難波優輝のレビュー一覧
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ネタバレ「大きくなったら、何になるの?」や「あなたが今、一番したいことは何ですか?」等々、人生は目的をもって生きるべきもの、生きなくてはならないもの、という考え方が、いつの間にか当たり前になっているような気がする。
かの大谷選手も、高校生の頃には何歳に何を達成している、という目標(=計画)を立て、それを基に行動していったとのこと。大谷選手ほどの偉人でない我々凡人も、またいつの間にか、今日、今年、○年後の計画を立て、修正しながら遂行しつつ生きなくては人間ではない(少なくとも、立派な人間ではない)かのような風潮に取り囲まれている。
本当にそうなのかとか、その風潮が息苦しいとか、ましてや目標を持たずに生きて -
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やっと読み終えた
ぼくの頭ではところどころ難解と感じる哲学者の言葉の引用があり、スルスルと読み終えるに至らず
ところどころマッチョな読書タイムとなった
さて本題だが前述の感想でも述べたように、数年前からInstagramや Xに始まる物語を見て、時々モヤル事が多かった(Xはやめて随分経ちます、影響受けやすいのでやめてよかったw)
影響をたぶんに受け、なぜだかわからない息苦しさがずっとあった
しかし、本書のおかげでその日々にようやく終止符を打てた、気がする
人が、というかぼくが、物語を欲するのは情動だとわかった。
そして、それにカタルシスのようなものを感じたくなるのはしょうがない、そういう -
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楽しい読書でした。
言わゆる読書術みたいなものではなく、本書で論じられる概念を利用して自分の読書の可能性を開拓するというような手触りの本。
「趣味は?」と聞かれて3番目くらいまでに「読書」が出てくるような人が読むと、特に実りがあると思う。とは言え本書は、読書に興味がある人に広く開かれている。
以下、自分の理解による概略(つまり面白かったポイント)です。
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本書では読書をパフォーマンスと位置づけ、少し距離を置いて考察できるように整える。
これによって、①自分が1冊1冊の本をどのように楽しんでいるかを反省的に観察できる、②パフォーマンスの巧拙を -
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日常のありとあらゆることを「倫理的なこと」と「美的なこと」に選別し、批評していく試み。
第5章「分かり合わないことの美学──不同意コミュニケーション」がよかった。
分かり合うことが善とされるが、手放しにそうとは言えないのではないかという批評。分かり合えないという事実も美学的でかけがえのないことであるという。世界をみつめる視点が少し明るくなる前向きな主張だと思う。
第8章「 新しい快楽主義者たち──猫と廃墟とアナキズム」で、猫をアナーキーな存在として捉えているのも良い。アルゴリズムに支配され、常に最適化された世の中において、予測不能な存在というのはある種で救いとすら呼べるのかもしれない。
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まえがきから一気に心を掴まれた。「青春」を強調した清涼飲料水のCM、就活で決まって聞かれるガクチカ、闘病する少女、ペット映画、大学生の性愛。消費されるエモーショナルはいつからか自分の文脈を離れて押しつけに変わっていく。そんな現実に抗うべくこの本は書かれたという。
本書は5つの遊びの視点から主体を切り出し、世界の見方を整理する。物語、ゲーム、パズル、ギャンブル、そしておもちゃ。それぞれが危うさを抱えていながらも、異なる美的感覚を持つものだと著者は解説する。
私は、これを読んで自分はキタニタツヤの『れびてーしょん』という曲を連想した。
「僕らは広告につかれている 例外なく端末と共に ほんとに -
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「性的なもの」にフォーカスした第一章は、街中の性的な広告についての論争を軸に、なるべく客観的に論点を整理する内容。一方「えっちなもの」についての第二章は、えっちなものを2つに分類分けした上で考察や展望(?)を述べていくという筆者の主観寄りな内容になっているので、読んでいる中で切り替えないと混乱しちゃうかも。
タイトルのユーモラスさに惹かれてこの本を手に取った私としては、第二章のほうが新鮮な感覚もあり、筆者もノリノリで書いているように感じて楽しめた。
個人的な話、車がグシャグシャになる動画を「えっちだ…」と思ってしまう自分の感性に、以前から疑問を抱いていたのだけれど、これって「崇高のえっち -
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先日これを家内に読んでいるところを見つかり、不必要なほどにこれが知的に面白い本であることをアピールしてしまったが、そのような気まずさがなぜどのような事情で生じるかを改めて知ることができる本。どうしても下世話な内容を連想させるテーマだが、気取ったり奇を衒ったりするところのない誠実な語り口が心地良く、作者の主張がすんなりと頭に入ってくる。
なぜ性的な概念はこれほどまでに気まずさを呼び起こすのか?筆者は、人が自らの手の届かない領域の「向こう側」に抱く憧憬と同化の欲求が美的判断である「えっちさ」の根幹を成すとし、巷間言われるような生物的な性欲が文化的な「えっちさ」を規定したのではなく、逆に「えっち -
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なぜ私たちは物語を物語以上に使ってしまうのか。例えば就活での自己PR、MBTIや推しなどのキャラクター性、自分語りなどのこと。これらは当てはめることで、診断どおりに動いてしまうなど視野狭窄になるリスクを背負ってしまう。そしてこの本では物語以外にも遊びを考えており、ゲームもゲーミフィケーションなど資本主義に結びつけて使われてしまっていることも批判している(レベルアップなど)。パズル的主体、ギャンブル的主体、そしておもちゃ的主体と、遊びから脱却の方法を考えていく。多趣味ですでに実践しているが、自分では言語化できなかったところも指摘していて興味深い本だった。
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近年、(主に米国の)先端産業の経営者がSF作品のファンであることにも起因して、SFというジャンルが注目されているようだ。
そこで、SFを積極的に経営に活かしていこう、というムーブメントが生まれ、これがSFプロトタイピングとして市民権を得たものであろうと思う。
「ドラえもん」、星新一から始まり、フランク・ハーバート、アイザック・アシモフ、神林長平、ウィリアム・ギブスン、士郎正宗、ダン・シモンズ、伊藤計劃などを濫読してきた身としては喜ばしいことだ。
実は私が1990年代に所属していたSFコミュニティでは、「SFの終わり」が語られていた。
もはや現実がSFに追いついたというのである。
もちろん、現実 -
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「読書の素晴らしさばっかり言う本に飽きてきた」という書店員さんの言葉をきっかけにして、本を読むことにはネガティブな側面もあるのではないか…と考えた著者が、本を読むこと、ひいては本とは何かを考えた一冊。
物語が共感能力を高める、人間理解に役立つ、というのは本の効能としてよく取り上げられる点だが、著者はそれを批判する。
グレゴリー・カリーという哲学者の説を紹介しながら、物語への共感が現実の人間への共感や援助行動とはほとんど関係がないことを述べている。
本を沢山読んでいるであろう著名な学者や小説家でも差別的な言動をする人がいくらでもいるので、この説には納得する。自分自身を振り返っても、本を読んだこ -
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読書とは何かを『パフォーマンス』という言葉を用いて、書籍の種類ごとに意味を見出している。
読書好きには、新たな着眼点ができて本書を読むことができて満足している。
書籍の種類は
物語、難しい本、ハウツー本、雑誌、マンガ、楽譜や料理本。さらに、コーヒーテーブルブック(名前があることを初めて知りました)
上記内容についてである。
特に昔から好んで読んでいた(最近では読みすぎて?同じことしか書いていないように思えるから読まなくなった)
ハウツー本について章が印象的であった。
『ハウツー本は文章でできた変身ベルト』
『変身ベルト』という言葉は共感できたし、ハウツー本は何か悩んでいたり、新しい自分