永井均のレビュー一覧
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永井の『これがニーチェだ』(講談社現代新書)の刊行を受けておこなわれた、当時話題になった「なぜ人を殺してはいけないのか?」という質問をめぐる対談と、永井と小泉それぞれの論考が収録されています。
個人的には、小泉の問題提起の鋭さに感銘を受けました。対談のなかで「生活」と「生」という対概念が提出されていますが、永井は大江健三郎のような世間的な意味での道徳的言説を「生活」に、ニーチェの権力意志を「生」に割り振っています。これに対して小泉は、永井のそうした立場が、「生活」と「生」の境界線を引きつづけるという振る舞いを通じてのみ担保されるほかないということへの問題提起をおこなっています。これはいわばハ -
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この本は永井先生が集中講座として開いた内容を、まとめ直したものである。
彼なりにわかりやすくまとめたのであろうが、いかんせん話が行ったり来たりした印象を受けた。結論として、「脳と体の関係と心のあり方とは無関係」「他者は哲学的ゾンビ」であろうという結論に至っている。ただしそれはあくまでも「心の哲学」の範疇の話であり、一般的な感覚とは極めて異なるであろうということだ。哲学的ゾンビとは「見た目は人間であるものの、痛みや嗅覚などその他五感を感じることができない存在」を想定している。それはもちろんのことで、自分は自分の五感でしか感じることができず、他者の五感は知ることができない。それと永井先生の特性なの -
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セブ島へ旅行に行くにあたり、予習のため読んでみた。
戦争裁判というものがよく分からないのだが、悲惨な状況があったのだろうということは改めて分かった。
勝者が敗者を裁き、戦地となり蹂躙された地がその裁きを引き継ぐ話。
戦地では、確かに様々な犠牲があったことは事実だろう。
しかし、その原因が、責任が、どこにあるかということは、本質的には誰にも判断できないことではないだろうか。
少なくとも、勝者が、勝者の正義でそれを決めたところで、心から納得できる人ばかりではないだろう。
だがしかし、それで上手く収まれば、全体としてはそれはそれで一つの収まりどころではあるのかもしれない。
収まりがつか -
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「なぜぼくは存在するのか」「なぜ悪いことをしてはいけないのか」の2つのことについて、哲学をしてみようという本。
ウィトゲンシュタインは、哲学をしばしば潜水に例えた、という傍論の部分が印象に残った。
人間の体は、自然にしていると水面に浮かび上がる傾向がある。哲学的に思考するためには、その自然の傾向に逆らって、水中にもぐろうと努力しなければならない、という話だ。この話を読んだとき、著者はこう思ったらしい。でも、ひょっとしたら、人間の中には、自然にしていると、どうしても水中に沈んでしまうような特異体質のやつがいるんじゃないな、そしてたとえばウィトゲンシュタインなんかがそうなんじゃないか、と。
哲 -
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中学二年生の男の子とペネトレという名前の猫の哲学対話です。
空想を用いた思考実験を平易な言葉で伝えるもののようでもあります。
なかなか面白いトピックを2ページだとか3ページだとかで語り合い、
答えを出していく形式。
この、猫のペネトレがやっかい者で、ときに難癖のように、
常識から外れたことを平然とのたまったりしますが、
それが、この本の醍醐味であり、大体、常識ってなんだろう、
そんなものは正しいのかどうか、みたいな問答の連続なのです。
まず、「人間とは何のために生きているのか」という
問いから始まります。
宗教的ではなくて、哲学的な答えがさらりと述べられ、
それは「遊ぶため」だという。
遊 -
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ネタバレ>地球なんか全然なかったとしても、それが現実ならそれが現実ということである。
>ウィトゲンシュタインは「独我論」の表明のしかたとして「何が見えていようと見ているのはつねに私だ」というような表現を案出したが、これは「何が起ころうとそれは起こるのはつねに現実世界だ」という(自明な!言明との類比で理解されるべきものなのだ。「何が起ころうとそれが起こるのはつねに今だ」も同じだ。
>「私」も「今」も「現実」も決して複数化されない。それはどれも、本質的に他からを排除する本質のそれ(唯一本当の私、唯一本当の今、唯一本当の現実)というものがあって、どれもその概念の単なる一例ではないからだ。 -
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タイトルに対する答えは、「ない」。これが2人の意見である。本書を読んでいると、この問いを結論づけようとすること自体がナンセンスだと考えさせられる。重要なのは、その答えを模索する過程だというのが、著者両氏の主張の唯一の共通点ではないだろうか。本書の内容に共感したり疑問を持ったり考えていくことが意味を持つ。それだけ、「生死」に関わる問いは、1つの答えを求めてはいけない慎重に扱うべき問題だ。2人の激論がその危険性を物語っている。本書で興味深いのは、著者両氏が哲学者であるという点。同じ哲学者でも主題へのアプローチがまったく異なる。そして、決して熱くないトーンで冷静に「論理の抜け」を指摘する。内容がシリ