永井均のレビュー一覧
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考えなくてもいい、どうでもいい、考えたってどうしようもない。
哲学はそういった感想が多い、というかそう思ってしまうのは仕方がない。
でも、いつからそう思うようになったのか?
なんで無駄と思うようになったのか?
「いつ」「誰に」そう「思うように」「させられたのか?」
そういったことを、尊敬する哲学の教授が言ってたのを思い出した。
この本は「問い」に対して答えている猫に、問いの「答え」を求めてはいけないと思った。
読む「姿勢」で、かなり受け取る側が変わってしまう恐れがあると思った。
一緒に考えながら、読んでいくのは「哲学」だし、あくまでも、ひとつの思考であって、そこから自分はどう思うかが -
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最近、電車の中かどこかで他人の会話が聞こえてきて、フィリピンは親日的だからどうのこうのという話であった。フィリピンで日本が戦時中に何をしたかはあまり意識されなくなってきているのかもしれない。
終戦直後はフィリピンは対日感情がもっとも厳しい国だった。それは日本軍が、特に敗戦間際にメチャクチャをやったから。おもにA級戦犯をさばいた米軍管轄の裁判に引き続いて、多くのBC級戦犯は新独立国フィリピンの裁判にかけられた。ちなみにA級は戦争指導者の戦犯で、BC級は戦争中の非人道的行為などの戦争犯罪を指した。他の国々での裁判と比べても有罪率、死刑判決の率ももっとも高い裁判だったが、結局は一部の死刑が執行され -
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永井の『これがニーチェだ』(講談社現代新書)の刊行を受けておこなわれた、当時話題になった「なぜ人を殺してはいけないのか?」という質問をめぐる対談と、永井と小泉それぞれの論考が収録されています。
個人的には、小泉の問題提起の鋭さに感銘を受けました。対談のなかで「生活」と「生」という対概念が提出されていますが、永井は大江健三郎のような世間的な意味での道徳的言説を「生活」に、ニーチェの権力意志を「生」に割り振っています。これに対して小泉は、永井のそうした立場が、「生活」と「生」の境界線を引きつづけるという振る舞いを通じてのみ担保されるほかないということへの問題提起をおこなっています。これはいわばハ -
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この本は永井先生が集中講座として開いた内容を、まとめ直したものである。
彼なりにわかりやすくまとめたのであろうが、いかんせん話が行ったり来たりした印象を受けた。結論として、「脳と体の関係と心のあり方とは無関係」「他者は哲学的ゾンビ」であろうという結論に至っている。ただしそれはあくまでも「心の哲学」の範疇の話であり、一般的な感覚とは極めて異なるであろうということだ。哲学的ゾンビとは「見た目は人間であるものの、痛みや嗅覚などその他五感を感じることができない存在」を想定している。それはもちろんのことで、自分は自分の五感でしか感じることができず、他者の五感は知ることができない。それと永井先生の特性なの -
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セブ島へ旅行に行くにあたり、予習のため読んでみた。
戦争裁判というものがよく分からないのだが、悲惨な状況があったのだろうということは改めて分かった。
勝者が敗者を裁き、戦地となり蹂躙された地がその裁きを引き継ぐ話。
戦地では、確かに様々な犠牲があったことは事実だろう。
しかし、その原因が、責任が、どこにあるかということは、本質的には誰にも判断できないことではないだろうか。
少なくとも、勝者が、勝者の正義でそれを決めたところで、心から納得できる人ばかりではないだろう。
だがしかし、それで上手く収まれば、全体としてはそれはそれで一つの収まりどころではあるのかもしれない。
収まりがつか -
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「なぜぼくは存在するのか」「なぜ悪いことをしてはいけないのか」の2つのことについて、哲学をしてみようという本。
ウィトゲンシュタインは、哲学をしばしば潜水に例えた、という傍論の部分が印象に残った。
人間の体は、自然にしていると水面に浮かび上がる傾向がある。哲学的に思考するためには、その自然の傾向に逆らって、水中にもぐろうと努力しなければならない、という話だ。この話を読んだとき、著者はこう思ったらしい。でも、ひょっとしたら、人間の中には、自然にしていると、どうしても水中に沈んでしまうような特異体質のやつがいるんじゃないな、そしてたとえばウィトゲンシュタインなんかがそうなんじゃないか、と。
哲 -
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中学二年生の男の子とペネトレという名前の猫の哲学対話です。
空想を用いた思考実験を平易な言葉で伝えるもののようでもあります。
なかなか面白いトピックを2ページだとか3ページだとかで語り合い、
答えを出していく形式。
この、猫のペネトレがやっかい者で、ときに難癖のように、
常識から外れたことを平然とのたまったりしますが、
それが、この本の醍醐味であり、大体、常識ってなんだろう、
そんなものは正しいのかどうか、みたいな問答の連続なのです。
まず、「人間とは何のために生きているのか」という
問いから始まります。
宗教的ではなくて、哲学的な答えがさらりと述べられ、
それは「遊ぶため」だという。
遊 -
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結構難しいけど面白い予感がするよ~。
『翔太と猫のインサイトの夏休み』はかなり前に読んで、とても面白い!と思った記憶があるけど、この本とおんなじ作者とは気付かなかった。インサイトの本、もう一度読み返したくなったよ。
しかし、インサイトみたいに分かりやすく本を書ける作者であるのに、本書は何度か行きつ戻りつしないとなかなか理解できなかったよ。きっと著者が言うように、プロの哲学者でもウィトゲンシュタインの著作を誤解するひとが結構いそう、というのは想像つくよ。
「言語ゲーム」は、なんだかゾクリとする言葉だよ。より理解できたら、私の思う疑問と端っこがリンクしそうでちょっとワクワクしたよ。でもこの為だけに -
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ネタバレ*前期ウィトゲンシュタイン:論理哲学論考
沈黙すべきものを内側から限界づけ、そのことによってそれに正当な位置を与えるための書物。世界認識のための言語の限界を語る。「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」
経験によって知られるA→Bの関係(因果関係)が成立するとき、外的関係(経験的関係)と言える。しかし、言語と世界との結びつきは、それ以外が考えられないような内的関係(先験的関係)であると言える。この独特な関係は、「論理形式」を共有することで成り立っている
存在論として、事態とは諸対象が特定の仕方で結びついたもので、成立した事態のことを事実と呼ぶ。要素的な事態が複合的に結びつくと、状 -