魚住孝至のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ドイツ人ヘリゲルが弓の達人阿波研造に師事するが、なかなか到達しえないその苦悩を赤裸々につづられていて興味深い。
たまたま中島敦の「名人伝」を対面朗読する機会があったが、中島の諧謔と合わせてこの本を味わうと味変になってこれもよい。
P62 彼ら(日本の弓の達人たち)にとって対決は、射手が自己自身を狙い、また自己自身を狙わない。それによって自己自身を射中て、また射中てない。したがって、的を中てる者と的との、射中てる者と中てられるものとが一つである点にあるからである。
P83 師はあるときに言われた。
「息を吸うことは結び、結び付ける。息を保つ間に、すべて正しいことが生じ、息をはいて、あらゆる制限を克服して、開放し、完成する。」
P124 いっぱいに引き絞った時に無心に待つことには、相変わらず失敗した。【中略】「もし「私」がそれを行わないとするならば、そもそも射はいかに離れることができるのでしょうか」「「それ」が射るのです」【中略】「もし「私」がその場にもはやあるべきでないとすれば、私はいかに自己を忘れて離れを待つことができるのでしょうか」「『それ』が満を持しているのです」
P134 蜘蛛は舞いながら糸を張りますが、その巣にかかる蠅が存在するということを知りません。蠅は日差しの中で何も考えずに舞うように飛んでいて、蜘蛛の巣にとらえられますが、自分に何が生じるのか知りません。しかしこの両者を通じて「それ」が舞っているのです。そして内的なことと外的なものは、この舞において一つなのです。そのように射手は外敵には狙うことなく、的に中てます。私はこのことをこれ以上うまく言うことはできません」
P179 もし人が本当にある道をマスターしようと願うなら、その技術的な知識だけでは十分ではない。人は技術を超えなければならず、その結果、「術を行う」道は、無意識に至って「術なき術」になるようになるのである。(鈴木大拙・序文)
**以降解説**
P198 足踏み→胴造り→弓構え→打ち起し→引き分け→会→離れ・残身
P200 左右の手の腕力で引くのでなく、丹田を中心とした全身で引き分ける。
P204 必ず主語を置くドイツ語の表現なので、「それが射る」「それが満を持する」と言ったものである。日本語で「無心に」とか「おのずから」というだけでは、あまり明確にはならないが「それが」を主語にすることにより、自己の行いだが自己以上のものに合わせて生じる事態であることが明白に示されるのである。ヘリゲルは、無心の行いを「それ」が○○すると表現するようになる。
P205 正射、すなわち自然な離れが実際にできるようになると、内面的には「その日が今始まるかのような」「愉快」さを感じるとヘリゲルは書いているが、阿波は「実に嬉しくすがすがしい、真の愉悦を味わうことができる」と言っているのである。
P208(「それ」が何かがわかりましたかという師の問いに対して「身体の眼には精神的であり、精神の眼には身体的であり、・・・弓と矢と的と私とは相互に絡まりあっていて、分けることができない事態をさす」と答えて、師がそれを聞いて「弓の弦があなたの中心を貫いた」と肯定したという叙述がある。 -
Posted by ブクログ
ほんのれんラジオきっかけで気になっていたら、お気に入りの本屋さんで見つけたので連れて帰った。
ドイツの哲学者、オイゲン・ヘリゲルが、日本の禅に興味をもち、そのことから東北帝国大学講師として来日した際、「不立文字」の禅を西洋人、しかも哲学者が理解するのは難易度が高すぎるから、とりあえず弓道からどうか、というアドバイスに従って「弓禅一味」を信条とする弓聖、阿波研造を師として習い始める。
来日中の数年をかけて、無心になって的を射るその本髄を獲得していく過程が作者の素直な文章で描かれている。
言葉も通じない師とのやりとりもドラマチックで面白いが、やはり、日本の「道」が、禅に通じているという解釈、弓を射る際の心もちの描写がとても興味深い。また、この弓道を通じて得たヘリゲルの体験と、それが本になった時代背景も考えると、内容以上にいろんな切り口で面白い本だった。
さて、
この話を自分ごとに引き寄せてみる。
わたしはたぶん集中力があまりない。
特に誰かと会話している時、自分が話すターンでは特に、全然集中せずに話すものだから、途中で自分が何を言っているのかわからなくなる。
これ、禅以前の話なのかもしれない…。
たまに思いついて瞑想してみようかと、何も考えず呼吸だけに集中してじっとしていることがあるんだが、
「何も考えないぞ!」
ということを考えては、
あ、あれはやらないと…とか、
これってどれぐらいやってればいいんだろう…とか、
なんだかずっと頭の中で喋っている気がする。
身体と精神を合一して、「自らする」ではなく「自ずから成る」…という体験。
聞き齧った独学の瞑想ぐらいしかやったことのないわたしにとっては、説明言語の枠で止まっていて、身体経験としては全くピンとも来ない。
それはそれとして、
少し前にYouTubeで高橋慶彦さんが、走塁のお話をされていたんだが、あの言語化には経験こそないが、聞いていてとても納得した。
すなわち、
塁に戻る力と、進塁しようとする力、
それが塁上の自分の身体でせめぎ合って、何かの拍子にどちらかへ傾く。
それまでは静止しているように見える…というもの。
ただこの力加減、抜き具合にしても、身体が覚えている型のようなものがあって、ヘリゲルが習得していったのも、力のベクトルの向きこそ違えどそのようなものなのかな、と思ったりした。
どのみち頭で考えすぎても、バカの壁はこえられないんだろう。
弓道を習うのはハードルが高いから、
自分なりの瞑想を続けてやってみるか。 -
Posted by ブクログ
禅。
なかなか理解できない世界のことだったけど、禅や無心は経験しないことにはわからない、とのことなので読む時点ではそれでよいのかなと。
座禅?は心だけで行うので難しく、禅に至るにはヘリゲルさんが本書で習っている弓道をはじめ、剣道、華道、茶道…日本の道からは開けるし、それらは心と身を使うのでまだ入りやすいんだそうだ。
とにかく阿波師範が教師として優れているのはわかりました。
その言葉一つ一つに感じるものがある。
色々と思う1冊なので感想を書くと大変なのでこのへんで。この時点でわけわかんない文章になってるので(^^;
ちょくちょく再読してみたいと思います。興味深かった。
-
Posted by ブクログ
0 何で読んだの?
有名な本だから面白くは無さそうだけど学びがあ
ると感じた。
1 どんな本?
ドイツ人学者さんが東北帝国大学に講師として赴
任するのを機に禅を学ぶ事を志し、弓道から「そ
れ」に至る過程を描いた本。
2 構 成
講演3節、弓と禅11節、英語版弓と禅序文、解説
の4パート構成。
3 感 想
メチャクチャ面白かった。弓聖と言われる様な先
生の指導や、求めているものが漫画のようであった
こととエピソードの一つ一つが達人感があって良い。
解説は学の無い私には理解が難しかったし、講演と
弓と禅は内容が重複しているので個人的に要らない
と思う。
4 学 び
言葉では表現出来ない事が確かにある事。
言葉では表現できない事を教えるのには反復演練
が大事な事。
武道はスポーツとは違う事。
競争が無くても武芸で幸福を感じること。
指導には根気もいるが伝わらない事が多く相互に
コミニュケーションを取る必要がある事。
高名な先生でも指導を諦める時がある事。
-
Posted by ブクログ
全てに合わせながら、全てを自らに適応させる水のように「無心」になるにはどうすればよいのか。
ドイツ人哲学者であるヘリゲルが弓の修行を通じてそれを得るまでの過程を述べた本書は、外国人が禅を知るための本として、スティーブ・ジョブズも愛読していたと言うことで手に取ってみた。
原著は60年も前のものだが、この新訳では文章をより分かりやすく見直すとともに、師匠の阿波研造の解説も加えられており、背景を含めて弓と禅の理解を深めることができる。
そして、師匠からヘリゲルに送られた弓は、現在、円覚寺に蔵されているという。
弓をやったこともなく、「無心」になる経験は出来ずとも、本書を片手にいつか訪れて、それに思いを馳せてみたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ宮本武蔵の「二刀一流(二天一流)」について、自ら没する前に記し残した兵法書。武蔵は、13歳から29歳までの間に戦った真剣勝負において、一度も負けなしという。
吉川英治の「宮本武蔵」は、何度も通読し、その剣へのひたむきな姿に、感動と尊敬の念を覚えたものだ。
本書は、「地」「水」「火」「風」「空」の五つの巻から構成されている。全体を通じて、テーマは「必ず勝つ」ということ。「勝つ」ためにどうすればよいか、それを合理的に考えられたのが武蔵の兵法なのだろうと思う。
当然、斬るか斬られるかの真剣勝負であり、現代のスポーツやゲームなどの世界とは違い、リアルに命がかかっており、負け=絶命を意味していたのであるから、勝てない兵法は無意味ということかもしれない。
ただ、武蔵は他の流派についても研究している。他の流派を批評し欠点を論じている。それらの他流に置いて、型を重んじて居たり、美しさを求めていたりしていることにには否定的であり、徹底した合理主義であると感じた。実践で役に立たない兵法は不要ということだ。ただし、どの流派がどうと、名前を出していないし、出す意味もないとしている。
武蔵の兵法は、固定的なものはない。変幻自在というか、相手によって、環境によって、状況によって、戦い方を変化させる。いわば、相手の心理を読み、環境を自分の味方につけ、状況を自分の有利に導き、いかなる不利をも有利に変化させていく兵法であると感じた。「構えあって、構えなし」というのはこのことを良く表現している。
また、技の部分もさることながら、心理戦をも重視している。そしてそれらテクニックの部分の根本となるとなるのが「空の巻」で述べられている「心に曇り、迷いがない」という点ではないかと思う。
以下、心に残った点を記しておきたい。
「地の巻」
その後なおもふかき道理を得んと朝鍛夕錬してみれば、をのづから兵法の道にあふ事、我五十歳の比なり。夫より以来は尋入べき道なくして光陰を送る。兵法の利にまかせて諸芸諸能の道となせば、万事におゐて我に師匠なし。
「水の巻」
兵法の道におゐて、心の持やうは、常の心に替る事なかれ。常にも兵法の時にも、少しもかはらずして、心を広く、直にして、きつくひつぱらず、少もたるまず、心のかたよらぬやうに、心をまん中におきて、心を静にゆるがせて、其ゆるぎのせつなもゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし。
「火の巻」
朝から夕まで鍛練を続け、磨き果せて後、一人自由を得て、自然と不思議な力を身に得、万事に通じる力があるようになる。これが兵として法を行う心意気である。
「風の巻」
此道を学人の智力をうかゞひ、直なる道をおしへ、兵法の五道六道のあしき所をすてさせ、おのづから武士の法の実の道に入り、うたがひなき心になす事、我兵法のおしへの道也。
「空の巻」
心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心・意二つの心をみがき、観・見二つの眼をとぎ、少もくもりなく、まよひの雲の晴たる所こそ、実の空と知るべき也。 -
Posted by ブクログ
宮本武蔵のことを余りにも知らなさすぎたので、
ダイジェスト的に知れるかと思い一読。
前半は宮本武蔵の人生を小説などで脚色されていない、
真の宮本武蔵の人生を探るパート。
あまりこういう本は読まないので、
色々な文献から武蔵の生き様や考えを推察していく展開は、読むのに多少忍耐はいるものの割と面白く読めた。
後半は宮本武蔵の五輪の書、他の著作をもとに。
彼の哲学を探るパート。
こちらに期待して読んでいたのだが、
正直何となくは分かったものの、
現代の我々に参考になるかというと?だった。
そういう目的で解説した本ではないので、
作者からすると期待違い何だろうけど。
最後の方は力尽きて流し読み。。。。