宮地尚子のレビュー一覧
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2時間で読める教養の入口というキャッチフレーズのシリーズ。1時間で読める。トラウマ研究および臨床の第一人者の著者の書なので、事例みれられ、分かりやすく、しかもツボをきちんと押さえられている。もう少し深く学びたい人は著者の書に進めば良いと思う。著者のトラウマ理解のモデル、環状島も出ており、このモデルは当事者と支援をするものにっって非常に理解しやすいモデルである。まやトラウマはコミュニケーションエラーから起こり、そしてコミュニケーションの回復から起こるが、現代的なコミュニケーション、オンラインとリアルという「二つのコミュニケーション」への言及もされている。特にコロナ禍以降、この状況が広がっており、社会問題にも至っていると考える。オンラインでは現時点ではリアルほどルールがない中ではそれぞれ自信が気をつけるしかない部分があるが、ある程度、社会的なルール作りも求められてくるのではないだろうか。
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Posted by ブクログ
回復の道のりが新たなストレスをもたらすこともある。
安全な場所で、共感性をもったよい「聞き手」に話を聞いてもらうことで、気持ちの整理がついてくる。
とまどいながらそばによりそい続けることには、計り知れない価値がある。
自己尊重感や試行錯誤の経験抜きには人間は成長していけません。
安心できる場所とは、自分がそのままでいていい場所、存在証明から解放された場所でもある。
ただ誰が、誰を、誰から救済しようとしているのか、救済されるべき人たちはそのことを望んでいるのか、ということを考える必要があります。
トラウマも「耕す」ことによって、豊かになっていく。柔らかく混ぜ返し、外から空気を入れれば、ふくよかになっていくのでないか。重く凝り固めるのではなく、水分を含んだ、ほぐれるようなものになっていく。「耕す」とは、〈内海〉の揺らめきに目を凝らしたり、波打ち際のざわめきに耳を澄ますことと重なっている。言葉にならないもの、見えないものがそこにあると気づくこと、時には水を掻き出し〈水位〉を下げ、時には網を投げて沈みかけていたものを引き上げること、時にはそっと足を踏み入れ、貝殻のような何か足裏に触れたものを拾い上げること。そんなイメージ。
トラウマは、人間の弱さと不完全さを認識させてくれる。圧倒的な外力に対して、「同じ人間として」「人が傷つくのは同じ」という事実は、何があろうと揺らぎません。たとえ個人の気質や体力の差や、周囲の反応や使える資源によって、傷からの回復の程度が実際には変わるとしても、人間の存在自体の脆弱性は、誰もが共通して持つもの。
人間は皆、不完全です。弱さだけでなく、愚かさや身勝手さを抱えています。そもそも、人は皆、人生の初心者です。すべて人生は一回目です。たとえ人間社会で知識が蓄積され伝達されるとしても、学び、成長していくには時間もかかるし、努力も必要です。
トラウマは、人間の持つ復元力への信頼と尊重をも学ばせてくれる。つらい経験をしながらも前向きに生きて行く力、困難を適切に切り抜け、乗り越える力です。つらい体験をしても、それと向き合い乗り越えることで、成長につなげ、人間としての豊かさを広げること。こういった考え方は、外から押しつけられると、つらくなってしまいます。
トラウマは創造力や理想像、知恵の源になる。
表現者として自ら発信するとき、人は力を取り戻します。「私はここにいる」と発信する行為なのです。
自己を表現する手段を持たないために、社会に受け入れられず失敗することを繰り返してきた。自分の思いを表現することは、自己イメージの回復にもつながります。
あなたが何を言っているのかは分からない。でもあなたが何を言いたいのかは分かる。
何かを作ってみようという気持ちになること、何かを表現してみようという意欲が出てくること、自分が何かを表現してもいいと思えること、何か表現すべきものを自分が持っていることに気づけること、誰かが受けとめて興味を持ってくれるかもしれないという希望を持てること、そこの部分が重要なのです。
「何者」にもならなくていいということ。それがトラウマからもたらされる想像力や創造性の帰着点です。そして、それがまた新たな想像力や創造性の原点となるのです。 -
Posted by ブクログ
ははがうまれる。
このやわらかいひらがな表記の中に、戸惑いや迷い、自信のなさなどいろいろな葛藤が含まれている。妊娠中の今の私に、それでいいんだよ、と包み込んでくれるようなやさしい安心感を与えてくれる。
ほどく、という章がとても好きだった。
何かを作るというワークショップは多いけれど、ほどくワークショップはほとんどないという。
「私たちは、何かを作ることが、生産的で価値のあることだと思い過ぎている」とも宮地さんは言う。今の私の状態は、まさにこのほどく過程にあるのではないかと思った。
作り出すことは、目に見えてわかりやすいし、やった感があって充実した気持ちになる。でも、どうしても気持ちがそちらに向かない。
1ヶ月ちょっと後に控えた出産という大きな出来事に向かうモラトリアムのような時間。今の私は、作り出すよりも、いろいろなことをほどいていく時なのかもしれない。自分の分身のいのちが生まれるその時までに、私は静かに神妙に少しずつ自分をほどいていっている。
そして、まっさらな自分に生まれ変わって、あなたを迎える。あなたと一緒に、ははもうまれる。
そのための時間を、今私は過ごしている。
そう考えると、産休のこの時間を有意義に過ごせない劣等感や虚無感、敗北感、自己嫌悪、そういったものたちから自分を解放してあげられる。
ははがうまれる。
母になるでもなく、母をするでもなく、ははがうまれる。
しばし、あたたかいシャワーのように、このことばに素直に包まれていようと思う。
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あったはずのものが消失し、静かな空間が残る。なくなってしまったセーターのかわりに、手の間を糸が通る感触と、編まれていたものに向き合っていた時間が残る。
ほどかれた毛糸は、蒸すと、よれがなくなり、まっすぐになる。もう元のセーターの余韻は去り、次に何かに生まれ変わることを待っている。
編んだり、結んだり、作ったりする動作から、ほどく、ゆるめる、ほぐすといった動作に注目を移すこと。それは、よれる、もつれる、からむ、といった途中経過も含めて、日々の暮らしの大切な何かを語っているような気がする。(86)