永井均のレビュー一覧

  • 子どものための哲学対話

    Posted by ブクログ

    漠然と疑問に思っていることを
    論理的分析し納得できる答えを提示してくれた
    永井氏の哲学へのコダワリというか姿勢というかにも
    尊敬します

    0
    2020年07月09日
  • 翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない

    Posted by ブクログ

    何度も読み返すのに値する本だと思います
    他者についての議論がすごく面白かったです。
    でも私も本当は作者が言いたいことが分かってないのかも…
    分かったと思ったのは全て思い込みであるかも…
    ただ自分の貧しい頭を何か面白い考えで満たしたいだけかも…
    そうだったら虚しいね
    それでも凄い本です
    「私」について考えさせずにいられない本です

    0
    2020年06月25日
  • 西田幾多郎 言語、貨幣、時計の成立の謎へ

    Posted by ブクログ

    『西田幾多郎』と題された本書の冒頭「はじめに」で、永井は「本書の内容は実は西田幾多郎とは関係ない」という衝撃的な宣言をする。本書で永井は西田哲学を援用して、実は自分の哲学を展開しているだけだ、というのである。もっともその一方で永井は「西田が言わんとしたことを私は西田よりもうまく言い当てている」可能性を認める。然り本書は、西田哲学と永井哲学の双方を楽しめる優れた哲学書となっている。
     永井は川端康成『雪国』の冒頭の一文「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」をたたき台にして議論を開始する。この文章には主語がない。英訳では列車が主語になっている。あるいは主人公を主語にすることも可能だろう。しかし日本語ではこのように主語がない言い回しはそれほど不自然ではない。そもそも知覚の場面において「私」は登場してこない。「われ思う、ゆえに、われあり」ではなく、「思う、ゆえに、思いあり」と言った方が正確だろう。それでも強いて私を登場させるならば「私に於いて、思いあり」ということになるだろう。<私>は場所なのである。あるいは背景、地平と言ってもいいかも知れない。つまり<私>は主語にはなりえない。端的に言って<私>は「無」なのである。<私>は存在しないことによって存在している。
     しかしそれならその<私>はいつこの「私」になったのか? それは無の場所に、言葉を語る「汝」が登場することによってである。<私>と<汝>は直接出会うことはできない。<私>も<汝>も無の場所でしかないからである。無の場所で出会うことができるのは「彼」(三人称)だけである。しかし言葉を通じて<私>は「汝」となり、<汝>は「私」となる。反転可能な一人称と二人称が言語において出会うことによって、<私>は(「汝」を介して)「私」となる。そのとき「私」は「有」となるが、その代わり「無」としての<私>は死ぬ。「無」としての<私>は「汝」によって殺され、そのことによって「有」としての「私」が誕生する。私は汝に殺されることによって生まれるのだ。そしてそれはほとんど奇跡的な事態である、と永井は言っている。
     永井は言及していないが、「私」を「無」とみなす自我論はサルトルに通じるものがあると思う。私が汝によって殺されるという議論も、他者によって自己が石化するというサルトルの対他存在論と一致する。もっともサルトルは他者を二人称と三人称に分けてはいない。一人称と二人称、我と汝の関係を重視したのはマルティン・ブーバーであろう。こう書くと永井には的外れだと怒られるかも知れないが、西田哲学はサルトル哲学とブーバー哲学を融合した側面を持っているような気がする。
     本書は2006年にNHK出版から刊行された「哲学のエッセンス」シリーズの文庫化である。こうして文庫になってみると意外と薄いことに驚かされるが、極めて濃密な内容を持つ哲学書であり、決して薄っぺらい解説書ではない。日本にも西田のようなオリジナルな哲学者がいたのかと思うとうれしくなってくる。なお文庫版付論である「時計の成立」は10ページの小論で、「私」を「今」に置き換えても同様の議論が成立するという、永井の読者にとってはお馴染みの内容となっている。

    0
    2019年07月09日
  • 哲おじさんと学くん

    Posted by ブクログ

    前半41章、後半41章の、計82章から構成されている。前半は特に、章ごとにクレッシェンドが激しい。後半は逆に、各章の全体がフラット気味になる。

    哲学することは、自分を消すこと。一人称ではない、ということ。

    例えば、本書の冒頭で、自殺する人がこんなに少ない、ということは、本人が自殺したいわけではないし、他人に自殺をすすめるわけでもない、という主旨がある。

    一人称の自分の悩みを解決することは哲学ではない。解決するのは、それはおそらく宗教。しかし、宗教には嘘がある。これには共感できる。そして、私も宗教からは遠ざかっていたい。

    あとは、「ほぼ」著者の今まで通りの独自の理論。みんなが並んでいる世界。その中で自分だけが特別だという世界。さらに、じつはみんなが自分が自分だけだと考えていたという世界。これが精査に調べ上げられていた。

    自分は特別だから、ケーキを、もう一個食べるのが正しい。しかし、みんなが、それぞれ自分自身を持っているので、それは正しくない。いや、でも、それでも、自分がそういう世界にあって特別だというのがこれまでの永井理論だったのが、今回の話では、そのさらに上への止揚が否定された。これは特記に値する。「ほぼ」と上記に書いたのは、そのためである。

    その理由として、吸収や超越によって、どこまでも続くのだが、言語という面からすると、区別がつかないわけだから、ということになる。

    あと、自分の疑問として、「私は例外期間を生きている」「世界に私は一人しかいない」という二つの公理が成り立っていた。それなら、別の時間を生きる私がいてもいいことになる。いわゆる生まれ変わりだ。これについては触れられていないことが気になる。

    私が悟じいさんになるということは、悟じいさんが悟じいさんとしての私でなくなる、ということを意味するだろうが、それは、それまでの悟じいさんがどこかへ消えてしまうことになる。もちろん、私と悟じいさんが入れ替わりになるというのでもいいのだが、それは不自然に感じられる。すでに、悟じいさんとしての知識を知っているときに、悟じいさんになるということがおかしいのではないか。悟じいさんの目から見え、悟じいさんの足が踏まれると痛い、というのはおかしい。

    それよりは、まだ誕生してもいない将来の私、何の身体的特徴もなく、まだ何もわからない私になることは、悟じいさんになるよりは、楽ではないだろうか。神様としての仕事としても楽ではないか。あっ、でも、これって、毎朝起きるときのことでしかないのか。

    変身願望があるのは、その人の性質を得たいからであって、そこから開けた世界を見たいとか、そういうことではないと思う。総理大臣になりたいから、安倍晋三になりたい、とかは、安倍晋三の顔や言葉遣いが欲しいからでしかない。

    だから、安倍晋三の顔で鏡を見たいとか、安倍晋三の声でしゃべりたい、というのは、結局、安倍晋三のそっくりさんになりたいのと同じではないか。

    本物の安倍晋三になることと、偽物の安倍晋三になることの違いは何であろうか。双子は時として、なりすましができる。本物性を崩すことによって、偽物が本物の安倍晋三になることも可能になるというのが私のここまでのところの結論である。

    なんだか全く関係ない話の展開になってしまった。でも、刺激的な本であることは間違いない。

    0
    2019年03月02日
  • 翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない

    Posted by ブクログ

    深い示唆を促してくれる。そして、読み進めるだけでは理解もできない。自分の頭で考えぬくことこそ哲学なのであってそれ以外ではないと教えてくれる。

    0
    2018年10月21日
  • ウィトゲンシュタイン入門

    Posted by ブクログ

    高校2年生の時に夢中になって読んだ思い出の本。哲学に興味を持つきっかけになった本。25年前のことだが、今でも色褪せない本。

    0
    2018年09月02日
  • 翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない

    Posted by ブクログ

    翔太と猫のインサイトの対話形式で進む。
    哲学ってどういう考え方で考えて行くのか、各テーマに対するそれぞれの考えは出ているが、あくまでそれはその登場人物が持った答え。
    それを眺めだけならば、ただの思想書になってしまうが自分なりの答えを考え始めるならこの本を哲学書として楽しめたと言えるんじゃ無いかと思う。
    私はまだ思想書レベルでしか楽しめていない

    0
    2018年01月23日
  • 翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない

    Posted by ブクログ

    哲学的な思想に興味を持っていたところ、美術館で発見。小中学生向けとのことできっと簡単に読めるかな、と想定して購入しました。
    …非常に頭を使います。
    そもそも、哲学とは思想や信条、とおりいっぺんの真理を示すものではないとのこと。この書では、あらゆる哲学的問題を使ってどのように思考を広げるか、猫のインサイトの誘いで考えていく本。「君は本当に馬鹿だねえ」「君は本当に頭がいい!」と、インサイトの翔太への評価がころころ変わるところも見物(笑)。
    学説が体系だって「分かりやすく」説明されている訳でも、物語で「簡単に」理解できるようにもなっていません。
    過去の哲学者が提示した様々な問題や説を理解したうえで、それはなぜなのか、どうしてそうなのか、自分で思考していくことがきっと本書が書かれた目的。
    にしても難しかった…。何度も反芻しながら読み進めても、何をいわんとするか分からない部分も多くて、考えきれていないなぁと実感します。ただ、想いも馳せなかった問題の見方を知って、考えたこと、そしてあらゆる学問の根底の考え方に触れたことなど得るものは多かったと思います。
    また少し時間が経ってから読み直したい。違う実感がわきそう。

    0
    2017年01月03日
  • これがニーチェだ

    Posted by ブクログ

    タイトルが不遜だとして批判している評を頻く見かけるが、誤読するを語るに落ちていることに失笑せざるを得ない。もちろんこのタイトルは意図的に一種のギャグであり、ニーチェ流デュオニソス的明るいニヒリズムの正鵠を得た表現である。ニーチェキーワードを時系列に並べながら、むしろ非論理的に、古い言い方ならスキゾ的に論を進めた挙句の最終章での「全否定という肯定」との結論に開いた口がふさがらなかった。だがむしろそれは、難解で長ったらしい数式の解がゼロになるような快さがある。感動的だ。ほとんど引かれていないが、本当に必要な個所でのニーチェ本人の境遇の記述により、本稿がむしろニーチェの人間像をも明確に浮かびあげさせ、かつ章構造自体が、ニーチェ的あまりにニーチェ的な虚無的世界を表現する仕掛けとなっている。最終章の躁病ともいえる筆運びがニーチェ晩年の発狂を想起させるほど。永井均はニヤニヤしながら本作を書いていたに違いない。

    0
    2016年05月09日
  • これがニーチェだ

    Posted by ブクログ

    昔読んだような気がするが、なんとなく気になって読むことに。結果、大正解。誤解を恐れずに言えば、たいしたことは言ってないんだが、当たり前のことを回りくどく言う、いや示すのは気持ちいいなと。

    もちろん完全に永井さんのことを理解はしてないが、この本から肉をそぎ落として骨だけにするとそうたいしたら、相対主義のパラドクスを道徳的な展開をしたということになるんではないかと。
    あと、ニーチェを読んでいて存在と時間の実存主義に近いよな、と感じたがそれは中途半端なニーチェ主義なんだろう。むしろ突き詰めていくと、ハイデッガーの嫌ったダスマンの方が超人に見えてくるのは気のせいか?

    導入の仕方が秀逸。なぜ人を殺してはいけないかという問いをもってきて、道徳的に答える大江健三郎をこき下ろす。誠実に、正直に考えるなら、人を殺してはいけない理由なんてあるわけないのだ。そもそも問い自体が道徳的で、その目的を達しようと思うなら答えを言うのではなく、この世界に生きることがどんなに素晴らしいのかを伝えたほうがいい。至極もっともな話で、思わず妻に読ませて2人で共感した。

    0
    2015年10月03日
  • これがニーチェだ

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    筆者の解釈ではあるが、ニーチェ哲学の危険な面も含め、純粋に学問的に、容赦なく解説している書。(筆者の言葉を借りると)反社会的な内容が多分に含まれる。
    社会人が読めば怒りを覚えるかもしれないが、学生が読めば一般にタブーとされる内容にまで踏み込んだ議論がされているのでスカッとするかもしれない。

    また、筆者はニーチェ哲学に世の中的な価値はないとの立場だが、一概にそうとは言えず、ニーチェの結論である「人生の無意味さを楽しむ」という思想は、社会人にとって極めて実用的な考え方だと思う。
    これを実践すると、些細な失敗や意見の相違が気にならなくなるので自然仏のような性格になってゆくだろう。ストレス耐性が高まるし、人当たりの良い性格は人を惹きつけるので、成功への道が開けやすくなるはずだ。

    私自身、大学受験浪人時代に読んで、強烈な影響を受けている一冊。

    0
    2014年08月26日
  • 私・今・そして神 開闢の哲学

    Posted by ブクログ

    発売からそれほど時間がたっていない
    2004年10月29日に、読み終えています。

    いま、また読み返しています。
    (2014年5月24日)

    読み終えました。
    (2014年7月26日)

    0
    2014年07月26日
  • 私・今・そして神 開闢の哲学

    Posted by ブクログ

    「私」と「今」とは同じものの別の名前なのではないかとさえ感じているーという文に、自分がこれまで筆者の助けを借りながら考えてきたことが端的に表されていると感じた。世界に向けて素朴で根本的な問いが真っ直ぐに問われているという印象。個人的には、哲学の王道を行く内容をキッチリ論じた本だと思う。文章も平易で、予備知識をほとんど必要としないところも素晴らしい。

    0
    2014年02月25日
  • これがニーチェだ

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    とても興味深く読めた。
    おそらく難解であろうニーチェをわかりやすく解説してくれている。とはいえそれでもじっくり読まないと途中で分からなくなってしまうけど。
    ニーチェの思想の変遷を、筋道に沿って追って行っている感があり、納得しやすい。
    いろいろと参考になることが書いてあるので、また読みたい。
    以下、印象に残った考え方。
    動物の最大の幸福は過去を忘れること。
    物には固有の価値基準があるが、人間にはそれがない。

    0
    2013年12月20日
  • 翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない

    Posted by ブクログ

    「哲学を学びたいんですけれど何かいい本とかあるかな?」
    と聞かれたら、真っ先に本書を読めと興奮して勧めるだろう。

    作者自身が自画自賛している通り、「哲学」をするために(「学ぶために」ではない)最適な教科書に他ならない。
    もう、誰かに読ませたくて仕方がない。

    いきなり猫のインサイトが「今が夢じゃないって証拠はあるのか」とかいって翔太との哲学的対話篇が始まるところがなんとも滑稽だが・・・。

    中学生高校生向きの哲学の本などと書いてあるが、内容はそのまま哲学科の卒論のテーマに使える深い深い問いかけである。
    哲学を4年間やってきて、実は哲学をしていなかった自分に気がついた。

    最初から最後まで、実に面白い!

    哲学と思想は違うということ!哲学のエッセンスはねちっこい議論にある。
    哲学から学べる一般論は自分の体験を通して本当の知識になる。
    世の中で通用することのすべては、大切なことをすべてはしょってあるってこと。


    個人的に印象に残っているのが、「勝てば官軍」の話で、ナチスやオウムが非倫理的だったから挫折したわけでなく、もし彼らが世界を征服していたら、倫理観は違っていたかもしれないということ。

    0
    2013年04月28日
  • 翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない

    Posted by ブクログ

    いまが夢じゃないって証拠は?ほかの人って自分が見ていないところでは楽屋で一休みなんかして、本当は登場人物てきな感じにしか存在しないのでは?他人にも自分と同じように心があるの? どれもこれもきっと多くの人が小学生の時考えたことがあるようなシンプルだけれども一人では答えが出にくい疑問を導入に、存在のかけがえのなさ、言葉はなぜ通じるか、自分は存在している、など哲学していく良書。

    永井さんの本は本当に面白いし何より簡単。
    すぐに壁にぶちあたって砕けるようなシンプルだけど哲学するには骨が折れる題材をここまで簡単にわかりやすく書いてあるという驚き。

    私が小学校三年生のとき漠然と感じた「他者は自分ではない」という断絶感が今になって解き明かされて、進み始めた。

    0
    2013年02月15日
  • 翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない

    Posted by ブクログ

    先日、本屋の中を何の気なしにブラブラ散歩していたら、哲学関係の本なのになんとなく面白そうだし、タイトルもとっつきやすそう(内容も簡単そう!)な本があったので中身も見ずに衝動買い。そのまま喫茶店でコーヒーを注文したあと、軽い気持ちでページをペラペラとめくってみたら、鼻歌を歌いながら会計していた10分前の僕をグーで殴り飛ばしてやりたくなるような作者独特の言い回し、難しい哲学用語の雨あられ、というかもはや嵐。今まで哲学関係の本を全く読んだことがない僕は、本を読み終わる頃には、瞳孔は開き、全身を痙攣させながら泡を噴いていたといいます。嘘です。とにかく、内容を理解するには少し頭をひねりますが、作中で猫のインサイトと翔太が論じていることは実はいたってシンプル。僕自身も小学生のときに布団の中で考えていたことと同じ話題がでてきたときには心底驚いて心臓を口から吐き出してしまったほどです。「人間は死んだらどこへいくんだろう」とか「魂とか心ってなんだろう」とか、僕たちがその昔、漠然と考えていろいろ妄想したけど結局よくわからなかった内容を、本書では哲学的な論点から分析していて、読んでいるうちに、ふむふむなるほどなァ!と喫茶店の中で何度も叫び白い目で見られたい自虐的な方には最適な一冊だと思います。

    0
    2012年12月02日
  • 翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない

    Posted by ブクログ

    この世界の本当のこと、本当に知りたかったことが書いてある。
    何度か読んだけど、何度読んでも理解できない所がある。これは自分の知能の問題…。それでも、これは自分の知りたかった本当のことの一片だと思う。僕らも。猫も。自分の中のインサイトも。夏休みも。そこで答えを待ってる。

    0
    2012年06月16日
  • 私・今・そして神 開闢の哲学

    Posted by ブクログ

    非常に分かりやすく、今まで消化不良だった存在論が自分に近いものだと思える。自分の存在がある不思議。。

    0
    2011年07月04日
  • 翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない

    Posted by ブクログ

    「哲学とは何か」。

    この本について、僕程度の者がいくら言葉を尽くしても、著者に失礼であるだけかもしれない。

    だから、一言だけ。


    面白かった。

    0
    2011年06月16日