永井均のレビュー一覧
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構成は
・永井ー小泉の対談
・永井論考
・小泉論考
<文庫版書き下ろし>
・永井論考
・小泉論考
対談は恐ろしく噛み合ってない。
それは永井先生も論考内で「この対談に際して小泉氏は私の以前の著作をずいぶん勉強してこられたようで、氏の発言には私の用語がちりばめられている。しかし、その用法が私の理解と食い違っているため、逆に理解しにくかった。」(p82)と言っていたり、「小泉氏の発言の意味がわからなかった」といった趣旨の発言をかなりの回数使っているところからも伺える。(逆に小泉先生はそのような類の発言はしていなかったように思う)
ただ、この噛み合わなさ、対談後の論考の議題設定のあまりの違いが非常に良かった。
個人的には永井先生のほうに与する。永井先生の方が、表題の問に真摯に答えているように思うからだ。
小泉先生の議題設定は、(私はよくわからないので、あくまで直感的に「そうではないか」という予想で言うならば)極めて脱構築的であるように思った。
その議題設定が悪いなどというわけでなく、今ひとつ私にとってはスカされた印象を持ち、永井先生の方が<子ども>としての立場から誠実に答えているを印象を受けたという話である。
もちろん文庫版にして200頁に満たない書籍である。永井先生も頻繁に以前の著作を前提としていることを提示しながら論理的補完を行っていた。この一冊で成敗することなどできるわけもなく、ただその導入としては非常に良い一冊だと思う。 -
Posted by ブクログ
ウィトゲンシュタイン哲学について入門書。一読してみての感想。「ウィトゲンシュタインの問題意識」に照準を合わせて、それを読者に伝えるということについては成功していると思う。ただ、新書かつ入門書という制限があるため、ウィトゲンシュタインの議論を詳細に説明し尽くしているわけではない。この点には筆者も自覚的であり、より詳しくウィトゲンシュタインについて学びたい場合には、巻末の読書案内が役立つだろう。入門書としての役割は果たされていると思う。ここまでで★4つ。
★追加要素は、「ウィトゲンシュタイン入門」でありがながら、きちんと「永井均の本」であるという点。永井均が好きなら読むべき。それが本書が「他の入門書との相違点」すなわち「持ち味」でもあると思う。逆に言えば、永井均が嫌いな場合は、読むに耐えないかもしれない。
わたしは、永井均が好きだ。彼の本を読むと、その真摯な姿勢に胸を打たれる。その点を加味して、★5つ。 -
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夏休みとタイトルについているし、夏に読もうと思って、8月中旬から読み始めた。まぁ8月中に読み終わるだろうと。全然読み終わらず、9月へ。内容が濃すぎて何度も同じ行を読んだり、ページを戻って繰り返し読んだり…。分かるような、分からないような、を繰り返していた。というよりも、「なるほど!」と思ったのに次の行で高次元な質問と説明と理解が始まったりする。これが中高生に向けた哲学入門書だなんて信じられない。けど著者自身も大学の講義で何度も使用しているとあとがきで述べていたし必ずしも中高生だけに向けたものではないのだと思うけれど、中高生に読んでほしいという思いがあるのだろうと思った。本当に難しいよ~、けど面白い。
今まで、哲学者の思想を学ぶことが哲学をするということだと思っていたのだけれど、それは思想を理解しているだけで本当に哲学をしているとはいえないのだと実感。対話を重ねてとにかく深く考えて自分の人生に落とし込まなければ意味がない。読めば読むほど哲学は純粋な疑問や感性が育んでいく学問なのだと思った。そう思うと比較的ナチュラルでフラットな状態の中高生に読んでほしいという著者の思いは理解できる気がした。
印象的だった話は、ニヒリズムについて。ニヒリズムは一般的には人生や世界に意味や価値、目的などは無いと考える虚無主義みたいな認識だと思う。少なくとも私もそうだった。けど著者は、ニヒリズムはむしろ人生には意味があると“思い込んで”人生の中に意味や価値を見出そうとすることにどっぷり浸かることだと逆説的に捉えていた。おもしろ~い。確かに人生に意味があると思ったことがあるからこそ、人生に意味なんて無いんだ、という思想にたどり着くんだもんな~。
次は一週間に一章とかのペースで理解を深めながら読んでいきたいな。 -
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ネタバレ中高生向けの哲学の本とのことだったけど、難しかった。わかるような、わからないような、そんな本だった。納得いくところはともかく、ん?そうか?と納得いかず考え考えしながら読んだ箇所も多かった。
著者の永井さんは2章が特に気に入っておられるようだけど、僕は3章が好きだった。客観的な正しさの根拠。善悪の基準について。小学校の平和学習で、与謝野晶子の詩が非国民だと非難されたことを習ったが、自分が戦時中に生きていたらきっと自分も非国民だと罵る側にいたんだろうなと想像したら、自分の中の悪に怖くなった。そんなことを思い出した。
当たり前なことを当たり前として生きすぎている気がした。自分が生きてることも不思議だし死ぬことも不思議。人と違うことも不思議だし時間や空間も不思議。もっと身の回りの不思議を見つめてみようと思った。 -
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俺にとっては後半の問いの方が面白かった。
前半部分については、「俺が〈俺〉である理由は、そういうもんだから」と考えるのをやめてしまっているため。正確には、現に俺は〈俺〉である訳だから、「俺が〈俺〉である理由」が判明したとて、強く生きていく理由にはなり得なさそうだから。ファッション鬱は辛いね。
「なぜ悪いことをしてはいけないか」
という問いに対して、道徳とは何か、善悪とは何か、などを詰めながら進めていく。
道徳は価値判断の材料のようだが、価値判断という枠組み自体の中にも入れ込まれてしまっているのではないか?というようなことも書かれている。
特に面白かったのは
「実際になされる行為に心が伴わなければならないという規則はどこかいかがわしい、と僕は感じた。」P186
の部分。本書では偽善についてこの表現が為されていた。
対比として、自分は「偽浮気」というものを挙げたい。恋人がずっといなかった自分は、周りの人間に対して「俺は恋人がワンナイト浮気することについては何も文句がない。そういう日はあるだろうし、自分にも来るかもしれないし、本当に好きなのが自分であれば問題ない」という言説を吐いていた。(本当に好きとはどういう意味かはここでは置いておくとして。)
そう、心が伴っていなければ良いかなと思っていたのだ。まさに偽善に近いと思う。
ただ本書でそれは、「道徳的世界解釈」を持っているのか、「道徳外的世界解釈」を持っているのかという違いなのだという説明があり、かなり腑に落ちた。ニーチェの言う「弱者の倫理学」はここに潜んでいるのかと。というか弱者って表現で、俺は今まで社会的ステータスや能力が低いことをイメージしていたが、社会に不適合なことを示していると考えるとメチャクチャ響いた。(基本それは相関するのだろうが、自意識過剰かもしれないが、自分はやや外れていると思っている。イタくてあまり言いたくないが。)メチャクチャ俺弱者じゃん笑
※補足(間違ってそう)
道徳外的世界解釈を持っている人は、行われた行為が偽善によるものであろうと、結果が善(好ましいこと)なので当たり前に善であると感じる。なんなら、結果が善なのだから偽善ですらない。
しかし、道徳的世界解釈を持つ人は、行為の結果ではなく、弱者の道徳(おそらく道徳外的世界解釈と逆になるような指標)を基準に判断するため、偽善は偽善になってしまう。
でも俺が弱者で、周りが強者だからこそ、話がうまく通じないし、分かり合えなかったんだなと思う。そういう社会とのズレを真剣に考え続けるのが〈こども〉の哲学なんだってことらしいです。
感想終わってるけど興味あれば是非。 -
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「げんしばくだんがおちると
ひるがよるになって
人はおばけになる」
岩波ブックレットNo.1115
たまたまですが、新年早々原爆の話
〜広島への原爆投下直後、1万人もの被災者が運び込まれた小さな島、似島(にのしま)。野戦病院にして埋葬場所ともなった島の過酷な体験を描くドキュメント。〜
筆者である永井均さんは、(かなり抑えめの)写真や記録の絵なども載せながら、似島の当時の状況や、その後の遺骨の発掘の経緯などを淡々と綴ります
感情や結論めいた言葉はほとんどありませんでした
そこには誰かの強い言葉に引き摺られるのではなく、自らが考え、判断して、行動してほしいとの想いがあったのでは、と推察されます
最も大切なことは「忘れないこと」だと思います
その意味では新年という節目にこそふさわしい一冊だったのかもしれません -
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ルサンチマン(弱者)を内包した社会やキリスト教を批判し、ニヒリズムを克服し、生を肯定するためのニーチェの問いを整理した本
#講談社現代新書 #永井均 「 これが #ニーチェ だ 」
内容としては かなり難しいが、#ツァラトゥストラ 「精神が 駱駝となり、獅子となり、子供になる」の意味がよくわかる構成になっている
ニーチェ=無神論という解釈は間違いであるとのこと。人生の無意味さを肯定することにより、自分の中に別の意味の〈神〉が生き返る、という主張。なるほどと思う
「人生の価値は、人の役に立ったとか、そういうところにあるのではない〜そこには、何の意味も必然性もない。その事実そのものが、そのままの意義であり、価値なのである」
ツァラトゥストラ 「精神が 駱駝となり、獅子となり、子供になる」の意味とリンクさせた内容
*駱駝=生の否定、ルサンチマン
*獅子=強者を目指した力への意志
*子供=忘却と聖なる肯定による自分の世界の獲得〜自分を限られた視界のうちに閉じ込める
*自己を否定するキリスト教道徳への批判
「真理とは錯覚であることを忘れられた錯覚〜社会的に公認された真理とは虚偽のこと」
「すべては力への意志である〜生あるものには必ず力への意志があった〜生とは、内から発して多くの外部を服従させ、自分に同化吸収していく力への意志なのである」
「意味のない苦悩に満ちた生をそれ自体として肯定する〜苦悩の意味が、悲劇的(=矛盾があっても生を欲すること)であれば至福」
*神の死
人間の生の価値を否定したキリスト教道徳が、キリスト教の神を殺したという論調。このニヒリズムを克服することにより、別の意味の〈神〉が生き返る
*ルサンチマンの弱さ
力の意志は、真理を信じこむことなしに生きていけない弱者の存在様式
弱者の力への意志を、解釈する意志に変換する〜自分に有利な何かに解釈を変える
「反社会性〜人間が社会性によって傷つかないことを目指す〜弱者は徹底的に没落すべきである〜あるがままを肯定する」
*ディオニュソス
現に存在するすべてのものに対する肯定
*永遠回帰
来世はない〜わたしはこの生以外の生を生きる可能性はない
生き方の内容の選択の余地は始めからない〜どれほど惨めな人生であっても、自分の生であり、それが存在したことに外部からの評価を加えることはできない。それがそのように存在したこと、そうであったこと、それがそのまま価値なのである
「この世界を現実であることそれ自体によって、この瞬間を今であることそれ自体によって、この人生を自分であることそれ自体によって、そのまま肯定する」
「すべては、ただの偶然、ただそうあるだけのことであり、現にこうであることに、何の根拠も、何の理由も、何の意味もない」
永遠回帰
*全偶然を偶然性を維持したまま必然化する
*力への意志も欲望もなしに、ただ肯定され、ただ是認されるべきもの
つかのまの生は、その内部に喜びや悲しみがあるにしても、生自体としては空しいものにすぎない。そのことを嘆いて、生に外からの意味を与えるべきではない。それが神の死であり、人生の無意味さを肯定することが神の復活の出発点
世界は同一の状態を永遠に反復している→世界は神によって創造されたとするキリスト教的世界観の否定
世界は始まりも終わりもなく、目的も意味もない。ただ存在しているだけ→ニヒリズムの徹底により 理想への回帰を封じる
*超人
ニヒリズムの極限を意志の力によって克服する〜その力をもった形象として描かれるのが「超人」
超人とは肯定する人〜永遠回帰を望み、自己と世界、偶然的な現実を肯定する
超人は本質的に社会的存在ではない〜超人は孤独な者にしかなされない。超人は連帯しない
「人生の価値は、人の役に立ったとか、そういうところにあるのではない。起こったとおりのことが起こったことにある〜そこには何の意味も必然性もない。その事実そのものが、そのままの意義であり、価値なのである」
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ネタバレ子供向けではあるが、理解できないところも多々あった。
学びのあったところ:
うそはついてもいいけど、約束は破ってはいけない
約束はしなくてもよいのに、自分でしたこと。
どんなにくだらない用件だったとしても、すでにしてしまった約束というのは、そのことで重みをもってくる。
相手は、自分のもっと大事な用件よりもその約束のほうを優先してくれているかもしれないから。
専門家は、好みの違いが何を意味するのかってことに関する考えを持っていて、それを言葉で言うことができる。
自分に起こるいろんないやなこととか、不愉快な気分なんかを、自分の中でうまく処理する方法を身につけている人が、ほんとうの意味でのおとなである。
ある感情がわかってきた原因をよく理解すると、その感情が薄れたり、消えたりすることがある。つまり、頭でよくよくわかっていないから、いつまでも心でもやもや感じてしまう。
哲学についてもっと学びたいと思った一冊である。 -
Posted by ブクログ
哲学について考えるきっかけの本
中学生の伊豆蔵翔太と猫のインサイトによる対話型の哲学入門
今が夢ではない事を証明できるか?
培養器の中の脳が体験している可能性
「自分」という特別性
他者との認識違い
他の人と見ている色は違う可能性
他人が感じる痛みとは?
そもそも他人に心はあるのか?
自由意志とは?
時間と空間は存在するのか?
死を恐れる理由
哲学書を読んで学べるのは「思想」であって、哲学そのものではない
哲学とは、ただひたすら己の中で自問自答することで得られるものなのかもしれないですね
私は今まで哲学書のようなものは読んだことないけど
本書で語られているような事はある程度は考えた事がある
今が夢でない証明もできないし、培養器の中の脳の可能性も否定できないしのはわかる
なので、その時点で考えるのをやめてたな
他人の感覚は自分には想像することしかできないし
他人にも自分と同じような意識体系がある事も若干の疑いを持っている
そもそも自分の意志というものが存在するのかも疑わしい
自由意志なんてものはなくて、どちらかというと決定論寄りの考えかな
空間と時間に関しては、もともと高次元の何かが存在していて、ビッグバンによってこの宇宙のルールが決まったというイメージをしている
宇宙の発生の前には「無」があったというよりは、「何ものでもない何か」だったのではなかろうか
死を恐れるのは、自分という主体の喪失だからでしょうね
どうなるのかを知らないし、想像もできないし、他者の有様から想像するに待っているのは消滅
だからこそ人は宗教というものを発明したのでしょうし
哲学も結局はそこに行き着きますよね
哲学について、今まで本を読んでこなかったけど、意外とそれっぽい事については考えていたんだなぁと我ながら感心した
だからといって新たに哲学の本を読もうとは思わない
本書でも語られているように、哲学書は思想を知るための本に思える
本当の哲学が自分の中にしか答えはないと思うよ