木原善彦のレビュー一覧

  • ジェイムズ

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    家族と離されて売り飛ばされる。奴隷のジムは逃亡を決意し、途中で一緒になったハックとミシシッピ川を下る。トゥエンの「ハックルベリー・フィンの冒険」を奴隷のジムの視点から描いたスピンオフ。
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    「ハック・フィンの冒険」を読んでから、近年に出版されたというこちらにも興味を持っていたのですが、これはなかなか読んでいて苦しいお話でした。まあ逃亡奴隷の話なので当然といえば当然ですが、「ハック・フィンの冒険」のように、子どもの冒険譚のようなお話を想像していると厳しいです。当時アメリカで黒人奴隷がどのように扱われて、白人に対してどのような態度で生きていなければならなかったのか、正直に言うとどこまで本当のことなのかは知りようもないのですが(だから学ぼうとも思いました)、大体において正しい描写なのだと思います。人をひととも思わぬ所業というのは、身近にないだけで消えたわけではありませんし、少しの油断で我が国でもそうなるものでしょう。少なくともこうした本を読んでおけば、そうした所業に足を踏み入れることをよく考えてみる機会にはなるでしょうから、やはりなるべく多くの人に読んでほしい本だなあ、と思いました。

    「人権」という言葉と概念はいつの時代でも風の前の蝋燭の火のように頼りありません。だからみんなが学び、必死に守っていかなければならないものなのだと思うのです。

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    2026年02月20日
  • プレイグラウンド

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    ネタバレ

    しばらく「視点は誰?」「ん?誰に語っているの?」など少々混乱したが、最後のほうまで行くと、そうかそう来たかーと。
    面白かった。

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    2026年02月14日
  • プレイグラウンド

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    初読時はラストに違和感ありつつ仕掛けに気づかず。訳者解説読んでもう一回読んで納得。その部分抜いてもパワーズ節というか、ただ読み進めるだけでも楽しい。

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    2025年12月27日
  • ジェイムズ

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    2025.12 日本には欧米のような奴隷制度はなかったので遠い国の残酷な制度としか思えないが、奴隷に対する残酷な仕打ちと茶番劇が軽妙に描かれたこの小説、すごいね。ジムは淡々としているけれど読んでいて苦しい場面もあり、痛い場面もあるけれどハラハラしっぱなしでした。

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    2025年12月25日
  • プレイグラウンド

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    ネタバレ

    伊与原新さんの推薦文を読んで購入。
    少年時に海に魅せられた主人公(と表現して良いのか分からないが)の、学生時代の友人との交流と別れ、そしてIT業界での成功とレビー小体型認知症。
    終盤で、本書の仕掛けが明らかになる。最後まで読んで、訳者解説を読んだ上で再読すると、より分かるのだろうなあ。…ただ、本の厚さと、訳書であるがゆえの文の取っ付きにくさや人名の分かりにくさがあり、再読する気力が沸かないというのが正直なところ。
    原書では英語だけでなく様々な言語が織り交ぜられているのだろうか、そのあたりも翻訳に反映されているようだったので、翻訳もすごく大変だったのだろうなと思ったけれど、読むのはちょっと大変だった。
    訳者解説は、一読だけでは物語の全体像を掴めない読者も多いだろうと想定して書かれているような気がする。ネタバレは基本ないので、最初に、あるいは物語の途中で迷子になった時点で解説を読んでも良いのかもしれない。
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    主人公が人生の集大成的なものとして世に出そうとしていたのは、シンギュラリティを起こしたAIということなのだろう。そんなAIであっても、(生命と同じように、)遊ぶということが主題のひとつ?その遊びの一環として、主人公にとっての極めて私的な物語を書いた。
    ただ、個人のSNSなどの投稿を学習させた上で書かせているから、一定程度の真実がある物語なのだろう。どこまでが本当で、どこまでがAIの創作なのかを見極めるのは難しい。真実かどうかは重要ではないとも言えるのかも。
    物語に登場して活動する一部の登場人物は既に亡くなっている。亡くなった人を復活させることが物語の目的だとすれば、死者が登場することは矛盾や欠陥ではない。

    舞台となる島の、住民投票をめぐるやり取りや、住民同士の関係性が、冗長というか、これ必要だった?と思ってしまった。

    実際のところ、SNSやその他のネット上の活動を取り込まれたとして、それで個人の振る舞いや内面がどれだけ再現できるだろう。それだけで、デジタルツインと言えるくらいの「私」が生まれるだろうか。今はまだそこまではネット上に個人の履歴を開け渡してない気がするが、認識が甘いのだろうか。

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    2025年12月22日
  • プレイグラウンド

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    生物が包容する圧倒的なディテールや、科学の目だけが辿り着ける真理の美しさにぞくぞくするので、それらを詩的に描いて物語のうねりの中に綾織るパワーズの小説には、彼にしか書けないエモーションを感じます。今回も大きくて繊細なものを受け取った気持ち。

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    2025年11月25日
  • カーペンターズ・ゴシック

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    地の文でも会話でもナレーション的な説明がされず、読者は情報の断片を拾いながらストーリーを作り上げていくことになるが、それは陰謀論を作り上げるのとそう変わらない行為のようにも思える。作中の各人物は、その人について話している人が誰か、対話の相手が誰かによって印象が揺れ動き、読者にとって信頼できる人物は見当たらない。謎めいた言葉の連なりは、今起きている会話や動作の描写の中に、テレビで流れている映像の描写や作品内外のテキストをシームレスに織り込みながら流れていき、幻惑されるような美しさを感じさせる。言葉そのものが、今起きていることのレイヤーを分裂させ、上塗りし、つぎはぎしていくかのような。説明のなさや明暗の描写の美しさから、途中までは映画を見てるみたいだと思っていたけれど、これは小説ならではの体験だった。

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    2025年06月22日
  • オーバーストーリー

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    ネタバレ

    【木々の描く物語を想像してみる】
    世代を超えて存在する木と森林と生態系と、そこに異なる形で関わることになった人が想像する物語の話。

    人は木材を生産する時、木を守ろうとするとき、木を学問する時、自然に対する自らの視点を示すのかもしれない。

    木にまつわる神話や言い伝え、木材の伐採、森林占拠運動、科学、生物多様性…

    ‥

    環境保護が欺瞞になる社会。

    この世界で、人間が特別なのは、私たちが人間だから当たり前だと思う。
    自分の家族が自分にとって避けられず特別な人間であること、
    自分の国が自分にとって特別であること、
    自分が自分にとって特別な人間であること。

    それは避けられない。

    けど、
    それで他者に対して、他国に対して、他の生命に対して、
    傲慢になることは違うと。

    あらためて。

    無知の知は、知らないことを知るだけじゃなくて、知りえないことがあると知ることでもあるのかなーとか。

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    2024年03月30日
  • 愚か者同盟

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    60年代ニューオーリンズが舞台らしいけど、高学歴引きニートと捉えれば令和日本でも充分通用するよね。巨漢で話の通じないヤバいヤツとすると空気階段のコントみたいな。オカンと元カノはかたまり2役。

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    2022年11月03日
  • オーバーストーリー

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    樹木と何らかの関わりを持ち、樹木をそれぞれのやり方で大事に思うようになる人々個別の物語が最初にある。短編集のようになっている。
    中盤以降は、彼らの物語が一つに絡み合い大きな流れとなっていく。

    木自体ですでに多くの生態系を抱える環境になっており、地球規模の視点で環境を見ても木は重要な役割を果たしている。極端に言ってしまえば人間は邪魔者でしかないが、さすがにそこまで言わずとも、そのことを認識しながらもっと謙虚な生き方を人間はすべきだろうと考える。
    木になったつもりで、木の視点で世界を見てみる。千年生きる木の時間からすれば、その周りを動き回る人間など、人間の周りで目にも留まらぬ速さで動き回る小虫のようなものだろう。

    長すぎるのと、時々出てくる詩的な表現によって文意を解釈しにくくなってしまうのがやや欠点。

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    2021年02月22日
  • オーバーストーリー

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    読みごたえあった。7月から約半年かかって読んだ。総じて言えば木と人間の話。壮大。壮大すぎて理解不能な文章が並ぶ。聖書のよう。よくもまぁこんなに脈略があるのかないのかわからない文章をツラツラ書けるな。しかし脈略がないようであるのが木で、あるようでないのが人間、なのかもしれない。

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    2020年12月30日
  • オーバーストーリー

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    圧倒された。また時を経て読み返したい。読んだ後の世界が違って見えると訳者の後書きにも出ていたが、本当にそんな感じ。情報量も揺さぶられる感情の量も多い。じっくり噛み締めて咀嚼したい。

    ‪I felt a difference of 2 cultures. Due to Shintoism, Japanese find a divinity in nature. We have certain respect for old big trees. ‬Although with this religion originated in Japan, we cut many trees, destroyed many forests. But I was surprised and embarrassed to know that Americans cut old trees without any respect. As usually said, for Western culture, human beings dominate the nature. For Japanese living in this land where a lot of natural disasters happen, nature allows us to live.
    Anyway, we all should face to the actual situation now.
    Karmic backlash.
    We have to pay a price very soon...

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    2020年02月08日
  • オーバーストーリー

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    まず、ジャケットが出色。巨木の根元に陽が指している写真の上にゴールドで大きく書かれた原語のタイトルがまるで洋書のよう。角度を変えるとタイトル文字だけが浮かび上がる。最近目にした本の中では最高の出来である。表紙、背、裏表紙を広げるとカリフォルニアの朝の森にいるような気がしてくる。そうなると、バーコードの白抜き部分が邪魔だ。折り返し部分に印字するとか、帯に印刷するとか。他に方法はないものだろうか。

    前置きはこれくらいにして中身に入ろう。カバーの写真が直截に示す通り、木の話である。写真にある木はおそらくレッドウッド(セコイア)。樹齢二千年を超えるものもある、ウディ・ガスリーの『わが祖国 This Land Is Your Land』の歌詞にも登場する、アメリカの森を代表する巨木である。

    この本を読んで初めて知ったのだが、レッドウッドの原生林が材木用に伐採され続け、激減しているそうだ。当然それに対する反対運動が起きる。その中の過激なものに<Tree sitting(樹上占拠)>と呼ばれる抗議行動がある。森を守るために訴訟を起こしても、企業側は裁判で負ける前に伐採を終わらせようと急ぐ。そこで樹上にプラットフォームを築き、何日もそこに座り込むのだ。切り倒せば人が死ぬので、企業側も手を出せない。

    本作は「根」「幹」「樹冠」「種子」の四部からなる。『オーバーストーリー』というタイトルからは「超物語」や「物語を超える物語」などの意味を想像しがちだが、<second story>といえば「二階」のこと。<story>には「階(層)」の意味がある。<overstory>は「林冠(層)」(森の上部の、樹冠が連続している部分)を意味している。ダブル・ミーニングだろう。本作自体、いくつも集まった<story>が、層をなして複雑に絡み合い、ひとつの<The Overstory>を創り上げている。

    小説のハイライトにあたるのは「樹上占拠」を描いた「樹冠」の章だろう。地上六十メートルの樹上に立てこもる二人の男女、そこに食料その他を届ける仲間、迫りくるチェーン・ソーの音、風で揺れるデッキ、命綱をつけての樹上探検、避けて通れない排泄、雨水をためてのシャワー、高い枝の上に生えるハックルベリー、木の洞にできた水溜まりに棲むサンショウウオ、とそこには信じられないほど豊かな生活がある。無論、愛も育つ。なにしろ若い男女が二人きりで何日も共に過ごすのだ。

    話は二人の何世代も前、南北戦争の前から始まっている。ノルウェー系の新参者は石を投げて栗の実を落とすのを見て笑う。そこ、ブルックリンで栗は無料で手に入るアメリカのご馳走だ。栗は新しくできた州であるアイオワまで男のポケットの中に入って運ばれ、そこで芽を出す。一本、二本と枯れて行き、残る一本が土地のランドマークになるほど大きく育つ。その一家の男は代々、栗の木を月に一度写真に撮り続けた。その子孫はアーティストになった。これがニコラス・ホーエルの「根」だ。

    七人の男女と一組の夫婦が<overstory>の「根」となる。中国系のミミ・マーは父と同じ技師。家は代々イスラム教を信仰する回族。貿易商を営んできたが共産党の時代にすべてが奪われる。三つの魔法の指環と阿羅漢(アラハット)を描いた巻物を身に帯びて、ミミの父はアメリカに渡る。携帯電話の発明者である父が死に、指環は三姉妹で形見分けし、ミミは未来を教える扶桑の指環を手にする。自社ビルの前に生える松が一夜にして切り倒されたことに怒り、彼女は抗議行動に飛び込む。

    ダグラス・パヴリチェクはヴェトナム戦争時代、パラシュート降下中、落下地点を誤るが、ベンガルボダイジュの上に落ちて命を拾う。仕事を転々とし、皆伐した跡地にダグラスモミを植樹する仕事を見つけ、達成感を持つが、それが、逆に会社に新たな伐採を可能にするトリックだと知り傷つく。公園内の木が聴聞会を前にした深夜、市の手配した業者の手で切られようとするのを見て、体を張って阻止し、警察につかまってしまう。ミミとの出会いが彼を伐採の抗議集会に向かわせる。

    『アベンジャーズ』というシリーズ物の映画がある。それぞれがコミックの主人公だったヒーローが寄り集まって悪と戦うという設定だ。本書も似た設定だ。「根」にあたる部分が、それぞれのヒーローの個別の活躍を描く部分で、そこだけで充分面白い短篇集になっている。そこだけ読んで本を閉じてもいいくらいに。しかし、異なる分野で優れた能力を持つヒーローたちが力を合わせて難局に挑むというストーリー展開は鉄板で、面白さからいえばそこは外せない。

    ただ、個人的な感想からいえば「根」の個々のエピソードを語る淡々としたストーリーが好きだ。活動家たちに根拠を与える理論の構築者がいる。それに影響を受けてコンピュータ・ゲームで解決策を練る企業家がいる。ついにできなかった我が子の替わりに木を植え、庭が自然に帰るのを見守る夫婦がいる。感電死から奇跡的に蘇り、木の声を聞くことができるようになった大学生がいる。出色の個のストーリーがあって、その上に『オーバーストーリー』があるのだ。

    木が人間と同じように、或いはそれ以上に、感情や意志を持っているというパトリシア・ウェスターフォードの理論は、一見するとトンデモ理論のように見えるが、噛んで含めるように説明されると誰にでも呑み込めるように書かれている。それ以上に、美しく手放すことのできなくなる理論であって、これを読んでしまうと、最早今までの人間至上主義ともいえる世界には戻れない気さえする。木のために人間ができることなど、たかが知れている。われわれ人間はさっさと滅びるのがもっとも意味がある行動なのかもしれない。

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    2019年11月29日
  • オーバーストーリー

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    なんらかの社会的な問題を小説で扱おうとすると、えてして、説明的になったり啓蒙になったり説教臭くなったりして、物語やうねりやスピードをそがれることが多い気がするが、これは始めの、木を巡る8人のストーリーからして面白く、ぐいぐい来る。
    環境問題、森林伐採、エコロジーの運動などを取り込んで、こんな小説が出来るとは!

    パトリシアについては、あ、これペーター・ヴォールレーベン『樹木たちの知られざる生活』じゃ…?と思って読んでいたら、やっぱりそうだよね、訳者後書きにて言及されていた。

    分厚いけど、どんどん読めた。面白かった。
    ジョン・ミューアやソローも読みたくなる。

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    2019年11月25日
  • JR

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    机の上に両足を上げ、椅子の背をいっぱいに倒し、太腿のあたりで本を開いて読んだ。手許にある書見台では厚すぎてページ押さえがきかないのだ。画像では実際の量感がつかみにくかろうが、菊版二段組940ページ、厚さは表紙部分を別にしても約5センチある。比喩でも誇張でもなく、読み終えた後、背表紙を支えていた右手が凝りで痛くなっていた。言葉を換えて言えば、持つ手が痛くなるまで、読んでいられるだけの面白さを持っているということだ。

    70年代のニュー・ヨークが主な舞台。見開き二枚の舞台地図、八ページに及ぶ登場人物一覧が付されているが、時間的にはたかだか数カ月程度、入れ代わり立ち代わり顔を出す人間の数は多いが、主な人物は限られている。大河小説めいた時代や舞台の広がりを心配するには及ばない。初読時に面食らうのは鍵括弧なしに延々と繰り広げられる会話の多さだろう。これだけ大部の小説なのに、章分けもなければ、行開けもなく、始まったが最後、終わりまで怒涛のごとく走りぬける。

    それも、話し手が誰で聞き手が誰なのかの説明は一切なされない、という徹底ぶり。読者は会話の内容からそれを推し量るよりほかに手はない。そういう意味では、この小説はパーティションで仕切られたレストランの隣の席で交わされる会話をたまたま耳にしている客が、隣席のグループの人間関係やら社会階層を想像して楽しむような、いわば「立ち聞き小説」とでも名づけるに相応しい体裁を持っている。

    実験小説などという前評判に気圧され、読みきれるだろうかと恐れる必要はない。途轍もなく面白い。その面白さは保証する。それも、訳者があとがきで挙げている『ユリシーズ』や『百年の孤独』と比べれば、実にハードルが低い。登場人物は現代アメリカに生きる普通の人々だし、主な話題は銭金の話なのだ。たしかに、株式の話や証券取引の蘊蓄がやたらとひけらかされるので、素人には珍紛漢紛だし、主な人物が芸術家なので、詩や先人の言葉の引用も多い。しかし、それは詳細な訳注で懇切丁寧に説明されている。知りたければその都度参照するもよし、その気がなければ無視して進めばいい。

    前置きが長くなった。まず、ひとつ目の話題は「遺産相続」である。会社経営者が遺書を残さず死んだため、遺族が法外な相続税を払うには、保有する株を売却するしか手がない。ところが、ここに一つ問題がある。被相続者の長子には正式な婚姻を経ずして設けた子どもがいて、そのエドワードが嫡出子と認められれば、相続権が発生し、その子の持ち株次第で、会社の経営権が両陣営のどちらかに決まる。弁護士はエドワードに権利放棄の書類に署名させようとするが、なかなか会うことができない。

    二つ目が夫婦の離婚、別居に伴う子どもの養育権の問題。エドワードが勤務する学校には、マドンナ役のジュベールという女教師と、ギブズという作家志望の男性教師が働いていて、両人ともその問題を抱えている。しかも、ギブズにはアイゲンという友人がおり、彼も同じ問題を抱えている。この長大な小説を支える主題のひとつは意外なことに極めてドメスティックなものである。悩める男たちは、本を書きあげるという自己実現の成就を脇に置いて、妻の要求に応じつつ、滅多に会えない我が子との逢瀬を待つ辛い時を過ごしている。

    三つ目の主題が、表題にもなっている、三人が勤める中学校の学生で十一歳のJ R・ヴァンサントという少年がはじめる「金儲け」という話題。この少年、今の言葉で言うなら天才的なハッカーで、当時のこととして、郵便と電話を使って、学校の授業の一環として所有した一株をもとに会社組織を作り、あらゆる手段を駆使して会社を大きくしてゆく。無論、未成年に社長はできないので、J Rはエドワードをアソシエイトとして、彼の名前を使ってあらゆる契約をまとめてゆく。そんなわけでエドワードが仕事部屋にしているアップタウンの一部屋には世界中からあらゆる商品が送られてくる。中には、大量の香港フラワーが特大のトラックで運び込まれるなど、事態は超現実的な様相を帯びる。

    『間違いの喜劇』というのはシェイクスピアだが、これもネタは同じで、電話のやり取りを通して起きる、とりちがえ、思い違い、勘違いによる、ちぐはぐな出来事の出来が次々と事態を混乱させてゆく面白さを極大までに誇張したスラップスティック劇である。会社社長や知事といった権力者が、自分を基準にしてものを見がちであることからくる欲望の空回り、空騒ぎがことを大きくしてゆく様子が皮肉な目で描かれている。

    面白いといったのは、この小説が書かれたのは、かなり過去になるのに、書かれていることが極めて今日的であることだ。教科書の中に宣伝を入れるというJ Rのアイデアや、ラジオでクラシックのような長い音楽を流すのはCMの回数が減るから、短いポピュラー・ソングの方がいい、という発想の何と進んでいることか。中には最近カナダで実施されたばかりのマリファナの解禁まで先取りされている。

    下品で放埓な性的哄笑、となだれ落ちてくる商品に埋もれながら、作家が後生大事に大切にする創作メモの捜索の間に幕間劇のように挿まれるジュベールとギブズの官能的なラブ・ロマンスもある。村上春樹ではないが、肝心なところでセックスの場面が挿入されるなど、読者を飽きさせない工夫にも余念がない。ひとたび、波に乗ればさすがの大長編も一気に読めてしまう。マニアックな読者には訳注相手に再読、三読を楽しんでもらうとして、普通の読者にもそれなりの余禄がなければならない。

    一昔前にはマンの『魔の山』のように、時代を象徴する価値観と価値観が互いにぶつかりあう小説があったもので、読者はそれを読むことで主人公の成長に共感しつつ、自己を形成する支えとしたものだが、ポスト・モダン以降、その手の傾向は影を潜めたままだ。それが、ここではエドワードとJ Rとの対話という形で、実に大真面目に描かれている。年配の読者はエドワードの論理に肩入れしたくなると思うが、対するJ Rの反論にも大いにうなずかされるものがある。

    鉛筆と紙で創作メモをとったり、楽譜を書くギブズやエドワードの、ある種ロマンティックな時代性というものがある。それに対して、一昔前ならドライ、今風に言えばクールなのがJ Rの考え方。彼には基本的なリテラシー能力が欠如している。「アラスカ」も彼にかかれば「アスラカ」である。それでいて、パンフレットやチラシを収集し、必要な情報を得たり、読めない字ばかりで書かれた法令の中から重要な規約違反を発見したりする能力は肥大ともいえるほど発達している。

    金儲けなどは卑しいこと、という考え方がジュベールやエドワードにはあって、彼らにとっては芸術の方が価値がある。しかし、J Rは、今自分のいる「アメリカの本質」をしっかりつかみ、それに根差して資本を運用する自分の活動のどこに問題があるのか、とエドワードを問いつめる。この対話には『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」を思い起こさせる迫力がある。

    面白さは人によっていろいろだ。要は、人それぞれの読み方で楽しめばいい。臆することなく、この大冊を手にとることだ。期待が裏切られることはないだろう。英文で書かれた言い間違いや聞き違いをネタにする作品を日本語に訳すのは大変な仕事だが、訳者は楽しんで仕事をされたにちがいない。こんなに楽しく読めるのは、そうに決まっている。活き活きした会話の横溢する文章がそれを物語っている。

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    2019年03月18日
  • オルフェオ

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    主に20世紀の音楽の変容を感じることができます。この小説の翻訳を引き受けた新潮社の勇気には感謝しますが、これは売れないでしょう。読む人に相当な努力を要求する小説です。リチャード・パワーズですもんね、毎度ですよね。すごく読み応えのある本でした。YouTubeのおかげで登場する知らない音楽の多くを知ることができる、そんな時代だからこそ生まれた本なのかもしれません。

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    2015年12月29日
  • オルフェオ

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    愛犬フィデリオの異変にあわてたピーター・エルズは緊急サービスに電話した。それが事をややこしくしてしまった。やってきた二人組の刑事は、大量の本やCDで埋まった書棚、犬の死体、素人には不似合いな化学実験器具から何かを察知したのか、翌日別の二人組が現れ、実験器具やありふれた細菌である培養中のセラチナなどが没収される。帰宅途中、自宅に立ち入り禁止のテープが巻かれているのを車から見たエルズはとっさにその場を離れた。どうやらエルズにバイオ・テロの疑いがかけられたらしい。

    引退した音楽教師であるエルズは、もともと化学専攻だった。不眠症対策も兼ねてネットで購入した実験器具や試薬を使いDNAの塩基配列を操作する、どこにでもいる日曜遺伝子工学者にすぎない。だが、時代が悪かった。9.11以後、炭疽菌が政府機関に送りつけられる事件があり、米政府はテロに神経を尖らせていた。このままでは無実を言い募ってもテロリストにされかねない。エルズは逃げることに決めた。幸い知人の山荘が空いていた。借りたスマホのナビを頼りに逃避行が始まる。

    こう書くと、いかにもバイオ・テロを主題にしたサスペンス小説のようだが、その実態は全くちがう。エルズは小さい頃から音楽の天分に恵まれていた。継父が音楽専攻を認めなかったため、化学を専攻したが、クラリネット奏者として学内の楽団で演奏し、現代音楽を作曲する才能ある音楽家だった。逃亡中のエルズが、自分の置かれた状況を刻々と知るサスペンスを文字通り「宙吊り」にし、現在時と過去の回想が錯綜する。時間軸に沿って描かれるエルズの半生とは、友だちや恋人との出会いと別れなのだが、そのすべてに音楽が纏わりついている。

    いわば、これはサスペンス小説の形を借りた、一人の挫折した音楽家の人格形成小説(ビルドゥングス・ロマン)である。聴衆より演奏家の方が人数が多いと揶揄される現代音楽は、その実験性、前衛性が災いして、大衆向きではない。それに携わる者は、当然のことながら有名な作曲家でもなければ飯が食えない。エルズは純粋に音楽を追求したいだけなのだが、結婚し、子どももできるとさすがに愛する妻でさえ、定職をもたない夫の作曲活動に理解を示そうとしなくなる。お定まりの離婚、失意による定めのない生活、という転落の人生。

    起死回生をねらった友人リチャードの演出によるオペラの作曲だったが、宗教家による革命を描いたそれは、現実にそっくりの事件が起きたことにより、賛否の渦が巻き起こる。公演続行を主張する友人とそれを認めないエルズ。対立は避けられず、無二の親友とは絶交してしまう。その後昔の仲間の紹介で音楽教師の職につき、ようやく幸せな生活を得る。娘から贈られたレトリーバーのフィデリオとの暮らしを楽しんでいたエルズだったのだが…。

    レコードが紙ジャケだった頃、裏面や同封の冊子にライナー・ノーツなるものがあり、それを読みながら、楽曲の主題や動機についての解説をたよりに、なるほど、と肯きながら聴いたものだ。自身が楽器に堪能であるらしい作家が持てる知識や薀蓄を総動員して、マーラー、メシアン、ケージなどの音楽を分析、解説を試みる部分はまさにそれ。通常のペダンティックという域を超えてしまっている。どちらかといえば、音楽を言語化するのが目的で、それを可能にするために、この設定を借りたのではないかとさえ思えるほど。音楽にさほど詳しくない評者でも、メシアンの『時の終わりのための四重奏曲』は改めて聴いてみたくらいだ。

    小説そのものの裏で現代音楽の歴史をたどる構成になっている仕掛けだが、特にジョン・ケージのハプニングについての場面は現場にエルズと恋人のマディー、それに盟友リチャードを配し、実況風に描写していて、アメリカ現代音楽の実態を知る上でも興味深い。さらに、もうひとつの仕掛けとしては、ヴェトナム戦争やウッドストック・コンサートから9.11に至るアメリカ史が、エルズの回想の背景に収まっていることだ。当時のポピュラー・ミュージックもバック・グラウンドに流されていて、ああ、あの頃のことなんだ、と野暮な説明抜きで伝わってくる。

    最後に、全篇にわたって場面が切り替わるところに、枠で囲まれた短いエピグラフ風の断章が挿入されている。初めはそれが何のことだか、さっぱりわからないまま読み進めるのだが、最後の方になると、その意味が解き明かされる。現代生活にあってはありふれた媒体なのだが、何年か経った後でこの小説を読む読者は、ああ、そういえば当時はこういうものが流行っていたらしい、などと思うのだろうか、といらぬ想像をしてしまった。付録として作中に登場した曲の原題と邦訳が併記された曲目リストがついているのが親切。

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    2015年09月16日
  • オルフェオ

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    バイオテロ、過剰警戒な社会、冤罪、このあたりはとても現代的なというか、パワーズエラいこと流行りに乗ったな、という印象は否めない。まぁ別に現代的なテーマで流行りに乗った小説やからアカンってことはないけども。で、オイラに音楽の素養というか教養というか知識がないので、そういうのがあればもっと色々ピンと来るんだろうな、という残念感もあり。音楽ではないけれども、作中にドイツ農民戦争の際のミュンスターのヤンの話が出てきて「これ、「Q」に出てきた話か!」とつながってスゴい楽しかったので、たぶんもっと色々な仕掛けを(特に音楽中心に)オイラの知識の無さで見落としてるんだろうな、という…

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    2015年09月01日
  • ジェイムズ

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    ネタバレ

    南北戦争が始まった頃の黒人奴隷の物語、自分が他に売られて、家族とバラバラになることを知ったため、逃亡奴隷となり、白人の子供と逃亡の旅をすることとなる。当時のアメリカの情勢がよくわかり、差別の実態が詳細に表されていて、考えさせられる一冊である。

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    2026年09月07日
  • ジェイムズ

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    ハックルベリー・フィンの冒険を
    黒人奴隷の視点から描き直した物語。
    視点の転換が覆す、上っ面な表層。

    全米図書賞、ピュリツァ―賞、
    英国図書賞、カーネギー賞、カーサス賞受賞。

    全米200万部突破!

    これらの文字が帯で踊る。

    物語は有名なマーク・トウェインによる
    「ハックルベリー・フィンの冒険」を
    黒人奴隷であるジム、
    ジムは愛称で正式名称はジェイムズであるが、
    このジェイムズの視点から描き直している。

    ハックルベリー・フィンはトム・ソーヤーと仲良し。
    二人は冒険し、宝を発見し、大金を手に入れる。
    母親と死別し、父親は飲んだくれのハックルベリーは
    ダグラス未亡人に引き取られる。
    しかし、規則正しい生活に耐えられず、
    自分が殺害されたように見せかけて脱出する。
    そして、ミシシッピー川の中州のような
    ジャクソン島に潜んでいると、
    自分が売られるとうわさを聞いて逃亡した
    ジェイムズに出会うのだった。

    ここから二人のミシシッピー川を下る
    逃避行の冒険が始まる。

    途中までの展開は
    「ハックルベリー・フィンの冒険」と
    ほぼ同じだそうだが、
    冒頭からこの物語が
    ジェイムズの視点から語られる。

    わかっているのにわからない振り。
    黒人奴隷言葉を使う。
    白人が好むように自らを偽る
    ジェイムズの姿が痛烈に描かれる。

    白人は黒人が無知であると思い、
    自らの気分で罰を課し、鞭打つ。
    黒人がものがわかっていないと喜ぶ。

    こうしたことを察知している黒人奴隷は、
    鞭打たれないように、白人が望む
    黒人奴隷を演じている。

    この構造が、すでに
    「ハックルベリー・フィンの冒険」を
    ひっくり返している。

    ジェイムズは思う。
    鞭打つ白人も、黒人奴隷を哀れに思い、
    やさしく接する白人も、同じではないか。
    どこが違うのか、と。

    白人の意識では、
    鞭打たない、やさしい扱いをする白人は
    いい人だと思う。
    しかし、奴隷制を容認している時点で
    大同小異なのだ。

    このひっくり返しが、
    こちらの胸に迫った。

    物語はオンリバーストーリーの様相を呈す。
    ジェイムズとハックルベリーフィンの冒険は
    ときにアクティブであり、
    シニカルな笑いもあり、
    さらには逃亡奴隷として
    見つかるという恐怖もつきまとい、
    読む者をハラハラとさせて引っ張っていく。

    しかし、ジェイムズが
    次第に覚醒していくに従い、
    物語は恐ろしさと同時に
    ある種の期待感を抱かさせる。

    希望のない暗黒に少しずつ見える
    かすなか光。

    クライマックスでは
    衝撃的な事実が明かされ、
    ジェイムズは新たな局面へと向かう。

    第二次世界大戦終戦後、
    完全にアメリカの文化圏に取り込まれた
    日本人は有色人種であるにも関わらず、
    無意識のうちに
    白人の思考が刷り込まれている。

    そして、子どものころに
    おもしろがって読んだ
    トム・ソーヤーや
    ハックルベリー・フィンも
    実はそうした白人フィルターが
    かかっていた物語であったのだ。

    多分、子ども心に
    黒人奴隷にやさしくする白人を
    いい人だと思ったに違いない。

    そうした、かつての子どもたちが
    襟を正して読むべき本だ。

    そして、自らの内面を
    改めて問い直すことができることに
    感謝したい、と思う。

    何度も、何度も読まないと
    自らのなかにある無意識の白人フィルターは
    そう簡単には明確化しないと思う。

    いろいろ考えさせられて、
    そして、少しずつ良い方向へ
    歩みを進めさせてくれる一冊だ。

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    2026年09月05日