難波優輝のレビュー一覧
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ネタバレまぁぼちぼち。望んでいない性的雰囲気に巻き込むから悪い、望まないタイミングで性的欲求を刺激するから悪い、というのは納得感があった。
「変容しない」という選択をしたことで、「自分はこういう人間だったのだ」とあらためて自己について発見できる、というのは目から鱗だった。
人は越えがたい境界を恐れ、他人を理解してしまおうとする。それに対して、「他人の理解できなさを味わう」というのも新視点だった。「無理やり自分の理解に押し込めないように気をつける」という否定形の決断よりも、なんだかポジティブで良い感じがする。
その他はうーん…。「えっち」としているものの範囲がちょっとわかりづらいというか、自分の感性とは合わなかった。(語り口は丁寧なのだが)やたらと性的な比喩を使いたがる下品な男のようで、少し苦手だった。(それを「えっち」と呼ぶ必要があるか?と感じる場面が多かった) -
Posted by ブクログ
ネタバレ<目次>
第1章 「スポーツする」とは何か~<スポーツの定義と起源>
第2章 失敗すると人間は強くなるのか~運動発表会と失敗主義
第3章 体育会系文化とは何か~汗と努力と礼儀と労働
第4章 アスリートはなぜ夢を背負わされるのか~ペスソナ的不正義と青春化
第5章 オリンピックはなぜ魅力的なのか~平和と戦争
第6章 究極の能力は存在するか~ジェンダーとディスビリティ
<内容>
スポーツを哲学するのだが、肯定的ではなく、否定的に見ていく(”アンチ・スポーツ”というタイトルですから)。本書を手に取ったのは、自分も高校という現場にいて、野球部だけが夏休み前(夏の甲子園の予選)に特権され、さまざまな行事やテストが影響を受けていたり、運動部の顧問が妙に威張っていたり、何かしっくりこない気持ちがあったからである。かつては運動部の顧問をしたが、「強くしたい」の気持ちがあったものの、部員が楽しく高校生活を過ごせればいい、ぐらいの気持ちでやってきた気がする。
「哲学書」なので、難しい面も多々あったが、著者の主張は概ね理解でき、賛同できる面も多かった。部活の努力が(成功しなくても。大方失敗する)、社会に出てから役に立つとか、人生は競争だとか、こういうのはレトリックでしかなく、さまざまな体験が社会勉強にはなるだろうが、それはスポーツである必要はない。また「究極の超人」を考える際に、ジェンダーやディスビリティの問題は避けられない。当初のオリンピックや競技会の発想を超えてしまっている現在、誰かが鳥瞰的に作り直す必要があるのではないか? -
Posted by ブクログ
性的なものとはどういったものか、また性的なものが及ぼす悪さとは何なのだろうか。
悪さの原因をいくつかのポイントにまとめ、それらを順番に考察していく。
(性的なものが良くないと言っているわけではなく、性的な広告等が大々的に掲示されることが良くないと言っている。)
悪さの要素となるものの考察の中で、二階の欲求の話がとても面白かった。
この考察を読み、我々は性というものに対して、薄っすらと罪悪感を持っているのではないかと思った。
この話は別の話になるのでまあ良いとして。
後半で語られる「えっちさ」というものは「性的である」ことより様々な多くの要素を含んでおり
気まずくなく、我々が感じる罪悪性が薄いのではないかと思った。
サクサクと様々な観点から「性的なもの」「えっちなもの」というものが語られていくため、それぞれの章にまだまだ議論や考察の余地ある一冊だと思った。 -
Posted by ブクログ
夫という他人(しかも異性)と生活していると、同じものを見ていても「えっちだ」と言うことがあり、その(性的な)感受性の高さに驚く。
同じものでも、性的だと感じる人もいれば感じない人もいる。これはどうしてなんだろう?と日頃から思っていた。
だから、「性的」について分解して考えた本を読みたかった。
欲しかった答えは得られなかったけれど、これはこれで面白いと思った。
同年代の方が書いているので価値観が近いだろうし、著者の考察だとしても勉強になる部分があった。
なんていうか、フェミニズムが関わってくるんだな。それはそうか。
もう少し夫と議論を深めてみたい。