あらすじ
求めたものは一杯の冷たい麦酒(萩原朔太郎)、呑まぬくらいなら蕎麦屋へは入らぬ(池波正太郎)、おしまいにひとロライスカレー(向田邦子)。酒友との語らい、行きつけの店、思い出の味……。銀座、浅草の老舗から新宿ゴールデン街、各地の名店まで酒場を舞台にしたエッセイ&短篇アンソロジー。 文庫オリジナル
■目次
虚無の歌 萩原朔太郎
【酒友のいる風景】
はせ川(井伏鱒二)
中原中也の酒(大岡昇平)
青春時代(森敦)
酒の追憶(太宰治)
酒のあとさき(坂口安吾)
池袋の店(山之口獏)
音問(檀一雄)
詩人のいた店(久世光彦)
後家横町/酒のこと(小沼丹)
【行きつけの店】
タンタルス(内田百閒)
藪二店(池波正太郎)
私と浅草/札幌の夜(吉村昭)
鯨の舌(開高健)
「ままや」繁昌記(向田邦子)
ほろ酔いの背に響く潮騒(安西水丸)
新宿飲んだくれ/焼酎育ち(田中小実昌)
【文士の集う場所】
「ぼるが」に集う人人(石川桂郎)
昼間の酒宴/ある酒場の終焉(寺田博)
深夜の酒場で(中上健次)
バーの扉を開けるとき(島田雅彦)
てんかいそうろう(戌井昭人)
【酒場に流れる時間】
海坊主(吉田健一)
幻想酒場〈ルパン・ペルデュ〉(野坂昭如)
花の雪散る里(倉橋由美子)
ゆうすず(松浦寿輝)
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
昭和を代表する数々の作家の方や脚本家、出版社の人々などが酒を飲むことをテーマにそれぞれの薀蓄や経験やエッセイを短編で書いたものの集大成?
自分的には新宿のゴールデン街が出てきたエッセイには大学時代(書かれていたのはそのもっと前の時代だが)を思い出し懐かしかった。
大御所が書くその酒の飲み方、肴の事や人々のつながりや酒の上での様々な事ごとをそれぞれの作家の人や人たちがそれぞれ読ませてくれます。
Posted by ブクログ
酒に纏わるエッセイや小説を集めた短編集。
文豪、文士も同じ人なんだなぁ、と親しみを覚えた。
井伏鱒二が大岡昇平の飲み方をいじり、大岡昇平が中原中也の飲み方を茶化す。
檀一雄と太宰治の関係性は初めて知った。
坂口安吾と中原中也の飲み屋での喧嘩(と言えるのかな?)の場面は、まるでコント。
Posted by ブクログ
酒をテーマに26人のエッセイ、短編を収録したアンソロジー。存命者もいるがメインはほぼ昭和の作家で、戦前戦後の酒場の様子も描かれる。
個人的によかったのは
井伏鱒二「はせ川」
山之内貘「池袋の店」
吉田健一「海坊主」
倉橋由美子「花の雪散る里」
特に倉橋由美子は雰囲気がよかった。むかし実家に『パルタイ』があったのだが読まないまま売ってしまった。そのうちに読んでみたいと思う。
Posted by ブクログ
大岡昇平が中也の飲み方をけなしたり、檀一雄が太宰に酒代を踏み倒されたり、「後家横丁」なんてもうハラスメントすぎる通りの名前だとか、吉田健一は幻想短編が収録されていたり、酒飲み文士が楽しすぎるアンソロジー。
Posted by ブクログ
文士たちの酒呑み話。こういうのは憧れてたところもあり、この歳になると文士たちのいやらしさが垣間見えるところもあり、まあねえ。『酒の細道』のほうが上等かもねえ。
Posted by ブクログ
他の方も書かれていたように酒場を舞台にした小説家と思ったら、昔からの著名な作家の酒場をテーマにしたエッセイ集だった。その中でも名前だけは聞いたことのある作家の作品や作家同士の繋がり、そして戦前、戦後の小説家がどういうところでどういう酒の飲み方をしていたかがうかがい知れてた。
ただ文体が少し読みにくさもあり、そのあたりが少し読むのに難儀した。
Posted by ブクログ
九代目 林家正蔵は昼の高座を終えて『午後三時から飲み』を嗜み、それは『林家正蔵の今日も四時から飲み』という旅チャンネルの番組になっている。それより1時間早く、まだ日も高すぎる三時から飲みは詩人 萩原朔太郎。
表題の『午後三時にビールを』は、萩原朔太郎の詩『虚無の歌』の中で描かれる風景。午後三時、東京エビス橋の広漠としたビアホールにてひとりビールを飲む朔太郎。『生きて、老いて、その果てに一生を掛けて欲したものは一杯のビール、雲を眺める自由な時間だけ悟った』。
…また詩中には〈私は老い、肉慾することの熱を無くした。墓と、石と、蟾蜍(ひきがえる)が、地下で待っているのだ〉と嘆く一節もあり、麦わら色のビールが霞んでみえてしまうほどの虚無感に溢れる散文詩が巻頭を飾り、秋の終わりの鉛色の空のような気分からスタートした本書。
さて、この本は近・現代の作家たち26名による酒&酒場にまつわるエトセトラ。このエトセトラには文士たちの酒場実況・酔態・嗜好・酒文化・追憶・幻想譚…が様々な文体と語彙で語られ、戦後の風俗や混沌ぶりが酒を通じてこちらに届けられる。
久世光彦は高三時に遊郭で遊び停学になった古い記憶を紐解きながら、若き大江健三郎とのニアミスと街に詩人がいた往時を綴る。吉村昭は地元浅草や取材先の札幌での一杯を酔眼で語るグルメ本よろしくの居酒屋紀行。開高健はおでんだダネ、特にくじらに見る東西食文化論を饒舌に語り、祖父亡父から蕎麦屋での昼酒の嗜みを受け継いだ池波正太郎の蕎麦屋論は江戸文化の名残りと粋人の気風が漂い、向田邦子は自身が通いたいと思う和食店開店にむけての顛末はズバリ開業心得で、安西水丸は地味な海辺の居酒屋での醍醐味を語り、〈文壇の武闘派 故 中上健次〉の酔態ぶりを目尻を下げて語る島田雅彦。
中でも、吉田健一の『海坊主』は、本書には26編の作品の中でも異質も異質。銀座松屋裏の岡田屋という料理屋名を出し、さもリアリティ感のあるハシゴ酒随筆かと思いきや、まさかの幻想小説風仕立て。起承転結に落とし込めば、起→承→承→結。恐れ入りました。
小説家は虚構(フィクション)をせっせと作る、言い換えれば、脳内に生まれた新たな現実を文章に落とし込む知的作業。『途中から(小説の)キャラクターたちが自在に動き出し、後は筆に任した…』なんて語る作家の脳内には、酩酊に似た状態になっているとも言われる。
『酔夢譚(すいむたん)』なんていう言葉あるぐらい酒と文学は切っても切れない、特に純文学は。太宰治・坂口安吾ら無頼派と呼ばれた作家は数多くいたが今や絶滅危惧種。伊集院静もすっかり丸くなり、先年、坪内祐三や西村賢太が相次いで急逝し、時代は酒は飲むけど、ジョギングもする村上春樹的な健全路線にシフト。
本書はその無頼派が酒場で連夜咆哮し、時につかみ合いと…文学がまだまだ不健康そのものだった時代の空気をいっぱい孕んだ文学版アーカイブ的一冊。