイドの横暴にどう抵抗し、良識ある生活を意識できるかただ、トレンドがそれを証明しているように見えるがそれ故に、風船のような軽さを感じるのが微妙な所。博報堂の人らしいマーケティング分析はこんな風に分析しているのかという感じだった。こういう世帯、世代が増えるのかわからないけれどいい面悪い面という意味ではわかりやすかった。