西部邁のレビュー一覧

  • パール判決を問い直す 「日本無罪論」の真相

    Posted by ブクログ

    対談者のひとりである中島 岳志が著した『パール判事--東京裁判批判と絶対平和主義』という著作に対して巻き起こった反批判として企画されたものらしい。

    原著およびそれに対する批判を読んでいないのでなんとも言えないけれど、批判者の言説を表層的ないし都合よくもってきているのではないかと思えてしまう。と、いうのも本書で反批判している批判は、なんだか阿呆なものばかりに思えるから。

    そういう部分には注意が必要だけど、とりあえずは面白く読め、考えるきっかけにはなるホンダと思う。

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    2010年05月10日
  • 学問

    Posted by ブクログ

     私は西部邁氏が好きなので、この著書を買ったわけだが、私の近くにある書店では西部邁氏の著書にお目にかかることはまず無い。...西部邁氏に不満は無いが、書店には不満がある。

     本書のあとがきの要約すると、学問や教養というのは、いってみれば「象の全体像」を把握するものであり、ある対象の諸側面がどのように繋がっているかについての輪郭を浮かび上がらせる事である。それを引き受けるものをジェネラリストと呼べば、本書はジェネラリストを甦りのための微力を尽くそうとする企てにならない。....つまりはこれが本書の狙いだという事だろう。

     では何故に学問や教養が大事なのかは...実は私はよく分かっている自信は無いのだが...ともかく、「象の全体像」という言葉に着目するのならば、その象の側面だけを強調したり蝶々するだけでは、全体像を把握する事はできない。そして人間のあらゆる活動においては、政治、国際関係、道徳、社交、人生、歴史、哲学、実利...などなど、あらゆるものがそこに関わってくる。
     
     そこでとある現実が差し迫った時、またそうした事態が予測されうる時に、一側面の知識だけでは不十分である。そこで否応無く、全体的な知識が要請される。それを端的に言い換えると、スペシャリストのみならずジェネラリストとなろうと努めようとするのが、言わば人間の宿命だという事である...と思う。

     また<ニヒリズムは「ない」ということであって、何がないのかといえば、真の基準も善の基準も美の基準もないということだ(P261)>だという事であり、それらの基準が歴史や人生経験や自分と他者の違い...などといったものから運ばれると考え、ニヒリズム(虚無主義)が虚無を招くものであるのだとすれば、全体像ではなく一側面に過剰にこだわるのは、精神衛生上によろしくないという話にもなってくるのではないかと思う。

     ともかく、本書がジェネラリストの甦りのための企てだという事ならば、そのジェネラリストの不在的状況を憂え、警告的に唱えているのが、この西部邁氏だということではあるのだろう。

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    2009年10月04日