中央公論新社のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
数年に1度ほどのペースですが定期的に書評集を読みたくなる時がやってきます。
こちらは書評集ではなく「読書エッセイ集」。新しい本や著者との出会いを提供してくれるという意味では同じかな。
鈴木保奈美さんがどのような本をどのような文体で紹介されているのか興味を持ち、読んでみました。あ、ちなみに私はまだ50歳には達していません。
読み終えて改めて思ったのは、私がこれまで読んだ本はこの世に存在する書籍のほんの一握りなんだなぁということ。もっと読まなくちゃと焦りそうになりますが、本書の中で複数の方が「再読は大切」と仰っていたので量は気にしなくて良いようです。そして今の私の年齢ではまだ再読の段階に入らなくても良いようです。
本書を通して読んでみたいと思える本がまたいくつか見つかったことはもちろん、翻訳小説がやや苦手な私が「13·67」を読んでこんなに上手な翻訳家さんがいるのかと驚いた天野健太郎さんのことを窪美澄さんが同じように感じて紹介されていたのが嬉しかったり、私が日本を離れている間にクレヨンハウスが移転していたことを知って衝撃を受けたりと、色々な種類の収穫があって楽しめました。
ノンフィクション作家の保阪正康氏曰く、「読書には、年代に応じての関心事を満たすための書、あるいは職業上の必要から読む書、そして自らの生き方を確認するために読む書、という三つ役割がある」そうです。保阪氏は50代になってからの読書は自らの生き方を確認するための書が多かったとのことですが、なるほど確かに今の私は関心事を満たすための本ばかり読んでいます(会社員時代はビジネス関連、資格関連の本が多かった)。
いつか50歳を超えた時に、再読したいと思える本を増やすべく、今はとにかく興味を覚えた本をどんどん読んでいこうと思ったのでした。
-
Posted by ブクログ
著名人の世界各地でのカフェ体験を集めた短いエッセイ集。渋谷のカフェ「Bunkamura ドゥ・マゴ・パリ」が発行しているフリーペーパーがもとになっているとか。
日本のカフェの話もないわけではないが、それにしても"記憶に残るカフェ体験"が題材であるせいか、エッセイとしては「なんでもないことを面白く」というよりは、「それ自体特別な体験をそれ相応に魅力的に」書く、という印象が全体的には強かった。海外への憧れの気持ちがそう思わせるのかもしれない。
読んでいると旅に出たくなる・・・かというとある程度はそうだが、ある程度以上ではない。単に私が出不精だからだと思う。それでも、数少ない旅行の思い出がよみがえって、ああ、あの時良かったな、と思えるのは幸せなことだ。その程度には私も旅をしておいて良かった。でも実を言うと、よみがえったのは自分の旅の思い出だけではなく、高峰秀子の『巴里ひとりある記』や、武田百合子の『犬が星見た―ロシア旅行』のような人様の旅行記のこともふわふわと思い出した。実現性の高さからいっても、旅に出たい欲よりはそういった旅モノ文学を読みたい欲のほうが刺激されたかもしれない。最近テレビで見た林芙美子のやつとか読んでみたい。
カフェに行きたくなったかというと、それはなった。けれども、これもやはり出不精っぷりが年々増しているのか、若いころほどカフェ欲も高くなく、「美味しいものが出されて、静かすぎずうるさすぎず、あまり遠くなくて、気が引けるほど特別感もなくて、それなりに長時間本を読んでいても気兼ねしなくてよくて、」などと条件を色々考えていると、もう家でええやんという気持ちになってしまう。すてきなカフェシーンが印象的な映画とか小説とか、そういったものをおうちで摂取すればそれでいいじゃないか。
・・・と、少なくとも「今」の自分がいかに非活動的であるかがわかってしまった読書となった。またそのうち活動的な季節もやってくるだろう。
以下は自分の備忘のため、心に残ったエッセイをメモ。
<文章が好き>
・野田秀樹「想い出せないカフェ」 ロンドンの名誉とは。
・佐藤亜紀「客もまた怪しウィーンのカフェ」 犬の表情。
・川成洋「セビーリャのサングリアの味」 ボられた者同士の連帯感。
・須賀敦子「リペッタ通りの名もない牛乳屋(ラッテリア)」 イタリア庶民に染まった著者の感覚。
・亀山郁夫「マヤコフスキーの死に魅せられて」 ヨーロッパ風のカフェに対する何やら敵意のようなもの。
・南伸坊「カトゥマンドゥ・ハラッパ・カフェ」 黒く見えるが元は白い布であったであろう由緒あるゾウキン。
<内容が興味深い>
・鶴岡真弓「『ビューリーズ』のオリエンタルな気分」 ケルト芸術文化研究家。ダブリン。
・護雅夫「男の社交場―トルコのカフェ」 コーヒー占い。
・中沢新一「ジョドプールのマカニア・ラッシー」 つい調べてしまった。
・吉田加南子「カフェテリアのざわめきのなかで」 フランス文学者。特別感のなさがすごく好きだった。
・いとうせいこう「ネスカフェの薄い広がり」 このエッセイ集に一石を投じるものがある。気がする。 -
Posted by ブクログ
九代目 林家正蔵は昼の高座を終えて『午後三時から飲み』を嗜み、それは『林家正蔵の今日も四時から飲み』という旅チャンネルの番組になっている。それより1時間早く、まだ日も高すぎる三時から飲みは詩人 萩原朔太郎。
表題の『午後三時にビールを』は、萩原朔太郎の詩『虚無の歌』の中で描かれる風景。午後三時、東京エビス橋の広漠としたビアホールにてひとりビールを飲む朔太郎。『生きて、老いて、その果てに一生を掛けて欲したものは一杯のビール、雲を眺める自由な時間だけ悟った』。
…また詩中には〈私は老い、肉慾することの熱を無くした。墓と、石と、蟾蜍(ひきがえる)が、地下で待っているのだ〉と嘆く一節もあり、麦わら色のビールが霞んでみえてしまうほどの虚無感に溢れる散文詩が巻頭を飾り、秋の終わりの鉛色の空のような気分からスタートした本書。
さて、この本は近・現代の作家たち26名による酒&酒場にまつわるエトセトラ。このエトセトラには文士たちの酒場実況・酔態・嗜好・酒文化・追憶・幻想譚…が様々な文体と語彙で語られ、戦後の風俗や混沌ぶりが酒を通じてこちらに届けられる。
久世光彦は高三時に遊郭で遊び停学になった古い記憶を紐解きながら、若き大江健三郎とのニアミスと街に詩人がいた往時を綴る。吉村昭は地元浅草や取材先の札幌での一杯を酔眼で語るグルメ本よろしくの居酒屋紀行。開高健はおでんだダネ、特にくじらに見る東西食文化論を饒舌に語り、祖父亡父から蕎麦屋での昼酒の嗜みを受け継いだ池波正太郎の蕎麦屋論は江戸文化の名残りと粋人の気風が漂い、向田邦子は自身が通いたいと思う和食店開店にむけての顛末はズバリ開業心得で、安西水丸は地味な海辺の居酒屋での醍醐味を語り、〈文壇の武闘派 故 中上健次〉の酔態ぶりを目尻を下げて語る島田雅彦。
中でも、吉田健一の『海坊主』は、本書には26編の作品の中でも異質も異質。銀座松屋裏の岡田屋という料理屋名を出し、さもリアリティ感のあるハシゴ酒随筆かと思いきや、まさかの幻想小説風仕立て。起承転結に落とし込めば、起→承→承→結。恐れ入りました。
小説家は虚構(フィクション)をせっせと作る、言い換えれば、脳内に生まれた新たな現実を文章に落とし込む知的作業。『途中から(小説の)キャラクターたちが自在に動き出し、後は筆に任した…』なんて語る作家の脳内には、酩酊に似た状態になっているとも言われる。
『酔夢譚(すいむたん)』なんていう言葉あるぐらい酒と文学は切っても切れない、特に純文学は。太宰治・坂口安吾ら無頼派と呼ばれた作家は数多くいたが今や絶滅危惧種。伊集院静もすっかり丸くなり、先年、坪内祐三や西村賢太が相次いで急逝し、時代は酒は飲むけど、ジョギングもする村上春樹的な健全路線にシフト。
本書はその無頼派が酒場で連夜咆哮し、時につかみ合いと…文学がまだまだ不健康そのものだった時代の空気をいっぱい孕んだ文学版アーカイブ的一冊。 -
Posted by ブクログ
題名をみて、世界中の50カ国のカフェを巡った強者がいるのかと、勘違いした私。
そーではなくてBunkamuraのフリーペーパーに掲載された、50人の作者によるカフェにまつわるエッセイ集でした。それがわかるような題名にした方がいいんじゃない?と思ったけど、もともとは「思い出のカフェ ドゥマゴからの贈り物」という本だったそうで、あえて変えたのかな。
Bunkamuraのドゥマゴと聞くと、それだけで私はきゅんとするけど、若い方はぴんとこないだろうしね。
行ったことのある国、行ってみたい国、そして絶対行かないと思う国、どれもおもしろい。作家さんも知ってる人、知らない人いるんだけど、着眼点や表現が違って楽しかったです。 -
Posted by ブクログ
◯武田泰淳は妻の天賦の才に気づいていたと確信した。第四章の泰淳のエッセイ「花火を見るまで」の大部分は、百合子さんの富士日記ほぼそのままだった。引用と言っても差し支えないくらいに。文学者である泰淳が一介の妻の日記をほぼそのままの形で載せたことは、妻である百合子さんを非凡な観察眼と文章力の持ち主として泰淳が追認していた証拠だと思う。
◯巻末にある「富士日記」索引、これ便利だなぁ(使う場面がそんなにあるかは別として)。ただ、この索引作るときの地道な作業、大変だったろうな。
◯角田光代の著書は読んだことないけど、彼女の書いた武田百合子評は、群を抜いて的確だった。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ編者は中央公論新社。匿名ということか。
解説は佐伯順子に頼んでおい格調づけたか。
名前出せばいいということではないけれど、2021年4月に平凡社ライブラリーで高原英理が編んだ「少年愛文学選」のほうが、志は高いか。
とはいえシロートとしては「少年愛文学選」の落穂拾いができる便利な本、とは言える。
個人的には、「少年愛文学選」→川端康成「少年」→なるみさんのブログ「うみなりブログ。」→本書、と深堀りできるのが嬉しい。
と、書いたあとで知ったのだが、編集者(n@smb_g)がツイッターで狙いを連続ツイートしていて、それが素晴らしかった。
おみそれしました。
各作品についてはもはや好きとか嫌いとかではなく文化の振り返りの資料としてすべて貴重だと思うが、
後々の自分のために頑張って★をつけてみた。
【目次】
Ⅰ
■秋田雨雀「同性の恋」(1907)
■日下諗「給仕の室」(1910)★
■倉田啓明「若衆歌舞伎」(1912)
■山崎俊夫「執念」(1918)★
■木下杢太郎「船室の夜」(1916)
■室生犀星「お小姓児太郎」(1920)+「美小童」(1926)
■綿貫六輔「小松林」(1922)★
Ⅱ
■国木田独歩「画の悲しみ」(1902)★
■田中貢太郎「ある神主の話」(1920)
■小川未明「野薔薇」(1920)
■岡本かの子「過去世」(1937)
■豊島与志雄「死ね!」(1934)
■太宰治「駈け込み訴え」(1940)
■山本周五郎「泥棒と若殿」(1949)
◇解説・佐伯順子 -
Posted by ブクログ
『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ著)の日本版?
銃後の暮らしぶりが、自然体に描かれている。
開戦時に、はたち未満の〈少女〉だった日本の女性著名人を、年齢順に並べてある編集がよい。
一番最後の絵本作家佐野洋子氏をして、うちのおふくろの2つ上、死んだオヤジと同い年か・・・。先の大戦を語れる人が少なくなっていく中、貴重なアンソロジー。
銃後の、なにげない暮らしぶりが綴られているものが多いが、死にゆく人に言えなかった「サヨナラ」につての佐藤愛子の考察、いさぎよく死のうとしていた橋田壽賀子の覚悟など、やはり、迫りくる戦火を身近に感じていた二十歳に近い年齢の女性のエッセイは、印象深い。
とびら絵の、こうの史代も良いね。