あらすじ
物語はなぜ苦しいのか?「物語」が過剰に要求される現代社会で、「人生とはかくあるべきだ」という押しつけに抗う。
新進気鋭の美学者による「次世代の哲学」。
【推薦の声、続々!】
〇永井玲衣氏(哲学者・『水中の哲学者たち』『世界の適切な保存』)
わたしたちは何のために哲学するのか。
それは、もっと世界に出会うため、もっと広々とした場所に行くため、もっと可能性にめまいをおぼえるためなのかもしれない。難波さんは、考えれば考えるほど、自由になっていくみたいだ。
〇田村正資氏(哲学者・『問いが世界をつくりだす』「あいまいな世界の愛し方」『群像』)
ずっと、アイデンティンティを見つけなければと思っていた。
でも、アイデンティティという名の物語に囚われていただけだったのかもしれない。難波さんの本はそんな僕に「世界を見くびるな。そこから出てこい!」と語りかけてくれる。
【抜粋】
清涼飲料水の広告の少女はいつもドラマティックな青春を謳歌しているし、「推し」はファンの期待した筋書きどおりに振る舞うし、就活面接では挫折経験を「美談」として語らねばならない。
私は端的にこう思う。何かがおかしい、と。
人々はあまりにも強い物語の引力に引き寄せられて、もはや物語に支配されつつあるのではないか、と私は危惧し始めた。
だから、私はこれから、物語に対抗したいと思う。何かしらの物語が私たちの幸福を奪うのだとしたら、もはやそんな物語は廃棄されるべきだろう。私はよき物語を愛している。それゆえ、物語を批判したいと思う。愛するということは、支配されるわけでもなく、支配するわけでもなく、独特のバランスのなかで惹かれ合い、反発し合うことなのだと考えている。
第一部の「物語篇」では、物語化の持つ魔力と危うさを論じていく。第二部の「探究篇」では、物語の危険を避け、物語を相対化できるような思考を「遊び」を手がかりに探索していこう。その中で、改めて物語との向き合い方がみえてくるはずだ。
物語化批判、そして、遊びの哲学を始めよう。
【内容紹介】
〇 誤解を生む「自分語り」(第1章 物語批判の哲学)
〇「感情的だ!」という批判をする人こそ、実はもっとも「感情的」(同上)
〇 アイデンティティは服のように「着替えられる」(同上)
〇 人生を「攻略」しようとする人が陥る「視野狭窄」(第2章 ゲーム批判の哲学)
〇 なぜ人は「考察」と「陰謀論」にハマってしまうのか(第3章 パズル批判の哲学)
〇 真のギャンブラーが欲しいのは「お金」ではない(第4章 ギャンブル批判の哲学)
〇 残酷だけど創造的な「おもちゃ的生き方」(第5章 おもちゃ批判の哲学)
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Posted by ブクログ
〈※感想長め〉元来、僕は「人生は物語そのものだ」と考えてた。もっと言えば、自分の人生を一つの小説や伝記のようなものとして捉えることが多い。たとえば、僕はすでに二度の転職を経験しているが、職場が変わるたびに「さあ、新しい章の始まりだ」「この章はどんなオチになるんや」と考えてしまう。
そんな折、本屋で本書を見かけ、「自分の人生観に対してどんな反論があるんや?」と思い、手に取った。
まさにグサグサと刺さった。結局のところ、自分は「何者かになりたい」と願っていただけ。「こうあるべきだ」という凝り固まった自己像を勝手に作り上げて、その枠組みの中で自分自身を理解しようとしていたのだと気づかされた。
自分の人生を物語として語ろうとする時、過去の事実は今この瞬間にはもうどこにも存在せず、あくまで「過去は作られるもの」だと。なるほど、その通りだと思う。今という視点があるからこそ、過去は意味づけられ形作られていくってことか。
物語として自分の人生を他人に語る時、「自分は何者かやぞ」「他の人とは違う存在やぞ」と息巻いていたつもりだったが、その姿はどこか滑稽で、むしろ現代社会の価値観や空気にしっかり踊らされていたのかもしれない。恥ずかしい、、そんな感覚を抱いたのが、本書を読んでの率直な感想。
もちろん、人生を物語として捉えること自体は悪いことではないけど、その物語は後から編み直されるもので、自己像もまた固定的なものではないということを意識しながら、今後は自分の人生を振り返っていきたいって思う。
また、まったく別の論点やけど、印象に残ったのはギャンブルの哲学についての部分。僕自身、競馬をよくするのだが、人がなぜギャンブルに惹かれるのかが実に鮮やかに言語化されていて気持ちよかった。
運を支配しようとし、結果をコントロールしようとした時にはじめてぶち当たる不明確性。その不明確性を前にした瞬間に感じる震えるようなひりつき。あれがギャンブル特有の快感だという。なるほど。
世界を理解したつもりになるんじゃなくて、むしろ世界が本来持っている不明確さや偶然性を楽しんでいきたい。そんな姿勢を持ちたいと感じた一冊だった。
Posted by ブクログ
やっと読み終えた
ぼくの頭ではところどころ難解と感じる哲学者の言葉の引用があり、スルスルと読み終えるに至らず
ところどころマッチョな読書タイムとなった
さて本題だが前述の感想でも述べたように、数年前からInstagramや Xに始まる物語を見て、時々モヤル事が多かった(Xはやめて随分経ちます、影響受けやすいのでやめてよかったw)
影響をたぶんに受け、なぜだかわからない息苦しさがずっとあった
しかし、本書のおかげでその日々にようやく終止符を打てた、気がする
人が、というかぼくが、物語を欲するのは情動だとわかった。
そして、それにカタルシスのようなものを感じたくなるのはしょうがない、そういうもんだし、それは遊びなんだよ、それは一つのあり方に過ぎず、のめり込んじゃダメで、ベキネバではなく、あくまでもそれを柔軟に受け止め、自らの人生に対して割り切れない何かを持ちつつ、人生を謳歌することが肝要なんだよ、ということを教えてもらった気がする。
最適解なんてあるのかはわからない。
が、それがあったにしても、それを得るために逆算しながら人は生きてはいない、少なくともぼくはそう。
小さな力でより大きなものを得るという近代社会から続く資本主義的構造からすれば想像だにしやすいが、それだけで生きることの困難さに立ち向かうことはできないのではないかと僕は思う。
追記
難波さんのいうように、子どもの頃のように柔軟で純粋に遊ぶ心を忘れずに、エスプリの効いた人生にしてゆきたい。
そしてただ生きる、それでぼくはいいかなと改めて思う。
Posted by ブクログ
読み終えての感想は「まさに脱構築」「おもちゃ最高」。
哲学者というのは、語彙や表現や視点がすごいですね。
本当にすごい。って、哲学者ではないのかw
Posted by ブクログ
「遊び」を自分の生き方に取り入れられたら、自分と他者の違いを軽やかに楽しんで、世界がもっと広がると思った。自分の生き方を「物語」「ゲーム」「パズル」「ギャンブル」「遊び」の5点からそれぞれ振り返り、最終的には平和について考える書でもあると感じた。また、かなり個人的だが1980年代の代表的な評論である『逃走論』浅田彰著と併せて読みたくなった。
Posted by ブクログ
最高にキラキラ輝く本でした!
作者の難波さんが大好きになりました。
この人の語る言葉をもっと聞きたい。
もっと難波さんと遊びたいです。
どの論を取っても面白い。
実生活や経験と結びつけながら読みました。
最高でした。私の人生に大きな可能性を与えてくれる本になりそうです。
難波さんにまた本を書いていただきたいです。
全部で5冊絶対に書いてください。
また遊べるのを楽しみにしてます。
Posted by ブクログ
まえがきから一気に心を掴まれた。「青春」を強調した清涼飲料水のCM、就活で決まって聞かれるガクチカ、闘病する少女、ペット映画、大学生の性愛。消費されるエモーショナルはいつからか自分の文脈を離れて押しつけに変わっていく。そんな現実に抗うべくこの本は書かれたという。
本書は5つの遊びの視点から主体を切り出し、世界の見方を整理する。物語、ゲーム、パズル、ギャンブル、そしておもちゃ。それぞれが危うさを抱えていながらも、異なる美的感覚を持つものだと著者は解説する。
私は、これを読んで自分はキタニタツヤの『れびてーしょん』という曲を連想した。
「僕らは広告につかれている 例外なく端末と共に ほんとに欲しいものは 教えないくせにね」
インターネットが現実と区別がつかないものに変わり息苦しさを覚える人に贈られた曲なのだが、この曲が示唆するように、もはや生活インフラと化したインターネットでは顕著に、物語ることが強制されている。他にも至る所で推し活や炎上が関心のトピックに挙げられがちなことからも、そろそろ非現実での他者との関わり方のありようを見直す時が来ているのかもしれない。
とにかく、広告に、SNSの赤の他人に、終わりのないショート動画に疲れた人は、スマホ画面から目を離してぜひ本書を手に取ってみてほしい。
Posted by ブクログ
正直に言うと、読みながら叫びたくなった瞬間があった。悲鳴に近いかもしれない。それくらい、ずっと頭の中でもやもやしていたことが言語化された本。
最近、世の中がやたらと「物語」を求めすぎていると感じてて。
例えば選挙で候補者の物語が語られたり、MBTIで人をカテゴライズするのもそう(もともとMBTIは「根拠ないものだし」)、就活で麗な自分語りをしてしまい、SNSでは感情を動かすストーリーが拡散される。
未知のものをそのまま受け取るよりも、わかりやすい物にはめ込んでしまいたがる傾向が、どんどん強くなっている気がしてそれがずっと気持ち悪かった。
この本はその気持ち悪さを書いてくれる。
特に1章はすごい。
心理系・カウンセラー系の人には必読だと思う。
自分のやっている仕事は欺瞞ではないかと思ってしまうかもしれない。全否定をするつもりはないが、とはいえ、物語(やナラティブ)にはこういう面があるよね、という認識はしておいて損はない。
気になった点を挙げるとすれば、後半が「遊び」の話にフォーカスしていくにつれて、前半の物語化批判との接続がやや薄くなっていく点。
ま、要するに新書って最初の章がすごいのが通例で、これもそれと同じ。
だから1章はすごい。ネタバレになるので書かないがP36.37.38はまさに悲鳴をあげてしまったところだ。
ただ、とはいっても4章と5章は良かった。
ギャンブルの章。お金から付属的な意味を剥き取った行為としてギャンブルを捉える視点はなるほどと唸った。また「おもちゃ的主体」という考え方は、正直けはできなかった。インターネット的な「冷笑」文化と重なって見えてしまう部分をどう捉えるのか
要するに、人生に意味があるかという話の中で、意味があるからナラティブが必要だという意見ではないというのがこの本の最大の主旨なんだろう。
そこは肯定できる。
大きな歴史のスケールで見れば、自分たちの存在なんてくしやみ一回分くらいの時間だ。意味なんてほぼない。でもだからこそ、他人の命を軽く扱ってはいけないし、環境にも配慮しなければと思う。「意味がないからこそ好き勝手やろう」とはならない。
でも「あなたの物語を生きよう」という昨今の風潮に対してちゃんと異議を唱えている本として、読む価値は十分にある。
物語に意味を持たせすぎることへの懸念、ナラティブを利用しょうとする力への警戒心ーそういう感覚を持っている人なら、きっと何度か叫びたくなると思う。
ふとよく他人とトラブル人って自分は自分のナラティブに囚われて、かつ他人をかってにナラティブの中に入れているからじゃないのか、と。
ちなみに、この本、引用文が良い。
一部しかないが。。
「死んだっていい」と憤慨しながら軽々しく吐き捨てるホビット族の主人公フロド。彼を制して、魔法使いのガンダルフはこう諭す。
「死んだっていいとな!たぶんそうかもしれぬ。生きている者の多数は、死んだっていいやつじや。そして死ぬる者の中には生きていてほしい者がおる。あんたは死者に命を与えられるか?もしできないのなら、そうせっかちに死の判定を下すものではない」
歴史哲学者の一人、ポール・ロスは、『歴史的説明の哲学的構造』において、過去の「事実」は存在せず、過去は作られると主張する(Roth 2019)。
Posted by ブクログ
●自分や世界を理解するのに便利な「物語化」に警鐘を鳴らした本。
●事実よりも物語の方が人には響きやすいと言うけれど、その功罪について見つめ直す。→物語はわかりやすいけれど、その易きに流れる姿勢を正して世界を捉える努力が必要。
●物語化は自分や世界のことを理解する上で役に立つが、歪んだ理解に陥る危険性があると説く。序章のタイトル「人生は「物語」ではない」が筆者の主張のすべてだ。本書は、前半は物語化の力とそのリスクについて解説し、後半は物語化に対抗する別の思考のあり方を模索するという2部構成になっている。物語的な生き方に対抗する結論がおもちゃ遊び的な生き方というのは不完全燃焼なところがある。おもちゃ遊び的生き方の独自性は、物語・ゲーム・パズル・ギャンブルと比べてもひと際異質なものであることは理解したが、なぜ異質なのか、なぜ責任感のない責任感という考えが出てくるのかがよくわからない。おもちゃ遊びの性質について、もう少し詳しく解説してほしかった。
Posted by ブクログ
今どきの新書を読めて嬉しい。
MBTIとか時代を感じられるものや流行には疎いので、あまり積極的に触れてこなかったのだがなんか時代を感じてみたくて手にとった本。
Posted by ブクログ
『物語化批判の哲学』 自分用まとめ
1. 物語は「理解」と「共感」と「アイデンティティ」を与える
人は、
* 他人を理解したい
* 他人に理解されたい
* 同じ気持ちになりたい
* 自分が何者かを確定したい
という欲求を持つ。
物語は、その欲求を非常にうまく満たしてくれる。
過去と未来に意味を与え、感情を同期させ、「自分らしさ」を演出できる。
だから現代では、SNS・インフルエンサー・自己PR・就活・マーケティングなど、あらゆる場所で「物語化」が強力な武器になっている。
特にインフルエンサー文化では、「弱さの共有」が強い共感を生み、
「この人を理解できるのは自分だけ」
という幻想が、さらに感情移入と消費を加速させる。
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2. 物語化の危険性
問題は、物語が強すぎること。
人は、誰かが設計した情動に、自分の感情をチューニングし始める。
つまり、
* 「本当に自分が感じた感情」なのか
* 「物語に誘導されて感じた感情」なのか
境界が曖昧になる。
SNSでの自己紹介や自分語りも同じで、
共感を得るために、
* ドラマチックな演出
* 強調
* 大胆な省略
が入り込む。
その結果、「私とは何者か」という理解そのものが微妙に歪んでいく。
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3. 過去は固定されたものではない
本書のかなり重要な視点。
過去とは、単に保存された記録ではなく、
「現在の自分がどう語るか」によって更新され続ける。
つまり、
「思い出す」とは「語り直す」こと
である。
自己理解とは、
客観的な真実の発見ではなく、
その時々の視点で自分の歴史を再編集する行為。
だから人間の人生は、一貫性だけで測れない。
* ブレ
* 矛盾
* 失敗
* その人らしくない行動
もまた、その人の歴史の一部として尊重されるべき。
ハンナ・アレントの
「私は自分の人生の作者ではない。共同制作者にすぎない」
という言葉が象徴的。
人生は、自分だけで完全に設計した物語ではない。
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4. 「正しい人生の物語」は人を抑圧する
社会には、
* 「女性は子どもを産んで幸せになる」
* 「成功とは高収入や出世である」
* 「若いうちは挑戦すべき」
のような、“当然の人生ルート” が存在する。
これは「マスタープロット」と呼ばれる。
マスタープロットは、生きやすさを与える一方で、
そこから外れる人を抑圧する。
だから別の生き方をする人は、
既存の物語に対抗する「カウンタープロット」を、自分で作らなければならない。
これはかなりエネルギーが要る。
⸻
5. 「理解しすぎない」ことの重要性
本書の核心の一つ。
他人を簡単な物語に押し込めないためには、
* 無理に理解しようとしない勇気
* 断片を断片のまま受け止める想像力
が必要。
人はすぐ、
* MBTI
* 性格分類
* キャラクター化
* 属性化
をしたがる。
確かにそれは理解の助けになる。
しかし同時に、
人間をステレオタイプへ固定する暴力にもなる。
本来、人間はもっと流動的で複雑。
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6. 「本当の自分」は存在しない
かなり現代的なテーマ。
人は状況によって顔を変える。
職場、恋愛、友人関係、SNS、それぞれで違う人格を演じる。
しかしそれは「偽物」ではない。
むしろ、
本質そのものが可動的
なのである。
「本当の自分」をどこかに固定して探そうとするより、
複数の役割を演じ続ける存在として、自分を捉えるほうが自然。
⸻
7. 情動資本主義への批判
現代のプラットフォームは、
人々の「感情」そのものを経済資源として利用している。
* 共感
* 怒り
* 推し活
* 炎上
* 不安
* 救済
などの情動を増幅させ、
人々を滞在・消費・依存へ導く。
推し活も典型で、
感情のリンクが切れると、
ファンはアンチへ転落することがある。
人は、自分だけでなく他者までも「物語のキャラクター」として扱い始める。
それは他者を暴力的に規定する危険性を持つ。
⸻
8. 人生は「ゲームを遊ぶ側」であり「設計する側」でもある
現代社会では、
「与えられたゲームで勝つこと」
ばかりが重視される。
しかしそれだけだと、
* ルールそのものを疑う力
* 社会を再設計する発想
* 新しい価値観
が失われる。
重要なのは、
人はプレイヤーであると同時に、ゲームデザイナーでもある
という視点。
人生の価値は、
勝敗や数値化だけでは測れない。
* 美学
* 徳
* コミュニティ
* 失敗
* プロセス
もまた人生を構成する。
⸻
9. 「わからなさ」を残す
陰謀論は、
「世界には一つの真実がある」
という前提に立つ。
なぜなら、
単純な答えは安心を与えるから。
しかし本書は逆を言う。
世界はパズルではない。
むしろ、
簡単に解けない複雑さを持つ。
だから重要なのは、
「わからなさ」を残したまま考え続けること
一つの結論で満足せず、
思考を開き続ける態度そのものが、
世界への誠実さになる。
⸻
10. この本全体を通じたテーマ
この本は単純な「物語批判」ではない。
むしろ、
物語を愛しているからこそ、
物語に飲み込まれる危険を警戒している本。
人は物語なしでは生きられない。
しかし同時に、
物語は人を支配し、
固定化し、
感情を誘導し、
他者を単純化する。
だから必要なのは、
* 一つの物語に閉じないこと
* 自分や他人を簡単に説明しすぎないこと
* 「理解できなさ」を残すこと
* 常に語り直せる余白を持つこと
なのだと思う。
Posted by ブクログ
物語化の批判を通じて人生の捉え方を考え直す、書(?)。
物語化の他、ゲーム・パズル・ギャンブル・おもちゃを批判し(それぞれの考え方の一長一短を示し)、己がどの考え方を取るべきかを考えさせられた(?)。
映画や漫画やゲームや芸人さんやの例示があって、わかるモノはわかったけど、わからないモノはわからなかった。(←当たり前)。
Posted by ブクログ
人生は目的を持たない。物語ではない。不幸はたんに不幸であり、幸福はたんに幸福である。
私たちはそれぞれの場面・対面で、「顔」を付け替えながら生きる。それは、よく比喩として言われるような「仮面」ではない。私たちは仮面など付けていない。なぜなら、仮面の向とうに唯一の顔などないのだから。
私たちは、顔自体を替えて生きる。本質がないと嘆くにはあたらない。本質とそが可動的なのだから。ゴフマンはこう言う。「人がいてその出番が来るのではなく、出番があれば出番にふさわしい人が現れてくるのである」
世界は舞台だ。そして、舞台を離れてハムレットは生きられないように、あらゆるシーンや対人関係から離れた「本当」の自己は存在できない。ある会社の職場の課長でもなく、パートナーと付き合う恋人でもなく、自分の親の子どもでもなく、電車に乗っている人間でもないような、「本当」の自分はいない。
私たちは、社会的関係の中で、自己のいろいろな現れを呈示する。
世界という舞台の中で、複数の役割をパフォーマンスし続ける複数形の「私」の集まりが私であり、あらゆる状況から離れた「本当」の私は存在し得ない。
Posted by ブクログ
タイトルは物語化批判となっているが、最終的な主張及び結論は少し違うように受け取れる。
現代の[推し]文化について様々な観点から物語化に触れつつ、資本主義のゲーム性、ギャンブル、遊びの4つのメタファーで締めくくる。
そして最後には[遊び](本書では子供のおもちゃ遊び)にこそ重要なキーがあって、世界を単純化して解こうとする姿勢を問い直すことを教えてくれる、と私は受け取った。
Posted by ブクログ
直近、我々は本来もっている無限の知覚をことばにすることによって喪っているんではないかと思っており、この本を手にした。決してやさしい本ではないが、浅い理解はできたのではないかなと思っている。ストーリーも一種のカタであり、カタに嵌めるということはカタに付随しない情報を落とし、カタが含意してしまっている情報を了解してしまうということ、なのかな。
Posted by ブクログ
夢を持てとか、自己分析とか、物語にはうんざりしていたので、スーッと入ってきました。
新書は読みやすい反面、もうちょっと分厚い本でディープな内容も読んでみたいなと思いました。
Posted by ブクログ
フィクションとしての物語だけではなく、 自分や他者について「物語」として語ることに重きがおかれ、SNSやニュースからも「物語」を受け取る現代社会において、物語の危険性と遊びの哲学について論じた一冊。
自分は子どもの頃からフィクションとしての物語が好きだ。
それだけでなく、人の人生としての物語やニュースの物語性にも興味を惹かれる。
だからこそ、物語に対する批判を知っておきたいと思い、当書を手に取った。
読んでいて感じたのは、「自己」や「他者」を物語化することは自分や他者を「理解」しているとはいえないということ。
さらに厄介なことに、物語化することで理解しているような気になれてしまう。
自分自身、理解しているような気になれるからこそ「物語」が好きなのかもしれないとハッとさせられた。
その他にも、人生に起きたことの意味など見出さずにそのまま人生を愛する考え方もあることや、SNSやニュースで激しい情動を喚起するような現実の物語とどう付き合っていくかという話等、印象的な話題が多かった。
一方で後半は、物語を人生の「遊び方」の一種と捉えた上で、物語以外の「遊び方」としてゲーム、パズル、ギャンブル、おもちゃという4つを紹介をしている。
個人的には物語に対する批判や物語との付き合い方についてもっと読みたかったというのが正直なところ。
そういった自分の心境もあってか、前半とどのように繋がっているのか、最後まで理解しきれないまま読み終えてしまった感じがあった。
Posted by ブクログ
“物語化”とは、心理学者ジュリアン・ジェインズによって定義されたnarratizationのことか?
人生は多かれ少なかれドラマを持っている。どのように描かれるかによって、“平凡な人生”であったり、“稀有な人生”であったりするのだ。
物語篇は以上。そして、自己や世界を理解するための扉の先にあるのがゲームやパズルやギャンブルやおもちゃ…という探求篇に続く。
それぞれ言いたいことはわかった。自己や世界を理解する方法を見つけるための筆者の思考をまとめたもの?
けれど、書籍名の「物語」との結び付け方に強引さを感じるのは私だけ?
なるほど!ともならないし、じゃあアレはどうなのかな?ともならない。
Posted by ブクログ
大学4年の夏、特別ゲスト講師として30分か60分かそこらの間、難波優輝と松永伸司の講義(という名の対談)を聞いた。なんの縁か、そこからこの本を手に取るに至ったが、なるほどどうして、タメになる本ではあったのだろう。
物語化批判の哲学、タイトル通りである。第1章ではページを繰る手が止まらなかったし、これは私のために書かれた本だ!とまで思った。第2章以降は残念ながら今の私には刺さらず…。
これまでの多くの期間で、あまりにも人生に『物語』を求めすぎてきた。「お前の人生は劇的か?悲劇的か?喜劇的か?歌劇的か?」という貝木泥舟の問いかけを胸に刻んだ中学時代から、兎角ドラマチックな生き様こそが有意味だと信じてきた。そんな私の心の裡に一石を投じるには十分すぎる本だった。自分のキャラクターには拘らず、過度な物語化を警戒しつつ、軽やかに遊びながら生きてゆこう。
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この本単体でも非常に興味深い内容ではありますが、(他作者の本で申し訳ありませんが)、「イン▪️ザ▪️メガチャーチ」を読み終えた後に読むとより内容に共感しやすいかなと思います。
Posted by ブクログ
昨今の推し活や過剰な考察ブームに対する強烈なアンチテーゼ。イン・ザ・メガチャーチを読んだ後だと、より一層その批評性が際立つ一冊。偏差値やKPI、いいね数といったわかりやすいゴールに人生をゲーム化し、自らを型にはめてしまうことへの警鐘。効率よく適応するためのキャラになりきり、人生の複雑な本質を取りこぼしてしまう危うさに対する深い洞察。
小難しい用語が並ぶ一方で、オードリー若林と星野源の対談やシュタインズ・ゲート、さらには芸人の岡野陽一までを引用する独特の語り口。
明確な処方箋や熱い啓発を求める読者には不完全燃焼に映るかもしれない。しかし本書の真価は、現代社会を覆う物語化の暴走に一旦ストップをかけ、人生のあり方を根底から問い直すための問題提起的な本。
Posted by ブクログ
痛烈な批判をテーマに論理立てて語ってるのかなと思ったらイメージと違った
話につながりがない訳では無いけど結局何を主題にしたいのか分かりにくいというか
作者と同い年なので例に出されてる作品はわかるんだけど、なんて言うか、それ言いたかっただけじゃない?みたいな例えとか引き合いが多くてあまり意味を感じなかった(シュタゲの例とか伝えたいことはわかるんだけど)
期待より面白くなかったかな
Posted by ブクログ
1周目はなんか要領を得ないな何が言いたいんだと思いながら読む、2周目でこの人はつまりおもちゃ的主体でもってこの本を書いたのだと思った
メモ:物語…人間は感情的になること、感情を共有することを快と感じる生き物、情動とは社会的に構築されたものであるから再構築もまた可能、MBTI診断だのADHDあるあるだのの特徴に自己理解、他者理解を求め人間を「型にはめる」ことの危うさ、実際は場面で振る舞いを変える、TPOから離れた「真の自己」など存在しえない
その他①ゲーム…目標を数値化しクリアを目指す、「一階の欲求と二階の欲求」、与えられたルールの中でうまくやる(人生においては、ルールは可変)
②パズル…陰謀論と考察、「真実」を求めピースを集め「ハッとする」体験、唯一の正解
③ギャンブル…人生は不確定ゆえに現実に触れる実感がなく退屈、何を賭けているのか、途中までコントロールできる、ひりつき、現実に触れる実感がわく
④おもちゃ…破壊的であり創造的
まあそうだよね、極端だけどあえてか、それぞれよく分析している、理解できる
変わってんだろうなこの人、引用の名前が多いのはややノイズ、著者のドヤ顔が透ける
それぞれのテーマは面白かったけど自分には必要ないといえば必要ない本
Posted by ブクログ
自戒を込めて読んだ。
今の世の中、ストーリーテラーパンデミックで怖いよね。物語を悪用して拐かすやつ、自分でも気がつかないうちに物語を流布するやつ、踊るやつ、踊らされるやつ。
わかりやすいところでは政治とか戦争とかでもほんとに物語化して焚きつける輩がいるし、自分もそのわかりやすい物語に流されてる部分もままあると思う。
「わかりやすさ」は同時に危険な甘言であることも多いから、飛び付かずにしっかりと自分の頭で考えて、どう動いていくかってことは考えないといけないと思うし、自分も気をつけようと、改めて。
Posted by ブクログ
2026/4/25
とりあえず読破。
言い訳するために、自分を守るために、物語化するところは少なからずあるよなと。子供のように柔軟に相手との違いを受け入れ、しなやかに遊ぶように生きていけたらと思った。
Posted by ブクログ
・難波優輝『物語化批判の哲学 〈わたしの人生〉を遊びなおすために』は、人が自分の人生を「ひとつの意味ある物語」として整理・理解しようとする態度(物語化)を批判的に検討する書である。
・人は過去の出来事を因果的に並べ、「あの経験があったから今の自分がある」といったストーリーを作るが、それは後付けの解釈に過ぎず、偶然性や多様な可能性を切り捨ててしまう。
・物語化は自己理解を助ける一方で、「こういう人生でなければならない」という規範や自己拘束を生み、自由な選択や変化の余地を狭める危険を孕む。
・特に現代社会では、自己啓発やSNSを通じて「一貫したストーリーを持つ自己」が理想化されやすく、それが他者との比較や自己否定を強化する要因になっている。
・著者は、人生を一貫した物語としてではなく、「断片の集まり」「複数の可能性が併存する場」として捉える視点を提示する。これにより、過去の意味づけを固定せず、別様に解釈し直す余地が生まれる。
・「遊びなおす」とは、既存の物語を一度相対化し、異なる語り方や視点を試すことを意味する。これにより、自己像を更新し続ける柔軟性を獲得できる。
・重要なのは物語化を完全に否定することではなく、それが一つの仮構であると自覚し、必要に応じて書き換え可能なものとして扱う態度である。
・結論として、本書は「意味のある人生」を固定的に求めるのではなく、不確実性や偶然性を受け入れつつ、複数の解釈を行き来できる軽やかな自己理解のあり方を提案する。
Posted by ブクログ
うーん…今読む必要は自分には無かったかな。
理論的に人間を分解していくような視点に違和感があった。ただ…
違和感も含めて「自分は何を大事にしているのか」がはっきりした読書だった。
Posted by ブクログ
物語って純粋に楽しめばいい、自分の人生になぞられてもいいが、それだけに囚われてしまってはいけないという啓蒙書。
価値基準を押し付けることへの反抗の書とも言えそう。
物語・ゲーム・パズル・ギャンブル・おもちゃ遊びという、5つの遊びの視点によって多様かつ深い、自己や世界についての理解の術を得るヒントが得られるかも。
おもちゃ遊びの無目的な側面は、國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』・『目的への抵抗』を想起させる。
Posted by ブクログ
興味をそそられる切り口だからずっと読むのを楽しみにしていた。文章が私には難しいのか、文字を追っていても内容がすっと入ってこなくて読むのが大変だった。同じ文を何回も読み返しても理解できている実感があまりなかった。読書筋力がついたら読み返したいな。
物語ではないことを物語的に考えたり語ったりすることってリスクもあるんじゃないか、となんとなく思った。でも私は物語が好きだから、物語から抜け出すのは難しいんだろうな。
Posted by ブクログ
朝井リョウの『イン・ザ・メガチャーチ』の副読本として、勧めているXの投稿を見たので、読んでみた。
『イン・ザ・メガチャーチ』が(恐ろしい意味も含めて)物語の力を描いた小説だったが、
この本は、そこにも描かれていた昨今の物語が過剰な時代に対して、人生を物語として考えることの危険性と、その考え方の対案として、遊びとして人生を見る考えを提案している。
そこで挙げられている遊びは、ゲーム、パズル、ギャンブル、おもちゃで、目次だけ見たときは、?マークが浮かんだが、確かにそれらを人生のアナロジーとして考えることはあるなと感じた。
人生をゲームとして考え、経験値を積み、効率的に攻略しようとしたり、
パズルのように、社会の陰謀や考察に耽ったり、
ギャンブルとして、一か八かのヒリつきに熱中したり、
ルール無用にその時その時をおもちゃのように遊んだり、
人生を、配役や筋書きのある物語としてでなく、遊びのように考えることもできる。
こう考えなければならないという提案ではなく、自分の考え方を相対化して、もっと柔軟に好きに考えてもいいかもなと思わせてくれる本だった。
Posted by ブクログ
人生を解釈しすぎるから心身に不調が訪れる
人格そのものをコンテンツとして販売する文化
自己分析という名の強制物語化
自己の予測可能性を他人のために用意する行動
思い出しは語り直し
物語の押し付け、物語的不正義
不幸は単に不幸で、幸せは単なる幸せ
マスタープロット
物語から情動を感じる
情動を感じることそのものが喜び
情動において人とつがりたい
スペキュラティブフィクション
MBTIの流行、キャラクターとして生きる、マッピングされることの快楽
過去の経験者ではなく、未来の理想状態から逆算しそれを体現するためのキャラを自分で振る舞う
そうするうちに理想に近づく、生き方のガイドとする
MBTIによって自分を不当に固定化される危険がある
推し活は他者をアニメートする行為
他者の在り方を暴力的に規定する
だから裏切られたとアンチファンが生まれる
物語のをそのものとして、楽しむのでなく、物語として他人や自己を理解している
そこに警戒している
物語化批判のところは面白かったけど、ゲーム、ギャンブル、パズル、おもちゃへの発展は少し一冊の本としては冗長で語りきれてないようにも感じた