澁澤龍彦経由でシュールレアリスム系の芸術に強い影響を受けている、幻想文学作家、山尾悠子の初期作品。
ネットで時々話題に上がるのをを見かけて読んでみたいなぁと思っていた作家さんでした。
山尾悠子の作品に手を出すにあたって、本作から手に取った理由は、コバルト文庫の少女向け作品として書かれているため、難解なところがなく、読みやすいと専らの噂だったから。
噂に違わず、するすると読めました。非常に美しい文章ですが「耽美」では無くて「綺麗」という印象。粒ぞろいなスワロフスキーの硝子ビーズを色目よく並べたかのような文体は、冷蔵庫で良く冷やした梨みたいにシャリッとした爽やかな読後感で、とても良かった。
小説の世界観に差し込まれる酒井駒子のカラー挿画も素敵でした。絵に出てくる人物たちの目線は絶対読者の私と合わないように描かれていて、あっちが私を見てこないから、私がそちらを覗き込むような形になる。自然と興味をそそられる構図が非常におしゃれだなぁと思いました。
少女向け小説と聞くと、「ロマンス」や「ファンタジー」を思い浮かべるのですが、本作にそういうものは無かったです。
書かれているのは死者と生者のひと時の邂逅の物語。4つの物語は独立しており、舞台になる土地も全部違います。ただ、どの話にも共通して「タキ氏」という、死者を現世に連れてくるビジネスをしている男性が出てきます。現世に行きたいという死者側の要望があれば時間制限ありで現世に死者を連れてくる、謎の多い、ダークスーツを着た折り目正しいビジネスマン。
「初夏ものがたり」で扱われる「死」はあまりにも「生」の延長線上として扱われています。それがとにかく印象深かったです。
生きていたら、どうしたって、そのうち死んでしまう、とでもいう感じ。
生きている人の元に死んだ人が現れたからといって身をよじるような喜びや悲しみに苛まれるわけでもなく。ひと時の逢瀬が終わって、もう二度と会えないとしても、それが絶望の別れ、というでもなく。
読んでるうちに、自分がうんと子供だったころ、自分が死ぬとか、誰かが死ぬことを考えると非常に怖かったときの気持ちを思い出しました。
事故とか事件とかに巻き込まれて悲惨な死に方をしたらどうしよう、生きてる間に果たすべき何かの義務を果たし損ねて、罰として死後にとんでもない扱いを受けることになったらどうしよう……そんなことを布団のなかでつらつら考えて、寝返りを打っていたように思います。
そんな時にこの本があったら、私はずいぶん救われたのじゃないかしら。
生きる気力を失うほどの「あきらめ」ではなく、寝かしつけのためだけに与えられる束の間の「やさしさ」でもなく、絶妙にぼかされた「生」と「死」の境目。
生きてるときにどんな信条を掲げていようとも、いつか、誰もが死んでしまうけれど、現世の様子が気になって見に行きたくなればタキ氏に依頼して誰でもひょっこり帰ってこれるかもしれない。
不安の粘度を少しだけゆるくしてくれるような、そんな死生観が心に残る物語でした。
非常に素敵な読書体験のうち、一つだけ残念なことがあるとすれば、私がこの小説を初夏に読まなかったことですね。5月ごろにまた読み返してみようかな。