難波優輝のレビュー一覧
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自己PRとか推し活とかMBTIや発達障害のキャラを演じ/押しつけとか労働にゲーム要素を持ち込んだりとか陰謀論とかスカッとジャパンとか、自分や他人や社会を安直に理解したがる我々!それはそう!良くない!でもそこから先が雑だなぁと思ったよ。
ギャンブルに崇高さはないし、「ネットのおもちゃ」は飽きられる前に取り返しのつかないほど傷つけられ、遊んだ側の他者理解に寄与することはない。エッセイ的な読み物だから緻密さは必要ないのかもしれないが、一つの分かり易い世界の見方に拘泥しない、という「物語化」への対抗策の為に無理矢理話を繋げている感が強く感じられた -
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ネタバレ人生を物語として捉え、生まれや置かれた環境を、ガチャと呼び、うまくいかないとキャンセル界隈、人間関係リセット。
人生ってそうじゃないよね。という話。
確かに、何かうまくいかないとなかったことにしたり、なるべく人と関わらないようにしたりとする人は多いように感じる。自分もそうだけど。
性格診断とかで自分のキャラを固定するのも今風だなと感じた。キャラがあれば自分の行動の理由を説明できるし、限界を設定できる。
でもそれって、人本来の在り方だっけ?
人っていろんな側面があるし、ブレるし、意味不明なものだよ。特に子供は未確定でいいはず。
そこで、物語として固定するのではなく、おもちゃで、あるいはギャンブルで、パズルで遊ぼうということ。人生にはたった一つの正解はない。正解っぽいものはあるけど、なかなか見つけられない。見つけられなくていい。
自分自身、子どものころと、働き始めた頃と、今とでやってることはあまり変わらないけど、考え方はかなり変わっている。日々悶々としている。
それでいい。そしてこれからもどう変わるか楽しみでもある。目的とか目標とか、大切だけど、全てじゃない。もっとおもちゃ的にギャンブル的に、パズル的に人生を生きようと思う。
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就職活動の語りに象徴されるように、人生を「物語」になぞらえる風潮に警鐘をならし、物語でなければ人生は何なのか、ゲーム、パズル、ギャンブル、おもちゃの4つの「遊び」を対照させて、生きることを考えるという本。著者は「美学者」だそうで、哲学的な分析が加えられる。
物語やストーリーって、テーマパークのアトラクションとか、展示施設とか、そういう場面で効果的に用いられる、ということで、おれも中学校の文化祭の出し物とかだと、ストーリーを作ってお客さんを呼び込もう、とか指導する。ただ一方で、物語にしたときに漏れてしまうもの、見えにくくなるもの、思考、というのがあるのは当然だと思うので、そういった物語の危険性や陥ってしまう罠について、一度読んでみたいと思った。確かに、物語をリアルな人の人生にあてはめて、他人や自分を捉える、というのは賢い生き方じゃないなと思う。けど、ライフステージという言葉があるように、人間というのは多かれ少なかれどんな人も物語を常に参照しながら生きる動物だとは思うので、問題はそれを「利用」し始めた時の危険性について考えないと、と思った。
以下、気になったところのメモ。まず何と言ってもSNS時代の「インフルエンサー」という人たちの話が面白い。「インフルエンサーマーケティングにおいては、視聴者にインフルエンサーの『弱さ』を見せることが人気のコンテンツになっている。視聴者は、インフルエンサーの気持ちを誰よりも分かっている気持ちになれる。その理解の気持ちよさが視聴者をさらなる視聴や応援へと駆り立てていく。彼、彼女のことを分かるのは私だけ、という幻想を深めながら。」(p.17)だって。全然こういうのを体験したことないから分からないが、教員という仕事でも戦略的に自分の「弱み」を生徒に見せることはあるなあとか、どこかにも書いてあったかもしれないが、「他人を理解する満足感」というのはあるかも。保護者面談とか、男の子を持つ母親の気持ち分かりますよ、ですよねえ、という感じで話を聞くことが正直多い。そうやって、満足感ではないけど自分を優位に置いている、というのはあるかもしれない。あるいはそれこそ思春期の子育てを物語化していると言えるかも。「物語化はしばしば他人の理解をもたらすものとして称賛されるが、しばしば他人の安易なパターン化に堕落していく。理解できないことを無理に『理解しようとしない』勇気や、物語に還元できない断片的な声を『断片のまま』受容する想像力が、物語的不正義を抑止する新たな美徳となるだろう。」(p.44)ということだから、これは自分も教員として、生徒理解や保護者理解の時には気をつけようと思う。ということと、美しさとは何か、ということも考える。もう一つ、SNSについて、「SNSは、感情を増幅することで閲覧者を増やし、それによって収益を得るシステムである。政治活動と結びついたSNSは、情動を掻き立てる物語を跋扈させ、燃え上がる情動をエンジンとしてますますユーザーを惹きつけ、ユーザー同士の感情の相互作用をデザインする。そこでは物語を通じて、私たちの情動が商品化されている。」(p.51)というのも、SNSの仕組みをうまく表していると思った。あとはちょっと前から聞くようになった「自分語り」について。「自己語りをする者は、自分に都合のよい過去をピックアップすることで、自分自身を欺くような微妙な形の自己欺瞞に対して『決定的に、そして本質的に脆弱である』という。(略)自分だけが自分の自己語りの適切さを判断できてしまうがゆえに、他者からの修正可能性がなく、独善的な自己語りに陥る可能性がある」(p.32)というのは納得。基本的に自分語りを続けると自分で自分に嘘をつくことに抵抗がなくなっていくということか。辛い経験の再解釈とか、必要なことがあるのかもしれないけど、やっぱり気をつけたい。それから、上でも言ったが、多くの人が参照する、ある意味では規範としての「物語」は、「マスタープロット」と呼ばれるらしい。「『勉強しいい大学に入り結婚し子どもを設け持ち家に住み、幸せに暮らす』などが典型例だろう。マスタープロットは、それ以外の生き方を選ぶ人々を抑圧する物語として働いてしまうことが指摘されている。マスタープロットから抜け出すために、主流の物語から逸脱した生を歩もうとする人は、別のプロット、すなわち『カウンタープロット』を開発しなければならず、その労力はたいへんなものである。」(p.41)というのは、「生きづらい世の中」という表現を別の方法で言語化したような感じだなと思った。逆に物語を、より賢い生き方にするのに活かす、という方法の一つに、「スペキュラテイブフィクション」というものがあるらしい。「現実とは異なる社会を描くことで、現実の社会のあり方を批判するフィクション」(p.65)のことで、『侍女の物語』、『闇の左手』という小説が紹介されているが、ぜひ読んでみたい。あと、上にも書いてあった「安易なパターン化」としての物語化の例で、ASDとADHDの話は、やっぱり教員をしているだけに多い。親や本人がASDやADHDという「診断名」を得て安心する、というのはあるだろうが、もっとありうることは、「発達特性まで物語化し、それを『役割を演じる』形で示そうとするとき、本来は医学的・社会的に検証が必要な領域までもキャラクター化の対象となり、ステレオタイプが強化されていくリスクが高まる。(略)『ADHDあるある』が語られれば語られるほど、その当事者であると自認する人の自己理解が限定されていってしまう。(略)『ADHD』的なキャラクターとして自己を理解し、どんどんそちらに近づいていってしまう」(p.92)は、ありそうだな、というかそうなってるのかもな、と思う事例がある。でもこういうのって、いくら教員がそんなことないですよ、他の子もそんな感じですよ、と言ったところで、全く理解されない。全く理解されないどころか、先生は何も分かってない、うちの子は先生がこれまでに見たどんな子よりも特殊だからそんなやり方はダメだし、それで症状が悪化したらあなたはどう責任とってくれるんですか、みたいな親もいるから、どうしようもない。
そして第2章以降では、物語に代わるものとして、ゲームやパズル、ギャンブル、おもちゃが挙げられる。ゲームのところで、最近のゲームの特徴の一つ、「近年の異世界転生や『チートスキル』を題材にした作品は、『物語世界』そのものに『ステータス画面』や『スキルレベル』などのゲーム的要素が入りこんでいる。いずれにせよ、物語とゲームの融合である『RPG』もまた、メタファーに用いることができる。『人生はRPGである』と謳うこともできるのだ。(略)こうした人生理解は、モチベーションを高めるポジティブな手段にもなりうるが、これまで論じてきた『物語的不正義』を発生させる危険と同時に、ゲーム的なメタファーによる視野狭窄を生み出しもする」(p.132)というのは、結局物語の場合と同じで、分かりやすい。「人生というゲームは遊びじゃないんだ!つみたてNISAもしなきゃいけないし、老後に向けて戦略的に振る舞わなければならないんだぞ!」(p.213)って面白い。次に「パズル」として人生、世の中を捉えた場合の危険性についての話の中では、「考察本のブーム」の話が面白かった。まさに最近読んだ『変な家』という本は、「ホラーと考察が掛け合わさった文化」(p.144)として生まれてきたものらしい。次に、ギャンブルについて。ギャンブラーの行動や心理、といったものが観察、分析されており、ここでは省略するけど、おれは絶対このタイプではないというか、真逆だと思った。「ひりつき」(p.180)という言葉があるらしく、この「ひりつき」とか「ひりひり」ってどうやって英訳するんだろうと思う。そして最後、著者は「熟練のおもちゃ遊び」というものを勧めるが、これを腑に落ちるくらい理解するには、ちょっと生き方自体を変えないといけなくて、ハードルが高いなと思った。
物語化批判、というのは分かりやすく面白かったが、第2章の「探究」のところはどれも面白いものの、おれ自身はそのどれにもなれなさそう、という意味では、なんか微妙な感じで終わってしまった。というか「分かりやすいから面白い」というのがすでにその「物語」に入っていっているというメタ的な恐ろしさを今感じたところで、結局、人は物語化から逃れられないのかもしれないとも思う。(26/06) -
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夫という他人(しかも異性)と生活していると、同じものを見ていても「えっちだ」と言うことがあり、その(性的な)感受性の高さに驚く。
同じものでも、性的だと感じる人もいれば感じない人もいる。これはどうしてなんだろう?と日頃から思っていた。
だから、「性的」について分解して考えた本を読みたかった。
欲しかった答えは得られなかったけれど、これはこれで面白いと思った。
同年代の方が書いているので価値観が近いだろうし、著者の考察だとしても勉強になる部分があった。
なんていうか、フェミニズムが関わってくるんだな。それはそうか。
もう少し夫と議論を深めてみたい。 -
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フィクションとしての物語だけではなく、 自分や他者について「物語」として語ることに重きがおかれ、SNSやニュースからも「物語」を受け取る現代社会において、物語の危険性と遊びの哲学について論じた一冊。
自分は子どもの頃からフィクションとしての物語が好きだ。
それだけでなく、人の人生としての物語やニュースの物語性にも興味を惹かれる。
だからこそ、物語に対する批判を知っておきたいと思い、当書を手に取った。
読んでいて感じたのは、「自己」や「他者」を物語化することは自分や他者を「理解」しているとはいえないということ。
さらに厄介なことに、物語化することで理解しているような気になれてしまう。
自分自身、理解しているような気になれるからこそ「物語」が好きなのかもしれないとハッとさせられた。
その他にも、人生に起きたことの意味など見出さずにそのまま人生を愛する考え方もあることや、SNSやニュースで激しい情動を喚起するような現実の物語とどう付き合っていくかという話等、印象的な話題が多かった。
一方で後半は、物語を人生の「遊び方」の一種と捉えた上で、物語以外の「遊び方」としてゲーム、パズル、ギャンブル、おもちゃという4つを紹介をしている。
個人的には物語に対する批判や物語との付き合い方についてもっと読みたかったというのが正直なところ。
そういった自分の心境もあってか、前半とどのように繋がっているのか、最後まで理解しきれないまま読み終えてしまった感じがあった。 -
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タイトルの“物語化”とは、心理学者ジュリアン・ジェインズによって定義されたnarratizationのことか?
スケールが少し違うと感じるけれど、確かにその一部分ではある。
人生は多かれ少なかれドラマを持っている。どのように描かれるかによって、“平凡な人生”であったり、“稀有な人生”であったりするのだ。
物語篇は以上。
そして、自己や世界を理解するための扉の先にあるのがゲームやパズルやギャンブルやおもちゃ…という探求篇に続く。
それぞれ言いたいことはわかった。自己や世界を理解する方法を見つけるための筆者の思考をまとめたもの?
けれど、書籍名にある「物語」との結び付け方に強引さを感じるのは私だけ?
なるほど!ともならないし、じゃあアレはどうなのかな?ともならない。 -
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大学4年の夏、特別ゲスト講師として30分か60分かそこらの間、難波優輝と松永伸司の講義(という名の対談)を聞いた。なんの縁か、そこからこの本を手に取るに至ったが、なるほどどうして、タメになる本ではあったのだろう。
物語化批判の哲学、タイトル通りである。第1章ではページを繰る手が止まらなかったし、これは私のために書かれた本だ!とまで思った。第2章以降は残念ながら今の私には刺さらず…。
これまでの多くの期間で、あまりにも人生に『物語』を求めすぎてきた。「お前の人生は劇的か?悲劇的か?喜劇的か?歌劇的か?」という貝木泥舟の問いかけを胸に刻んだ中学時代から、兎角ドラマチックな生き様こそが有意味だと信じてきた。そんな私の心の裡に一石を投じるには十分すぎる本だった。自分のキャラクターには拘らず、過度な物語化を警戒しつつ、軽やかに遊びながら生きてゆこう。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ昨今の推し活や過剰な考察ブームに対する強烈なアンチテーゼ。イン・ザ・メガチャーチを読んだ後だと、より一層その批評性が際立つ一冊。偏差値やKPI、いいね数といったわかりやすいゴールに人生をゲーム化し、自らを型にはめてしまうことへの警鐘。効率よく適応するためのキャラになりきり、人生の複雑な本質を取りこぼしてしまう危うさに対する深い洞察。
小難しい用語が並ぶ一方で、オードリー若林と星野源の対談やシュタインズ・ゲート、さらには芸人の岡野陽一までを引用する独特の語り口。
明確な処方箋や熱い啓発を求める読者には不完全燃焼に映るかもしれない。しかし本書の真価は、現代社会を覆う物語化の暴走に一旦ストップをかけ、人生のあり方を根底から問い直すための問題提起的な本。 -
Posted by ブクログ
1周目はなんか要領を得ないな何が言いたいんだと思いながら読む、2周目でこの人はつまりおもちゃ的主体でもってこの本を書いたのだと思った
メモ:物語…人間は感情的になること、感情を共有することを快と感じる生き物、情動とは社会的に構築されたものであるから再構築もまた可能、MBTI診断だのADHDあるあるだのの特徴に自己理解、他者理解を求め人間を「型にはめる」ことの危うさ、実際は場面で振る舞いを変える、TPOから離れた「真の自己」など存在しえない
その他①ゲーム…目標を数値化しクリアを目指す、「一階の欲求と二階の欲求」、与えられたルールの中でうまくやる(人生においては、ルールは可変)
②パズル…陰謀論と考察、「真実」を求めピースを集め「ハッとする」体験、唯一の正解
③ギャンブル…人生は不確定ゆえに現実に触れる実感がなく退屈、何を賭けているのか、途中までコントロールできる、ひりつき、現実に触れる実感がわく
④おもちゃ…破壊的であり創造的
まあそうだよね、極端だけどあえてか、それぞれよく分析している、理解できる
変わってんだろうなこの人、引用の名前が多いのはややノイズ、著者のドヤ顔が透ける
それぞれのテーマは面白かったけど自分には必要ないといえば必要ない本