池田清彦のレビュー一覧
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地球温暖化、がん検診、原発問題、高血圧はメタボ健診などなど、議論になるようなトピックには共通性がある。どれも、過剰な法規制のもと、莫大な利権が発生するということ。国家、官僚、企業は怪しい「科学」を世界の常識にすり替えて利益を得ることに長けている。難しいのは学者もしばしばその一端をになっているので、一般人が科学の正否を判定することが極めて難しいということ。少なくともなにかが起きているときに、そのおかげで利益を得るものは誰なのかをちょっと想像してみるくらいはした方がいいだろう。
生物学者である池田清彦氏は、科学者の立場から遠慮なくその欺瞞を暴いていく。爽快だけれども、大丈夫かな、圧力かかったりしないかな、と心配にもなったりする。 -
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養老孟司、池田清彦、吉岡忍が、読書について、テーマ毎に語った内容を記した本。
養老孟司の本の読み方は、作者の意図や想いを行間から読み取りながら読む。なぜ、この部分が書いていないのかとか、逆に無いものからその意図を読み取る。非常に難しいが。
読み聞かせについて。子供に本を読み聞かせる効果は、読んだ内容は全く意味がないとバッサリ。ただ、お母さんが笑顔で、愛を持って読み聞かせることで、子供は愛されていることをカラダで感じる。インプット、変換、アウトプット。その流れのなかで、そのインプットの多様性がまずは大事であると。
中盤からは、読書についての放談会。「温泉教授の日本百名湯」が寝床で読む本だったりとか、マンガはジョジョだったりと、おじさん達のセンスが光る。黄砂その謎を追うを2人が押していたり、読んだことの無い本も。また、森鴎外や坂口安吾などの名作家については、その人物そのものと作品との繋がりを深く感じながら読まれているのが特徴的。古典として残っている名作は、その作品がうまれる理由にも意味がある。たくさんの本を読んで来たけど、何を残して、何を伝えるのか、そろそろアウトプットを意識していく頃なんだろうと思いつつ。 -
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ものすごい「できる子」をつくれると期待するとがっかりさせられる内容です。あくまで、普通より少し「できる子」の育て方となっています。
子どもの様々な臨界期がまとめてあるので、習い事をさせるときに大変参考になるとおもいます。しかし著者の考えてでは、天才は奇人であるゆえ必ずしも幸せな人生を送れるわけではないと主張しています。今の社会(日本)では、普通に勉強をがんばって、東大に入って、大企業に就職した方がイージーな生活ができるのが現状です。
突起した才能を潰さずに伸ばしてやるのが親の役割で、たとえそれが天才レベルではなくても、人生を豊かにするものとなります。
※本文中、「(笑)」が多すぎ、今読むと少しイタイ文章となっています。 -
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脳死・臓器移植反対の立場を旗幟鮮明に掲げた本です。
立花隆の脳死に関する本をいくつか読んで、脳をアイデンティティの座とみなす立場から、その機能が完全に解明されていないうちは器質死をもって脳死と判断するべきだという主張に共感を覚えていたのですが、本書ではその立花の説に対する批判がなされています。著者が批判するのは、自己同一性が崩壊するのは機能死でも同じだということと、さらには心臓死でも自己同一性が崩壊するのであり、脳の器質死をもって人間の死とすることにこだわる理由はないはずだ、というものです。
立花の考えている「アイデンティティ」は、臨死体験のような証言に基づいていることもあって、かなり高次の内的意識の状態を意味しているようにも取れるので、著者のような反論が出てくるのも理解できますが、じっさいにはそこまで明瞭な内的意識の存在を想定しなくてもよいのではないかという気がします。
とはいえ、著者の批判に納得させられたところもあります。立花は『脳死臨調批判』(中公文庫)の第2章で、脳をアイデンティティの座とみなす立場から、心臓死をもって死とすることに疑問を持っていると表明しているのですが、これは脳死判定の問題を超えて、一般に人の死とは何かという問いに答えようとしているように思われます。これは、確かに「科学主義」の勇み足という気がします。
そのほか、非常に説得力を感じたのは、脳死・臓器移植は大量生産が不可能であり、社会的弱者はドナーにはなれてもレシピエントにはなれないという、本質的欠陥を持っているという指摘です。これは、技術革新によって改善されるという問題ではないので、人間は原則的に平等だという公準に基づく民主主義社会にそぐわない発想だという気がします。 -
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人生の箴言を色々な角度から分かりやすく面白く伝えてくれる良書です。
生物学的な話はあまりないのですが、その研究から見えてきたものを人生にフィードバックして人生観を伝えているのですが、『いい加減』=『良い加減』だらしないわけではないけれど真面目でもない、程良い脱力が安心できます。
僕自身が元々は貴重品で真面目な性格だったのですが、窮屈で脅迫的で自縄自縛で生き苦しいというか、余裕がなくて、一言で言えば『疲れた』ので(笑)、20歳を過ぎた頃から適当を志向するようになり、『大体成功してれば良いんじゃね?』くらいに力を抜き始めてからは随分と楽になりましたね。血液型はA型ですが、最近はO型に見られるようになりました(笑)
自分を『かけがえのある存在』と認めるのはなかなか出来ないですが、これはある種の諦めで、自分を受け入れることから始まっています。それはちょうどペルソナシリーズの『自己と向き合う』『自己を受け入れる』や、為末大『諦める力』に通じるものがあります。
歳を取ってから、今までになかった能力を伸ばすのは非常に難しいものがあります。敢えてそこにチャレンジしていくというのも一つの手だとは思うのですが、『自分の能力はここまでだ』と悟り、普通とは違う形で能力を伸ばしていくのも一つの手だと思います。
自分を受け入れていない大人、つまり能力を伸ばそうとチャレンジしたり、あるいは反対に割り切ってありのままに振る舞う人は良いのですが、『このままじゃダメだ』と思っていながら『何も努力していない』中途半端な大人はどこか近寄り難い雰囲気があります。要は個性(=強み)が出ていないとダメなんですよね。
例えが適当ではないんですが、自分が戦場に行く時に、何の武器を装備するか。剣でも銃でも弓でも何でもいいんですが、得意な武器を持つのが一般的だし、逆に不得手なものは装備しませんよね。そして、何でも武器を使いこなせる人はマルチに活躍しそうだけれど、下手すれば中途半端になってしまい、武器の性能を悪くすることだってあります。
大人も同じで、個性(良い意味での)が無いと力は発揮されないし、またそれによって付き合う人間も変わってきます。まぁ著者の言うように独り善がりになってはダメですが(笑)
僕の評価はA-にします。 -
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ネタバレチェック項目5箇所。ナマケモノは毎日20時間も寝ているが、現代人は7,8時間しか寝ていない、中には4時間ぐらいしか寝ないで働いている人もいる、そんなにあくせくしないで、少しはナマケモノを見習ったほうがいいんじゃないだろうか、というのが本書の主旨である。人類が働くようになったのは7000年前頃に農耕を発明してからだ、穀物は貯蔵可能なので、余分に収穫できればできるほど有り難く、そのために農耕民は長時間労働を余儀なくされたのであろう、そこから「働かざるもの食うべからず」とか「労働は美徳である」といったイデオロギーが始まったのだ。狩猟採集民であったとき、人間は互いの部族に壊滅的な打撃を与えるような戦争はしなかっただろう、農耕をはじめたことで人間は長期間労働を行うようになり、さまざまな剰余すなわち富を生み出したのだ、その副産物が権力であり、奴隷であり、戦争なのである、農耕、労働、富、権力、奴隷、戦争、これらはみな同じ起源をもってつながっているのだ。東南アジアなどに行くと、いい歳をした男衆が真昼間から賭け事をしたり、雑談に興じたり、あるいはまったく何もしないでぐうたらしたりしている光景をよく目にする、勤勉な人からすれば、「こいつら何やってんだ?」とあきれることもあるだろうが、生物としては彼らのほうが健全な生き方をしているのかもしれない。コミュニケーションの能力は劣るけど、家をつくらせたら天下一品だとか、そういう人はたくさんいた、受験勉強やコミュニケーションスキルとは無縁のところで能力を発揮できる人場がかつてはあった、その意味で受験勉強とコミュニケーションの才能ばかりが評価される社会というのは相当いびつな社会である、多様性が大事だと言いながら、社会へ適応できる能力の範囲は狭まっている。成長して子どもを産み、老いて死ぬ、生物というのはすべてただそれだけの存在であり、人間も例外ではないのだが、脳が大きくなった人間は、どうしても人生に意味を見いだせなくなってしまうものらしい。
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ネタバレ対談集。
『ホンマでっか!?TV』を殆ど見てないので、池田清彦先生を存じ上げなかった。
虫を追っかけたりとか、口調が江戸っ子だったりとか、
存在自体面白い方だなーと、この本を読んでみて思った。
どなたかのレビューに『池田先生は高田純次入ってる』と書かれてて、妙に納得。
震災を語るくだりを読んだときに、発売当時に読んでおくべきだったと思った。
逆に言うと、震災直後と現在では温度差があるってことに気づかされたともいえる。
その後はマイノリティーの生き方だったりとか存在意義だったりとか。
話題は各方面に亘るので個別の感想を言い出すときりがないけど
マツコ・デラックスという人は本人が言うよりだいぶまっとうな人だというのが
主だった感想。
正確にいうと、至極まっとうに怒るべきことに対して怒ることのできる人、
だということ(最近の『怒り新党』を見てると尚更)。
そういう人は貴重だけど、今の日本では生き難いだろうなーとも思う。
なんだかんだ言ってもマツコさんのことが嫌いじゃないのは
そんなところに理由があるのかもな、とも思った。
同時に、以前『世迷いごと』を読んだときに「意外と愛情たっぷり」だと感じた理由も
なんとなくだけど判ったし、腑に落ちた。
こういう切り口でマツコさんがモノを語った本をもっと読んでみたい。
というか、今の芸人的、イロモノ的な扱いではもったいないと思う。
ご本人が聞いたら怒りそうだけど。