吉野源三郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
社会の中で大切なことのようなものは、なんとなく理解して身についていることも多いかもしれないけど、じゃあなんで大切なのか、きちんと説明することは案外難しい。
なんで勉強するの?
なんでものを大切にするの?
なんで子供は大人を敬うべきなの?
なんで人は後悔するの?
なんで好奇心を大切にするべきなの?好奇心を大切にするためにはどうすればいいの?
子供が疑問に思うことから、大人になっても疑問に思うことまで、そういったことはたくさんある。
この本は主人公の小学生のコペル君を中心とした物語。いくつかのエピソードが進む中で、おじさんとの手紙のやり取りという形で、そういった大切なことが言葉ではっきりと説明されていく。大人でも自分たちの子供時代を思い返しながら読み進めれば、自分の周りでの似たような出来事を思い浮かべることができるだろうし、そこからそれは一体何事だったのだろうかをおじさんの手紙の言葉を踏まえて考えながら、自分事として楽しむことができると思う。(この本が配本されたのが1937年。そのくらい子供時代に起こる本質的なことは変わっていないのかという驚きもある。)
何より物語の中での大切な事を学ぶだけはなく、大切な事を学び続けようとする姿勢についても意識を高めてくれるところがいいなと。
30代、40代となるにつれ、ますます接する社会は広がり、大人だけではなく子供にも広がっていく。大人に対してもそうだが、子供に対してもしっかりと自分の言葉で大切な事が説明できるような大人になれたらなと思う。 -
Posted by ブクログ
本書は、日中戦争中に書かれた少年少女向けの倫理の本。中学生のコペル君が友達との学校生活や叔父とのやり取りを通じて物事の考え方を学んでいくスタイルで、今読んでも全く色褪せない内容です。子どもが小学校高学年になったら、ぜひ読ませたいおススメの一冊です。
<ポイント>
・自分を世の中の一分子と感じることは、天動説(自分達が世界の中心)から地道説(自分を離れて正しく判断)に変わるぐらいの大きなもの。大人になっても忘れずに。
・「立派な人」と「立派そうに見える人」の違いは、心の底からそうありたいと願い、誰がなんと言ってもという心の張りを持って、正しいことを正しいと自分で判断できるようになること。心から感じたことやしみじみと心を動かされたことは、いつまでに大切に。
・本当の発見とは、人類がはじめて知る偉大な発見。このためには、今の学問の頂上に上って、その頂上で仕事をすることが大切。
・貧乏だからと言って引け目を感じることはない。その自尊心を傷つけることは絶対してはならない。貧乏でないことの「ありがたさ」。その労働なしに文明もなければ進歩もないこと。
・英雄とか偉人といわれている人々の中でほんとうに尊敬できるのは人類の進歩に役立った人だけ。彼らの非凡な事業のうち、真に値打ちのあるものは、ただ人類の歴史の流れに沿って行われた事業だけ。
・英雄的な気迫を欠いた善良さも、人類の進歩と結びつかない英雄的精神同様に空しいもの。
・自分のあやまちを認めることはつらい。しかし、あやまちをつらく感じることの中に、人間の立派さもあり、あやまちから立ち直ることもできる。
・学問や芸術に国境はない。遠い異国の文物でも、優れたものには心から感心して、それを取り入れ、文明を高めていくことができる。 -
Posted by ブクログ
コペル君を主人公に、クラスメイトとの関わりによってどんなことを思い感じたかというエピソードがあり、その話の締めにおじさんnoteが登場し、その考え方はとても良いとか、それに対してどうするべきだろうねとか、大人でもそういう問題があってこういう話があるんだよ、などと教育らしい話をする。
教訓めいた話であり、確かに文章は読みやすいし子供向けではあるのだが、さあ果たして、自分が子供の時にこれを読んで本当の意味で理解できたか、大人である今はそれらを理解している上で実行できているか?
特に導入である、世の中は個々の分子である人間がたくさん関わりあってできているという考え方について。子供のうちは自分を中心とした天動説のような考え方が普通だが、大人になると地動説のように広い世間を先に置いてからその他を理解するというもの。
しかし、大人になってもそれは大体のものであり、自分中心の考え方が抜け切っている人というのは、広い世界の中でも実にまれで、特に損得が関わるとなると難しく、自分に都合のよいことだけを見てゆこうとしがちである。と、おじさんは語る。
地動説を貫くには、それだけ金銭や家庭などの土台があってこそ、精神的余裕がないと難しいと思う。
いずれにせよ、大人が読んでも考えさせられるところがある。 -
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ネタバレかつて少年だったおっさんに刺さる小説「君たちはどう生きるか」
言わずもがなであるが、宮崎駿監督の同名映画「君たちはどう生きるか」をきっかけに、その原作(原案)となった小説である本作を手に取った。
この作品が世に出たのは今から90年ほど前、1937年だ。
世界情勢が不安定で、日本においても日中戦争が開戦した年。
ファシズムが蔓延する中で、自由主義を説くための文庫の一節として書き下ろされたのが、この「君たちはどう生きるか」という作品だ。
啓蒙のための文章というのは小難しい文体が多い中、主人公を中学生のコペルくんとすることで若者にも理解しやすくしたということだが、現代においては時代背景や文化が異なりすぎて、現代の中高生には当時ほど身近には感じられないのではないだろうか。
現代においてこの作品を楽しめるのは、現代と当時の文化の比較や、時代考証ができる中年だろう。
例えばコペルくんは友人を家に呼んで遊ぶ時に、ラジオの真似をして早慶戦の実況中継をする。
私が子供の頃には既にテレビが一般化していたので、思い付きもしない遊び方ではあるが、これが当時の中学生の遊び方だったのか、と思いを馳せると面白い。今であればYouTuberごっこ、TikTokerごっこのようなものだろうか。
また、この作品では、コペルくんが日常や学校生活、友人との関わりから得た気付きや感じたことを、インテリな叔父さんとのやり取りから理解を深めていく、という形式になっている。
そんなコペルくんの体験は、どこか自分の経験に重なる部分もあり、自分の若い頃の記憶も掘り起こすきっかけになる。
私にとっては、コペルくんと浦川くんという豆腐屋の息子との関わりがそうだった。私の家はコペルくんのように裕福ではなかったが、同級生には椎名くんという焼鳥屋の息子がいて、よく遊んでいたことを思い出した。
そんなわけで90年前の時代や、自分が子供だった数十年前に思いを馳せながら、楽しく読み進めることができた。あらためて、自分が人間としてどうありたいのかを考えるきっかけになったし、もっと色々なことを勉強したい気持ちになった。
当時は少年向けに書かれた作品ではあるが、人生経験を積んだ今だからこそ、叔父さんの言葉が綺麗事ではなく、深く心に染み入る。かつて少年だった中年が、これからの生き方を背筋を伸ばして考え直せる、そんな大人のための名著だと感じた。 -
Posted by ブクログ
私たちは、生きながら、ふと色々なことを考えます。例えば、なぜ親しい友人なのに、友人がいじめられると手助けを躊躇してしますのか。なぜ世界中の人々は、誰かと関わらないと生きていけないのか。
この本は、そのような「なぜ」について、一種の心の答えを与えてくれる本でした。
私が感銘を受けたのは、次の2点。
人々は多かれ少なかれ、誰かと繋がっている。例えば、誰かが書いた本を読み、誰かが作った鉛筆でメモを取る。何も生み出さない人がいる一方で、自分が消費するよりも、もっと多くのものを生み出す人がいる。どちらが立派な人間か、言うまでもない。
(友を裏切り苦しんでいるコペルくんに)いつも気にも飲めない内臓。でも、例えばお腹が痛くなると、その存在を感じ、同時に異常は痛さという状態で、私たちに知らせてくれる。心に感じる苦しみや辛さは、人間が人間として正常な状態にいないことから生じている。その苦痛のおかげで、人間は本来どのような状態にいるべきか、教えてくれる。
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Posted by ブクログ
人は社会の中で育つため、多くの価値観を自然と受け入れてしまう。
学校で教えられること、世間で評価される行動、周囲の空気。そうしたものに合わせて生きることは、ある意味では楽でもある。
しかし、それだけでは本当に自分が納得できる人生にはならない。
人は悲しみや苦しみを経験しながら、自分なりの価値観を作っていく。
もちろん、社会のルールを無視することが正しいわけではない。
しかし、最終的に人生の選択を決めるのは世間ではなく自分だ。
この本が伝えようとしているのは、
他人の価値観ではなく、自分の魂で善悪を考えながら生きること。
それが、人間として生きるということなのだ。