永井均のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
哲学について考えるきっかけの本
中学生の伊豆蔵翔太と猫のインサイトによる対話型の哲学入門
今が夢ではない事を証明できるか?
培養器の中の脳が体験している可能性
「自分」という特別性
他者との認識違い
他の人と見ている色は違う可能性
他人が感じる痛みとは?
そもそも他人に心はあるのか?
自由意志とは?
時間と空間は存在するのか?
死を恐れる理由
哲学書を読んで学べるのは「思想」であって、哲学そのものではない
哲学とは、ただひたすら己の中で自問自答することで得られるものなのかもしれないですね
私は今まで哲学書のようなものは読んだことないけど
本書で語られているような事はある程度は考えた事 -
Posted by ブクログ
ネタバレ哲学初心者の私ですらこの分野のアイドル的存在との認識がある、ニーチェ関連本に初挑戦。しかし、永井均先生の主張が多分に織り込まれており読み解くのに四苦八苦してしまったのです。
なぜ読むのに苦労するのかと考えると、ニーチェの王道的な思想を学ぶ前に、本作の世間一般的なニーチェ論に対する批判と対峙することになったからだろうと憶測されます。でも逆に、私のニーチェ像は本作から出発することとなり、ある意味で恵まれているではあるのかなと感覚的に察する。
相手の気持ちを慮ってできることを手助けしようといった慈愛なんてものは、何となく刷り込まれているけどもそれが同情になっているとそれは暴力であると指摘する。そ -
Posted by ブクログ
これぞタイトル買い。
ニーチェの本は読んだことがない。今まで読んだ本にたくさん引用があったけれど。100分de名著のようなものを読むのをやめて原典にあたろうと思っていたものの、これは積dle。
この本は著者の永井氏のニーチェ論であり、学術的な「正しい」ものを解説しているというよりは、ひとりの人間として感じたことが書かれている。
宗教的比較で仏教にも触れられているのだが、いわゆる正しい認識でないなと自分は感じたものの、永井氏の書かれるニーチェ像がかなり真宗チックで意図せずそうなっているならすごいなと思った。ニヒリズムからの絶対の肯定。うーむ。
「第一空間」、「第二空間」、「第三 -
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風間くんとは話を交わしたことがある。その風間くんに影響を受けて書かれたようだ。というより、理解されない可能性が高いのだよ。注が多くて、分かりにくかったりしてね。でも、なんというか、『私、今、そして神』を読んでからじゃないと意味が通じないかもね。この本は後半の時間論にこそ重きを置いているようだ。でも狂いそうだよ。ここに今、私が存在していることが。驚きは増せど減ることはなし。物凄く当たり前なことのそれが、全く奇跡なんだ。直接話法があることによって間接話法が存在するように。同じ対象があるかもしれないけど、それを指示する方法って色々あるものでして。でも、それによって違う対象を指すことにもなるわけで。で
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Posted by ブクログ
哲学に漠然と興味を持ち、哲学入門書を手にとって挫折すること数回。
漸く「何となく分かるかも」と思えたのがこの本でした。
〈子ども〉のための、とありますが大人にとって簡単すぎるということはなく、
むしろ付いていくのに思考整理が必要な場面が多々あり、読みごたえがありました。
以下個人的雑感。
この本で取り上げられている二つの問題のうち、
「なぜぼくは存在するのか」は自分自身でも感じたことのある問題でした。
そして著者と同じように、「奇跡」としか捕らえようがないという結論に至っていたのですが、
よもや自分がすでに〈哲学〉チックなことをやっていたとは思いませんでした。
一度考えたことを著者の言葉 -
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「人はなんのために生きるの?」
「どうして勉強しなきゃいけないの?」
「“遊ぶ”ってどういうこと?」
「右翼と左翼って?」「ネアカとネクラって?」
なんとなく通り過ぎてしまうさまざまなテーマについて考えるきっかけをくれる、頭を使う=哲学することの入門書のような本。ペネトレという名の人間の言葉をしゃべる理屈っぽいネコと、飼い主の少年との対話篇という設定が可愛らしい。字が大きく、一つのテーマが数ページと短いので、サクッと読める。そこでとっかかりを掴んだら、もっと自分で掘り下げてみようという気持ちになる。子どものための、というタイトルではあるけれど、大人にも読み応え十分。
印象的だった部分を -
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ネタバレこの本が導きだした結末に、僕はバカボンのパパを見た。
軽くググってみると、どうやら同じ感想を抱いた人は多いようで、ちらほらと同様のことが記されているページを確認することができる。
「これでいいのだ」という言葉を見たり、聞いたりすることで、ほっとしたり、どこか救われたような気がするのは、ニーチェがその身一つで普遍的道徳にメスを入れ、様々な嘘やごまかしに誠実に立ち向かった結果、たどり着いた境地だったからなのかもしれない。
もちろん「これでいいのだ」の裏にニーチェがいると断言できるわけはないし、そもそも赤塚不二夫がニーチェを知っていたかもわからない。そんなことはどうでもいい。
これは、とんでもなくお -