吉野源三郎のレビュー一覧
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ネタバレ巻末に著者の「作品について」という一文あり、そこで「日本少国民文庫」のことが書かれていた。山本有三氏が創設した文庫で、新潮社から全16巻が刊行されたが、その第1回目の配本(「心に太陽をもて」)が、1935年10月から始まり、その最後の配本がこの「君たちはどう生きるか」であったということが記されていた。
当時は満州事変~日中戦争へと至る時期、日本が軍国主義へと傾き、言論統制も盛んとなり、そのような偏狭な国粋主義、反動的な思想から子どもたちを守ろうとした、そういう企画の中で生まれた作品が本作であるということだ。
しかも、この「君たちはどう生きるか」は当初、山本有三氏が執筆する計画であったが、目を患ってしまい、吉野氏が代わりに執筆を引き受け、山本氏の助言を受けながら、練りに練って生み出された作品のようだ。
この小説の主人公コペル君のその呼び名の由来が冒頭あかされる。この主人公のネーミングから、すでに本書は読者に訴えかけている。そのことは、巻末の丸山真男氏の文章にも明確に記されていた。
コペルニクスは当時の絶対的常識「天動説」を覆し「地動説」という真実を訴えた。視点を変えることにより、発想を変えることにより、偏った見方にとらわれないで、真実を見極めることの大切さ、・・・当時の軍国主義という絶対的思想にとらわれるのではなく、真実の自由や幸福や人間の在り方を見失うなという主張が、本作全体に貫かれていると感じた。
国民が国家の思想に一律に統制されるような時代にあって、読者は物語の中から主人公の眼を通して、都下に暮らす一人一人の生活に思いを寄せ、自身の暮らしが見知らぬたくさんの人びとの支えで成り立っていることに気づく。
人々は互いに関係しあっていることに気づき、また、友情とか、平等とか、誠実とか、そういう心を自ら考える機会を与えてくれる。主人公の失敗を通じて、自らも振り返り、同様の体験を思い出し、苦しみながらも、またそのことが人生の糧となっていることに気づくことができる作りとなっている。
ワクにはめられるのではなく、また上から何かを説教されるのでもなく、自らが考え、自らが気づき、自らがよい生き方を選択できる。
従って、読者が青少年でも、学校の教師でも、子供たちの親でも、いろいろな枠にはめられて生きている社会人でも、いつの時代の誰もが読んで、大切なものを忘れず、自分で生きるということを考える(思い出す)きっかけとなるのではないだろうか。 -
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息子へ)
叔父さんが、父親をなくした中学生の甥っ子に、人生とは社会とはをノートを通じて伝えようとする、、、。
といった内容の小説。
このブログの主旨と驚くほど合致している。
お父さんも、このブログを通じて、君になるべく多くのことを伝えたいと思っている。
それにしても、本書の、叔父から甥へのメッセージは、感動に値する。とても、お父さんがまねできるような内容ではない。シンプルでいてディープなメッセージを伝え、甥が自ら考えるような内容だ。
お父さんは、本書に書いてあるようなメッセージを君に残してあげることはできない。ただ、お父さんにはいい方法がある。
「息子よ!この本を読め!」
お父さんは、偉そうに、君に対してメッセージを残し続けているが、本書のような本からは、お父さんがメッセージを受け取る側だ。(本書はあきらかに子供へのメッセージが書かれた本なのだが、、、、)
本書のメッセージとして、、、。
・自分中心に考えることの幼稚さ。
・消費ではなく生産してこその大切さ。
・自分の良心から反してしまったときの反応のしかた。
を、37歳ながら、いまさら深く考えこんだ。
「君たちはどう生きるか」
「お父さんはどう生きようか?」
「息子よ、君はどう生きるか?」
この本を読んで、考えよう。
(お父さんの本の買い方)
BOOKOFF \350
(読め、もしくは、読むな)
必ず読め!
(君が・・・歳のころに)
中学生のころ。
20才のころ。
子供をもったころ。 3回は読んで欲しい。 -
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『君たちはどう生きるか』を読んで。
この本には「正解」が書かれているわけではない。
答えはいつも自分の中にある。
そんな、自分自身とじっくり対話する時間を与えてくれる一冊だった。
物語は、コペル君と叔父さんとの対話を中心に進んでいく。そこで交わされる言葉からは、本当に多くの気づきをもらった。
内容は道徳的でありながら、決して説教くさくはない。コペル君の日常に起こるちょっとした出来事をきっかけに、多角的なものの見方、深く思考することの大切さ、そして豊かな心の育て方などが、じんわりと心に染み込んでくる。
なにより文章が素晴らしく、純粋に小説としても非常に面白い。子どもにはもちろん、大人も含めて「誰もが人生で一度は読んでおきたい」と思える名著だった。 -
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間違いをしたとしても、そこから新しいものを得たり、改善してより良く出来る。自分を愚かだと認めること、自分が中心ではないことに気づくことの大切さを学んだ。
印象的5選
・頭の中に閉じ込めているものに意味はない、自分が正しいと思ったことは誤魔化さず行動に移す。
・水の味、赤の色などは自分で感じないとわからないように、絵や彫刻、音楽などの面白さも味わって初めて分かる。ただ、こういうものはそれを味わうだけの心の目や耳が備わってないと伝わらない。
・自分たちの目に大きく映っていた偉人や英雄も人類の歴史という大きな河の流れの中の水玉の一つにすぎない。
・良い心がけを持っていながら弱いばかりにその心がけを活かしきれない人がどんなに多いか。
・やるべき事をできずに後悔することがあるかもしれない。しかし、その時は苦しんだとしてもその経験は忘れてはいけない。その経験が次は背中を押してくれるから。 -
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主人公コペル君が感じたこと、気がついたことを歴史的な史実と紐付けて叔父さんが分かりやすく諭してくれる。
一章の人間は無数の分子なんだ、というコペル君の気づきが最初から最後までの教訓に共通していた気がする。
分子の一つとして為すべきこと、成し遂げられることを日常的にも人生的にも考えていく必要があると感じた。
正義感、倫理観がしっかりあって、育ちも良いコペル君が途中卑怯者になってしまう場面があったが、人間らしさを感じ少しホッとしてしまった。誤りに後悔を念を抱ける、ということが人間らしさでもあり、そこから正しい方向に行けるのも人間分子ならでは。
話の本質とは関係ないが、1937年当時の生活の上品さに驚くばかりだった。鯛焼きが粗末なお菓子として描かれてて笑えた。
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■僕たちは“個”?それとも“全体の一部”?
“人間て、叔父さん、ほんとに分子だね。”
駅に吸い込まれていく人々、吐き出されてくる人々を近隣商業ビルから眺めていると、コペル君のそんな感覚とシンクロする。僕もその駅に吸い込まれる分子の一つだ。
もちろん人間は一人一人異なる存在としての“個”であるという見方が間違っているというわけではない。みんなちがって、みんないい(金子みすゞ )。ただ行き過ぎると、世界は自分を中心に回っている、そうでなければならないという考えに近づく危険をはらんでいると思う。
得てして物事は思いどおりには運ばない。“個”としての思いが強すぎると、こんなに頑張っているのに…、なぜ自分だけ?という葛藤、あるいは理不尽さ、不公平感への不満や苦しみが生まれる。もちろん理由なんて見つからない。
そんなとき、自分はこの複雑で巨大な世界を構成する一要素、全体の一部に過ぎないという一歩下がった謙虚さが必要なのかもしれない。分子の一つとして全体の波に押し流されながら、あるいは飲み込まれながらも、ただ存在することで与えらえた役目を果たしている。個性や多様性が尊重される現代社会だけど、そういう価値観、感覚も大切にしていきたいと思う。 -
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ネタバレコペル君と呼ばれる一人の少年の、とりとめのない日々から、世界の捉え方、哲学的な思考、どのように生きていくか、といった抽象的な概念へと読者を導いてくれる本。帰納法的。解説の丸山真夫も言っているけれど、そこにこの本の凄さがあると私も思った。そして、私も「おじさん」のニュートンが万有引力を発見したときの思考の説明にははっとさせられた。とてもわかりやすかったし、思考の過程の在り方というものを、私もこんな風に学んでみたかったなと思った。
私は年齢としては大人だけど、精神的にはまだまだ大人になりきれていないし、立派な大人でもないと痛感した。生きていくための本質的なヒントがたくさん散りばめられていた。
特に、「本当の君の思(p.54)」という箇所が心に響いた。 -
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1937年昭和12年発刊の青少年への生き方の本。山本有三が編纂のもとでの日本少国民文庫の全16巻の第12巻。岩波書店の吉野源三郎が眼病でペンを持てなくなった山本有三に代わって書いた本。
どういう生き方をしろとは書いてない。社会に惑わされず、人間社会の一分子として個々人が主体性をもって考えて生きろと言うメッセージを銀座のデパートの屋上から外界を眺め雪の日の事件での友への裏切りに心悩むコペル君の悔恨を悔いを持ってこそ人間は善に向かって生きるのだと手を差し伸べている。
軍国主義、ファシズムが世の中の風潮の時良く個人の尊さを書き上げたかと思うと、山本有三、吉野源三郎の思想には敬服するばかりだ。 -
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コペル君。本名は本田潤一。中学二年生。十五歳。
大きな銀行の重役だったお父さんが二年前に亡くなって、都内の邸宅から郊外に引っ越してきました。
叔父さん。コペル君のお母さんの弟。大学を出てからまだ間もない法学士。
ときどき、コペル君のうちを訪ねてきます。
本書は、
・ 学校での出来事、友だちとのつきあい、デパートの屋上から通りを眺めていて気づいたこと。多感な時期を送るコペル君の物語。
・ その話を聴いて叔父がコペル君に語る「ノート」
の二面で構成されます。
僕は小学生の時、毎朝少しずつ担任の先生が読んでくれたのを聞いたのが最初です。
マンガ化の報に接し、
「漫画 君たちはどう生きるか」(マガジンハウス2017/8)
「あ、この本は!」と思い、購入しました。
購入して初めて気づいたのは、この本が1937年に「日本小国民文庫」の一冊として最初に出版されたこと。軍国主義が浸透し、小学生が「小国民」と呼ばれ、教育が荒廃してゆく中、時勢の悪い影響から守りたいと山本有三を中心に編纂されたこと。
たぶん、先生から読み聴かされたのは、戦後ポプラ社から刊行されていた「ジュニア版吉野源三郎全集1 君たちはどう生きるか」(1967年4月15日刊)だと思います。
小学生の僕は、
コペル君がデーパートの屋上から繁華街を行く人を見下ろしていて、社会学上の大発見を再現してしまったり、
ナポレオンにあこがれる級友の姉に影響を受けてしまったり、
友だちとの約束を破ってしまったり。
はらはら、どきどき、
「僕も利発に成長したいものだなぁ。」なんぞと思った記憶があります。
まさか、戦前に書かれたものだなんて思いも寄りませんでした。
小学校を卒業して二十年目の今年。初めて自分で読んで愕然とするのは、「今の自分に、必要な教訓が多すぎる!」でした。僕たちの将来を思って、毎朝読んでくれた先生に申し訳なく思うとともに、せめて、再度この本に出会えたことを切っ掛けとして、著者がコペル君の精神的成長に託して語り伝えようとしたことを考えていきたい、と思ったのでした。
先日趣味の温泉に浸かっているとき、小学生の息子を連れた親子と一緒になりました。
海辺の露天風呂で、フナムシが寄ってきます。
息子曰く「この虫もカンブリア紀に進化したものなのかな?」
お父さん曰く「そうだよ。カンブリア紀には、沢山の生物が多様な進化を遂げたんだ。」
と。
子どもが自然に興味が沸いたことを大人に尋ねることができる環境が、
いかに学習意欲に役立つものか思いながら海辺の温泉に浸かっていました。
そういえば僕も、小学生のころ、父親と風呂につかりながら、
昼間、自転車に乗っていて気が付いたこと
「走っている自転車から、他の人の自動車を観ると、ゆっくり走っているように見えるよね。」
と相対速度の概念の発見を父親に話した記憶が甦りました。
この本のコペル君とおじさんの関係は、子どもが自然と学習意欲を持つ動機付けになるものです。
子どもに「勉強しろ」と言うよりは、子どもの興味を膨らませる会話を持つ機会を充分にとるようにする方が効果的だ、と思い至りました。
子どもと充分に会話ができないのであれば、
この本を読んであげるのも良いか、と思いました。2001年3月3日