西部邁のレビュー一覧
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ネタバレ[ 内容 ]
知識人はなぜ既成権力の批判しかしないのか?
知識人はなぜ大学やマスコミでの権威にかくも固執するのか?
知識人はなぜ己の発言の過ちにかくも無責任でいられるのか?
感情を強く単純に刺激する言説にしか反応できなくなった大衆と手を携えて、虚無主義の大海に落ちゆかんとする現代の知識人。
本書で著者は、自らが知識人であることの意味を絶えず自問しながら、現代社会の権力者たちの実態に鋭く斬り込んでいく。
出色の知識人論。
[ 目次 ]
第1章 知識人の生態学
第2章 知識人の社会学
第3章 知識人の精神病理学
第4章 知識人の認識論
第5章 知識人の政治学
第6章 知識人の観念型
第7章 知識 -
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刺激的なタイトル。西部邁氏の著作を読むのは(多分)初めてだったが、公に対する言葉には説得力があった。
氏の言うポピュラリズムが蔓延した現在の日本の社会状況では、リアルな世界のパワーゲームの中で日本がどのように対処していくべきか(核武装すべきか否か)といった話が冷静に議論できるとは思えないが、戦後の平和教育による我々の価値観(それを肯定するにしろ否定するにしろ、あるいはそういった二元論ではなく別の道を探すにしろ)をもう一度問い直す作業は必要だなと思った。
そういえば村上龍氏の「半島を出でよ」でも自衛隊は動かなかったし、もちろん米軍も動かなかったよなあ。あれは相当リアリティがあると思ったが、リ -
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西部邁、ニシベススムさんの「妻と僕」……一種の懺悔録と言えばいいのでしょうか? あの「朝まで生TV」の西部さんが実生活ではどうなのか、同級生の奥さんとの記録となります。
奥さんMは大腸ガンで入院します。時すでに手遅れ、医師はそういう意味の事をいう訳です。「余計な心配はしないように」西部さんは奥さんにそう囁くのですがカッコいいのは、そこまで。
自宅に一人で帰る力もなく酒場で飲む。二日酔いで翌日、病室に向う……てんでダラシナイ。病室では同室のクッチャベリ老婆が騒がしく話しこんでおり、そう書いてあります。
Mは苦しんでいる。西部さんは酒と博打、若い時には薬や何やかやの心得まであった。あの偉そう -
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古いものを好む、という性格が私にはあったりする。
そういうのもあってなのだろう、こういう本に惹かれたりするのは。
そしてその性格は今でもあまり変わりようは無い。
そこで思う事を述べれば、
表層にあるものに囚われる事無く、
深層にこだわろうとし、それを見出す事、
その作業に従事する事、さすれば人は自然に保守化していくのではないかと思う。
単なる懐古趣味を気取るのが保守ではない...いや保守であったとしてもよいにしても、その場合、保守は信用できる概念であると私は考えない。
ともかくそうした態度を有していれば、流行・新奇なるものを嫌おうと意識的に努める事はなく、無意識的に流行・新奇 -
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アメリカ人に同胞が大量に撃たれ、空襲で一般市民たちが焼かれたことを考えると、感情ではなく、アメリカのやり口には一定の批判精神、マナーとしての反米を絶やさずに持ち続けたい。p.96 西部邁(にしべ・すすむ)『反米という作法』2002
左翼とは自由・平等・友愛・合理という価値に強く執着し、根本から疑うことを絶対にしない類の思想のこと。左翼にとって現実とは変革にたいする制約条件であり、旧体制の維持がその目的になることはない。▼「反政府」と「反国家」は同じではない。西部邁『どんな左翼にもいささかも同意できない18の理由』2013
新自由主義を支持する人は保守ではない。普遍的な原則に基づく画一的でグ -
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2018年1月にみずから死をえらんだ保守思想家が、最後の思索を語っている本です。
本書の最後には著者の死生観が述べられており、どのような考えにもとづいて自裁という道をえらんだのかということをうかがうことができます。
『人間論』(PHP文庫)や『知性の構造』(ハルキ文庫)といった著作でも語られているように、著者の保守思想は日本の特殊性に依拠するものではなく、むしろ人間の普遍的な知性についての理解にもとづくものだといえるでしょう。本書でも、「TEAMの構造」と呼ばれる知性の「言語論的な構図」が普遍的なものとして示されたうえで、現代日本に特有の偏差を明らかにし、そのことがヨーロッパにおいては存在 -
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著者は右派の論客で私は同意できないものの、何故か小気味よい説得力のあるユニークな語り口が魅力的な存在だった。先日(1月21日)の自死のニュースでは、普通の自死ではないことを示唆していたため、この本を読む。9年前に書かれた正に遺書ともいうべき本。正に西部氏らしい死に方で最後を結んだのだ。江藤淳「妻と私」は江藤氏が妻を追って死んだことが感動的に書かれていたが、西部氏は全く異なる。妻を病気で見送りつつ、妻亡き後の自分自身の死に方を2人で話している。夫婦が高校時代から約50年に及ぶ非常に緊密な精神的絆に富んでおり、妻・満智子氏をMと表記し、妻の名の連呼を避けるためとの説明には、著者の恥じらいを感じ、決
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ネタバレ文章のとっつきづらさが玉に瑕。
まあ、著者の経歴では
致し方ないのかもしれませんが。
これは出版当時よりも
今のほうがなおさら、抱えている問題は
悪化しているように思えてなりません。
なぜかって?
ここにさらにネットが加わってしまいましたからね。
こうなるとその野放図具合はまします。
彼らの精神病理学系統なんか
さらに悪化していると思いますよ。
何せあるSNSなんか批判一切消せますし。
知識人は政治にかかわってはいけない。
これは全うな意見だと思いますよ。
何にも責任を負わずにいいたい放題。
見ていて気持ちのいいものではありません。 -
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保守主義が依拠するべき人間理解についての哲学的考察をおこなっています。
ウィトゲンシュタインは、言語は慣習の体系だと語りました。これを受けて著者は、言語は底抜けでありながら、いやむしろ底抜けであるからこそ、伝統の体系によってみずからを支えようとする努力を続けなければならないと主張します。伝統とは、何らかの実体ではなく、言語活動によってたえず自分自身を振り返り自分自身を確かめ続ける営みと理解されなければなりません。
こうした観点から著者は、一神教の伝統との緊張関係の中で、文化人類学に代表される価値相対主義的な知見を生み出した西洋の知的営為に対する敬意を表しています。他方日本では、長きにわたる -
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本書では、知識人を三種類に分類しています。第一は、「インテレクチュアル」と呼ばれる人びとで、広く知識の全貌を捉えようとする姿勢を持っているとされます。第二は「インテリジェント」で、専門的知識を身につけた人びとを指します。そして第三は「インテリゲンチャ」で、革命を志向し、人民に革命への意識を注入しようとする人びとを意味しています。
著者は、知識を特定の政治的立場のための道具にしたインテリゲンチャのみならず、自分の専門領域に閉じこもり、人間の知識全体への目配りを欠いたインテリジェントに対しても、厳しい批判を展開しています。とくに、みずからの閉鎖的で幼児的な精神のあり方に疑問を抱くことさえない大学 -
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[ 内容 ]
バブル崩壊と冷戦の終焉から十年すぎた。
しかし今なお、経済の立て直しから有事への対処などに至るまで、依然として議論だけが続いている。
しかも、その空疎な対立と不毛な論争の蔭で、学級崩壊、官民を問わない不正行為の続出、各種犯罪の増加など、日常の社会そのものは緩慢な自死の過程をたどりつつある。
そして、資本主義の挫折と帝国主義の再来、それが世界の大状況となっている。
この危機に、私たちはどう臨めばよいのだろうか。
単なる郷愁やかたくなな復古ではなく、美徳と良識にもとづいて公共空間を再建するため保守思想の真髄をさぐる。
[ 目次 ]
地球の危機―帝国主義が蔓延する
情報の空虚―ITが