難波優輝のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
わかりやすくてすいすい読めるが、よくよく考えるとよくわからない。
流石哲学だ。
物語=ナラティブの魔力と危うさを論じた後、
物語のオルタナティブ【代替?】、危うさを避ける遊びとして、
ゲーム、パズル、ギャンブル、おもちゃを論じる。
一つ一つはすごくわかりやすい。
でも、この新書を通して、著者が何を言いたいのか、
まだわかってない。
229頁の表はわかりやすい。
しかしこれは何なんだ。
遊び方 時間のあり方 遊びの構造 カテゴリ 美的特徴
物語 通時的 理由と関係 物語 理解と情動
(小説、演劇、エッセイ、映画、悲劇、喜劇)
ゲーム ゲームごとの反復と連なり
課題と挑戦 ゲームプレ -
Posted by ブクログ
◎人生を解釈しすぎるから心身に不調が訪れるのではないか
◎私は自分の人生の作者ではない(ハンナ・アレント)
かなり興味深い。ただ、文章が難しくて内容の反復も多いので、目が滑って読むのに時間がかかった。引用している論文や思想については最近発表されたものも多く、内容的にも現代思想の最先端だと思う。しかし単なる思想の列挙というより、現代人の感情や欲求を認めつつ、否定よりもやわらかい表現でそこに潜む危険性を教えてくれる本だった。
気になった箇所のメモ
・自己語りがまともなものになるためには、人は自己の一貫性を危険に曝すこと(=批判的で率直な友人や家族に自己の歴史を語ること)を喜ばなければならない -
Posted by ブクログ
なぜ私たちは物語を物語以上に使ってしまうのか。例えば就活での自己PR、MBTIや推しなどのキャラクター性、自分語りなどのこと。これらは当てはめることで、診断どおりに動いてしまうなど視野狭窄になるリスクを背負ってしまう。そしてこの本では物語以外にも遊びを考えており、ゲームもゲーミフィケーションなど資本主義に結びつけて使われてしまっていることも批判している(レベルアップなど)。パズル的主体、ギャンブル的主体、そしておもちゃ的主体と、遊びから脱却の方法を考えていく。多趣味ですでに実践しているが、自分では言語化できなかったところも指摘していて興味深い本だった。
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Posted by ブクログ
本書の第1章を読んで、なぜ自分がSNSを苦手なのかが少しわかった気がする。
SNSの記事にするためには、大なり小なり自分のことを物語化する必要があり、それに対する心理的な抵抗感があるからのようだ。
自分に起こった出来事や感じたことの中から、わかりやすく伝わりやすい物語を作るために、あるものは捨てて、あるものは少しだけ改変することへの罪悪感のようなものがその抵抗感の源だと思う。
だったら、SNSに書くときに、物語化などせずに、起こったことや感じたことをそのまま書けば良いではないか、という反論が自分に対して浮かんでくる。
ただ、そんな事実の羅列では、本人でさえ読むに耐えないような退屈な代物 -
Posted by ブクログ
近年、(主に米国の)先端産業の経営者がSF作品のファンであることにも起因して、SFというジャンルが注目されているようだ。
そこで、SFを積極的に経営に活かしていこう、というムーブメントが生まれ、これがSFプロトタイピングとして市民権を得たものであろうと思う。
「ドラえもん」、星新一から始まり、フランク・ハーバート、アイザック・アシモフ、神林長平、ウィリアム・ギブスン、士郎正宗、ダン・シモンズ、伊藤計劃などを濫読してきた身としては喜ばしいことだ。
実は私が1990年代に所属していたSFコミュニティでは、「SFの終わり」が語られていた。
もはや現実がSFに追いついたというのである。
もちろん、現実 -
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人生の意味をいかに見つけるか(=生き方であり遊び方)として、物語的、ゲーム的、パズル的、ギャンブル的、おもちゃ的という5つの人生観を整理したうで、現代の生き方で最も現実的とされている物語的・ゲーム的生き方が伴う危うさと、1つの遊び方に呑み込まれないことを説いている本。
現代の資本主義のもとでビジネスと向き合っているなかでは、当たり前のように物語的主体やゲーム的主体の考え方が正しいとされているが、遊び方はそれだけではなく多様なものであるとハッとさせられる。「人生を意味を感じるのに必ずしも物語を通す必要はない」というのは、物語化を生業としている人こそ意識しておくべき言葉。当然、人生理解と事業推進な -
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ずっと思っていた違和感に言葉が与えられた感じ。そうか、自分は何かを物語化することが嫌いだったんだ。わかるわかる、もっと若いときに読んで、周りの人にもこういう考え方があるって共有したかったな。
と思ったら、後半はホイジンガの遊びの類型を現代風にアップデートした哲学が出てきて、ゲーム、パズル、ギャンブル、おもちゃのそれぞれの魅力と危険性、物語との比較がなされる。なんで遊び?となるが、自分の物語からもっと自由になるためのエクササイズであることがわかる。あとがきでも触れられるが、これはあくまでラフスケッチ。それぞれの遊びの哲学について書きたいとのこと。意欲的だ。 -
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私たちの感情は物語に支配されている。各メディアでは喜怒哀楽を表現する様々な物語が流布され、とくにSNSの発展にともなってそれらの利用時間や広告価値を最大化させるために積極的な物語活用(エモさ)が日々垂れ流され続けている。
例えば就職活動において、私たちはガクチカと呼ばれる経験談を物語的に話すことを求められる。日常の惰性で学校とバイトの往復をしていたような学生がドラマティックな経験による自己の成長を表現する通過儀礼は、その後の資本主義社会に適合するための踏み絵として機能している。そしてそのプロセスはそれぞれの人生をある種の定型にはめ込むリスクを伴う。
MBTIのような近年流行の性格診断も、1 -
Posted by ブクログ
かなり面白かったです。
「物語り」と言う概念は私達の生き方や生活にとても影響を与えていると日々感じていました。小説や漫画、テレビ番組、私達が消費するコンテンツは殆ど全て物語りがベースに存在します。
そんな物語りをベースに生きている私たちの人生は時に、主人公の様に生きたり、はたまた他者から敵としてキャラクター付けされたりなど、様々な角度や視点から物語りとして語る/語られます。そんな物語り性は常に、物を語る主体が先行し(自分が見た視点)、本来別の視点から見た時の見え方や(他者が見た視点)、考え方、語られ方を隠蔽する側面があるのがあると思います。
本書ではその様な「物語り」を批判的に捉え、物語 -
Posted by ブクログ
凄く興味深い考えで面白かった。
自分自身も物語化批判の精神を持っていたので、筆者の物語化批判の論には共感することが多かった。特に、自己語りによる歪みや、MBTIを含む自分や他人をキャラクター化してしまうことに対して批判的な考えを持っていたので、上手く言語化されていて自分が何に嫌悪感があったのかを整理できたと思う。
人間は多面的であるから矛盾している。人間は矛盾に満ちているのが良いんだ。私らしさは矛盾から生まれるからこそ、矛盾を肯定しようという気持ちになった。
そして、物語・ゲーム・パズル・ギャンブル・おもちゃという遊びを考察していく。自分がどれに当てはまるのか読み終わった今も思いつかない。振り -
Posted by ブクログ
## 物語化批判の哲学 私の人生を遊び直すために
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- 面白かった!
- 要は画一的な価値観を持つと他の面を見れなくなって危険だよ、でもかといってポジションを全く取らないと何も得ることができないよね、
- じゃあどうすれば良いか?いろんな遊びに首を突っ込んで、でも執着せずに楽しむこと
- それは常に内省的であること
- でも反省ではなく、自分がどうなっているかの確認程度にしておこう
- 自分はダメなんじゃないのか?ではなく、自分は今大丈夫なのか?
- 具体的な行動に落とし込んで自分を結果的に守る
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- 物語批判の哲学
- 物語ることはセラピー的に必要ではあるが、自己を定型化し