橋本努のレビュー一覧
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既存調査では表れなかった、社会投資型国家を志向する「新しいリベラル」について論じた一冊。
新書ながら300ページを超える骨太の一冊で、読み応え抜群であった。
内容を要約すると
「日本政治でリベラルの衰退が叫ばれて著しいが、実は従来型のリベラルと異なる、新しいリベラルの思想を持つ層が現れている。新しいリベラルは社会投資型国家を志向する。それは所得再分配に留まらない、各人の潜在能力の開花のため、「人的資本としての個人」に投資するという面を持つ。この層が積極的に支持する政党は、未だ存在していない。しかし、新しいリベラルの思想は他の保守やリベラルと連帯する可能性を秘めている。新しいリベラルは、日本政治に地殻変動を起こす存在である。」というものである。
私自身、社会投資型国家の理念には強く共感するところであり、政治哲学的な思想のバックボーンから丁寧に説明がなされているため、非常に勉強になった。 -
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ネタバレ人生の選択は、選択肢を十分に吟味せずに行わなければならない。選択肢をあまり吟味しないほうが、何かを選ぶときに積極的になれる。人生とは見切り発車の電車のようなものである。選択肢が多くなりすぎると、かえって選ぶのが難しくなる。
GRROWWモデル
現状認識・分析⇒資源⇒障害⇒オプション⇒計画⇒意思⇒目標⇒現状認識・分析⇒…
私達が生きていく上で、主体的に選択することは大切だけれども、すべての事柄を主体的に選べるわけではない。ある面では主体的に選ぶとして、別の面では、主体的な選択を信頼するしかない。
人生のチグハグした経験を、心理学用語では「認知的不協和」という。exタバコと健康。認知的不協和音に対処する方法は、3つある。すなわち、行動を変更すること、認知の在り方を変更すること、新たな認知を追加することである。認知的不協和音を減らす為には選ばなかった選択肢の価値を、事後的に下げればいい。しかし、あり得たかもしれない人生に思いを馳せることは、人生の真実を一層よく知ることでもあるだろう。選ばなかった人生の選択肢には、もう一人の自分がいる。そのもう一人の自分と語り合うことが出来るとき、私達は一層、自分の価値を確立していくのではないだろうか。
私達の人生は、課題と解決の連続である。ところが私達は、自分の人生にとぅて重要な課題に気づかないまま、人生を終えるかもしれない。取るに足らないことに対応しているうちに、月日が過ぎていくかもしれない。まだ気づいていない重要な課題に気づくためには、どうすればよいか。そのためには、自分の価値観のものさしをいったん脇に置いて他の人々がどのようなことを重要だと考えていきてきたのかを、多様な角度から調べてみるとよいだろう。私達は人生において、さまざまな経験を積むだけではなく、さまざまな問題の立て方を学んでいる。人生とはある意味で、どんなことが重要であるのかを探求する度でもある。自分が重要だと思う課題を見つけることが出来れば、人生は有意義なものになるだろう。
人生において重要なのは、経済コストの計算に先立って、「時間とコストをかけるに値する有意義なもの」を見つけることである。時間とコストをかける価値があるものを、ここでは「追求材」と呼んでみよう。人生の可処分時間と可処分所得のすべてを投入するに値する財が、理想的な追求材であると言える、吉田兼好「徒然草」では、人生において重要なのは、1つのことに打ち込んでいることである。どれも捨てたくないと執着していると、何一つ成し遂げられない。
例えば、家庭を築いて子育てすることは、時間とコストをつぎ込むに値する追求材(人生の目的)の1つといえるかもしれない。しかし、やがて子供は巣立っていく。長い人生を考えると、子育てにつぎ込むことが出来る時間はそれほど長くない。子育てが終われば、今度は孫を育てることもあり得るかもしれない。しかし、こうした営みのほかに、人生の時間おコストを最大限につぎ込むべき追求財を見つけることは、意外と難しい。
私達は、理想の追求財をどのように見つけるべきか。1つの考えは、お金がなくても普遍的に営むことが出来るもののなかに、理想を見つけることだろう。exマラソン、読書、家庭菜園。もう一つは、とにかくお金をつぎ込んで、文化の嗜みを掘り下げる方向に思想を見つけることである。ex骨董品の収集
毎日、何かに没頭する、専念する、浸る、集中する、のめり込む、など等。このような生活をおくることが出来れば、人生に後悔することはないだろう。
エドガー・シャインのキャリア・アンカー理論
自分の人生を考えるときに、何か自分を思いとどまらせるものがある。それがアンカー(錨)である。①技術/専門②総合管理③自立/独立④保障/安定⑤企業/創造⑥奉仕/貢献⑦挑戦/克服⑧ライフスタイル
アンカーは人生の指針であるとともに、人生を縛るものである。
世の中は、価格(お金)と価値という、2つの物差しがある。価格が高くても、自分にとって価値のないものがある。反対に、自分にとって価値があっても、価格がつかないものもある。また、世の中には、次の4種類の財がある。①価格は高いが自分にとって価値がないもの。②価格が安くて自分にとって価値がないもの。③価格が高くて自分にとって価値があるもの。④価格が安くて(あるいは価格をつけられないほど)自分にとって価値があるもの、である。
生きがいという言葉の意味を突き詰めて考えると、それは自分の人生を肯定する感覚であるといえる。 -
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ここ10年くらいミニマリストのインフルエンサーを見かけることが多くなったことから、気になって読んでみた。本書はミニマリズムが脱資本主義の突破口になり得る可能性を論じている。
周知の通り資本主義にはあらゆる側面から限界が近づいており、さらにその代替となるパラダイムは未だに存在しない。共産主義も、明治以前の封建主義も、自給自足の原始的な生活も今さら受け入れられないので、我々は甘んじて今日も汗水流して働くのである。(※私はニートですごめんなさい)
そんな現代において、消費欲望を抑え最小限のモノ・サービスを利用するミニマリストたちは、資本主義の苦しみから逃れ、自分らしく生きている。
脱資本主義を実現するパラダイムが無い限り、資本主義にぶら下がるが精神は囚われず自由に生きるミニマリストが、少なくとも現代では一番賢い生き方と言えそうだ。
私も三年前までサラリーマンとして馬車馬のように働いていたが、今は好きなことを仕事にして(ほぼニートだが)、無理せず必要な分だけ稼ぎ、プライベートの時間を大事にすることで幸福度が上がった。
忙しくて辛さを抱えている社会人には、是非ご一読いただきたい。
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[脱資本主義の精神]=資本主義を活性化させないための消費
・ミニマリズム的な生活だけではだめ
・勤労倫理と快楽消費をやめる
・稼いだお金を「資本の支配力」を削ぐ方向へ
・資本が一部の人へ集まらないようにする消費
[具体的行動]
・余暇の時間を地域的なコミュニケーションに使う
・経済的自由主義(メルカリなどの資本が少ないビジネス)
・リベラルな福祉国家
・ディープエコロジーの立場(自然の恵みだけで生活する)
[ミニマリストの目的のひとつ] =自己実現
・身の回りの不要なものを捨て、自分にとって本当に価値があるものを見つけ、それに時間と情熱を投資すること。
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ウェーバーには非常に興味がありましたが、「プロ倫」そのものを読んでもピンとこないところが多くあり、わかりやすい解説書が欲しいなぁと思っていたところで本書の上梓のツイートを発見し、発売日買いをしてしまいました。
本書では「プロテスタンティズムの倫理」と「プロテスタンティズムの天職倫理」が断絶しているという前提のもとで、明確にその論旨の違いを図解してくれる「優しい」解説書であり、「プロ倫」を読むためのコンパスになること間違いなしといった読後感でした。
ウェーバーに興味を持ったきっかけが、何か現代社会の鬱屈とした状況を読み解くために役立ちそう!という期待を感じたことでしたが、本書を読んでその期待はあながち間違いではなかったことがわかったので、「プロ倫」再チャレンジの機運が高まります。 -
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「新しいリベラル」という仮説が示す、既存の分析枠組みから漏れていた巨大な塊の存在は、確かに説得力がある。保守と革新の隙間に位置する中間層に光を当てようとした試みは評価に値するし、旧来のリベラルのような教条的な理念を重視しないという分析も妥当であろう。
しかし、論の進め方や結論には、違和感を覚えざるを得ない。
著者によると、政治理念の分類は以下のようになるという。
従来型リベラル:18%
新しいリベラル:23%
成長型中道:13%
福祉型保守:16%
市場型保守:9%
政治的無関心:20%
この分類に基づけば、「新旧リベラル」と「成長型中道」を合わせた勢力は全体の54%に達する。しかし、この数字だけでは、高市自民党が過半数を上回る絶対多数を獲得し、旧公明党と旧立憲民主党が合同したリベラル中道勢力が大惨敗を喫した現実を説明できない。
本書の分類に疑念を抱くのは、まさにこの点だ。最大の懸念は、政治理念と投票行動を直結させて論じていることにある。ここには重要な視点が欠落している。政権支持率とは、本来、景気や政策、そして実行結果の整合性という多層的な変数によって規定される関数であるはずだ。
有権者は純粋な理念のみで動くのではなく、その時々の「気(空気感)」に左右される。それゆえ、本書の分析は一見精緻に見えて、実は表層をなぞるに留まっているのではないかという感覚が拭えない。また、この大きな塊を一括りに「リベラル」とタグ付けすることについても、再考の余地があるだろう。
新しいリベラルと括っている一群の中で自身をリベラルと自認しているのは2割しかいなかったのもその証左である。
提示された「6つの類型」も煩雑で、フレームワークとしての実効性は乏しい。
旧来のリベラルに距離を置きながらも、結局は物事を「リベラル」の括りで捉えてしまっているため、隠れた因果関係を見逃している印象を受ける。政治とは結果責任の体系である。経済政策はその最たるものであり、理念の正しさ以上に、その理念を「よりマシに」遂行し続けられるかどうかが国民の判断を大きく左右する。
結びにある「リベラルの連携」についても、実態を伴わない理念を繋ぎ合わせているに過ぎない。着眼点と事実の抽出には妥当性があるものの、結論には大きな疑問が残る。 -
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中道連合の野田さんと斎藤さんはこの新書読んだのかな。
読んでこの「新しいリベラル」層を狙って合同を決めたのかな。
いやそうではないだろう。
そうであったら、そもそもこんな政党名にはしないだろう。
確かに、政策は従来のリベラルから一歩踏み込んでいて、
新しいリベラル層をとらえようとしたかもしれない。
しかしそこは高市自民にとられてしまった。
そしてもともとの支持基盤だった従来のリベラル層を逃がしてしまった、、、
政党名をそれこそ「新しいリベラル」にしていればよかったのかも。
しかししかし、昨年夏の段階で、
こんなに精緻にリベラルを分析している書籍があったなんて、、、
従来型リベラル 18%
新しいリベラル 23%
成長型中道 13%
福祉型保守 16%
市場型保守 9%
政治的無関心 20%
そもそも保守とリベラルって、それだけが対立軸じゃないと思うんだけどね。
中島岳志教授の
①リスクの社会化でパターナル②リスクの社会化でリベラル
③リスクの個人化でリベラル④リスクの個人化でパターナル――の4種類
がわかりやすい
④が高市自民 ②が中道改革 のはずだったんだけどねえ
アメリカべったりが保守、ってのがどうにも解せない。
改憲には賛成だけどな。80年前の文章がすべて正しいわけはない。
はじめに──見えてきた「新しい」リベラルの姿
第Ⅰ部 これまでのリベラル
第1章 衰退しつつあるリベラル?
1 人々からの支持を失ったリベラル?
2 民主党政権とその後のリベラル
3 リベラルへの批判を検証する
4 保守に取り込まれたリベラルな価値
5 朝日新聞の従軍慰安婦報道
6 憲法9条を死守する護憲リベラル
7 集団自決をめぐる歴史認識
8 従来のリベラルの衰退?
第2章 「保守vsリベラル」はどこまで有効か?
1 「保守vsリベラル」図式とは?
2 「保守vs革新」からの継承
3 政党間の対立軸はどこまで説明できる?
4 有権者にとっての有用性
5 「保守vsリベラル」図式は有効か?
6 見えにくくなったリベラル
第3章 旧リベラルとは何か?
1 それはいかなる立場か?
2 90年代に発見された日本のリベラル
3 55年体制と江田ビジョン
4 旧リベラルの「根幹」と「枝葉」
第4章 旧リベラルを支える思想
1 憲法9条改正反対論者の非武装中立論
2 日米安全保障条約への反対
3 天皇制反対
4 従軍慰安婦問題
5 革新の純血主義
6 戦後民主主義について
第Ⅱ部 新しいリベラルの全体像
第5章 その理論と思想
1 社会的投資国家の起源
2 「第三の道」というビジョン──ギデンズ
3 「福祉革命」の提唱──エスピン- アンデルセン
4 「新しいリベラル」の政治理論──ベラメンディ
5 イノベーティブな「社会的投資国家」論──マッツカート
6 「資本主義の精神」衰退への処方箋
7 未来社会への投資──社会的投資国家の理念
第6章 それはどんな人たちか?
1 可視化のための研究戦略
2 理論的な枠組み
3 調査からみえてきた六つの社会層
4 新しいリベラルの基本的特徴
第7章 新しいリベラルを取り巻く五つのグループ
1 残り五つのグループ、それぞれの特徴
2 六つのグループ、それぞれの人物像
第8章 新しいリベラルの政治参加
1 投票行動を分析する
2 新しいリベラルとはどんな人たちか?
第9章 新しいリベラルが作り出す「新しい」政治
1 新しいリベラルが日本政治を大きく変える?
2 連合を作る責任倫理
3 新しいリベラルへの批判に応える
4 リベラル全般に対する批判に応える
5 戦争と平和と新しいリベラル
あとがき
参考文献 -
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大規模な社会意識調査に基づき、社会思想史・社会哲学と社会調査の専門家の分析によって、「新しいリベラル」を描き出そうとする共著。
著者らによれば「新しいリベラル」とは、政治に社会的投資および次世代と出産・教育への支援を求めるが、戦後民主主義的論点にはコミットしない層のことをいう。その前提として、誰でも成長する可能性があるので、成長を望む人には社会的投資をすべきと考えている。そうして、これらの「新しいリベラル」は、社会意識調査によれば実は最多の層だ、とされている。
さらに、こうした「新しいリベラル」を描き出す前に、日本の従来のリベラルと保守VSリベラルの対立軸が史的に整理されている。これは、日本の戦後の思想史を学ぶうえでも最適といえる。
もっとも、本書は、もともとは選書として刊行することが想定されていた、とあとがきにあるように、その詳細な調査の手法と結果の分析も含めて、かなり学術的であって、300頁を超える大著でもある。リベラルをめぐる現代の諸相を新書で手軽に学べる、という類の本ではない。この点は注意を要する。
著者らは、新しいリベラルは最多の層だが、他の層と同じく単独では現在の政治の多数派を形成できないため、成長型中道や福祉的保守などの他の層と責任のある「連合体」を作る必要があるという。志のある政治家が意見の異なる人とまとまるために道化師的能力を発揮して、政権交代可能な政治をつくり上げなければならないともされている。先の総選挙で大敗を喫した「中道改革連合」を発足させた野田、斉藤両氏は、本書に触発されたのではないか、とさえ思える(実際に、著者の1人は『公明』から一昨年インタビューを受けた、とされている)。
著者らは、有権者の側も諸政党の連合・再編、連合の多少の失敗には寛容でなければならない、とする。著者らによれば、中道の失敗も、連合体同士の切磋琢磨が行われる新しい政治の到来までの過渡期の現象であって、有権者はこれも寛容に受け止めて、今後の政権交代の可能性を否定すべきではない、ということになるのかもしれない。
他方、「保守」の高市首相率いる自民党が先の総選挙で大勝した要因の分析も、著者らに期待したい。元々思想的に幅の広い自民党の国会議員にも支持者にも「新しいリベラル」層はいるだろうし、「新しいリベラル」層は社会的投資を今回は高市首相のリーダーシップに期待したのかもしれない。こういう観点から、高市政権の政策の良し悪しを判断するのも有意義かつ面白いのではないだろうか。 -
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ウェーバーは「プロ倫」の最初のほうで、次のように問題を立てた。すなわち、プロテスタンティズムにおける「禁欲的な信仰の生活」と、「資本主義的な営利の生活」は、親和的関係にあるのではないか、と。その答えはここにある。すなわち、禁欲的プロテスタンティズムにおける「倫理」と「天職倫理」のあいだには、定義において断絶があり、「天職倫理」に注目するなら、その内容は「資本主義の精神」とほぼ同じである、ということである。
これが「プロ倫」テーゼのタネ明かしである。「親和関係」とは、「日常生活の方法的合理化」の観点からみれば、「禁欲的プロテスタンティズムの倫理」と「禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理」と「資本主義の精神」の三つはすべて親和的である。利潤や公共的関心という観点からみれば、「禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理」と「資本主義の精神」は同じであり、その意味で親和的である。
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小室直樹先生の本に幾度となく出てくるマックス・ウェーバーと「プロ倫」。
以前から読んでみたいと思っていたのですが、原本は難解で読破する勇気もないので解説書から読んでみる。
プロ倫の急所は、「プロテスタンティズムの世俗内禁欲は…消費を、とりわけぜいたくな消費を抑制したのであった。他方で、その心理上の効果としては、伝統主義的な倫理の制約を破って、財の獲得を解き放つことになった。すなわち、利潤の追求を合法化するだけでなく、それが神の意志にかなうこととみなすことによって、利潤追求に対する伝統主義の桎梏を破壊したのである。」という部分だと思います。
禁欲的行動が資本主義の発展につながった、ということは、人間の行動に及ぼす宗教の影響が大きかったということ。
小室直樹先生は、明治維新後の日本では天皇がキリストの役割を果たし二宮尊徳が勤勉の象徴となった、つまり疑似的な西洋的キリスト教的社会を作り出したことが近代化につながった、というようなことを論じておられたと思いますが、これはプロ倫の主張に当てはまる我が国先人のもの凄いアイデアだったんだな。
本書でプロ倫のエッセンスが少しは理解できたと思うので、原本に挑む勇気を育んでいきたいと思います。 -
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本書はマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を解読(解説ではない)しようという試み。第1章から第2章まではその前提を確認する作業となっている。
著者は第2章の終わりで「資本主義の精神」の狭義の定義と広義の定義をおこない、「私たちは「広義の資本主義の精神(「勤労ー反消費」の生活スタイルで「子孫の幸福」「自身の繁栄」「社会の繁栄」を追求するもの。対して狭義のそれは目指すところが「倫理的義務の遂行」となる)を含めて、さまざまな立場を検討してみる価値があるだろう」(p.101)とし、そして、第3章以下ではルター派、禁欲的プロテスタンティズムの各派における「倫理」の分析、理念型を剔出していく。この辺が「解読」と銘打つ本書の真骨頂。
そして、第6章では禁欲的プロテスタンティズムの「倫理」と「天職倫理」の『プロ倫』上の定義の断絶を確認しつつ、「天職倫理」と「資本主義の精神」がほぼ同じ倫理内容をもつと論じている。いささかややこしいのだが、その辺は6章の図5と図6で綺麗に提示されている。
第7章ではウェーバーの『プロ倫』のメッセージから現代の我々が読み解くべきところのものが、著者なりの解釈も交えて示される。著者は、『プロ倫』が新保守主義的な発想からとらえた新たなリベラリズムの方向性を包含したものとして読み解くべきだと考えており、それはそれとしてわかるのだが、それが本当に禁欲的プロテスタンティズムのみから生まれてくれるものなのか。思想や倫理の歴史の世界史的な探求がまさに必要とされているのではないか、と感じた。
ウェーバーの宗教社会学研究という壮大かつ遠大な構想の限界と可能性を考えてみなくてはならないだろう。