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西部邁さんの著書、待望の電子書籍化!重症のガンに冒され、死の淵に立つ妻!―生と死の深淵を見据えつつ、女とは、男とは、夫婦とは、人生とは何か、名誉とは、孤独とは、祖国とは何かを根源から思索する、自死の予感をも孕む、感動的作品。 後半には『死ぬ作法 死ぬ技術』(飛鳥新社)に執筆した著者の死生観も収録。
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Posted by ブクログ
夫婦という具体的なものと、思想という抽象的なものを適宜往復して語られている。前著『寓喩としての人生』の夫婦版、と言える(ちなみに副題は「寓話と化す我らの死」)。本を書く人が皆こういう本を書いてくれると、著者や著作の信頼性を判断するための格好の材料になるのだが・・・。どちらかといえば熱心な方の読者のつ...続きを読むもりなので、初めて公言された内容にはドキッとした。
西部邁、ニシベススムさんの「妻と僕」……一種の懺悔録と言えばいいのでしょうか? あの「朝まで生TV」の西部さんが実生活ではどうなのか、同級生の奥さんとの記録となります。 奥さんMは大腸ガンで入院します。時すでに手遅れ、医師はそういう意味の事をいう訳です。「余計な心配はしないように」西部さんは奥さん...続きを読むにそう囁くのですがカッコいいのは、そこまで。 自宅に一人で帰る力もなく酒場で飲む。二日酔いで翌日、病室に向う……てんでダラシナイ。病室では同室のクッチャベリ老婆が騒がしく話しこんでおり、そう書いてあります。 Mは苦しんでいる。西部さんは酒と博打、若い時には薬や何やかやの心得まであった。あの偉そうな口調は「生TV」だけで、老婆に黙れとも言えないらしい。止めを医師にお願いする場面はあります。 手遅れはともかく悪いのは判っていて、そんな病室しか手配できないのか? 私なら……いちいちは書きませんが病人として、それなり手を打った体験があります。 医師の手際が悪い、それで病院を替わりました。別な場面では医師にはったりかませ、また別な場面では師長をやりこめました。やり過ぎない程度に事後は低姿勢に……病人は病院にヤラレルと命に関わります。 看護師や他の患者に、西部さんは顔を知られている描写もありますが、世間知らずとも書かれるが対処が不味い。いかにも不味い。そう読むべきでしょう。それともクッチャベリが応えるのは西部さんで、Mさんは女性だから応えてないのでは…… そういう読み方もあるのですが、まあ病人には部屋の雰囲気が応える事も多い。Mさんは生まれた時から虚弱体質だそうです。持病の腸ねん転をこじらしてのガン。 ヨーグルトかなんかで命を永らえる事は出来なかったか? よくしたもので西部さんよりKさんに同情します。なぜなら西部さんはこの期に及んで、哲学用語を使います。 二日酔いで哲学用語を使われても、それはギャグとしか聞こえません。笑ってしまう。笑いまで計算ずくで書かれるのか、ないのか。首を傾げるのは手術だけを受け、抗癌治療は辛いので止めたい。そういう主張オーダーです。 2つは同じ物で、ガンは切り取ればいい物ではなく、合わせて抗癌剤を入れる対処になります。Mさんも医師の娘というのに、そこに理解が行っていないのか? 80才前後で人は死ぬ。大雑把にはどの道、覚悟が必要で、奥さんと一緒に西部さんも覚悟を決める光景になります。 トランジスタの森田童子、二人ぼっちは一人ぼっちに似ている。 花を買い来て花を愛でるか、ふたりしてウォークマンのシューベルトでも聞くか? あるいはMさんの好きな本を朗読するとか? もう食べられない時もチョコレートは匂い、風はさすらいの彼方へと心誘うでしょうに、西部さんの野暮。
著者は右派の論客で私は同意できないものの、何故か小気味よい説得力のあるユニークな語り口が魅力的な存在だった。先日(1月21日)の自死のニュースでは、普通の自死ではないことを示唆していたため、この本を読む。9年前に書かれた正に遺書ともいうべき本。正に西部氏らしい死に方で最後を結んだのだ。江藤淳「妻と私...続きを読む」は江藤氏が妻を追って死んだことが感動的に書かれていたが、西部氏は全く異なる。妻を病気で見送りつつ、妻亡き後の自分自身の死に方を2人で話している。夫婦が高校時代から約50年に及ぶ非常に緊密な精神的絆に富んでおり、妻・満智子氏をMと表記し、妻の名の連呼を避けるためとの説明には、著者の恥じらいを感じ、決して冷たさは感じない。江藤氏のような弱さではなく、自らの生き方を貫くともいうべき覚悟である。しかしながら、最期の瞬間までこのような強い気持ちを持ち続けていたのか、あるいは自ら語ってきたことに縛られざるを得なかったのか!最後まで気になる人だった。Mが最後の日々に連日ブルックナー交響曲8番に聴き入っており、著者が「音楽に疎い僕にも、それが「厳格な幻想」の曲であるとわかる。「実直な秘儀」とよんでも良いのだろう」と記し、著者がそれに対して、「月の沙漠」を口ずさみ、Mが反応する場面には、ちょっと感動。Mもまた著者に相応しい人物だったと共感を覚えた。
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妻と僕――寓話と化す我らの死
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