木原善彦のレビュー一覧
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マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』を下敷きに、ハックの「友達」である奴隷のジムを主人公にした物語。
当時のアメリカでは、奴隷は「白人の所有物」とされ、個人としての人格は認められていなかった。だからこそ、ハックがジムを「友達」と認めたことは画期的だったと思う。ただ、マーク・トウェイン自身が、あの時代にどこまで黒人を白人と対等な人間として捉えていたのかは測りかねる。
『ジェイムズ』のジムは文字も読めるし、書くこともできる。それどころか、ロックやルソーの思想に精通している! 己の置かれた立場を哲学的に考え、自分が生きる世界の矛盾を見つめている。
『ハックルベリー・フィンの冒険』でも、飲んだくれや暴力、詐欺、上流階級同士の殺し合いなど、ろくでもない白人ばかりが出てくるそうだが、『ジェイムズ』でもそれは同じ。こちらでは奴隷に対するレイプの実態まで描かれる。本当に当時の白人社会というのは……傲慢と偽善に満ちていたのだなと思わずにはいられない。
『ハック』では主人公が白人だから「冒険譚」になる。でも『ジェイムズ』では、主人公は脱走奴隷で、殺人の疑いまでかけられている。同じ出来事を描いているのに、立場が変わるだけで、こんなにも切迫した「逃避行」になるのかと思った。
最後までハラハラドキドキしながら読んだ。 -
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「ハックルベリーフィンの冒険」で感じたジムの印象が見事に覆りました
「ジェイムズ」は奴隷としてのジム(ジェイムズ)自身の目線で描かれた物語です
優しく思いやりに溢れ家族思い
ハックにも良き影響を与えるジム
人間性はそのままに
奴隷特有の卑屈さ臆病さ愚かさは白人たちに対する黒人たちの強かで賢明な処世術だったことがわかりました
怒りを抑え
知的好奇心を抑え
賢明さを悟られずに
存在感を消す
言葉も行動も奴隷仕様に仕立てている黒人たち
白人たちは実はそんな振る舞いの黒人たちの掌の上で転がされているのでは?と思わせる
その屈折した思いは、
奴隷として生きる彼らのささやかで唯一の抵抗のように思えました
物語を書いた著者はアフリカ系アメリカ人の作家
奴隷社会の中でも、自由を求める心と尊厳を失わずに
魂のレベルでは何者にも屈しなかったジェイムズたちへのリスペクトを感じると共に
奴隷という非人間的な扱いに自らも非人道的にならざるを得ない悲劇を描いた物語でもありました
アメリカの奴隷制度
200年を超えて続いていた史実を忘れないように
ハックフィンの物語とともに
いつまでも読み継がれていって欲しい名作だと思います
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ネタバレ黒人奴隷制は映画や物語の中で見たことはあったが、黒人奴隷の目線で書かれたこの本の内容は衝撃的だった。信じられないほど残酷な白人の奴隷への扱いが、昔実際に行われていたとは、信じたくないが事実なんだろう。暴力だけでなく、黒人奴隷を人間として扱わない行動や思考。なぜそんなことができるのか。人が人を所有するということは絶対にあってはいけない。
その境遇を主人公ジェイムズや他の黒人の奴隷たちは冷静に見ていて、自分たちが生き延びるためにどうすることがベストなのか見極めて行動している。ただ生き延びるために奴隷らしい行動をし、そして白人を見極めている。俯瞰した白人への評価が痛快なところもあるが、境遇が過酷すぎて、とにかく信じられないというか悲しい。
内容は過酷だが、文章はとても読みやすくスラスラと読めた。たくさん登場人物がいて、いろいろな人間性が描かれてとても面白かった。
途中で死んでしまったけれど、ノーマンいう白人に見える黒人が、白人になりすませられるのに自分を奴隷だと言うのはなぜ?と言う質問に「母が黒人だから。妻が黒人だから。自分が白人になりたくないから。俺は白人の仲間になりたくない。」と答えるのが印象的だった。
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やっと読み終えた!
「トム・ソーヤー」「ハックルベリイ・フィン」に現れるジム=「ジェイムズ」視点の物語。
個人的には、マーク・トゥエイン原作の2作品を読んでおいて良かったとは思ったが、それは途中まで。基本的には「ハックルベリイ・フィン」の流れを踏襲はしているものの、第一部の終盤から大いに逸脱し始め、エヴェレット独自のジムの物語へと。
物語冒頭にあったエメットの手記、その歌の意味がその辺りからやっと確かな意味を持ち始める。
ジムとハックの再会後の流れは、時代背景が「ハックルベリイ・フィン」とはまた異なり、二〜三十年後と想定されていて、よりオリジナリティなストーリーに。
最大のポイントは、ノーマンの出現とハックの出生の秘密か。
物語中でも匂わせがあり、「ハックルベリイ・フィン」を読んでいた時にもかすかに違和感を覚えたが、それが正しいのか間違っているのかは分からないが、「ジェイムズ」では「パッシング=なりすまし」が物語に多大な深みと皮肉を与えている気がした。
黒人奴隷の悲惨さや、それを逆手に取って立ち回る見事さ、ラストのカタルシスの先に、何となくモヤモヤしたモノが残る。ただ、私は現代の一介の日本人、島国という地理的条件と、先人の築いてきた歴史的財産をただただ享受してきた身であるので、どこか当事者意識に欠けるのかもしれないが、それでも描写の生々しさは鋭く胸に刺さる。
「ハックルベリイ・フィン」を綺麗に裏返し、新たな物語を構築していった著者。
前に見た映画「アメリカン・フィクション」もかなりアイロニーが効いていて面白かった記憶が。
理知的で意思の強い、そして人間味のある「ジェイムズ」は、大人のための新たな寓話的人物として魅力的であった。 -
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「今日のアメリカ文学はすべて『ハックルベリー・フィンの冒険』という一冊の本から生まれている」とアーネスト・ヘミングウェイが言ったそうだ。
この『ジェイムズ』はその『ハックルベリー・フィンの冒険』に登場するジムという黒人奴隷の視点からリメイクされた作品で、2024年に全米図書賞とピュリツァー賞を受賞している。
物語の中心はジムの逃亡劇だ。奴隷は逃亡するだけで重罪であり、その上、誘拐の罪まで負わされ賞金つきで指名手配をされてしまう。追われながらも知恵を働かせ、売られてしまった妻と娘を救出に行くジム。最後に「私はジェイムズ」と名乗るところが最高にカッコいい。「モノ」としての奴隷から、尊厳ある「ヒト」になった瞬間だ。
当時、黒人奴隷はどんなに酷い扱いをされていたか、胸を痛めながら、どきどきしながら、腹を立てながら400ページを捲っていった。 -
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予想を裏切らない面白さ。
ハックベリーフィンを読んでからの「ジェイムズ」は正解だったと思う。(ハックを読むのは、大人になってしまった今の自分にはかなり苦痛ではあったけど)
最初のページでもう心掴まれる。
白人向けの言葉である奴隷言葉を操るジェイムズたちの、人間としての存在感がすごく魅力的。
ジム、ジェイムズの視点から読み直すハックベリーフィンの物語はもちろん面白いのだけど、特に、ハックの物語を逸脱してからの後半が、ものすごくいい!
マークトウェインからの呪縛から解き放たれた後の疾走する物語が素晴らしい。
そうきたか!と、驚きも楽しい。
映画にならないかな。きっとなるでしょう! -
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書店で装丁に惹かれて手に取った一冊が、なんとも心揺さぶられる作品だった。マーク・トゥエインの「ハックルベリーフィンの冒険」(というか個人的には世界名作劇場のアニメ「トムソーヤの冒険」が馴染み深いお年頃だけど)のいわゆる改変もので、元になった作品のストーリーを途中までトレースしつつ、黒人奴隷の「ジョン=ジェイムズ」を主人公に彼の視点で物事が描かれる。人でありながら「奴隷」として扱われるジョンことジェイムズの視点で見ると、往年の名作はガラリのその様相を変え、奴隷制度のあまりの非道さに読み進めるのがためらわれるほどだ。
訳あって“白人”の元から“逃亡奴隷”となったジェイムズは、残してきた家族を取り戻すべく、たまたま“白人の子”ハックルベリーフィンと一緒に逃避行する身となった。
白人の前では知識のない馬鹿の振りをし続けてきた(白人より下に見せる必要があった)ジェイムズは、“ある行為”で自らの存在を客観視し、自我を手に入れていく。その過程から目が離せなくなってしまった。
なぜいまだに人種問題がアメリカで蔓延っているのか。下手な論評を読むより、この作品を読めば一発で腑に落ちる。大人はもちろん、中高生にこそ読んでほしい一冊だ。 -
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『子供、女性、奴隷、先住民、病人、狂人、障碍者。驚いたことにそのすべてが、この数世紀の間に、法律上の人格を持つ存在に変わった。それならば、樹木や鷲、山や川が、自分たちに果てしない危害を加えて窃盗を働いた人間相手に訴訟を起こしてなならない理由があるだろうか?ー 話すことができないので当事者適格性が認められないというのは理由になっていない。法人も国家も口をきくことができない。弁護士がその代弁をするのである』
昨秋に、隣地の裏山に自生したオニグルミを幹の半分まで切ってもらった。我が家の雨樋が落ち葉で詰まるから。
僕が家を建てる前から生きてきた木の生存権を侵害し、無用な苦しみを与えていると告発されたとき、僕はどうすべきか。
所有権なぞ、地球と生命の歴史が鼻で笑う。
植物同士のコミニュケーション能力。共生する微生物と作り上げた地下のネットワーク。化学物質の交換によって森の全ての木々が交信していること。成熟した木を皆伐することの愚かさ。植林では生態系を救えないこと。
本書は、植物や森に関する様々な不思議を教えてくれる。そして、企業保有の森林伐採を止めるための抵抗活動である樹上占拠と、その挫折についても。
エコロジーと自然破壊を題材としても、描かれるのは木に魅入られた人々の生き方や苦悩だ。入れ替わり語られる群像劇と心理模様、彼らの系譜にまつわるストーリーにグイグイと引っ張っられる。
繰り返し問われるテーマのひとつが、心理学用語である傍観者効果だ。“なぜ人は目の前の明白な緊急事態に対して行動を取ることができないのか“。
その問いのもう一つの側面は、“なぜある人々は行動を起こせるのか”。
樹齢数千年の木の命は、人間一人のよりも重いという大義も一つの答え。
壊れゆく世界を救うためには、種としての人類が滅ぶしかないという絶望と自死もまた答え。
救いたいのは見知らぬ誰かではなく、隣で手を繋ぎ戦っている仲間だというのも、きっと答えなのだろう。
ラストのメッセージは、“STILL ”-まだ、いまだに、更に -諦める訳にはいかない。 -
Posted by ブクログ
ピューリツァー賞受賞作品であり、デヴィッド・ボウイの愛読書でもある。看板に偽りはなく、最初の3ページだけでも既にかなり面白い。
舞台は60年代のアメリカ南部。傍若無人で高学歴で子供部屋に住む無職の巨漢イグネイシャスがついに就職活動を始める。彼が巻き起こす騒動を軸に珍妙なミステリーと風変りなラブストーリーと演劇的な群像劇が絡み合う。イグネイシャスは作中で資本主義のシステムに滔々と文句を垂れているし、不純な動機からでも社会運動を始めようとするあたりプロレタリア文学の要素も入っているかもしれない。すべてが不思議なバランスと巧みなストリーで成り立ち、風刺も効いている。
ミルトンを気取って社会から距離を置くイグネイシャスは都合のよい幽門を持っている。疲れたり、耳に痛い話をされると幽門は反乱を起こし、体調が悪くなる。体調が悪いのだから何ができなくてもやむを得ないし、幽門の弱い人間に無理をさせる方が悪い。そんな価値観で生きているイグネイシャスは心が弱いのか強いのか分からない。私の心にもイグネイシャスは住んでいる。イグネイシャスが心にいない人はぜひ招き入れるといいと思う。当然のこととして他人に甘え、ふんぞり返るのは愉快な万能感を生むだろう。
そんな彼もついに就職をするが、トラブルばかり起こす(もちろん反省はしない。なんなら社会の無理解を嘆く)。数々のトラブルが怪しいバーの怪しい活動、チャンスに恵まれない黒人、母親の交友関係、街の同性愛者たち、つぶれかけのアパレルメーカーなどといつしか1本の線で繋がり大団円に向かう。一気に読める。多少冗長な感もあるが、それはイグネイシャスなので仕方ない。誰にもおすすめできる痛快な小説だった。
また、訳も読みやすく、セリフが多い小説にあって登場人物の個性をよく表している。イグネイシャスの口癖「ていうか、」の憎たらしさもリアルである。イグネイシャスの顔をあしらった表紙も秀逸で、普段はカバーをかけて本を読むのに、この顔が見たくて、カバーをとってしまった。
なぜここまで邦訳されなかったのか不思議なくらい。今後も売れ続けると思う。
著者は自死しており、痛快ならがあたたかい読後感のあと、しめやかな気持ちになった。