上杉隆のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
議員秘書やニューヨークタイムズで記者などを経て現在フリージャーナリストとして活躍する著者が自身の半生を通じて失敗を成功に変える生き方について書いた一冊。
本書を読んで考え方ひとつで自分の人生を好転されることができると感じ、自分の評価を基準に生きること、批判を恐れず行動すること、違いを気にせず自分らしく生きること、様々な意見を許容することなど多くのことを学べました。
その中でも行動の結果の批判だと受け止めることは一番印象に残りました。
そして、伝えたい気持ちや間の取り方など話し方の手法はすごく勉強になりました。
データや経験に基づいて様々な考えが展開されている本書のなかでも著者がニューヨークタイムズの現場で培ってきたアメリカと日本の報道の違いについては印象に残りました。
あとゴルフの自分を律する考えは勉強になりました。
会話術や交流の心得など紆余曲折のあった人生を送ってきた著者ならではの処世術を本書で学ぶことができました。
本書での知識を活かして人生を好転させていきたいと感じた一冊でした。 -
Posted by ブクログ
上杉隆さんが、日本のマスメディアを批判しまくった本。
「世界中のメディア」という言葉を頻発するが、一つの事例、つまりアメリカの、それもほとんどNYTの例しか出てこない。
これでは「本当に世界中そうなの?」と疑わざるを得ない。
世界がどうであれ、ここは日本なのだし単純に問題点を指摘して、「ちなみに海外ではこういう感じだ」という程度で良いと思う。海外、というよりアメリカだろうが。
あまりにも海外、海外と言うので、何だかな~と思ってしまった。
内容自体は非常に面白い。
NYT時代、フリーランス時代の著者自身の経験から書かれているので日本のメディアの悪習がよくわかる。 -
Posted by ブクログ
事実を伝えないメディア?
というよりも、事実が分からなかった、のではないでしょうか。今回の3.11原発事故については、当事者である東京電力、監督官庁、政府官邸ともに混乱の極みに達し、錯綜する情報の中、マスコミもまたそれを選別、吟味する能力もたないということが露呈する事態ともなりました。誰かが嘘をついたと言っても、それをそのまま報道する時点でメディアはその存在理由を失っている。ゆえに著者の一人である上杉隆はそれを「報道ではなく広報」と言っています。彼は以前から記者クラブ批判を展開していましたが、大手メディアを中心にそういう体制にどっぷり浸かった結果が、このような日本ジャーナリズムの機能不全をもたらしたのでしょう。 -
Posted by ブクログ
報道災害を読んだことでこの本にも興味を持ち、読むことにした。
日本と世界(主にアメリカ)のジャーナリズム体制を比較して日本のそれの特異さを説いているこの作品。フリージャーナリストや海外メディアに開かれない記者会見や記者クラブの閉鎖感に関しては著者の経験からリアルに語られており、読み進めていくうちにメディアに対してのイメージがマイナス方向に傾いていく。
しかし後半になるにつれて「海外では~」「一方日本の記者クラブは~」のような文調が多くなり、ただの愚痴のように聞こえ、興ざめしてしまったところが残念だ。
だが、ここまで読み進めたところで最高潮に達した読者のメディアに対する疑念を冷めさせ、著者自身にも懐疑的な目を向けさせることで、情報を鵜呑みにせず、疑いを持つようになり、そして正しい情報を汲自らみ取ろうとする姿勢を養おうと読者を仕向けようとしたのかもしれない。
真意の程はわからないが、この3・11以降のメディアに不信感を少しでも持ったのならば一読をおすすめする。 -
Posted by ブクログ
今の日本の大手メディアがやっていることは広報でしかない。「報道」と言うから
みんな混乱する。
根拠無き楽観主義
クエスチョニング>相手を疑い問いかける
「権力の言うことを疑う。そのまま記事にはしない」
記者クラブ>報じないことが権力だった
日本人は他人が自分と違うといらいらするようだ。
ほんとになんでも二元論にしちゃう。>この複雑な世界をそんな粗いドットで見ている。
ジャーナリズムは実体的な価値を持ちつつ、なおかつインタレスティングでなければならない。
日本でおかしいのは、「ニュヨーク・タイムズ」と聞くと、みんな高級紙だと勘違いしちゃうんですよ。みんなニューヨークの東スポくらいの感覚なのに
「主語がない文で事実であると書いたら絶対に駄目」
報道記者の大切な資質2つ>クエスチョニング、スケプティカル・シンキング>「相手を疑う思考」
パブリック・フォーラム
民主主義の根幹である多様性がなくなるというのは危険なことです。
「フリープレス」とか、「民主主義」とか「情報公開」って、理念、概念なんですよね。形がない。日本文化って、そういう抽象理念より、「現実に存在するヒト」にならおうとする。「形」つまり具体から入る。>日本人の多数が従うのは無形の理念ではなく、存在している「人」とか「組織」なんですよ。現実の人や組織が、100%常に正しいなんてあり得ない。