エリザベス・キューブラー・ロスのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「はしがき」を少し読んで心をつかまれてしまい、1死の恐怖について、2死とその過程に対するさまざまな姿勢、で、この本は絶対、今私が読んで勉強しないといけない本だ!と確信させられて、3章からはもう、夢中になって読んだ。
そりゃ、『否認→怒り→取り引き→抑鬱→受容』なんてこと、教科書で読んで知ってましたよ、順番を答えさせる国試の過去問もいっぱい解きましたよ。
でも、そういう上部だけの知識を覚えて、知ったつもりになってただけでした、私は。
実際のインタビューを読むと、患者さんの心の揺れも、聞く側のしんどさも、読んでるこちらまで一緒に揺れてしまいそうなくらい伝わってくる。実際に聞いたら、感じるものは、その比じゃないじゃないんだろうな。
そりゃ、聞く側も避けたくなるだろう。でも、だからこそ、そこを言語化してチームで共有できることが、支援者にとっても患者さんにとっても有益なんだろう。
さて私は、無視したり否認したりせず、受容できるのだろうか。
P84
『患者と接する際には私たち自身の反応をも十分考慮する必要があるということだ。私たちの反応はつねに患者の言動に反映し、その反応ひとつで患者の病状の善し悪しに大きな影響を与える。自分自身を正直に見つめることは成長・成熟を大いに助ける。そしてその目的を達成するには、重病患者、年老いた患者、死の迫っている患者に接する仕事に勝るものはない』
夢中になって、急いで最後まで読んでしまった。また、何度でも、ゆっくりじっくり読み直したい本。 -
Posted by ブクログ
60年近く前に書かれた本の30年ほど前の新訳版だが昔の話という気がしない。ガンの治療はかなり進化し、情報量は格段に増え家族や周囲の在り方も大きく変わっているはずだが、ひとが死に瀕するということはそう変わるものではないのかもしれない。訳者あとがきによるとこの新訳版では末期患者へのインタビューを省略せずに収録したとのこと。自分もその場でオブザーブしているような感覚で読み進められる。
医療スタッフの拒絶や敵意にもめげず、根気よくアプローチを続け、死にゆく末期患者に寄り添うことの意義という従来になかった価値感を創出する偉業を果たした著者が、その後、死後の世界にのめり込んでいったというのが意外な気がした。人間はやはり複雑である。
P15 私たちの無意識にとっては、死ぬのは殺されるときだけであり、自然現象や老齢のために死ぬなんて考えられないのだ。そのために、死は、それ自体が報いや罰を招くような悪い行い、怖ろしい出来事を連想させるのである。
P[19 人間は基本的には少しも変わっていないんだということをを強調したかったからである。死は今なお怖く恐ろしい出来事である。そして死の恐怖は、もう克服したと思っていても、程度の差はあれ、いまだに万国共通の恐怖なのである。変化したのは、死・死の過程・死に瀕している患者に対処する私たちの姿勢のほうである。
P21 そもそも点滴が用いられるのは、大勢の人の手を煩わさず、個別の世話をしなくても身体に必要なものを与えることができるという単純な理由からに過ぎない
P24 (病院の環境は)健康な時だったらとても我慢できないようなものだ。騒音、照明、ポンプ、人声、そのどれもが耐え難く、到底言葉では言い表せない。わたしたちは、シーツと毛布の下にいる患者のことをもっと考え、善意めかした能率主義と大騒ぎはやめ、患者の手を握り優しく微笑みかけ、質問に耳を貸したほうがいいのではないか。
P119 一人でいたいこともありますから。孤独が怖いのではないのです。健康であれば人を必要とすることもありません。怖いのは拷問のような痛みなのです。【中略】(ある種の人間的尊厳を失わないためには)一人ではそれが不可能な時もあります。
P129 あるがままの自分を受け入れてもらってもいいと思うんです。みんなにうるさく要求することになろうと、誰かが何かしてくれるのを待つことになろうと。どちらでも構いません。みんなは私に腹を立てていますが、自分で勝手に腹を立てているのです。私が怒らせたわけではありません。
P132 人に頼むのは精神的に負担かもしれませんが、頼むことは乞うこととは違います。おわかりになりますよね、もっと勇気がいる。
P195 家族やスタッフは(受容に到達しようとしない)患者を強いと思い込み、最後まで生きるために戦えと励まし、自らの最期を受け入れるのは臆病者のあきらめ、家族に対する裏切り、ひいては家族の拒絶だとほのめかすかもしれない。それでは、患者自身にわずかでも戦う意思があり、しかも医師たちの助力があれば延命の可能性があると思われる場合、どうすれば患者の諦めが「早すぎる」と判断できるのだろうか。医師たちが延命を望むのに対し、患者が安らかに死を迎えたいと望んでいる場合、諦めと需要の段階を見分けるにはどうしたらいいのだろうか。
P240 患者には死について語りたいと思う日がある。【中略】同じ患者が翌日には、人生の楽しい側面についてだけ語りたいと思うかもしれないという事実を、私たちはつい軽視しがちである。しかしそういう患者の気持ちは尊重しなければならない。
P293 家族の怒りが、直接私たちや個人や神に向けられても、広い心で受け入れてやれば、彼らは罪悪感を持たずに紙の需要へ大きな一歩を踏み出せる。彼らが社会的には許されないような考えを口にするのを責めれば、彼らの悲しみや羞恥心や、しばしば肉体的・精神的不調をもたらすこともある罪悪感を長引かせてしまうことになる。
P334 (死とは)すばらしいものだと思います。家に帰るみたいなもの。神様の近くにあるもう一つの家にね。【中略】なんとなく思うのは、みんなに再会できる場所っていうか、とても居心地がよくて、誰か他の…なんていうか特別な人がいるところなんじゃないかしら。【中略】欲求もなくて、ただそこにいればいい。二度と一人ぼっちにならないし。【中略】(食べる必要も)ないと思います。力は自分の中に備わっているのだから。この世のものは何も必要ない。
P403 (シセリー・ソーンダンス医師は)末期患者の大半は死期の近いことを自覚しており、それは告知されていたかどうかには関係ない、と断言する。だから患者と死について語り合っても、決して嫌な思いをすることはないという。
P413 看護婦は私たちにとって生徒でもあり教師でもあり、セミナーのために大きく貢献してくれた。
P425 関心のある人たちが自分を注目していることにはっと気づくのだ。この注目こそが、末期患者を力づけるのである。
P448 「言葉を超える沈黙」の中で臨死患者を看取るだけの強さと愛情を持ったひとは、死の瞬間とは恐ろしいものでも苦痛に満ちたものでもなく、身体機能の穏やかな停止であることがわかるだろう。人間の穏やかな死は、流れ星を思わせる。 -
Posted by ブクログ
読むべき1冊だと思う。
末期患者と病院という場の相性の悪さを感じた。
この本の中では、看護婦や医師の態度の悪さが度々書かれている。末期患者側からしたら、怒りを感じるだろうが仕方ないのかもしれないと思いながら読んだ。
治療して良くなることを目指す場であるから。だからホスピスという場が生まれたのかもしれない。
末期患者の孤独、不安を汲み取り死をタブー視せずスタッフたちと向き合える病院があって欲しい。
死は死に至る過程が終わる瞬間に過ぎない。患者にとって死そのものは問題ではなく、死ぬことを恐れるのは、それに伴う絶望感や無力感、孤独感のためである。 -
Posted by ブクログ
年末に重たいテーマに臨んだ。誰もがやがて訪れる死。死に至る心の5段階のプロセスは言葉として学んでいたが、この本を読むまでは、200人以上の臨死患者のインタビューが基になっていることや、精神科医である著者がインタビューを行う際に、周りの医師から異端とも捉えられる困難な状況であったことは知らなかった。人が死を迎えるにあたり、決してこの5段階の順序は踏まなかったり、受容まで行き着かない場合もあるだろうとは思っていたが、著者はその点をかなり深堀して、患者に向き合い、死を恐れるのは患者だけでなく医療者側もそうなんだ、その恐れを患者に向かわせてはいけないといった警告も発せられている点はもっともだと思った。多くの臨死患者と向き合い、苦悩や痛みをしっかり受け止めるには、多くの患者と接する経験が必要なんだと改めて感じた。もう少し自分が死に対して距離が狭まってきたと感じた時に再読してみたい。
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Posted by ブクログ
2025/09/26
p.170
あるていど自責の念をもつことは必要である。それがなければ、社会は秩序を失ってしまうだろう。ただ、罪悪感には「そこまで」という赤信号がないことが問題なだ。わたしたちは、走っている車は自分の車だけだとおもいこんで、罪悪感という道をどんどん突っ走ってしまうのだ。
2025/03/17
第一章 「ほんものの自己」のレッスン での、冒頭のエピソードの凄まじさに驚きました。
その後の一節にビビッときました。
「わたしたちはみなこころの憶測に、自分がそうなるはずだった何者かが住んでいることを知っている。そして、自分がそのような人間になるだろうということを、感じとることができる。逆のいいかたをしてもいい。なにかがおかしくなっているとき、そうなるはずだった自分とはちがう自分になっていることを、わたしたちは知っているのだ。」
そう、「人間は恐れや罪悪感と格闘している。意味を、愛を、力をもとめている。<中略>どうすれば真の幸福が手に入るかを模索している。」
暗中捜索始末人ですね。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ■自分を「明け渡す」って?■
医師であり、死に関する研究の第一人者であるロスさんの長年の臨床と研究、そして人生の集大成とも言えるのではないか。叡智と慈愛に溢れた内容だ。
他者を変えることはできない、自分を変えるしかない。人を裁いてはならない。コントロールできないことをコントロールしようとしてはならない…そういった理屈は頭ではわかっているつもりだ。
しかし実践となるとどうだろう?僕の感情は賢明な反応を示してくれるだろうか、思考を理屈どおりに動かせるだろうか…そんなに簡単に実践に移せるなら聖人だ。この世の人生は必要じゃないかもしれない。
著者は次のように述べる。人生において降りかかる苦悩や困難は僕たちに与えられた課題、レッスンであり、そこから何かを学ばなければならないと。
そう考えると、すべての不幸や苦悩、理不尽な状況が冷酷なだけのものではなく、あたたかい色彩を帯びてくる気がする。(あくまで客観的に見ることができる場合だが…)
“どんな時でも、人は自分を明け渡すことによって、限りない平和を見出すことができる”(第12章より)
「自分を明け渡す」というのは、決して人生を投げ出すというスタンスではなく、何でもコントロールしたいという執着を手放す、流れに身を委ねるといった意味だろう。
変えることのできない状況を変えようとすることは、嵐の海で荒波に逆らって小舟の舵取りをし、無駄に自分を消耗させているようなものだ。いずれにしろ漂流、転覆、座礁は避けられそうにない。なら無駄な抵抗はやめ、あるがままの現実を受け入れ、できることなら穏やかな心で流されるに任せる方が賢明ではないか。それが自分を明け渡すという態度ではないだろうか。
僕はある人との関係に苦しみ続けている。
つまり、今明け渡しのレッスンを受けているのだ。
否定でも拒絶でもなく、闘争でも逃亡でもなく、受容(=明け渡し)
長年かけて形成された川の流路のように、感情の反応や思考の癖は簡単に修正できるものではない。しかし、これがレッスンであるなら、いつまでもサボってるわけにもいかない。 -
Posted by ブクログ
講演者の真価は、「質疑応答」での応答にあると私は思う。
その意味では、本書は「死」という一番、共感が難しい人生の局面で寄り添うことの大切さを、質問を通して説いた希有な書である。
自分も多くの講演を依頼されるが、毎回、新鮮な質問が寄せられることに、自分の問題意識を深めさせてもらっている。新たに産み出された応答が、また、次の講演に活かされていくのである。
清掃係の女性のエピソードは、移動中の読書であったにもかかわらず、涙が止まらなくなってしまい、しばしページをめくる手を休めた。世の中には、深い悲しみを背負いながら、また、だからこそ、人に深い優しさを捧げることが出来る人がいる。
自分も、誰かの最悪の危機に際して、静かな力になれる、心のこもった「人間」でありたいと思った。