井上章一のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
644頁もあって、読み応え十分だ。作り替えることで保ってきた神宮という建築の原始の姿は分からない。本書はこれを探る長い旅だ。
著者は「式年造替が日本人の民族精神にねづいているとは、思えない」という。「平安期あたりまでは、たいていの神社が、式年造替をやっていた」。したがって、「式年造替は、日本人がすててきた伝統にほかならない」。最初からパンチが飛んできた。
話は京都の北郊の雲ヶ畑から始まる。屋根の上に千木(ちぎ)をのせた家が『近世畸人伝』(伴嵩蹊)の並河天民を論じた一文にあり、神社の成り立ちへの考察が示される。
詳しくは読んでもらうこととして、18世紀に千木や勝男木など神社建築で用いられるものが、京都郊外の民家に大量に採用されていたとしたら、神社の原始の姿に再考を迫るものがあるだろう。
じっくり読みたい。 -
ネタバレ
便乗本の悪い例…。
2025年6月読了。
元々『京都ぎらい』で有名になった井上章一先生のファンなので、「光秀とガラシャの話かぁ」と何となく気になって拝読した。
それぞれ立場の違う専門家が、この二人について論証(推論?)した本では有るのだが、興味は『細川ガラシャ(お玉)は美人だったか?!』に集中しており、それ以外は付け足し程度で読んでいて「力が抜けていく思い」で読了した。
呉座先生の光秀考は一読に値した(確かに本能寺の変は“光秀単独犯説”が正解だろう)が、それ以外はバラバラに『細川ガラシャ』について、参考文献も統一せず思い思いに語ってしまっていて、「そんなにガラシャが美人だったかどうか、未だに気にしてる人なんて居る?!」と云う感想しか出てこなかった。
井上先生も『美人論』の延長線上で、“別途書けば良い程度の事”までしか追えていない感ありあり。
それから、(当時の)イエズス会の活動については、ひたすら『布教活動に尽力した美談』ばかりで、貿易(鉄砲等の武器)や奴隷(人身)売買と言った『負の側面』を只管無視して書かれているのも、「よくもまぁぬけぬけと…」と云う感じで、読んでいてシラケる事ばかりだった。
秀吉が「バテレン追放令」を出した一番の理由は、宗教云々なんかより、日本から貧民を奴隷として、ドンドン海外へ売り飛ばす行為が目に余るからだったのは、最近の研究で明らかになっています。『独裁者のワガママ』だけでは酷過ぎます。
概して、こういうテーマで本を出したいなら、どなたか一人で別々に書いたら宜しいのでは?と、冷めた思いで本を置いた。『麒麟がくる』の頃に当て込んだ本なのだろうが、構成からしてバラバラなのだけはよ〜く分かった。