【感想・ネタバレ】解読 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のレビュー

あらすじ

これならわかる!『プロ倫』はなにを解き明かしたのか? いま受け取るべきメッセージはなにか?超難解書の全体像と核心が明快にわかる、驚異の解説書が登場。これが、ウェーバーの言いたかったことだ!《冒頭10頁強で、ウェーバーってどんな人&『プロ倫』のあらすじが、ざっくりわかる!》《基礎知識から "ライバル" ゾンバルトやマルクス主義とのわかりやすい対比まで、たのしくわかるコラム満載!》『プロ倫』は「プロテスタンティズムと資本主義の発展の関係」を論証したとされるが、本当にその試みは成功していたのだろうか? いまなお読み解くべき意義があるのだろうか? そんな素朴かつ核心的な問いをスタート地点にして、ウェーバーの論考のエッセンスを、クリアーで平明な文章で徹底解説。宗教改革によって勃興したプロティスタンティズムは、「天職」という概念や、神が誰を救うか/救わないかをすでに決めているという「二重予定説」なる教説を生み出した。快楽を排しひたむきに貨幣獲得に生きがいを見いだすような精神が生まれ、資本主義社会が発展していくが、しかし資本主義が爛熟すると崇高な精神が失われてしまう――ここに、ウェーバーの問題意識の核心があった。そして、その問いと思考は、現代における新保守主義という思想と響き合うものだった。市場経済の発達が加速度を増し、その行く末を誰も見通すことができなくなりつつあるいまこそ、近代とは、資本主義とはなにかを正面から考えた『プロ倫』のエッセンスを読もう!【本書の内容】序章 ウェーバーってどんな人?第1章 「問題」はどこにあるのか?第2章 資本主義の精神とはなにか?第3章 「天職」の概念が生まれた第4章 禁欲的プロテスタンティズムの倫理とはなにか? -1-第5章 禁欲的プロテスタンティズムの倫理とはなにか? -2-第6章 天職倫理と資本主義第7章 現代社会で生きる術を考える補論

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Posted by ブクログ

ウェーバーには非常に興味がありましたが、「プロ倫」そのものを読んでもピンとこないところが多くあり、わかりやすい解説書が欲しいなぁと思っていたところで本書の上梓のツイートを発見し、発売日買いをしてしまいました。

本書では「プロテスタンティズムの倫理」と「プロテスタンティズムの天職倫理」が断絶しているという前提のもとで、明確にその論旨の違いを図解してくれる「優しい」解説書であり、「プロ倫」を読むためのコンパスになること間違いなしといった読後感でした。

ウェーバーに興味を持ったきっかけが、何か現代社会の鬱屈とした状況を読み解くために役立ちそう!という期待を感じたことでしたが、本書を読んでその期待はあながち間違いではなかったことがわかったので、「プロ倫」再チャレンジの機運が高まります。

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2019年07月26日

Posted by ブクログ

ウェーバーは「プロ倫」の最初のほうで、次のように問題を立てた。すなわち、プロテスタンティズムにおける「禁欲的な信仰の生活」と、「資本主義的な営利の生活」は、親和的関係にあるのではないか、と。その答えはここにある。すなわち、禁欲的プロテスタンティズムにおける「倫理」と「天職倫理」のあいだには、定義において断絶があり、「天職倫理」に注目するなら、その内容は「資本主義の精神」とほぼ同じである、ということである。
これが「プロ倫」テーゼのタネ明かしである。「親和関係」とは、「日常生活の方法的合理化」の観点からみれば、「禁欲的プロテスタンティズムの倫理」と「禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理」と「資本主義の精神」の三つはすべて親和的である。利潤や公共的関心という観点からみれば、「禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理」と「資本主義の精神」は同じであり、その意味で親和的である。

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2025年06月01日

Posted by ブクログ

小室直樹先生の本に幾度となく出てくるマックス・ウェーバーと「プロ倫」。
以前から読んでみたいと思っていたのですが、原本は難解で読破する勇気もないので解説書から読んでみる。

プロ倫の急所は、「プロテスタンティズムの世俗内禁欲は…消費を、とりわけぜいたくな消費を抑制したのであった。他方で、その心理上の効果としては、伝統主義的な倫理の制約を破って、財の獲得を解き放つことになった。すなわち、利潤の追求を合法化するだけでなく、それが神の意志にかなうこととみなすことによって、利潤追求に対する伝統主義の桎梏を破壊したのである。」という部分だと思います。

禁欲的行動が資本主義の発展につながった、ということは、人間の行動に及ぼす宗教の影響が大きかったということ。
小室直樹先生は、明治維新後の日本では天皇がキリストの役割を果たし二宮尊徳が勤勉の象徴となった、つまり疑似的な西洋的キリスト教的社会を作り出したことが近代化につながった、というようなことを論じておられたと思いますが、これはプロ倫の主張に当てはまる我が国先人のもの凄いアイデアだったんだな。

本書でプロ倫のエッセンスが少しは理解できたと思うので、原本に挑む勇気を育んでいきたいと思います。

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2024年10月10日

Posted by ブクログ

本書はマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を解読(解説ではない)しようという試み。第1章から第2章まではその前提を確認する作業となっている。

著者は第2章の終わりで「資本主義の精神」の狭義の定義と広義の定義をおこない、「私たちは「広義の資本主義の精神(「勤労ー反消費」の生活スタイルで「子孫の幸福」「自身の繁栄」「社会の繁栄」を追求するもの。対して狭義のそれは目指すところが「倫理的義務の遂行」となる)を含めて、さまざまな立場を検討してみる価値があるだろう」(p.101)とし、そして、第3章以下ではルター派、禁欲的プロテスタンティズムの各派における「倫理」の分析、理念型を剔出していく。この辺が「解読」と銘打つ本書の真骨頂。

そして、第6章では禁欲的プロテスタンティズムの「倫理」と「天職倫理」の『プロ倫』上の定義の断絶を確認しつつ、「天職倫理」と「資本主義の精神」がほぼ同じ倫理内容をもつと論じている。いささかややこしいのだが、その辺は6章の図5と図6で綺麗に提示されている。

第7章ではウェーバーの『プロ倫』のメッセージから現代の我々が読み解くべきところのものが、著者なりの解釈も交えて示される。著者は、『プロ倫』が新保守主義的な発想からとらえた新たなリベラリズムの方向性を包含したものとして読み解くべきだと考えており、それはそれとしてわかるのだが、それが本当に禁欲的プロテスタンティズムのみから生まれてくれるものなのか。思想や倫理の歴史の世界史的な探求がまさに必要とされているのではないか、と感じた。

ウェーバーの宗教社会学研究という壮大かつ遠大な構想の限界と可能性を考えてみなくてはならないだろう。

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2021年02月19日

Posted by ブクログ

ウェーバーの著作に忠実に沿って解読しているとはいえるが、これまで表題の著作についてきちんと解説した本は存在しないとするのはいささか乱暴ではないかと思う。

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2020年10月28日

Posted by ブクログ

ウェーバーのあの名著を解説するありがたい本。ただあがめるでもなく、おとしめるでもなく、現代の視点から誠実に検証して分かりやすく説明してくれる。専門家でないなら、原著を読まなくてもこの1冊で十分といっても過言ではない。

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2022年01月24日

Posted by ブクログ

「プロ倫」こと『プロテスタンティズムと資本主義の精神』でヴェーバーがこたえようとした問題をていねいに解説し、その議論についてわかりやすく検証をおこなっている解説書です。

著者は、ヴェーバーの代表作である「プロ倫」の全体について研究している本がこれまで日本にはなく、「研究の穴」になっているといいます。かつては、大塚久雄に代表される近代化論の枠組みのなかでヴェーバーの議論が理解され、その後山之内靖がヴェーバーとニーチェの問題意識をかさねるかたちであたらしいヴェーバー像を示しましたが、「プロ倫」全体の論証の構造を解明しているわけではありませんでした。そこで著者は、本書のなかでヴェーバーそのひとの問題設定と論証過程をていねいに解説するとともに、自身の関心にもとづいて現代における「プロ倫」の意義を明らかにしようとしています。

著者の「プロ倫」解釈をおおまかに整理すると、ヴェーバーは「禁欲的プロテスタンティズムの倫理」を、心理的内面における二重予定説と、組織形式における洗礼主義とゼクテの形成の二つの側面に分けて考察をおこなっているとされています。そのうえで、このことと「禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理」とのあいだには断絶があり、「天職倫理」と「資本主義の精神」のあいだに親和性があることがたしかめられると理解されています。

さらに著者は、新保守主義の社会哲学的な側面に通じる発想を、ヴェーバーの問題提起から読みとるという試みもおこなっています。こうした著者の見立てがどの程度妥当するものなのか、わたくし自身は判断がつかないのですが、本書が入門的解説書であることを考えるならば、こうした現代的な興味にもとづいて「プロ倫」を解釈する視点を示す試みがあってもよいのかもしれません。

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2020年10月21日

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