木原善彦のレビュー一覧
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昔、吉祥寺に知久寿焼のライブを観に行ったことがある。彼はMCで、吉祥寺の街中にあるとても古い木について話していた。その木は不思議なことに、つららのようにいくつもの「こぶ」が太い枝から下に向かって伸びているのだという。自分はその木を幼い頃から当然のように認知していたが、そんな形状が目に入ったことは一度もなかった。ライブのあと、何気なくその木の前を通って例の「こぶ」を目にした時、身近な世界のなかには不可視の領域が含まれているのだと知り、愕然としたことを憶えている。
この本に充満しているのは、そうした視えないものたちのむせかえるような気配だ。そしてパワーズ特有の、途方もなさから詩の様相を帯び始める事実たち。読後には新たな耳目が与えられ、確実にいつもの風景が変容してみえるはず。隅々まで本当に面白いが、特に最初の『根』の章が短編集としても素晴らしい。傑作。 -
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核酸を増殖するPCR(polymerase chain reaction)の過程をこれ程まで詩的に記載された文章はあっただろうか?!僅か2ページの出だしの文章に、いきなりやられてしまった。
音楽の物語、否、音の物語。音は楽器から奏でられるものだけではない。あらゆる物、あらゆる言葉、あらゆる事象の中に音は内包されている。例えば、朝焼けには朝日のメロディーが、夕焼けには夕日のメロディーが、降雪も雪の種類により各々のメロディーが内包されている。この世は音に溢れている。世界中から音が聴こえ、それを譜面に著わそうとするピーター。それが高じてDNA塩基をkeyとしてメロディーを作ろうとする。それが周囲の誤解を招いて…。決してハッピーエンドではないが詩的な文章で、まるで音が聴こえてくるような素晴らしい物語でした。 -
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リチャード・パワーズは以前から友人のひとりに読め読めと言われ続けていたのだが、なにしろ長大で難解な印象があり(事実そうなのだが)、読書会というきっかけがなければこのままずるずる読まずにいたと思う。その点で読書会に感謝、そしてまた、リチャード・パワーズという小説家、『オルフェオ』という作品に出会えたことを心から感謝する。
結論から言うと、本書『オルフェオ』は2015年の個人的ベスト級の作品です。今現在『グールド魚類画帖』のフラナガンとパワーズによる、熾烈なWリチャード首位争奪戦が繰り広げられている次第。ちなみにわたしは音楽的な知識は絶無なので、本書に出てくる曲の十分の九は名前すら聞いたことがないし、音楽学のタームについてもなんとなく雰囲気で理解したような気になっているだけなのだが、そんなことはまったく問題にならないおもしろさだった。
『オルフェオ』という物語には、大きく分けてふたつの核があると考える。
ひとつは、主人公ピーター・エルズの逃走をめぐるもの。
バイオテロ容疑をかけられたエルズは当局の手を逃れるためにアメリカ各地を転々としていくわけだが、その逃走劇において彼が向き合うのは、過去に破綻した恋愛であり結婚であり友情であり、とりわけ父子関係である。作中、エルズが自身を「青二才」と評すシーンがあるが、実際エルズという男はその人生の終わりがけにおいても失敗した過去にしがみつき、永遠の音楽を追求するという気宇壮大な夢にとりつかれた、文学の世界においてもちょっとめずらしいレベルの青二才といえる。『オルフェオ』とは、そのエルズが自身の人生を通り過ぎていった、そして自ら捨て去ろうとした過去と向き合い、その過去を現在の自己のなかに取り入れ同一化することによって成長していく(というよりは失われた過去と折り合いをつけようとする)物語である。
要するに『オルフェオ』という物語は、遅咲きのビルドゥングス・ロマンといえるのだが、そこに本書でも大きなテーマのひとつとなる<好み>の問題が介在してくる。
本来ビルドゥングス・ロマンとは人格的に白紙状態の少年あるいは青年を主人公とするものだから、読者もまたその成長を「さようですか」という感じで、比較的肯定的に受け止めることができる。とはいえ『オルフェオ』の場合、主人公はいい年をした爺さんなので、いい年をした爺さんが過去を思い返してめそめそするのは、そもそも昔の女を思い出して手慰みに耽るような男は、どうしても好きになれないよ!という人が一定数存在することは、『オルフェオ』擁護派のわたしといえども認めるにやぶさかではない。ピーター・エルズはだめんず文学界の試金石として貴重である。
もうひとつの核は、エルズが求めた永遠の音楽とはなにか、というもの。
この問題についてはパワーズ先生は親切なので、いろんなところにヒントを書いている。
それはたとえばこんな具合。
<私が書いた全ての曲が目指していたのは、現在という壁を突き破り、永遠へと抜けるトンネルを作ることだった>(119)
<個人個人の好みを超えた場所まで連れ出す。人々を殻から連れ出し、外にあるものに触れさせる>(143)
音楽にかぎらず、すべて芸術作品には<好み>が存在する。芸術家がその<好み>とどのように折り合いをつけるかというのはやはり大きな問題で、それを無視すればピアノの裏をハンマーで叩くような実験的な作品になるだろうし、それに合わせようとなら大衆的な作品ということになる。要するにエルズという男はここでもどっちつかず、というよりむしろ二兎を追っているのであり、彼が求めている音楽とは換言すれば、<これまでになく前衛的でありながらなおかつ万人を感動させる=惹きつける音楽>のことである。しかもそれが未来永劫残ることまで望んでいるからすごい。
で、エルズがどうするかというと、これはもうある種必然だと思うが、既存の音楽の外にあるもの、つまりわたしたちが普段それを音楽であるとは認識しないものに向かう。すなわち小さいものの世界(犬、鳥、カエル、赤ん坊、そして遺伝子)であり、結果としてエルズは病原菌に音楽を組み込もうとする。しかしその音楽を単に遺伝子に組み込んだだけでは、万人を感動させるという目的は達成されない。それにはパフォーマンスが必須であり、エルズとボナーの最後の共謀は全世界に向けた恐怖の拡散、そして狂気のDIY遺伝子工学者のドラマチックな死というかたちをもって幕を降ろす。
と、いくらでも語り続けたいくらい随所に仕掛けが施された精緻な小説で、再読の愉悦をここまで味わわせてくれた小説はナボコフの『ロリータ』以来といえる。
しかし実のところリチャード・パワーズの本質はかなりメロドラマ的なのではないかとも思えて、それが特に顕著にあらわれるのが、遺伝子に組み込まれた音楽が最後に明らかになるくだり。
あとはまあ、「ボルヘス・ソング」に大笑いしたり、公園ナンパシーンで目を細めたり、クララに電話をかけるシーンで号泣したりなんだりしたんですが、あんまり自分のエモーションにつなげたことは言いたくないのでそこは省きます。とにかく傑作!でした。 -
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"善悪と法律はなんの関係もねえだよ。
法律はただ、わしが奴隷だと言っとるだけだ。"
主人公・ジムの言葉です。
確かに現代でも、法律や規則=善悪ではないけれど、それでも昔よりも良い方向に進んでいるんだと信じたいですね。
でも、100年後の世界から現代を見たら、なんて野蛮で未熟な世界だろうと思われるのかもね。140年前の『ハック』を読んで僕らが思うように、、、
本作『ジェイムズ』が、当時(1860年ごろ)のアメリカの世相をどのくらい忠実に再現しているのかはわからないけれど、ジェイムズが支配者階級と同じ白人英語をしゃべり、読み書きができると気づいた際のサッチャー判事の驚愕ぶりは、まさに当時の価値観を象徴している。
「黒人は知性を持たない」という前提が、制度と文化の両方に深く埋め込まれていたのだ。
ただ、この構造は決して遠い過去の特殊な偏見ではない。
ちょっと前まで
「日本人はサッカーが下手」
「日本製のエレキギターは粗悪品」
といった言説が堂々と語られていた。
「日本人」を例に挙げたけど、〇〇人でもアラ〇〇でも女性でも、簡単に例示できる。
支配的な文化が他者の能力を過小評価する構造は、形を変えて今も続いているのだと痛感する。
差別の論理は、時代や対象が変わっても本質的には変わらないんですね。 -
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『トム・ソーヤーの冒険』の続編にあたる『ハックルベリー・フィンの冒険』――暴力的な父親から逃げた少年ハックが、逃亡中の黒人奴隷ジムとともに、いかだでミシシッピ川を下りながら、自由と本当の友情を求めていく物語――を、ジム(ジェイムズ)の視点から描いた作品です。
もっとも、訳者のあとがきによれば、前半は原作と同じストーリーをたどるものの、後半、私の推測では全体の後ろ三分の一ほどは、独自の物語になっているそうです。なにせ原作は未読――ひょっとしたら五十年以上前に読んだのかもしれませんが、もはや忘却の彼方です――なので、どの部分が原作と異なるのかは分かりません。
主人公のジェイムズは、知的好奇心にあふれた黒人です。どういう経緯で身につけたのかは分かりませんが、難しい語彙も知っており、哲学的な本さえ読むことができる。自分の考えを書き残すために、ノートと鉛筆を切望します。
しかし、そうした知性はひた隠しにし、白人の前では、白人が期待する「黒人らしい」言葉遣いで受け答えする。白人たちが黒人を人間として扱わない社会で生き延びるために、あえて愚かで無教養な人物を演じているのです。
描かれるのは、奴隷制度のすさまじさと、その非人間性です。黒人を人間とみなさず、ほとんど理由もなく、肉が裂けるまで鞭打つ。女性をレイプする。ジェイムズが脱走したのも、主人(白人)の都合によって愛する妻子と引き離され、自分自身が売られることを知ったためでした。
奴隷制度の実態について、知識としては知っていたつもりです。しかし、次から次へと描かれるエピソードは、やはり厳しいものがあります。
白人たちの愚かさを知りながらも、従属関係から抜け出すことのできないジェイムズ。しかし、物語の最後には、ついに反乱ののろしを上げます。このあたりが、原作とは異なる展開なのでしょう。
出版社の紹介文には、「痛烈な笑いと皮肉で全世界に衝撃を与えた怪物的話題作」とあります。私は笑えませんでしたが、そこに「痛烈な笑い」が含まれていることは分かります。そして、確かに衝撃的な問題作です。
一方で、「なぜこの時代に、わざわざ奴隷制度を題材にするのか」とも思いました。しかし、アメリカでBLM(Black Lives Matter)運動が広がったことなどを考えると、奴隷制度や人種差別は、いまだに「現在進行形の課題」なのでしょう。
ふと思いました。
そういえば、「C国人」だの「害国人」だのと、ネットで騒いでいる人たちも、個人を見ずに、国籍や民族といったラベルを貼って判断している。その意味では、黒人を一人の人間として見ようとしなかった人々と、どこか同じなのではないか、と。
全米図書賞&ピュリツァー賞、驚異のW受賞!
ブリティッシュ・ブック・アワード、カーネギー賞、カーカス賞受賞!
ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー第1位、2024年ベストブック最多選出。
各賞を総なめにした、2024年アメリカ文学最大の話題作。
……だそうです -
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ネタバレトマス・ピンチョン著作『逆光』が重版しました、とのポストをふと目にした。プロフィールを見ると、同じ訳者である木原義彦氏が『プレイグラウンド』に関するポストを引用リポストしていたというのがこの本との接点。本屋に行った際に見かけて、ちょっと買ってみるかと4,500円の本をレジに渡したのが最後、最後まで興味深く読ませてもらった。
初めに文章について話すと、小難しいわけでもなく、だらだらとしているわけでもなく、良い塩梅で読者をこの本の世界に引っ張ってくれた。作者及び訳者の力量によるものと思う。勝手なイメージだがアメリカ文学は固有名詞をその文化圏の固有名詞及び「常識」の範囲を拡大した、読者を選別するような固有名詞の羅列が多いものが「文学」として歓迎されているような気がするーこれはほんとに気がする、というか偏見でしかないーので、一一般読者の私としては手の取りづらいものがあるが、この本はそうでもない。というか()書きで説明してくれいてる。助かる。平易ではあるけど読みごたえはある、という私の求めている範囲内の難易度であった。
ここから内容について話す。メタ的な「AI小説」が大きなネタバレとしてある。
ラファとトッドという男子学生の友情と決裂を分岐として、トッドを始とするAIの機械叙述と現実に起きた友情の決裂と願望の成就がなされる物語が並記されていく。
その物語の背景には自然(海というこの地球の99%を占める存在で未知なる生命がいくらでもいる世界)がある。
まあ、ラファとトッドの決裂及びその後の資金面の催促やたかりはラファという存在を卑小にしているが、そこの違和感というか気持ち良く無さを除けば、非常にスムーズな物語である。 -
Posted by ブクログ
・しんどかったけど面白かった〜。
・トムソーヤやハックルベリーはとても昔に読んだのだけど、正直話はあんまり覚えていない。解説で最後財宝を見つけて〜と書いてあったけど、そうだっけ?と思ったくらい。
・なのでこの作品単体で楽しんだ、という感覚。
・まぁ楽しんだ、というには当時の奴隷の扱いがしんど過ぎたけれど。自分は他者が軽んじられる(というレベルでは無いけれど)という描写には基本苦手、しんどさを感じてしまうので。ドラマの「地下鉄道」(あれも凄かった)を思い出した。
・とは言え、ジム(や他の黒人奴隷)の二面性(話し方を使い分ける)等、ゾクゾクする様な設定もあり、文学、社会の歴史的な意義深さ、以外にもちゃんと「不健全な「娯楽性」も存在していて、そこが凄く面白い。ブラックスプロイテーション文学、みたいな。