永井均のレビュー一覧
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正直、あまり分からなかった。ニーチェ思想がニヒリズムの代表例で、生に意味がないという事を自明にした上で、生を味わい尽くそうとする姿勢であることは、改めて理解することができた。よく誤解されてるのは、ニーチェは生きる意味なんてないから、退廃的で何も頑張る必要もないんだと諦めの思想で捉えられることがある気がするが、実際にはそうでなく、どうせ意味なんてないのだから、期待を捨てて前向きに味わおう、という視点なのだろうと思った。宗教の権威性が失われてきている現代社会だからこそ、求められる思想なのではないだろうか。毎日上司と嫁の言いなりになっているロボットのような日本のサラリーマンも、考え方としては救われる
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ネタバレそれが実際の人間の存在であろうが言葉であろうが絵や本や創作物から感じた人間的な概念であろうが理想の未来の伴侶であろうが過去の想い出であろうが動物や真の世界などの非人間的なものであろうがなんでもいいが、たとえばどんなに孤独な人間であってもなんらかの所謂「繋がり」を感じる瞬間がなければ生き続けていられないような気はしている。しかしそれにも関わらず真の意味で「 “本当に” ひとりになってしまった(しまう)」と思い知る瞬間が人生のどこかの段階で必ず来るような気がする。そしてそう考えたりそれを敢えて言葉にしたりすることによってそれ以上のまだ「なにか」があると信じたいということだろうか(そのなんと心強いこ
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ネタバレ20年ぶりの再読。
学生時代に買った本ですが、大事に取ってあったので余程思い入れがったのだろう。
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<僕>の独自性の問題、そしてそれに続く道徳の問題、どちらも刺激的で面白かった。でも、それを賞賛してもなお余りあるのは最後の章の『哲学とは』ではなかろうか。
ここに、<哲学>と「哲学」の違い、あるいは<哲学>と「哲学史」ないし「思想」との違いが書かれている。
つまり、<哲学>とは実に極私的問題であり、他人が理解する必要などないもの。また学校で教えるものでもなく、個人の疑念・疑問として知らずのうちに考えてしまうもの、とも言える。
他方でそうした変人奇人たちの一連の極私的文章を「哲学」と -
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「上品な人は道徳的な善悪なんてたいして重視しないから、けっこう平気で悪いとされていることができるからね。逆に、下品な人は、道徳的な善悪を重視しがちだな。-達成される目標じゃなくて、過程そのものを味わえるようになるって点は同じだな。それが、人生が遊びである人があまり悪いことをしない理由だな。」
「人間は自分のことをわかってくれる人なんかいなくても生きていけるってことこそが、人間が学ぶべき、なによりたいせつなことなんだ。そして、友情って、本来、友だちなんかいなくても生きていける人たちのあいだにしか、成り立たないものなんじゃないかな?」
「ちゃんとした人っていうのは、自分の未来のために自分の現在 -
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たまに読み返すが、一回目に読んだときより数倍面白い読書体験ができる。スルメ本や。
著者の言っている「哲学」が本当の哲学ならば、勘違いしている人が多い気がする。("本当の"なんて書いてしまっている。何事にも明確な答えがあると思っていたんだね。2025/10/20)
私は哲学も好きだが、それ以上に思想が好きだったのかな
著者の言う「哲学」というのは、問いに対して正しく考えていく作業のことだと解釈した。
実在論 懐疑論 可能世界 余人
p37二重スリット問題
「彼女がほんとうは怒りっぽいとか、この部屋は見られてないときには存在しないとか、ぼくたちが培養脳の中の脳だとか、そ -
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「いかに生きるべきか」「世の中のしくみをどうしたらよいか」という問題以前に、「どうなっているか」という存在の問題がある。
教育の世界には、「どうすればよいか」「どのように改善すればよいか」という問題で溢れている。そして、そのこと自体を忘れてしまっているので、もはや溺れているというところまで来ている。「どうすればよいか」を考えて得られた幾つかの回答や方法を、その時の気分によって取り替えているに過ぎない。もはや方法を選び、取り替えることしかできなくなった教師は、本当の問題を考えることができなくなっている。
私は私にとっての本当の問題を考えよう。子どもが分かったかどうかは分からないのに、教師が教える -
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自分で哲学するための入門書ということで,著者は「思想に共鳴せずに,思考に共感する」を望んでいる。タイトルからは感じ取りにくいけど,非常に熱い本だ。
この本で哲学される「なぜぼくは存在するか」と「なぜ悪いことをしてはいけないか」は,自分の問いではないので,それを「思考によって消滅させる」ということすらできないため,実際の本論には没入はできなかった。しかしながら,本編以外の3つのセクションによる著者の哲学論は面白くて,「ただ問う,ただ思考する」という姿勢は感じ取ることはできた。問う対象が何であれ,他人の意見・思想で納得するようでは哲学していることにはならないのだ。どうしようもなく問いが熱いから, -
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哲学のあり方について、永井先生の<子ども>としての「哲学」を読ませてくれることによって、<哲学>について語ってくれる本。
哲学は自分だけの問いのためになされるもの。しかもその問いは多くの人が当たり前で何も疑問を持たないようなもの。哲学は決して高尚で深淵なのではなく、哲学をする当の本人からすると、深刻だけど問題が解決してやっとほかの人と足並みがそろうもの。他人からすると、当たり前のことにつっかかってる中に勝手な深淵さを見るもの。ただ、その自分だけの問いのために、納得できるまでひたすら考えること。
この哲学のあり方に、自分は自分だけがつまずくことについて考えていいんだ、というある種の勇気のよう -
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哲学書と自己啓発本がおり混ざっており、評価も難しい。自己啓発本というジャンル自体はろくでもないが、それに哲学的バックグラウンドが合わさるだけで評価を難しくする。
この本の作者(ペネトレ)は、様々な問題に対して答えをあまり用意していない。これにより、読者は作者が何を言いたいか考えなければならない。『この本のほんとうの意味っていうのは、この本の読者のひとりひとりにとって、それぞれちがっていていいのさ。だいじなことは、自分で発見するってことなんだ』
『ネアカな人や上品な人はちがうよ。そんなものなしに、未来の遊びのための準備それ自体を、現在の遊びにしちゃうことができるんだよ。他人のための奉仕それ自 -
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難しい. どうまとめたら良いか,上手く表現できない. ただ多くの気づきがあ流と同時に味わいきれない歯痒さもある.
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筆者の問い
・ニーチェや彼の哲学について書かれたにある何か有益なものを抜きだそうという姿勢への批判
・多くの書物がニーチェから問いではなく答えを受け取っている。
"哲学は主張ではない。それは、徹頭徹尾、問いであり、問いの空間の設定であり、その空間をめぐる研究である。"
"子供は無垢であり、忘却である。新しい始まりであり、遊びである。自ら回る車輪であり、自動運動であり、聖なる肯定である -
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永井均は、大学一回生の頃に『転校生とブラックジャック』を読んで一目惚れし、それ以来ずっと気になっている哲学者である。とは言え、彼の著作は今までほとんど読めていない。それは、彼の著作に挑むには、かなりの勇気を要するからだ!
本書は、副題に「哲学的諸問題へのいざない」とあることからも分かるように、哲学の入門書である。読むのに哲学の特別な知識は必要でない。中学生の翔太と猫のインサイトが対話をする中で考えを深めていくという内容になっている。だが、この設定や可愛らしい表紙に騙されてはいけない。入門書と言いつつも非常に本質的な議論が展開され、読者は、普段の生活のなかでは気にも留めなかったがよくよく考え -
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ネタバレ哲学の入門書が、この本でよかった。
〈子ども〉とは、子どものころ思い浮かべた「純粋な疑問」のこと。年齢に関係なく〈子ども〉の感性をもつ人、誰もが当たり前とすることに疑問をもち、もがきながら生きている人にこの本はぴったりだと思う。
著者のいう「水面に浮きがちな人」と「水中に沈みがちな人」の二種類でいえば、私は後者であることが、この本に共鳴した大きな理由の一つ。
「哲学をする」とは、自分が感じた疑問を納得するまで思考する過程の中にしかない。それは他者の理解も批判も賛同も無意味。逆にいえば、有名な哲学者を含めて他者の論じる哲学を学んだところで、自分が哲学をしたということにはならない。
哲学って