魚住孝至のレビュー一覧
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実践に基づいた、理が示されており、形にとらわれることの誤りなど、汎ゆる道に通ずる道理が提示される。一道をゆくことで諸芸に通ずが、理解できるような説明が敷衍され、普遍的な理、万理一空が感じられる。
本書は、一次資料を中心に、各種資料を比較検証することで、実像を浮かび上がらせており、科学的研究アプローチが取られていることが特色。
更に、時代の変遷、当時の社会情勢として戦がなくなりつつあった時代で、外交上の芸としての指南役が求められていたこと等、武士の位置づけなど、武蔵を取り巻く環境との関係の中で武蔵の立ち位置や思想の成立の背景にまで触れているのは、秀逸だった。
さて、改めて学び、如何に自分の日 -
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中学時代に読んだ、吉川英治の宮本武蔵は、愛読書で、その後何度も読み直している人生のバイブル。
その関係で、高校時代に講談社学術文庫の五輪書も読み、独行道を生徒手帳に書き写していた。
そんな自分ですが、改めてこの書を読み、自分の理解はこれっぽっちも進んでなかったことを思い知る。
そして、常に兵法の道を外れずなども、肩に力を常に入れると言う意識だけを得ていたように思える。
歳を重ね、吉岡流などない等の数多の俗説を読み、虚像とおもっていたが、稲葉稔のさらば武蔵を読んでまた、万理一空をしり、自分のなかで武蔵熱が再燃。そこから、この書に出会って、窮屈な力むだけではない、合理的かつ自在な道を行く武蔵像を -
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『五輪書』はすごい本だった、ということが、ポイントが絞られてよく伝わってくる。『五輪書』の原文を読むかどうかはさておき、武道をやっている人間は、その内容について、一読の価値はあると思う。
大前提として、『五輪書』が、特に剣術での実践を中心とした武術書であることが、当たり前と言えば当たり前だけれども、意外だった。現代では、その精神論が強調されて、ビジネス書の文脈などで読まれることもあるが、この本を読むと、あくまで武蔵が実践で戦った剣術家であり、その中心は武術書であることがよく分かる。
「地・水・火・風・空」の五巻からなる『五輪書』は、その大部分「水・火・風」の三巻が、剣術の鍛錬法と兵法、各流派 -
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神秘体験に関心のあった一人のドイツ人哲学者が日本に来て弓道を学んだ体験記で、短い本なのだが、これほど強く感銘を受けたと感じたのは久しぶり。日本の武道とそれが志す精神性が、はっきりと浮かび上がってきてとても感動した。日本文化に馴染みのない外国人だったからこそ、ここまで丁寧に浮かび上がらせることができたのだと思う。ここに記されている伝統的な日本の精神は、現代では薄まりつつ確かに残ってもいて、そういう中途半端な時代を生きる日本人にとってはすごく読む価値のある本だと思う。
これを読むと、禅や武道の修行というのは「無我」を目指すものだということがよく分かる。そして、そういうものを目指して修練してきた人が -
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ネタバレ[ 内容 ]
誰もが知る存在でありながら、じつは信用できる史料がきわめて少ない武蔵。
小説や伝説に隠されてきた実像はいかなるものだったか。
すべての勝負に勝ってなお生涯追求し続けた、「兵法の道」とは何か?
新史料も用いながら生涯を追うとともに、きわめて合理的かつ具体的に書かれたその思想を、『五輪書』を核に精細に読みとく。
[ 目次 ]
序章 「巌流島の決闘」の虚実
1 「宮本武蔵」の誕生―「天下一」の武芸者へ(武蔵の生い立ち 少年期の武蔵 関ヶ原の戦いと廻国武者修行―実践の中で生まれた感覚 『兵道鏡』を記す―円明流の樹立)
2 「ふかき道理」を求めて―幕藩体制確立期の社会で(大坂夏の陣とその -
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ドイツ人ヘリゲルが弓の達人阿波研造に師事するが、なかなか到達しえないその苦悩を赤裸々につづられていて興味深い。
たまたま中島敦の「名人伝」を対面朗読する機会があったが、中島の諧謔と合わせてこの本を味わうと味変になってこれもよい。
P62 彼ら(日本の弓の達人たち)にとって対決は、射手が自己自身を狙い、また自己自身を狙わない。それによって自己自身を射中て、また射中てない。したがって、的を中てる者と的との、射中てる者と中てられるものとが一つである点にあるからである。
P83 師はあるときに言われた。
「息を吸うことは結び、結び付ける。息を保つ間に、すべて正しいことが生じ、息をはいて、あらゆる制 -
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ほんのれんラジオきっかけで気になっていたら、お気に入りの本屋さんで見つけたので連れて帰った。
ドイツの哲学者、オイゲン・ヘリゲルが、日本の禅に興味をもち、そのことから東北帝国大学講師として来日した際、「不立文字」の禅を西洋人、しかも哲学者が理解するのは難易度が高すぎるから、とりあえず弓道からどうか、というアドバイスに従って「弓禅一味」を信条とする弓聖、阿波研造を師として習い始める。
来日中の数年をかけて、無心になって的を射るその本髄を獲得していく過程が作者の素直な文章で描かれている。
言葉も通じない師とのやりとりもドラマチックで面白いが、やはり、日本の「道」が、禅に通じているという解釈、