谷川嘉浩のレビュー一覧
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自分の深い(見えないと言う意味であって、含蓄などではない)部分にある、合理性や計画性を超越した偏愛を、衝動という。見えにくいが故に、自分ですらも見つけられなかったり、取り違えたりする。強い執着を衝動と取り違えたりするように。今までの自分の延長に無い可能性もあるから、「なりたい自分」「本当にやりたいこと」などの「それっぽい言葉」とは親和しない。見つけるには、日々実験的に物事に取り組み、自分の心の変化を具に観察すること。
以前読んだ経済学者の方の本で、1日一つ、どんなに些細なことでもいいから、新しいこと、やったことがないことをやってみる。と言う旨の話に通ずるかも知れない。
自分はこの言葉に出会 -
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ネタバレ今、教養を身につけろ、学びが大切だと言っているひとたちのなかには、単にイントロ当てクイズを薦めているひとがいると思います。大事なのは音楽を聴く生活のはずなのに、イントロを聞いたらすぐ曲がわかるような知識の鍛え方をしていて、それが教養だと思っている。そうではなくて、音楽のある生活を送るのが、教養があるということなんです
あー、もうまさに自分のことを言われてる!!
YouTubeやTwitterで得た知識を全てだと思い込み、それに関連することの話題になると、うんちくを垂れ流す。
ただ、その背景にあることや、「自分自身の解釈」がないから実はつまらない人間になってる。
ただ、本書の後半に書かれてい -
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孤独と趣味
常時接続されている世の中で、スマホに依存されずに孤独や趣味の時間を作る。
ここ最近、スマホを触りたい気持ちになったら、すかさず本を手に取るようにしている。
理由は2つ、
1つは子供にスマホばかり触る姿をみせたくないから。
2つ目は、一日を振り返った時にスマホで何を観たかを全然思い出せず、ただなんとなくスマホに触れていることを痛感させられるとともに、意義の無い時間や心身負担を与えていることに気づかされたから。
筆者はスマホを触ることを全否定はしていないものの、孤独の中から見える裂け目をみつけることも唱えていた。
常時接続から身を置き、周りの自然の景色をみるだけでも物事の感じ方が -
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インターネットとデバイスの進化がもたらした極端な効率主義やインスタントな刺激のなかで、我々がなにが必要なのかを哲学を通じて投げかけてくれる一冊。
特にポストフォーディズムを背景にしたメンタルヘルス増加の流れと、それに対しての現代人が行う行動(自己啓発と快楽的ダルさ)の考察は、自分にも当てはまっていた。
哲学は難しいと思っていたが、現代のこのスピード感のなかでゆっくりとじっくり思考し、自己対話をしていくために必要なツールだと感じた。
「働いているとなぜ〜」の紹介から読んだのだが、両方に腹落ちする部分が多く、現代の流れに簡単に乗らずに、すこし落ち着いて思考する時間を作っていきたい。 -
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正直なところ、読み終わった現時点で、衝動を見つけられたか、というとそんなことはないし、たぶん今後もそうそう見つけられないと思う。
この点では、「みつけかた」というタイトルには誇張があるのでは、とも思う。
特に、偏愛してることをセルフインタビューで見つけられるか?って気はする。
ただ、今後の生き方に何点かの視点を持てたと思う。
・実験→興味を持ったことに少しずつ取り組むこと
・外の世界と関わりを持ち、相互に影響を及ぼすこと
この辺りは意識的に取り組んでいきたい。
今は特に身を焦がすほどの衝動を見つけられる気はしないけど、今後上記の生活をしていけば、もしかしたら自分の内側の衝動が表出してくるかも -
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スマホでコミュニケーションや情報収集、自分のアップデートに忙しくしながら、虚しさや寂しさを覚えるのはどうしてか…という本。孤独も仲間との語らいも大事だよねと。
人と常時繋がったり流行りに乗っかったりすることに価値を見いださない私には、本書はすんなり入ってくるものがあった。ひとりでツラツラ考えたり、ベランダのスイセン眺めたり、無心で数学を勉強したり。本書を読みつつ、うんうん、ひとりっていいぞ、と首肯してみる。
今ちょうどストア派哲学入門みたいな本も読んでいて、本書とのコントラストもしみじみ感じた。
余談ですけど、自分の中の多数の自分との対話、という話から、歌集「老人ホームで死ぬほどモテたい」を思 -
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ネガティブケイパビリティ
本書によると、物事を宙づりししたまま抱えておく力と定義されています。早期解決が重要視さる現代とは真反対の考え方です。人からの紹介で読んでみたのですが、自分がとても苦手なことが良くわかりました。
言い換えると「待つ力」とも捉えることができます。他人に対してビジョンを指し示すのではなく、自分自身で描いてもらう、あるいは考え続けてもらうということだと考えております。
ある意味では他社に対して「問い続けること」に近いのかもしれません。互いにわからない答えを探すために問いを続けることで少しずつ課題や不安がクリアになっていく
その役割として「思考の共犯者」がとても大切な存在です。