リチャード・パワーズのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
割と忙しく、寝る前にちみちみと読んでいたら上下で1か月くらいかかった。
個性的で何を問うても自分の意見を言わず、歴史的な事実や格言のみを返す、そして謎の深刻な病気を患う父。
そしてその奇妙な父に振り回される家族。家族ゆえに放っておけない面倒さ、窮屈さ、心配、そして愛情。
様々な感情が浮沈しつつ明らかになっていく父の秘密。
ゲーム理論の一角をなす難題、囚人のジレンマを底に敷き、そのフレームで家族が人間関係が戦争が描かれる。
パワーズらしい博覧強記。
パワーズらしい隠喩の跋扈。
妄想的記述と圧倒的抽象度。
読みにくさ全開にもかかわらず最後は胸を刺す家族の愛の物語。
泣いてしまった。
パワーズの描く愛は癖になる。
最近のパワーズは読みやすくエモいんだけど、私はこの初期の圧倒的読みにくさの中のエモいパワーズがたまらなく好きだ。いい読書体験だった。傑作。 -
Posted by ブクログ
米国現代文学を代表する作家、リチャード・パワーズが1988年に発表した作品。歴史教師である父の謎かけに翻弄される家族の姿が、第二次大戦から1970年代に至る米国史と絡めて語られる。会社近くの文教堂書店員さんに、「これ、とても面白いですよ」と手渡され読み進めた。
連番表記で第三者視点から語られる章、年代表記で歴史上の出来事(但し架空あり)から構成される章、抽象的語句の表記で家族視点から綴られる章が入り乱れる。加えて、西洋古典や宗教書、ポップカルチャー等をもじった言葉遊びやギャグ、アメリカンジョークも満載で、初読したときは極めて難解に思えた。
だが、再読してみるとタイトルの意味が分かってくる。国家レベルの相互協調がもたらす悲劇。「非協力vs非協力」から成る世界にもたらされる一筋の光。長年会社員をやっていると、対クライアントは言わずもがな、社内でさえ互いの思惑を読み過ぎて諍いが生まれ、結果的に組織の目指すゴールから遠ざかることは珍しくない。そんな見慣れた情景を、よりミクロかつ普遍的な「家族」というシステムの中に転写し、戦時下の為政者に対する皮肉やウィットもてんこ盛りで浮き彫りにする。
SNS隆盛、「密から疎」の2020年代に翻訳されたことは大きな意義を持つだろう。作者の息遣いを伝える、柴田元幸さんの言葉選びが秀逸。 -
Posted by ブクログ
『子供、女性、奴隷、先住民、病人、狂人、障碍者。驚いたことにそのすべてが、この数世紀の間に、法律上の人格を持つ存在に変わった。それならば、樹木や鷲、山や川が、自分たちに果てしない危害を加えて窃盗を働いた人間相手に訴訟を起こしてなならない理由があるだろうか?ー 話すことができないので当事者適格性が認められないというのは理由になっていない。法人も国家も口をきくことができない。弁護士がその代弁をするのである』
昨秋に、隣地の裏山に自生したオニグルミを幹の半分まで切ってもらった。我が家の雨樋が落ち葉で詰まるから。
僕が家を建てる前から生きてきた木の生存権を侵害し、無用な苦しみを与えていると告発されたとき、僕はどうすべきか。
所有権なぞ、地球と生命の歴史が鼻で笑う。
植物同士のコミニュケーション能力。共生する微生物と作り上げた地下のネットワーク。化学物質の交換によって森の全ての木々が交信していること。成熟した木を皆伐することの愚かさ。植林では生態系を救えないこと。
本書は、植物や森に関する様々な不思議を教えてくれる。そして、企業保有の森林伐採を止めるための抵抗活動である樹上占拠と、その挫折についても。
エコロジーと自然破壊を題材としても、描かれるのは木に魅入られた人々の生き方や苦悩だ。入れ替わり語られる群像劇と心理模様、彼らの系譜にまつわるストーリーにグイグイと引っ張っられる。
繰り返し問われるテーマのひとつが、心理学用語である傍観者効果だ。“なぜ人は目の前の明白な緊急事態に対して行動を取ることができないのか“。
その問いのもう一つの側面は、“なぜある人々は行動を起こせるのか”。
樹齢数千年の木の命は、人間一人のよりも重いという大義も一つの答え。
壊れゆく世界を救うためには、種としての人類が滅ぶしかないという絶望と自死もまた答え。
救いたいのは見知らぬ誰かではなく、隣で手を繋ぎ戦っている仲間だというのも、きっと答えなのだろう。
ラストのメッセージは、“STILL ”-まだ、いまだに、更に -諦める訳にはいかない。 -
Posted by ブクログ
昔、吉祥寺に知久寿焼のライブを観に行ったことがある。彼はMCで、吉祥寺の街中にあるとても古い木について話していた。その木は不思議なことに、つららのようにいくつもの「こぶ」が太い枝から下に向かって伸びているのだという。自分はその木を幼い頃から当然のように認知していたが、そんな形状が目に入ったことは一度もなかった。ライブのあと、何気なくその木の前を通って例の「こぶ」を目にした時、身近な世界のなかには不可視の領域が含まれているのだと知り、愕然としたことを憶えている。
この本に充満しているのは、そうした視えないものたちのむせかえるような気配だ。そしてパワーズ特有の、途方もなさから詩の様相を帯び始める事実たち。読後には新たな耳目が与えられ、確実にいつもの風景が変容してみえるはず。隅々まで本当に面白いが、特に最初の『根』の章が短編集としても素晴らしい。傑作。 -
Posted by ブクログ
核酸を増殖するPCR(polymerase chain reaction)の過程をこれ程まで詩的に記載された文章はあっただろうか?!僅か2ページの出だしの文章に、いきなりやられてしまった。
音楽の物語、否、音の物語。音は楽器から奏でられるものだけではない。あらゆる物、あらゆる言葉、あらゆる事象の中に音は内包されている。例えば、朝焼けには朝日のメロディーが、夕焼けには夕日のメロディーが、降雪も雪の種類により各々のメロディーが内包されている。この世は音に溢れている。世界中から音が聴こえ、それを譜面に著わそうとするピーター。それが高じてDNA塩基をkeyとしてメロディーを作ろうとする。それが周囲の誤解を招いて…。決してハッピーエンドではないが詩的な文章で、まるで音が聴こえてくるような素晴らしい物語でした。 -
Posted by ブクログ
リチャード・パワーズは以前から友人のひとりに読め読めと言われ続けていたのだが、なにしろ長大で難解な印象があり(事実そうなのだが)、読書会というきっかけがなければこのままずるずる読まずにいたと思う。その点で読書会に感謝、そしてまた、リチャード・パワーズという小説家、『オルフェオ』という作品に出会えたことを心から感謝する。
結論から言うと、本書『オルフェオ』は2015年の個人的ベスト級の作品です。今現在『グールド魚類画帖』のフラナガンとパワーズによる、熾烈なWリチャード首位争奪戦が繰り広げられている次第。ちなみにわたしは音楽的な知識は絶無なので、本書に出てくる曲の十分の九は名前すら聞いたことがないし、音楽学のタームについてもなんとなく雰囲気で理解したような気になっているだけなのだが、そんなことはまったく問題にならないおもしろさだった。
『オルフェオ』という物語には、大きく分けてふたつの核があると考える。
ひとつは、主人公ピーター・エルズの逃走をめぐるもの。
バイオテロ容疑をかけられたエルズは当局の手を逃れるためにアメリカ各地を転々としていくわけだが、その逃走劇において彼が向き合うのは、過去に破綻した恋愛であり結婚であり友情であり、とりわけ父子関係である。作中、エルズが自身を「青二才」と評すシーンがあるが、実際エルズという男はその人生の終わりがけにおいても失敗した過去にしがみつき、永遠の音楽を追求するという気宇壮大な夢にとりつかれた、文学の世界においてもちょっとめずらしいレベルの青二才といえる。『オルフェオ』とは、そのエルズが自身の人生を通り過ぎていった、そして自ら捨て去ろうとした過去と向き合い、その過去を現在の自己のなかに取り入れ同一化することによって成長していく(というよりは失われた過去と折り合いをつけようとする)物語である。
要するに『オルフェオ』という物語は、遅咲きのビルドゥングス・ロマンといえるのだが、そこに本書でも大きなテーマのひとつとなる<好み>の問題が介在してくる。
本来ビルドゥングス・ロマンとは人格的に白紙状態の少年あるいは青年を主人公とするものだから、読者もまたその成長を「さようですか」という感じで、比較的肯定的に受け止めることができる。とはいえ『オルフェオ』の場合、主人公はいい年をした爺さんなので、いい年をした爺さんが過去を思い返してめそめそするのは、そもそも昔の女を思い出して手慰みに耽るような男は、どうしても好きになれないよ!という人が一定数存在することは、『オルフェオ』擁護派のわたしといえども認めるにやぶさかではない。ピーター・エルズはだめんず文学界の試金石として貴重である。
もうひとつの核は、エルズが求めた永遠の音楽とはなにか、というもの。
この問題についてはパワーズ先生は親切なので、いろんなところにヒントを書いている。
それはたとえばこんな具合。
<私が書いた全ての曲が目指していたのは、現在という壁を突き破り、永遠へと抜けるトンネルを作ることだった>(119)
<個人個人の好みを超えた場所まで連れ出す。人々を殻から連れ出し、外にあるものに触れさせる>(143)
音楽にかぎらず、すべて芸術作品には<好み>が存在する。芸術家がその<好み>とどのように折り合いをつけるかというのはやはり大きな問題で、それを無視すればピアノの裏をハンマーで叩くような実験的な作品になるだろうし、それに合わせようとなら大衆的な作品ということになる。要するにエルズという男はここでもどっちつかず、というよりむしろ二兎を追っているのであり、彼が求めている音楽とは換言すれば、<これまでになく前衛的でありながらなおかつ万人を感動させる=惹きつける音楽>のことである。しかもそれが未来永劫残ることまで望んでいるからすごい。
で、エルズがどうするかというと、これはもうある種必然だと思うが、既存の音楽の外にあるもの、つまりわたしたちが普段それを音楽であるとは認識しないものに向かう。すなわち小さいものの世界(犬、鳥、カエル、赤ん坊、そして遺伝子)であり、結果としてエルズは病原菌に音楽を組み込もうとする。しかしその音楽を単に遺伝子に組み込んだだけでは、万人を感動させるという目的は達成されない。それにはパフォーマンスが必須であり、エルズとボナーの最後の共謀は全世界に向けた恐怖の拡散、そして狂気のDIY遺伝子工学者のドラマチックな死というかたちをもって幕を降ろす。
と、いくらでも語り続けたいくらい随所に仕掛けが施された精緻な小説で、再読の愉悦をここまで味わわせてくれた小説はナボコフの『ロリータ』以来といえる。
しかし実のところリチャード・パワーズの本質はかなりメロドラマ的なのではないかとも思えて、それが特に顕著にあらわれるのが、遺伝子に組み込まれた音楽が最後に明らかになるくだり。
あとはまあ、「ボルヘス・ソング」に大笑いしたり、公園ナンパシーンで目を細めたり、クララに電話をかけるシーンで号泣したりなんだりしたんですが、あんまり自分のエモーションにつなげたことは言いたくないのでそこは省きます。とにかく傑作!でした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレトマス・ピンチョン著作『逆光』が重版しました、とのポストをふと目にした。プロフィールを見ると、同じ訳者である木原義彦氏が『プレイグラウンド』に関するポストを引用リポストしていたというのがこの本との接点。本屋に行った際に見かけて、ちょっと買ってみるかと4,500円の本をレジに渡したのが最後、最後まで興味深く読ませてもらった。
初めに文章について話すと、小難しいわけでもなく、だらだらとしているわけでもなく、良い塩梅で読者をこの本の世界に引っ張ってくれた。作者及び訳者の力量によるものと思う。勝手なイメージだがアメリカ文学は固有名詞をその文化圏の固有名詞及び「常識」の範囲を拡大した、読者を選別するような固有名詞の羅列が多いものが「文学」として歓迎されているような気がするーこれはほんとに気がする、というか偏見でしかないーので、一一般読者の私としては手の取りづらいものがあるが、この本はそうでもない。というか()書きで説明してくれいてる。助かる。平易ではあるけど読みごたえはある、という私の求めている範囲内の難易度であった。
ここから内容について話す。メタ的な「AI小説」が大きなネタバレとしてある。
ラファとトッドという男子学生の友情と決裂を分岐として、トッドを始とするAIの機械叙述と現実に起きた友情の決裂と願望の成就がなされる物語が並記されていく。
その物語の背景には自然(海というこの地球の99%を占める存在で未知なる生命がいくらでもいる世界)がある。
まあ、ラファとトッドの決裂及びその後の資金面の催促やたかりはラファという存在を卑小にしているが、そこの違和感というか気持ち良く無さを除けば、非常にスムーズな物語である。