山尾悠子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
山尾悠子三作品目。なんだかんだ癖になるところがある。
こちら今まで読んだ作品の中でもさらに読みやすかった。各作品は絶対に全て理解できない(感覚的にも)という感覚がクセになってきそう笑
また何か既存の作品を念頭に小説というアプローチを取ることが、僭越ながらそれなら自分にもできるかもしれないと思わせるので、少し親近感がわく。
特に好きだったのは、「娼婦たち、人魚でいっぱいの海」「向日性について」「アンヌンツィアツィオーネ」の三作品。
「娼婦たち、人魚でいっぱいの海」夢の棲む街を思い出しつつ、セイレーンの歌声を聞いたような感覚に
「向日性について」純粋に発想にうなった
「アンヌンツィアツィオーネ」美学的には一番好きだった。羽が髪の毛に編み込まれている様子など。
ーよもや竜(ドラゴン)と戦う天使ではあるまい。剣をお持ちではなし…天使を見た日の夜、編んだ髪をほどくとそこからは必ず数片の白い羽毛がこぼれ出した。…
ーあのかたとわたしとのあいだには約束がある。
ーどのような結末を迎えることになるのか皆目見当がつかないにしても、人としてのわたしの人生はすでに神ではなく天使の領域に侵犯されている。…
「美神の通過」最後に触れられているようにエドワード・バーン=ジョーンズの作品にまんまの一枚がある笑
「娼婦たち、人魚でいっぱいの海」
「美しい背中のアタランテ」ギリシャ神話より
「マスクとベルガマスク」フォーレの曲より
「聖アントワーヌの憂鬱」フローベールの文学で、それに触発された絵画など
「水源地まで」勝手に夜叉ヶ池を思い出していた
向日性について
「ドロテアの首と銀の皿」聖女ドロテア。首は銀の皿と相場が決まっている。トマジ!
「夜の宮殿の観光、女王との謁見つき」「夜の宮殿と輝くまひるの塔」夜の宮殿! -
Posted by ブクログ
山尾作品2作目、こちらの方が断然好きでした笑
ルドン「夢の中で 幻視」が装丁され、それを「モチーフに「絵の中に行けるとしたら、どんな道筋か」を考えた」とのこと。
言われてみれば、確かにこの絵の雰囲気が文字として落とされていて、それが心地よいかは別としても、作品と相成っている。読んでいる最中の感覚はカヴァンの『氷』が近かった、単純に場面が切り替わり・登場人物がよくわからないからですけど笑
ちょこちょこ変、それが怖さでもあり、可愛さでもあり、面白さでもある。そんな不思議な感覚を得ました。この文が、ということはないのですが、全体の雰囲気、読んだものにしか伝わらない雰囲気。
パンを溜め込む性癖の妻、可愛いんだよなあ笑 -
Posted by ブクログ
・須永朝彦を知つたのはいつのことであつたか。私は歌人としての須永をほとんど知らない。歌人であつた、歌集を出してゐるといふことを後に知つた。私が須永を最初に知つたのはやはり「就眠儀式」であつたと思ふ。これは1974年に出てゐる。私が見つけたのはこれよりもかなり後のこと、めつたに行かない書店でたまたま見つけた。その頃には須永は短歌を捨ててゐた。山尾悠子編「須永朝彦小説選」(ちくま文庫)の「編者の言葉」によれば、「短歌となるとやはり直接教えを乞うた師からの影響が色濃いようだ。其れかあらぬ か、須永は作歌からは早々に離れてしまい、没後に歌集未収録作少々のみ残されていた由。」(303頁)とある。私は後に須永の短歌を読んだ時、直ちに塚本邦雄を思ひ出した。山尾は「一時は歌人・塚本邦雄に師事。」(同前293頁)と書いてゐる。これまで須永の書いた文章、あるいは須永について書いた文章をたまに読んだことはあつたが、塚本との関係に触れたものはなかつた。これで私はやつた納得できた。たとへ一時的ではあれ、須永は塚本の弟子だつたのだ。須永はそれを明らかにしなかつたらしい。その流れから行けば、須永があのやうな短歌や小説を書いたのもうなづける。本書は「就眠儀式」から7編、「天使」からも7編等の計25編を収 める。「私生活では旧仮名遣い・正漢字使用を生涯貫いた。(中略)旧仮名のひとという印象はつよい。」(294頁)とある。これも塚本の影響であらうか。「小説の文庫化はイメージ的に言って誰もが想像し難かったのではないか。しかもこの度はちくま文庫編集部の英断により、旧仮名遣いでの出版となった。」(296頁)さう、本書は正字正仮名ではないが新字正仮名である。塚本の文庫でも正字どころか仮名まで新しくされてしまふ時代である。「文体の技巧を凝らし、時には擬古文まで駆使する須永朝彦の創作ともなれば」(同前)さうするしかないとの編集部の「英断」、これは有り難いことであつた。
・私は須永の短編集といつても「就眠儀式」しか知らない。本書から「天使」もあつたのだと知つた。須永の天使は例へば、「十七、 八歳に見え(中略)金髪碧眼、肌が乳色に近いほど皓く、その肢体は古代希臘とかルネサンス時代の少年の彫像を想はせる。両腕の付け根よりやゝ内側によつた背中から、腕の長さくらゐの金色の翼が生えてゐる。当然のことながら真裸だつた。」(「天使」二77 頁)といふもので、これならば、所謂天使のイメージにたぶん合致しさうである。ところが最期には、描かれた己が肖像を見た天使は主人公に「感謝の抱擁をした。抱擁はくちづけを誘ひ、そのまゝ寝台に圧し倒された百合男は炎に灼かれ、肉の煉獄に墜ちていつた。(原文改行)その夜遅く云々」(同90 頁)といふわけで、百合男は天使に食はれてしまつたらしい。かうなると、もしかするとこれは所謂堕天使なのであらうかと思ふ。かういふ天使を須永は描いたのである。これに対して吸血鬼は「金髪碧眼の青年」(「就眠儀式」42頁、「神聖羅馬帝国」49頁では 「美青年」)である。もしかしたら萩尾望都の「ポーの一族」に近いのかもしれない。巻頭の「契」も「廿歳前後の美しい青年」(9 頁)である。「ぬばたまの」は美貌の女性であるらしいが、これは男の血を吸ふに失敗して焼け死ぬらしい(14頁)。男であれ女であれ、須永の吸血鬼は美貌である。いや、登場人物がと言へるかもしれない。そんなのが「文体の技巧を凝らし」て語られられるので ある。癖のある人物も出てこようといふものである。これも塚本好みであらうか。好き嫌ひはあらうが、吸血鬼好きにはおもしろい。 -
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今年2021年5月に没した耽美幻想派の作家の作品から
山尾悠子がセレクトした逸品集。
収録作は、
契
ぬばたまの
樅の木の下で
R公の綴織画
就眠儀式
神聖羅馬帝国
森の彼方の地
天使Ⅰ
天使Ⅱ
天使Ⅲ
木犀館殺人事件
光と影
エル・レリカリオ
LES LILLAS――リラの憶ひ出
月光浴
銀毛狼皮
悪霊の館
掌編 滅紫篇
聖家族Ⅰ
聖家族Ⅱ
聖家族Ⅲ
聖家族Ⅳ
蘭の祝福
術競べ
青い箱と銀色のお化け
――の、全25編。
隙のない流麗な文体で、
殊に掌編の上手さ(美味さ)が際立つ。
個人的BEST3を挙げるとしたら、圧巻の巻頭、
中秋の名月にチェンバロを奏でる
アルバイト要員を募集する《私》の目的「契」、
一人の青年を挟んで姉と弟が嫉妬し合うという
塚本邦雄(作者の短歌の師)の小説風な物語
「木犀館殺人事件」、
地図を広げて追憶に耽る男性の来し方、
ナボコフ「ある怪物双生児の生涯の数場面」への
オマージュ「聖家族Ⅳ」――といったところ。
作家自身の指向は知らないが、女嫌いなのか、
女性を排除した美的空間の構築に余念がなかった印象。
だが、読み進めるにつれ、
男性の同性愛や女性嫌悪云々より、
単に自己愛の強い人だったのか?
と感じるようになっていった。
鏡に映った自分の分身だけを愛していた――
とでも言おうか。
そう考えて表紙を見直したら
カラヴァッジョ「ナルキッソス」だったので、
やはり……と苦笑いしてしまった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ文体に慣れなくて読むのにものすごく時間がかかってしまった。
ジャケ買いした今年の夏読書やったんやけど、夏終わってしもたやんけ。
これは子育てしながらちみちみ読むもんじゃなかった。人物も時空も入り乱れてるので(章ごとにじゃないよ。一文ごとに入り乱れてるからね)腰据えて読まんとわけわからんなる…実際この話の半分も理解できとるとは言えない…でも世界観に圧倒されて思わず高評価…すごい…
舞台はSFで、手法は幻想文学なんかな。夢の中みたいな世界だよ。
最後みんな山に集結するとおもうやん。実際みんな山に来たやん。それでみんなの話が最後繋がるんやなあと思わせといて絶対に世界が交わらないという展開にすごい衝撃を受けた。