宮地尚子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
トラウマ研究の第一人者である著者が綴る日常エッセイ集である。著者の人となりが垣間見えるとても静謐で実直な文体が、読者を追い詰めることなく優しく認めてくれる感覚を味合える。
トラウマ臨床の研究者で医師という肩書きからは、トラウマに関する事象全てを掌握しているプロフェッショナルという姿が想起される。そこには、一切の失敗や妥協を許されない姿勢が求められるプレッシャーがあるだろう。切羽詰まっている患者からすれば、簡単に改善してくれるだろうと縋るのも当然と想像に難くない。
しかし、著者は当事者としてプロフェッショナルにも当然あるはずである人間性を吐露する。一発で症状を改善させるようなことはできないし、常日頃心に傷を負った患者と接することで精神がすり減っている現実があるのだ。
ではプロフェッショナル、ひいては他人としての私たちは傷を負った人々に対して無力なのだろうか。著者は、傷ついた人に寄り添うこと、何もできないがただ見ていることの重要性を示す。傷を傷のままに認め受容しながらその上で人生を続けていくこと。このような態度で自他ともに接することが大切なのだろう。
著者の日常の些細な出来事からより抽象的なテーマへと話題を転換させる思考の独自性が、おもしろい。様々なテーマの根底には、読者の経験する日常の歯がゆさや無力さを優しく包み込んでくれる、そのような優しさがある。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ誰もがさまざまな経験や感情を抱えながら、どうにかこうにか日々を生きていることをあらためて突きつけられる。「この人もきっと何かを抱えながら生きているんだろう」と思うだけでも、相手にやさしくなれそうな気がする。
「移民候補生」
日本で息苦しさを感じて他国へ移住した人、そういった息苦しさを感じる「不適応者」を排除する社会のあり方、そしてその社会にとどまり続ける「定住民」たちについて、もっと学んでみたいと思った。
「ステレオタイプ」
著者自身も差別者であったと気づく、哀れみと固定観念のつながりについて。自分の中にもあるにちがいない無意識のうちの差別的態度について、どう向き合ったらいいのか知りたい。 -
Posted by ブクログ
2章
・加害者性や犯罪性を帯び、「善き市民」から逸脱してしまうと、語っても信用してもらえず、被害な意見を訴えても言い逃れだとみなされて、さらに心証を悪くします。
・自傷は、本来誰かに助けを求めたり相談すべきところを、自分一人で苦痛を解決しようとする行為であり、簡便かつ即効性のある手段であり、根底には人間不信があると言います。
・環状島は、沈んで分からなくなることもある。その逆も然り。
→ちょうど、世界99を読んでいたから、いろいろ重なるところがあると感じた。「善き市民」=「クリーンな人」でないと、世界に受け入れられてもらえない。本心を語ることすら世界からの逸脱だと思われる。
・正しさの持つ危険性
人は、正当性を見つけたらいくらでも残酷になれる、本人たちはそれを暴力と感じない
ただし、その正当性の理由づけは、政治的な宣伝やメディアの表象のあり方によって、操作可能なものである。どのような情報を与えられるかによって、私たちの感情的反感や倫理観は変わる
被害者性のみ受け取り、自身の加害性の可能性を忘れてしまう
→原則重視の正義の倫理か
関係性を重視するケアの倫理か
※なお、私たちは、正当性を受け取れば、罰することへの痛みへの同情がなくなり、満足感さえ得られてしまう 処罰に過剰にのめり込まないようにする 人は正当化の論理に煽られることで攻撃性を発揮しやすい
・不在のもの 語られないものを見ようとする努力 -
Posted by ブクログ
たまには新書をと軽い気持ちで購入したことを恥じる
トラウマへのあらゆる方向からアプローチ
読めばきっとそれに関わる事柄で悩んでいる人の入門書として拠り所として知識として忘れがたい好著となる本になるのだろうと想像できる
僕は超高所恐怖症である
この本でトラウマから来ているものなのかも今更思う
初めて買ってもらった自転車
僕は興奮しハンドルに名前をつけていたような気がする
当時団地に住んでいたにも関わらず常に触りたいと家の中に自転車を入れ毎日拭いていた
幼稚園が休みで初めて母親と練習するとなり
僕は団地の入口前で早く早くと母親を待った
すると母親が自転車を持って階段を降りてきたのだがペダルに足を引っ掛け階段から盛大に自転車と落ちてきた
1度も乗っていないにも関わらずベコベコになる自転車
苦痛に顔を歪め 腰がとうずくまる母親
僕は泣いた
母親の苦痛にではない
1度も乗っていない愛車が路上で捨てられたチャリの如くボッコボコになったことでだ
僕は叫んだ
なんてことをするんだまだ乗ってないのに!
すると母親は言った
今日の練習おしまい!あたしは寝る!
僕は大泣きした
ここまでは家族の笑い話として認識していたのだが
思うに、高所から母親が落ちる姿を幼少時に見たことで高い所が怖くなったのではないか
と今更に思うのだ
僕は今、エスカレーターが怖いのである
こんな与太話をこの好著の感想に書くのもどうかと思うが、誰にでもトラウマって存在するのではないのですかと言いたくて
この本、凄かったです -
Posted by ブクログ
先に『傷を愛せるか』を読んでから手に取った。要するに、ちくま文庫から再刊された順に読んだことになるが、この本のほうが、著者が若い頃に書かれたものであるので、『傷を愛せるか』よりも、著者の揺れや戸惑いがストレートに感じられる。内容はアメリカ在住の日本人たちのメンタルヘルスであり、エスノグラフィの形式で書かれている。「あとがき」(pp219-226)で著者が述べているように、一九八〇年代後半から一九九〇年代初頭にかけて接した人々を、一九九〇年代後半から二〇〇〇年代初頭にかけての連載で振り返って書かれたものなので、流れた時の分、著者のなかで、かつて接した人々(やこの世を去った人々)が抽象化され、より深みのある記述となっている気がする。著者は「まだまだ一年もののワインのよう」(p226)と謙遜しているけれども。