あらすじ
物語はなぜ苦しいのか?「物語」が過剰に要求される現代社会で、「人生とはかくあるべきだ」という押しつけに抗う。
新進気鋭の美学者による「次世代の哲学」。
【推薦の声、続々!】
〇永井玲衣氏(哲学者・『水中の哲学者たち』『世界の適切な保存』)
わたしたちは何のために哲学するのか。
それは、もっと世界に出会うため、もっと広々とした場所に行くため、もっと可能性にめまいをおぼえるためなのかもしれない。難波さんは、考えれば考えるほど、自由になっていくみたいだ。
〇田村正資氏(哲学者・『問いが世界をつくりだす』「あいまいな世界の愛し方」『群像』)
ずっと、アイデンティンティを見つけなければと思っていた。
でも、アイデンティティという名の物語に囚われていただけだったのかもしれない。難波さんの本はそんな僕に「世界を見くびるな。そこから出てこい!」と語りかけてくれる。
【抜粋】
清涼飲料水の広告の少女はいつもドラマティックな青春を謳歌しているし、「推し」はファンの期待した筋書きどおりに振る舞うし、就活面接では挫折経験を「美談」として語らねばならない。
私は端的にこう思う。何かがおかしい、と。
人々はあまりにも強い物語の引力に引き寄せられて、もはや物語に支配されつつあるのではないか、と私は危惧し始めた。
だから、私はこれから、物語に対抗したいと思う。何かしらの物語が私たちの幸福を奪うのだとしたら、もはやそんな物語は廃棄されるべきだろう。私はよき物語を愛している。それゆえ、物語を批判したいと思う。愛するということは、支配されるわけでもなく、支配するわけでもなく、独特のバランスのなかで惹かれ合い、反発し合うことなのだと考えている。
第一部の「物語篇」では、物語化の持つ魔力と危うさを論じていく。第二部の「探究篇」では、物語の危険を避け、物語を相対化できるような思考を「遊び」を手がかりに探索していこう。その中で、改めて物語との向き合い方がみえてくるはずだ。
物語化批判、そして、遊びの哲学を始めよう。
【内容紹介】
〇 誤解を生む「自分語り」(第1章 物語批判の哲学)
〇「感情的だ!」という批判をする人こそ、実はもっとも「感情的」(同上)
〇 アイデンティティは服のように「着替えられる」(同上)
〇 人生を「攻略」しようとする人が陥る「視野狭窄」(第2章 ゲーム批判の哲学)
〇 なぜ人は「考察」と「陰謀論」にハマってしまうのか(第3章 パズル批判の哲学)
〇 真のギャンブラーが欲しいのは「お金」ではない(第4章 ギャンブル批判の哲学)
〇 残酷だけど創造的な「おもちゃ的生き方」(第5章 おもちゃ批判の哲学)
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Posted by ブクログ
わかりやすくてすいすい読めるが、よくよく考えるとよくわからない。
流石哲学だ。
物語=ナラティブの魔力と危うさを論じた後、
物語のオルタナティブ【代替?】、危うさを避ける遊びとして、
ゲーム、パズル、ギャンブル、おもちゃを論じる。
一つ一つはすごくわかりやすい。
でも、この新書を通して、著者が何を言いたいのか、
まだわかってない。
229頁の表はわかりやすい。
しかしこれは何なんだ。
遊び方 時間のあり方 遊びの構造 カテゴリ 美的特徴
物語 通時的 理由と関係 物語 理解と情動
(小説、演劇、エッセイ、映画、悲劇、喜劇)
ゲーム ゲームごとの反復と連なり
課題と挑戦 ゲームプレイ 達成と成長
(RPG、格闘ゲーム、育成・恋愛シミュレーション)
パズル 止まった時間 謎解き クロスワードパズル、
ジグソーパズル、
謎解き、
探偵小説 じりじりとハッとすること
ギャンブル
駆け以前以後の断絶
賭け ギャンブル 不透明の崇高と<現実>
(くじ、競馬、パチンコ、丁半)
おもちゃ遊び
遺憾のない現在 遊動 世界のあらゆるものを用いた遊び
軽やかさ
よく整理されているが、、なんなんだ、、
しかし、物語は私も語る。
〇なぜ47歳でマラソンを走り始めたか
〇なぜ日本酒が好きになったか
〇ラグビー応援の変遷
・・・飲みの場でよく語る
マラソンが一番長く語れる。
仕事に行き詰っていた
小学生だった娘が持ってきたパンフで、夜川の土手35キロを歩くイベントがあったのでやってみた
その話をライバル会社の先輩にしたら、42キロ7つの山を登る日帰りハイキングに誘われたが彼のほうが早かった
脚力を上げたいと思っていた
仕事の行き詰まりはさらにひどくなった
中学の同級生が家業をやめて居酒屋を始めた
パワハラにもあった
学んでいたことを活かせる会社から声がかかり転職した
ビルの29階だった
元ライバル会社の先輩に勝つため、毎日登って100日で10キロ瘦せた
同級生の居酒屋の集まりに、同級生の女子がいて「フルマラソンを走った」といっていた
42キロ歩いているから、走れると思った
走った、サブ4で走れた。
ここにさらに転職に至る経緯もあわせることができる
バブルピーク1990年に父が急死した
土地を担保に借金して株を買っていた
株価は半分になった
相続税が払えなくなった 延納、物納、買い戻しで苦労した
税理士になろうと仕事しながら勉強した
5科目中2科目受かったが後が続かず、挫折した
その2科目と、会社での職種がある会社で必要になった
友人の開業とパワハラに背中を押されて転職した
。。。物語。
これらはすべて事実だが、
何度も語るうちに美化、更新しているのかもしれない。
よくわからない、、
しかしそれだからなんだというのか、
一冊読み終えたが、
結局よくわかってない、、
哲学だから、いいのか。
一緒に考えたから、、、
序章 人生は「物語」ではない
▼物語篇――物語の魔力と危うさ
第1章 物語批判の哲学
1 他人を物語化することは正しいか
2 自分語りの罠
3 感情と革命
4 キャラクターをアニメートする
▼幕間――物語から遊びへ
▼探究篇――物語ではない世界理解
第2章 ゲーム批判の哲学
1 人生はゲームなのか
2 ゲーム的主体と力への意志
3 競争しながら、ルールを疑う
第3章 パズル批判の哲学
1 陰謀論と考察の時代
2 パズル化するポストモダン
3 答えなき、なぞなぞとしての世界
第4章 ギャンブル批判の哲学
1 人はなぜギャンブルに飛びこむのか
2 ギャンブラーが生きる「現実」
3 ギャンブル的生の解放
第5章 おもちゃ批判の哲学
1 原初、世界はおもちゃだった
2 すべてを破壊する「おもちゃ遊び」
3 遊び遊ばれ、ニルヴァーナ
終章 遊びと遊びのはざまで
あとがき
参考文献
さらに考えたい人のために ブックリスト
〇 誤解を生む「自分語り」(第1章 物語批判の哲学)
〇「感情的だ!」という批判をする人こそ、実はもっとも「感情的」(同上)
〇 アイデンティティは服のように「着替えられる」(同上)
〇 人生を「攻略」しようとする人が陥る「視野狭窄」(第2章 ゲーム批判の哲学)
〇 なぜ人は「考察」と「陰謀論」にハマってしまうのか(第3章 パズル批判の哲学)
〇 真のギャンブラーが欲しいのは「お金」ではない(第4章 ギャンブル批判の哲学)
〇 残酷だけど創造的な「おもちゃ的生き方」(第5章 おもちゃ批判の哲学)
Posted by ブクログ
生身の推しがいるオタクたちは、「4、キャラクターをアニメートする」を読んでくれ〜!己の加害性に向き合おう!
推しが自分の理想とは違う動きをしたとき/または期待した行動をしてくれなかったとき、「裏切られた」がっかりしてしまうのはなぜか。オタクは他者を勝手に規定することの暴力性を自覚したほうがいい。
Posted by ブクログ
◎人生を解釈しすぎるから心身に不調が訪れるのではないか
◎私は自分の人生の作者ではない(ハンナ・アレント)
かなり興味深い。ただ、文章が難しくて内容の反復も多いので、目が滑って読むのに時間がかかった。引用している論文や思想については最近発表されたものも多く、内容的にも現代思想の最先端だと思う。しかし単なる思想の列挙というより、現代人の感情や欲求を認めつつ、否定よりもやわらかい表現でそこに潜む危険性を教えてくれる本だった。
気になった箇所のメモ
・自己語りがまともなものになるためには、人は自己の一貫性を危険に曝すこと(=批判的で率直な友人や家族に自己の歴史を語ること)を喜ばなければならないが、そもそも自己語りをする人の多くは一貫性を求めて自己語りをしているというジレンマがあるp.34
・気分なしに世界を理解することはできない。気分は情動へと焦点化し、情動は気分へと拡散していくp.68
・私たちから「感情的」になることを引いたら何も残らない。何も決定することはできず、価値付けることもできない。気分や情動を私たちから引き算できている、と思っている人は、そのとき最も「感情的」な人間の一人であるp.69〜
・自己理解とは流動的なもの。自己をキャラクター化してその性質を固定的に捉えるより、服を試着するようにアイデンティティを着替えるつもりでいた方がいいp.91
・物語は現実世界において役に立ちすぎている。だから自己や世界を理解するためのヒントになるが、物語だけがその大役を担っているわけではなく、映画や音楽、ファッションなど他の芸術や趣味も手段として機能している。p.100
・メタファーは特定の側面を強調することで、世界についての見通しを与えてくれる。しかし同時に、特定の側面を削ぎ落とすことなしにはメタファーを使うことはできないp.110
→人生をゲームに喩える場合、数値化できない困難や定義しにくい幸福、失敗からの学びは取りこぼされる
・ローカルなゴール(数値的な指標、成果など)が生活において前景化することへの危惧p.128
・他者に対する愛や連帯を可能にするのは〈遊び心〉
遊び心とは、自分も相手も固定化しないこと、オープンさ、不確定性への寛容さ、自分を過度に重要視しないこと、馬鹿げたことや冗談に身を投じる柔軟性など。相手を受け止め、自分も一時的に別の自己を遊んでみること。p.220
Posted by ブクログ
なぜ私たちは物語を物語以上に使ってしまうのか。例えば就活での自己PR、MBTIや推しなどのキャラクター性、自分語りなどのこと。これらは当てはめることで、診断どおりに動いてしまうなど視野狭窄になるリスクを背負ってしまう。そしてこの本では物語以外にも遊びを考えており、ゲームもゲーミフィケーションなど資本主義に結びつけて使われてしまっていることも批判している(レベルアップなど)。パズル的主体、ギャンブル的主体、そしておもちゃ的主体と、遊びから脱却の方法を考えていく。多趣味ですでに実践しているが、自分では言語化できなかったところも指摘していて興味深い本だった。
Posted by ブクログ
本書の第1章を読んで、なぜ自分がSNSを苦手なのかが少しわかった気がする。
SNSの記事にするためには、大なり小なり自分のことを物語化する必要があり、それに対する心理的な抵抗感があるからのようだ。
自分に起こった出来事や感じたことの中から、わかりやすく伝わりやすい物語を作るために、あるものは捨てて、あるものは少しだけ改変することへの罪悪感のようなものがその抵抗感の源だと思う。
だったら、SNSに書くときに、物語化などせずに、起こったことや感じたことをそのまま書けば良いではないか、という反論が自分に対して浮かんでくる。
ただ、そんな事実の羅列では、本人でさえ読むに耐えないような退屈な代物になることは明らかだ。またそもそも「そのまま書く」と言うこと自体が実は極めて難しい。
というわけで、SNSをはじめとして、他人の目に触れるような文章を書くときには、多かれ少なかれ物語化をすることになる。それは自明のものとして認める必要がある。
次に問題になるには、私のような文章の素人が物語を描き始めると、どうしたってありきたりでどこかで聞いた様な物語になってしまうことだ。自分の感じたことや行ったことを的確に伝えるよりも、自分が採用した陳腐な物語に沿った事実を拾い上げ利用し始めてしまう。
Posted by ブクログ
ナラティブという言葉をよく聞くようになり、物語について肯定的な世間だが、それについて一石を投じている書名なので気になった。
出典の哲学についてよくわからないが、それでもわかるように記述されており、予想したよりも深いところまで引き込まれたと思う。
ギャンブルと物語の関係など、言われると唸ってしまうような項目も多く、視野を広められたと感じる。
Posted by ブクログ
人生の意味をいかに見つけるか(=生き方であり遊び方)として、物語的、ゲーム的、パズル的、ギャンブル的、おもちゃ的という5つの人生観を整理したうで、現代の生き方で最も現実的とされている物語的・ゲーム的生き方が伴う危うさと、1つの遊び方に呑み込まれないことを説いている本。
現代の資本主義のもとでビジネスと向き合っているなかでは、当たり前のように物語的主体やゲーム的主体の考え方が正しいとされているが、遊び方はそれだけではなく多様なものであるとハッとさせられる。「人生を意味を感じるのに必ずしも物語を通す必要はない」というのは、物語化を生業としている人こそ意識しておくべき言葉。当然、人生理解と事業推進などでは文脈も異なるが、なにもかもストーリーに落とし込むことが是とするのは、解釈の独占を行うような物語的不正義を生じさせるほか、解釈の楽しさを削っている行為とも考えさせられる。
物語化批判というタイトルの通り、近年特に過大評価されている物語化への批評に尽きるかと思いきや、最後のおもちゃ的哲学の展開はまさに哲学的で面白かった。おもちゃ遊びは意味や目的を持たず、偶然の遊びを優先する。そこには物語のようなエモさも、ゲーム的なフロー状態も、パズル的なハッとする経験も、ギャンブル的な崇高も、人生のだいそれた意味はあまりない。物語化批判の展開としてそうした偶然性に委ねる遊び方にロマンを求めるのは論理的であるとは思うものの、誰しもが経験するおもちゃ遊びとして捉えるところに非常に面白さを感じた。
Posted by ブクログ
ずっと思っていた違和感に言葉が与えられた感じ。そうか、自分は何かを物語化することが嫌いだったんだ。わかるわかる、もっと若いときに読んで、周りの人にもこういう考え方があるって共有したかったな。
と思ったら、後半はホイジンガの遊びの類型を現代風にアップデートした哲学が出てきて、ゲーム、パズル、ギャンブル、おもちゃのそれぞれの魅力と危険性、物語との比較がなされる。なんで遊び?となるが、自分の物語からもっと自由になるためのエクササイズであることがわかる。あとがきでも触れられるが、これはあくまでラフスケッチ。それぞれの遊びの哲学について書きたいとのこと。意欲的だ。
Posted by ブクログ
物語には力があると思っている。宗教が消えない理由でもあり、広告としての感染力が強い。この本はその悪用に力点をおいたものであり、別の遊び方として紹介されているゲーム・パズル・ギャンブル・おもちゃの、やはりマイナス作用を論じている。
総じて、フレームの設定により取りこぼしが発生してしまうということだろうか。この世は名前のない曖昧なもので満ちていて、どんな大枠で世界を見るかで整理された理解しやすい世界観を構築するが故にそのルールからはみ出たものが出てしまうというか。統計や言語認知の方面でも感じた感覚だった。
Posted by ブクログ
私たちの感情は物語に支配されている。各メディアでは喜怒哀楽を表現する様々な物語が流布され、とくにSNSの発展にともなってそれらの利用時間や広告価値を最大化させるために積極的な物語活用(エモさ)が日々垂れ流され続けている。
例えば就職活動において、私たちはガクチカと呼ばれる経験談を物語的に話すことを求められる。日常の惰性で学校とバイトの往復をしていたような学生がドラマティックな経験による自己の成長を表現する通過儀礼は、その後の資本主義社会に適合するための踏み絵として機能している。そしてそのプロセスはそれぞれの人生をある種の定型にはめ込むリスクを伴う。
MBTIのような近年流行の性格診断も、16種類の物語に自らをはめ込むことで相互理解を推奨している。しかし20世紀の血液型診断と何ら変わらない精度と信ぴょう性に基づいた占い的要素に過ぎず、むしろそれらを過信することによるラベリングや安易な評価は差別の温床となり得る。本来的には人間の性質とは様々な要素のグラデーションにあるはずが、この物語化による分かりやすさ・二極化によって生きづらさや孤独感の原因となっている。
この物語化に対抗する手段とは何か。五感を高め、日々の暮らしの微かな変化を感じて楽しむといった、生活におけるゆとりや遊びといった部分にあると筆者は説く。結論ありきの物語ではなく、不確実性や不明確さを意図的に取り入れて工夫しながら柔軟性を取り入れていくリアルな効用が必要だろう。
Posted by ブクログ
かなり面白かったです。
「物語り」と言う概念は私達の生き方や生活にとても影響を与えていると日々感じていました。小説や漫画、テレビ番組、私達が消費するコンテンツは殆ど全て物語りがベースに存在します。
そんな物語りをベースに生きている私たちの人生は時に、主人公の様に生きたり、はたまた他者から敵としてキャラクター付けされたりなど、様々な角度や視点から物語りとして語る/語られます。そんな物語り性は常に、物を語る主体が先行し(自分が見た視点)、本来別の視点から見た時の見え方や(他者が見た視点)、考え方、語られ方を隠蔽する側面があるのがあると思います。
本書ではその様な「物語り」を批判的に捉え、物語りが持つポジティブな魅力ではなく、そこに存在する暴力性や隠蔽性などを鋭く批判しています。他者から押し付けられる物語りや、物語りを捏造してしまう事。そして物語りを共有する事で大衆を動員し、そこにある問題点や批判性を隠蔽し、無し崩してしまう危険性を提示しています。
また、本書では「物語り」を批判するだけのみならず、そこから人生における生き方の多様性を提示し、「物語り」から「遊び」への道標をロジカルに示してくれています。これは人生における主体のあり方は様々で、決して物語り的な主体(ストーリー付けされた人生)だけが正解ではないと言う事を語っています。
本書で描かれた様々な主体のあり方は物語りを考える上でとても参考になると同時に、別の主体の在り方を提言してくれる指南書でもある優れた本だと感じました。
とてもおすすめです。
Posted by ブクログ
『私は自分の人生の作者ではない。私はその共同制作者似すぎない』
物語化やナラティブによるコミニュケーションや語り、思考は流行りみたいな感じがある。でも何者かになるために活動をしたり自分自身のラベリングやキャラクター付けもほどほどにするのが良し。時には寄り道をしたり遊び心を持って世界に触れることも大切。
Posted by ブクログ
近年の社会に物語に対する感じる違和感。歴史を編むことによって溢れる自己や常に先導される情動、キャラクター化によって逆に規定される人格。そのオルタナティブとして、ルールのハックを通じたゲーム的理解、唯一の回を追求するパズル的理解、崇高な偶然に身を浸すギャンブル的理解、そしてそれらを破壊して弄ぶオモチャ的理解という世界の見方を提示している。それはまるで道化師のように飄々と世界を渡り歩き、価値観の違いさえも楽しむ態度であった。
Posted by ブクログ
凄く興味深い考えで面白かった。
自分自身も物語化批判の精神を持っていたので、筆者の物語化批判の論には共感することが多かった。特に、自己語りによる歪みや、MBTIを含む自分や他人をキャラクター化してしまうことに対して批判的な考えを持っていたので、上手く言語化されていて自分が何に嫌悪感があったのかを整理できたと思う。
人間は多面的であるから矛盾している。人間は矛盾に満ちているのが良いんだ。私らしさは矛盾から生まれるからこそ、矛盾を肯定しようという気持ちになった。
そして、物語・ゲーム・パズル・ギャンブル・おもちゃという遊びを考察していく。自分がどれに当てはまるのか読み終わった今も思いつかない。振り返ると、物語的な面も、ゲーム的な面も、パズル的な面も、ギャンブル的な面も、おもちゃ的な面も持ち合わせていて、全てが融合しているような気がする。難波優輝さんのこれからの本が益々気になり、今後追っていきたいと強く思った。そして、この論の展開を追いつつ、自分自身についても考えていきたい。
本書で触れられていたBaba Is Youが面白そうすぎたのでやってみて無事ハマっています。面白すぎ!
Posted by ブクログ
## 物語化批判の哲学 私の人生を遊び直すために
-
- 面白かった!
- 要は画一的な価値観を持つと他の面を見れなくなって危険だよ、でもかといってポジションを全く取らないと何も得ることができないよね、
- じゃあどうすれば良いか?いろんな遊びに首を突っ込んで、でも執着せずに楽しむこと
- それは常に内省的であること
- でも反省ではなく、自分がどうなっているかの確認程度にしておこう
- 自分はダメなんじゃないのか?ではなく、自分は今大丈夫なのか?
- 具体的な行動に落とし込んで自分を結果的に守る
-
- 物語批判の哲学
- 物語ることはセラピー的に必要ではあるが、自己を定型化してしまう恐れがある
- その結果、固まったアイデンティティの中で入りていることになる
- 自分語りが自己理解に寄与するか?
- 人は自由に過去を改変して一つのストーリーを作る
- 自己認識だけの自己語りは危険
- 自己語りがもたらす認知脳がみは他人に対する理解を歪める
- それが一つの単一的な物語でないと、自分のアイデンティティが揺らぐことになる
- 他人を語ること、他人を理解することも、海底排除性、目的閉鎖性が付きまとう
- 他人を誤解して、解釈を奪うような暴力
- 他人の解釈を奪い取り、解釈の独占をする危害
- 物語的徳
- 不必要に他人を物語的に理解するのではなく、今の自分の理解を手放し、相手を物語叙述の世界に閉じ込めないこと
- 今日もやろうとした、注意
- いつ物語的理解を行うべきで、そうでないのか判断する能力を身につける
- つまり、今の自分で大丈夫かと常に問いかけること
- 物語的には理解不可能な相手を相手の言い分を聞くことで理解しようとすること
- 相手を理解できないものとして尊重することが物語的徳
- 憧れ、真似
- 他人をコピーしようとすること、それも物語的
- しかしこれ自体は悪いことではない、当然
- でも上のように物語的徳を意識しないといけない、ともすれば狭い理解、狭い枠組みの中に自分が閉じ込められてしまう
- ゲーム批判の哲学
- ゲーム的、目の前の課題をこなして行った先に成長達成があるとする考え方
- 第一の目的ではなく、第二の目的を目的とする考え方
- 特定の構造がない時に不安になってしまう
- 資本主義を肯定する感覚ではある、これをプライベートに持ち込む奴はそりゃ嫌われる
- ゲーム的であることを超えて、自己満足的に生きるためには、必ずしもそうでない自分をどう扱うか?と言う課題がある
- 1つのポジションのに甘えるのは単純化の作業で、そうではない曖昧さの中に向き合う必要がある
- これはきっとみんなやっている、ストレス耐性の話と繋がる
- パズル批判
- 正解が一つであると言う姿勢
- 仮説形成が楽しいのは人間の創造性の源ではあるが、健全な思考としてはそこに止まってはいけない
- いろんな意見を統合比較し、誤りを見つけていく姿勢が必要
- パズル的徳
- 自分が今取り組んでいるといが本当にパズル化して良い対象か?
- 一つの答えに辿り着いて快感を得ることを急がずに、複数の可能性や反論を受け入れることができる姿勢
- 分からなさ、がいつまでも残ることで、むしろ思いがけない連想、多様な視点、面白さに出会えることができる
- ギャンブル批判
- 日常では発揮されない性格・行動様式が現実化される
- 確かに
- ギャンブルは、その状況に自分が必要ないと考えて退屈を覚える人間にはまりがち
- おもちゃ批判
- 疲れてきてメモが減ってる
- 脱目的性:偶然で目的がない
- 中動相性:おもちゃが自分なり、自分がおもちゃになる
- 同調と浮遊:軽やかな裏切り
- 責任感を持たないと言う責任感
- 自分の遊びに固執しない
- 他の人の遊びに首を突っ込む
- 摩擦の中で遊ぶ
- 一つの遊び方に没入しすぎない倫理
- 一緒に遊びながら、没入しすぎない態度
- 入りすぎると自分が疎外されるので、それを防ぐ
-
Posted by ブクログ
面白いけど難しい!
何でもかんでも整えるな・要約するな、偶然を、わからなさを歓迎しよう!ということだと自分は解釈した。
複雑なことを単純化するときに溢れてしまう余白のようなものが大事なんだよなって思った。
Posted by ブクログ
面白いが難しい…。
冒頭の物語批判が最も面白く、自分の中で納得がいったからか、物語のオルタナティブの部分に関しては、自分がその遊び方を選んでいるところがうまく想像できなかった。つまり、人生を遊んでいない、物語的に生きているということなのがしれない。
私の頭では理解しきれていない部分があるのだが、四つのオルタナティブもとても現代的な、人生の遊び方だと思った。ゲームもするし、2ちゃんねるからインターネットに潜在していた、対象をおもちゃにする感覚なんかは、非常にわかりやすい。
今後はシリーズ化するということで、内容が楽しみ。
Posted by ブクログ
前半の、「(小説などの)物語」と「現実の物語化」の違いについての論考はかなり面白かった
ただ、人生を遊びなおすという後半は、物語化の"オルタナ"という時点で「意味」を超越してるわけだし、ややピンとこなかった
ここは千葉雅也『センスの哲学』に軍配
Posted by ブクログ
要は、緩やかにバランスよく生きようということなのかなぁと思った。かくあるべきも違うし、流されるのも違うし、答えを出すべきなのも違うし、、、ということか。
還暦前に不安もあるけど、なるようにしかならんもんだし、しなやかに余生を過ごしていきたいなと思うよ♪
Posted by ブクログ
掴みが良かった。うちら物語に人生の自由もとい批判的な思考力を奪われてない?という認識があったので、危機感とともに本書を手に取った。
物語には情動を動かす作用が含まれており、良い点も注意すべき点もある。情動をさらに深掘りしていくと、ゲーム、パズル、ギャンブル、おもちゃというオルタナティブに行き着くという考察を行っていた。後半は分かるようで分からないような…。要素としては理解できるんだけど、他にもあるんじゃないか?という落ち着かなさがある。
「今後のキャリアはどうしていきたいか?のような人生の計画を立てたくない。行き当たりばったりで生きていたい」願望にめちゃくちゃ共感した。PDCAサイクルみたいな装置に人生を侵されたくない。
Posted by ブクログ
最近悪用されているナラティブの矮小化に興味があり、読んでみた。(私は神話や優れた物語など大きなナラティブの力を信じているが、ネット社会になり急速にナラティブが矮小化しているように思う。)
デマや陰謀論、ポピュリズムなどナラティブの悪用や、押し付けられた物語などへの批判、それはその通り。
現在の事象としてのナラティブを様々な文脈で切り取っているが、結局のところ、ネットの言説からの距離感、有象無象の物語に意味を持たせることをやめて、物語に絡め取られないように軽く逃げ切れ。
という主張なのかな。(これだけ語ったけど、これもそもそも遊びなんで、という結論で、まぁ、そうかとしか言えない感じだが。)
資本主義とギャンブルのところは面白かった。
Posted by ブクログ
正直なところ、きちんと理解しきれていないです。
物語の持つ力が大きいからこそ、物語としていろいろなことが描かれていることに注意をしなければならない、物語ににまきこまれすぎす、適度な距離感や客観的視点をもつバランス感もひつようである。
というのが第一章の理解。
第二章からは、物語だけで人生を語る以外の方法として、遊びもあるよということなのかなと。ゲーム、パズル、ギャンブル、おもちゃ、とそれぞれの特徴と、その批判があると。そのなかでも、人類普遍的なおもちゃという考え方に物語のオルタナティブがある。
という理解。
まだ明確な自分の意見は持ち合わせていないが、数々の視点をもち、人生を遊びなおすのは、行きやすさにもつながるのかもと漠然と思いました。
Posted by ブクログ
現代思想チックな語りとテーマは大いに興味を引かれるものの割に、読後感がしっくりこない。ギャンブルの話題などはとっつきやすかったが、個人的な感性として合わないのかも。
Posted by ブクログ
“もし人々が、「与えられたゲームを上手にこなす」ことだけに集中するあまり、ゲーム自体をリデザインする可能性にまったく目を向けなくなったとしたら、社会システムや規範に対する抜本的な問い直しや、ルールを再設計する創造的な試みが消え去ってしまう。”(p135)
新書にしてはすごい構成だ
個人メモ: ギャンブル批評の章、美的感覚について若干記載あり
Posted by ブクログ
私はこれまで、ゲーム的な生き方に価値を見出そうとしていたが、それに上手く乗れなくなってきたことを「物語化」して納得しようとしていたようだ。かと言って、今更ギャンブルやパズルには興味ないしなあ。。。
Posted by ブクログ
うみょんうみょんうみょん
やっぱり疲れてるときは難しい話は頭に入って来ないね
ちなみに冒頭の「うみょんうみょんうみょん」は疲れているときに難しい話が頭に入ってこない状況を端的に表す擬音です(分かりやす!)
人生を物語化するとこについて批判し、じゃあどうすんの?ってことを書いた本
なわけだけど、じゃあどうすんの?ってところがあまりピンと来ませんでした
泉ピン子(いらないって)
まぁ哲学ってのは人生をいかに生きやすくするかっていう学問なのでね、やりたいことは分かるんだけどあまりピンと来ませんでした
ピンキー吉松(誰?)