山本芳久のレビュー一覧
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キリスト教って大きい宗教で、歴史上ではたびたび戦争の火種になったりしていて、カトリックとプロテスタントがなんとか…キリストが3日後に蘇って、聖書があって、なんか教会でミサする?
20代後半に差し掛かるタイミングでこんなことじゃいけないかもしれない!と思い、1番わかりやすそうだったのでこちらを読んでみました。
そもそもキリスト教とは、聖書とは、そしてその教えの本質とは、といったことがとてもシンプルにまとめられています。なんといっても回りくどいことが書いておらず、飽きないうちに読み終わるボリュームが良いです。巻末に推薦書も載っているので、これを足がかりに気になった部分から今後も少しずつ知見を深めることもできます。とりあえず「キリスト教」とは?ほぼ何もわからん!けど難しい本は寝てしまうって人におすすめです。 -
Posted by ブクログ
感情が受動的なものであるという点、東洋哲学や心理学と共通の何かがある気がする。
感情が生まれる過程を微分し解きほぐす説明に、感情の嵐に巻き込まれないヒントがありそうだ。
心理学やらが新たな発見だと言っているようなものと近いのではないか。心の本質的なところは、すでに遠い昔に観想されていたのだなあ。
印象的な言葉
・感情passioは英語のpassive受動的の語源。passioは外界の影響を受動して生まれてくる心の動き全般のことを指していてそれをここでは感情と呼んでいる(p38)
・トマスの感情論を手がかりにすることによって、恐れと絶望は対象を異にした根本的に異なる感情だということがわかってきます。恐れについて言えば、差し迫った未来の困難な悪を自分は恐れているのだということに気づきます。他方、絶望について言えば、未来の善がもはや達成不可能だと思い、既に自分が失望絶望していることに気づきます。
感情の倫理学を踏まえた上で自らの感情を振り返ってみると、何がそうした感情を呼び起こしているのか、と言うことに改めて気づくことができるようになります。絡まりあって混乱しがちな自らの感情をうまく腑分けし整理するための手がかりを与えてくれるのです(p42)
・私たちは「欲求されうるもの」からの働きかけを「受動」しうるからこそ(受容しうるからこそ)能動的に活動しうる。
受動すること、この世界のなかの魅力的な美点によって心打たれることは、真に充実した人生を送っていく前提条件とも言えるでしょう。
確かに自分からやみくもにに何かを愛そうとするより、何らかの対象の方から自分への働きかけがないかどうか、目を凝らし耳をすませ、心を開いておくことが愛を引き寄せる第一歩なのかもしれませんね(p77~78)
・欲望的な感情passio concupiscibilis
対象が困難なものであるか否かに関わらない。魅力的なものと関わりたい嫌なものと関わりたくないと言う人間の心の最も基本的で自然な運動によって生まれてくるもの
愛、憎しみ、欲望、忌避、喜び、悲しみ。
気概的な感情: passio irascibilis
自然な運動の達成を妨げる困難との出会いによって生まれてくるもの。欲望的な感情があって初めて生まれてくる二次的な心の動き。
困難なものを対象とする。
希望、絶望、恐れ、大胆、怒り。(p81)
・「自らのうちに有り余るほどに豊かな善が存在していてそこから他者へと分かち与えるcommunicareことができるほどだ。」
communicareという動詞は、文脈に応じて、分かち与える、共有する、伝達するなどと訳すことができます。
例えば太陽は自らの有する光や熱を独占したりはせず、おのずと周囲の者にも光や熱を分け与えていきます。また、泉も、こんこんと湧き上がる水を自分だけで独占したりはせず、おのずと周囲の者もいるをしていくわけですね。そのように、優れたもの、充実したもの、すなわち善いものは、自らの卓越性や充実を自らのうちのみに独占することなく、おのずと周囲へと拡散させていく。
この原理は、善は自己拡散的であるbonum est diffusivum sui、と言う形をとってトマスの思考体系の様々なところに登場します。善の自己拡散性、善の自己伝達性、と言う言葉でまとめることができます(p252)
・富であれ権力であれ快楽であれ、自分だけで何かを独占したいと言う心の動きは誰にでもあるわけですが、でも人間にとっての喜びはそれだけではない。それだけで心が完全に満たされる言うような事はありえない。自分の豊かさを他者と分かち合う、そういう喜びも人生にとって大切なものとして存在するのだ、とトマスは述べているのです(p258)
・人間は善の自己拡散性がある。
この世界の真相をありのままに認識することによって人間は理想的存在としての自らの可能性を十全に開花させることができ、大きな喜びを感じ取ることができる。そしてその喜びは自己閉鎖的なあり方へと人間を導いていくのではなく、真理を他者と分かち合い共有すると言う仕方で、より大きな喜びに満ちた他者との共鳴へと人間を導いていく、とトマスは述べているのです。(p259)
・人間が愛と言う感情を抱くのは、外界の善(欲求されるもの)の働きかけを受け、その刻印が心に刻まれていることだ、と言う話をこれまでしてきましたが、それを言い直すと、人間は不完全な存在であるからこそ、自分とは異なる善(欲求される者)の働きかけを受容し、より豊かな存在になっていることができると言うことになります。(p266)
・今自分に見えているものがこの世界の全てではない。この世界の内には、まだ自分には見えていない様々な価値、様々な善が存在している。ある種の訓練、例えば味覚の訓練を積むことによって、または徳を身に付けることによって、もしくは自分の心にふとした機会に訴えかけてくる何らかの善との出会いによって、より多様で豊かな善の世界へと自らが開かれていく。私たちの生きているこの世界には未知なる善が計り知れないほど埋もれているのだ。そういう感覚を持って生きることができれば、人生の奥行きというか、広がりというか、そういうものが随分と変わってくるのではないかと思います。それが肯定の哲学。
良質なワインのおいしさがワインを飲み慣れていく中で徐々にわかってくるのと同じように、この世界の素晴らしさと言うものも最初から全て把握できるようなものではありません。そうではなく、それぞれの人生を生きていく中で徐々に明らかになっていくものなのです。(p283) -
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自分のキリスト教への理解が浅はかなもので、「信じる者は救われる」的な、ある意味、思い込みの世界なのかとどこかで思ってしまっていた。トマスも恐らくは一般人の反応はそんなものだと分かっていて、聖書や、アウグスティヌスといった過去のキリスト教の偉人たちの言葉、それらに加えてこの時代に逆輸入されたアリストテレスの思想から、きっとこういうことだ!ということを論理立てて説明していったのだと思う。
現代では科学的に否定されているため、聖書の物語が史実なのか今更論じられることは少ないが、しかしそれも、人間の認知できない世界があるなら否定し切れるものでもなく、少しキリスト教を信じる気持ちも分かった。自分には、ほんのちょっとキリスト教が身近に感じられた本。 -
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ネタバレキリスト教初心者にはすごくいいのではないかな、と初心者は思った。ゆったりとした語り口調で、それこそ教会で説教を聞いている気分になってくる。
キリスト教という膨大すぎるテーマを、「旅」を軸に据えて噛み砕いていく本書。「神とはどんな存在なのか」や「キリスト教は現在においてどんな役割」があるのかというところまで話が広がっていく。
個人的に驚いたんだけど、「アブラハムには7人の子」って歌、神から最初に接触されたアブラハムだったのか。アブラハム自身は何も主張せず、善人でもあり悪人(というか過ちを犯す人)でもあり、けれど主を信じるという態度の人らしい。だからユダヤ、イスラム、キリストの3つの宗教それぞれに登場するし、悪くは言われてないとのこと。
イエス・キリストって深く考えてなかったけど、イエスが固有名詞、キリストは「救い主」らしく、イエス・キリストは「キリストは救い主です」という、言い方そのものが信仰の告白らしい。
P70で神の存在を「全能なわけではなく、寄り添い、ともに傷つき、見守っていてくださる存在なのだ(要約)」として、以降はそれを前提として話が進んでいくんだけど、遠藤周作の「沈黙」内で主人公が辿りつく神の解釈と合致しすぎてて驚いた。遠藤が熱心なキリスト教徒だってことは知っていたけど「沈黙」自体は普通に創作物だと思って読んでいた。でも、結構聖書のセルフ解釈みたいな本だったのかな。 -
Posted by ブクログ
トマスという人物は中世キリスト教の支配する思想の中でアリストテレスの合理性を結合させた開明的な人物という印象に改められた(というか歴史に一行以上には知らなかった)。また、凄まじい大著である神学大全ですらトマスの全著書の7分の1であるに過ぎず、アリストテレスや旧新約聖書への注釈、様々な同時代人との対論を残しており、40代で亡くなったことを考えると歴史的な知の巨人であったことがわかる。が、現代から彼の思想を見る意義は、著者がいろいろとこの新書の中で述べているが、アリストテレスの合理性とキリスト教の神秘性を合わせただけでなく、昇華させたところに意義はあるように見えるが、それ以上のところは私には理解できなかっただけかもしれない。