山本芳久のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ愛をテーマに、プラトンのエロースからアリストテレスの友愛といったギリシャ哲学、アウグスティヌスから著者が専門のトマスアキナスまで、キリスト教に限らず哲学のエッセンスが分かるのが良かった。
単なる哲学の解説ではなく自分の心のあり方を考えるきっかけにもなる。
アウグスティヌスが神への愛を語る「告白」の解説では「まず働きかけてくるのは神の側だと言うことです」という。何かを追い求めるのではなく、出逢った御言を受け入れる、受動的な態度が印象深い。
トマスアキナスでは、感情論について、感情は受動的な仕方で生まれてくるという。自己愛があってこそ隣人愛が生まれる、という説明に、著者の温かさを感じた。自己愛と隣人愛との比較の考察に、一致と一であることとの比較を補助線として使用していると言う。1であることのラテン語unitasはunityの語源でありこれはそれぞれのものが有している自己統一性のことだと筆者は言う。一であることとは、その人がその人としてのまとまりを持っていること、アイデンティティーを有していること。それが前提としてあった上で人それぞれとの結びつき一致が生じてくるんだと述べているのだと。それぞれが健全な自己愛に基づいて自分の全体を受け入れ自分を大切にする事はできている、それがあった上でそれぞれが自分のことだけでなく相手のことも愛し受け入れることができる、一致が可能になるという。だからトマスは、人がそれによって自己自身を愛する所の愛が友愛の形相であり根拠である、と言っているのだと。自己愛が明確に確立していて初めてそれが根拠となって隣人への愛も生まれてくる。他者に対する友愛は自分が自分自身を大切にするやり方を他者にも及ぼすことだからと。自分を犠牲にして隣人を愛すると言うよりは、自分を大切にすると言う前提があって初めて隣人を大切にするあり方が可能になる、という点が強調されているのだと著者は述べている(p213) -
購入済み
読みやすいです
『愛のあるところ目がある』という一文にひかれた読みはじめました。
トマスアクィナスの著作に興味はありますが、哲学と神学の素養がなく、
ボリュームもすごいのであきらめていましたら、このとっつきやすい本が
見つかってよかったです。カトリックの深さ広さを感じる一冊と思います。
なぜかガンバロウと思いました。 -
Posted by ブクログ
トマス・アクィナスの「神学大全」という大作のうち、感情論にテーマを絞ってトマス哲学の核心的な位置づけと見なされる肯定の哲学という観点から講釈いただけております。哲学者と学生の対話形式で綴られていますので、取っつきやすくかつ日常的な例を挙げてながら進めているので、自分の経験とリンクさせて理解が深まる。
喜びや希望といった正の感情、絶望や恐れ・忌避などの負の感情含めすべての根源的な感情として「愛」があるのだ。絶望・恐れ不安に襲われている際にも、そこには対象「欲求されうるもの」への愛所以という論理を心に留めておくことで、直面している悲惨な現状に対して少しでも拠り所として機能するのではにないか。
また、愛するということは一見能動的な動作や感情に思えるが、そこにまず「欲求されうるもの」からの働きかけがあり、その働きかけに呼応することで深まっていくもの、つまり発端はどちらかというと受動的なものとなる。これは、愛、言い換えると「善なるもの」は独断的で独りよがりなものではなく、その対象との相互的な関係性によって成り立っているのだという考え。また、「欲求されうるもの」はこの世の中に沢山散りばめられており、その出会いと深化が人生を豊かにするのだとい楽観主義的な思想が、悲観に満ちかけた時などの気持ちの支えになってくれそうとか思いますの。
以下、付箋個所をトレースしてみます。
P140
「憎しみ」の根底には「愛」があるという気づき。憎しみという負の感情に飲み込まれないための、心の錨として落としておきたい考えです。
P165
「発展的スコラ哲学」トマスが古代ギリシア哲学とキリスト教の神学を統合して洞察を深めていったように、トマスの哲学と現代の知的発展を統合してさらに発展的な知的探求を行おうという試み。トマス的な取り組みを現代でも継承していこうというこの意気込みは、「神学大全」をただのキリスト教の教義だと決めつけていては到達できない観点ですね。
P187
不倫や賄賂などのいわゆる悪に属する行いも、「性的快楽」や「拝金主義」といったある場面においては追求されることもある善を歪んだ形で発揮してしまっている所以であり、「悪」を愛しているわけではない。このように陥ることを防ぐため、「徳」が必要なのである。
P200
善に対する「実在的な一致」と「心における一致」では後者がより重要性を増している。心に喜びを伴わない場合では、実際に喜びを与えてくれる対象を手に入れていても真に愛することはできない。深いお言葉。
P220
「もう一人の自己」「相互内在」
人間が有する特徴である。自分ではない他者に対して、自分の喜ばしいことのように感じ入れる。これは、神の似姿としての人間のみに与えられた善の分与・共有の精神に近しいのではないでしょうか。
P289
神学的な観点から考察する感情論との親和性
「傷つきやすさ」をもつ不完全な人間だからこそ、受動的に善に出会うことができ、相互に感じ入れることができる。愛すべき、ビバ人間。
人テーマに絞り込み、あまり神学との絡みをあえて省いた本質的な論を展開してくれているので、自分の人生の糧となるでしょう。良本でございます。しぇいしぇい。 -
Posted by ブクログ
この本を読み終えると、ホントに「世界は善に満ちている」と思える。
最初はなんか偽善的?なタイトルだなぁと思った。それに「トマス・アクィナス哲学講義」というサブタイトルが付いている。ものすごく難しそうで到底読みきれないと不安に思いながら手に取る。
ページを開くと対話形式になっている。学生と哲学者。少し読むと、とても読みやすいことに気づく。時々引用されている原典の文は、全く歯が立たない、チンプンカンプンなのだが、本書にも書かれている通り、対話になった部分を読んでいくと、なんと、最初全く意味が取れなかったものが、あーそういうことか、と一応わかるようになるのがすごい。
内容は、今の私のために書かれているのではないかというくらいビジビシ納得し慰められ、もうメモをとりまくった。長すぎてアップできない。
今の私とは、全く「世界は善に満ちている」と思えず、「世界は善に満ちていない」、なんなら「世界は悪に満ちている」と思っている状況。
そういう人たちのための薬になる本だと思う。
世界は善に満ちている! -
Posted by ブクログ
中世ヨーロッパの哲学者トマス・アクィナスが記した『神学大全』のうち「感情論」にフォーカスして、教授と生徒の対話形式で人間の感情に関する洞察をなぞる本。
つい先日、自分も「感性」について考察したいたこともあり、それはもうノリノリで読めた。
トマスの感情論は感覚的な説得に依らず、論理的に心の動きを分析することに特徴を持つ。
導入で「希望」という感情の要件を
①善であること
②未来を対象とすること
③獲得困難なものであること
④獲得可能なものであること
とし、もし④が不可能であるならばそれは「絶望」の要件となると示す。「希望」と「絶望」、対極に位置する感情が紙一重の要件境界をまたぐことによって鮮やかに塗り変わることを示され、ここでいきなりトマスの思想にぐっと引き込まれてしまう。
まずトマスはあらゆる感情のベースには「愛」が存在するとし、愛の定義と愛によって躍動する心について説いていく。
「愛」はなにものかの存在により心に働きかけを受け、励起させられることにより生じる受動的な感情であるとし、そのものを手に入れようと「欲望」が生まれ、それを手にした時に「喜びが」生じると考える。
このような手法で、負の感情である「憎しみ」「忌避」「悲しみ」などについても整理していく。 うおぉ…と思わされたのは、「憎しみ」は単体で生じることなく自身が「愛」を持った存在を害された時に生じる感情であり、「憎しみ」の根底には必ず「愛」が在るという話。
確かに例外は全く思いつかず、今後自分が「憎しみ」を覚えた際に自分は何に「愛」を持っているのかを問うことが出来るだろう。
あらゆる存在は人を欲求させ得る可能性を有し、人はそれらの内で「気に入ったもの」を浴びて生きている。この視点は自分が「感性」や「素直さ」を重要視している感覚と一致する。、つまらない世界だと感じても、世界はそのような「善」を持つもので満ちているという感覚は豊かに生きる上で重要だろう。
このような感情論に対しキリスト教からの視点を混じえた解説も面白かった。
感情は受動的活動であるが、神は完全な存在であるため影響を受け変化することは無い、故に神は感情を持たないと考える。など、宗教に関しても一貫した説明を与えることに成功し、その強固なロジックに対して感銘を受けた。
自分の思想と突き合わせながら読み、本を閉じた時には「自分、トマス・アクィナスと会話できてるな…」と思え、それがとてもよかった。
対話形式で具体例を用いて解説が進むので、前提知識がない人でも哲学の面白さを十二分に浴びれる本なんじゃないか。オススメすぎる本、是非読んでみてください。 -
Posted by ブクログ
世界史の授業をまともに受けたことがなく、
今まで宗教によってそれぞれの聖書がある
と思っていたので、共有している聖書がある
ということに驚いた。
本当にざっくりとした話ではあるため
ある程度知識がある人には退屈なのかもしれないが、
超初心者には大変ありがたい1冊。
宗教といえば神へ救いを求め自ら陶酔するイメージがあったが、旧約聖書では神側から
あれこれ人間に絡むし、神からお告げをもらえる人間も決して聖人ではないことはおもしろいと感じた。
罪も人に迷惑かけるとかではなく、
神を信じないことというニュアンスが強いみたいで
かなり不思議な感覚だった。
そして、神がいるならどうしてキリストはあんな残酷な最後を迎えたのだと不思議だったが、神の子だからこそ人の不幸まで背負ってくれたのだと思えばキリスト教を信仰する人の気持ちも多少理解できるものであるな、と。私も多くの人の隣人になれるような生き方をしたいと思えた。
ただ、私がユダヤ教信者だったら勝手に自分達の聖書を使っているうえに意味も上書きされてかなり腹を立てると思うから、ユダヤ教はかなり寛大だなと。そこら辺の歴史的背景も今後学んで行きたい。 -
Posted by ブクログ
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を、三大一神教(セム的一神教)として統一的に捉え、それぞれの共通点・相違点を聖典などを読み解くことで分かりやすく解説してくれる良書
啓示・キリスト・アブラハムなどこれらの宗教における重要なファクターがそれぞれの宗教でどのように扱われてきたのか、著者の一般人に寄り添った書き方で要点を掴んで書かれている
さらに、話は宗教間対話にまで及び、対立構造を取られることも多いこれらの宗教について、過去から現代までの学者の文献を引用して、対話に至るまでの必要不可欠な要素を導く。「みんな違ってみんないい」というような「多元主義」は果たして本当に正しいと断言できるのか?
簡潔な文章の中に重要な意味合いがふんだんに込められているため、三大一神教に関心をもつきっかけとして最良の書だと思う。
「もし対話というものがありうるとすれば、それは互いのアイデンティティの濃い部分を捨てておこなうものではなく、お互いに濃い部分を認め合いながら、共通点を見出したり、共通点でなくても通じ合うものを見出したりする、そのような行為ではないかと考えています。」