カミュのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレL'Étrangerは異邦人でなくよそ者とも略せるらしい。物語のサマリーを読んだときの主人公ムルソーに対して持った感想はちょうどよそ者というか、社会の通常の感覚から逸脱した男性という感じだった。他の読者の感想を読んでいると、読み終わっても物語の結末は不条理とは呼べず、ただ単に殺人鬼が処刑されただけだと受け取る人もいるようだ。
しかし、読み終わった後わたしがムルソーに抱いた印象は「素直」だった。検察官の主張する「この男の不感無覚を前にして感ずる恐ろしさ」は本当に死刑に値するものだったのだろうか。ムルソーが死刑執行までの残された時間でママンの教え、養老院での暮らしに思いを巡らすシーンがある。また、司祭を追い返す際には「サラマノの犬には、その女房と同じ値打ちがあるのだ」や「セレストはレエモンよりすぐれてはいるが、そのセレストと等しく、レエモンが私の仲間であろうと、それが何だろうか?」という発言がある。実際、ムルソーは母の死に対して涙を流さなかったが、それは間違った感情だったのだろうか。当たり前だが、悲劇を前にして自分がどのような感情になるのかはそれが起こった際にしか分からないものである。もしかしたら案外何も変わらなかったことに驚くかもしれないし、次の日に海水浴に行くこともあるかもしれない。素敵な女性と再会したら彼女の希望する喜劇を見に行くだろうし、欲望が沸かないといえば嘘だろう。印象的なアラビア人を射殺するシーンでは、太陽の光から逃れるように一歩ずつアラビア人に近づいていく様子が丁寧に描写されている。そしてムルソーは法廷で行為を呼び起こした動機について問われた際には、そのまま「太陽のせいだ」と答えるのである。廷内では笑い声があがるが、ムルソーの心の中で動く感性と発言は何一つ乖離していない。なぜ、自分の運命がかかった場面で彼は演技をしなかったのだろうか。完全に不感無覚な人間は死を前にママンや友人、恋人に対してここまで考えるだろうか。私はムルソーという人間について陪審員に上手く伝わらないまま死刑判決が下ってしまっているように感じた。
つまり、ムルソーの以下の主張について私は共感を覚えた。「要するに、確実性に基礎を与えた判決と、判決が言い渡されてからの、その冷酷な施行とのあいだには、滑稽な不均衡があったからだ。判決が十七時にではなく二十時に言い渡されたという事実、判決が全く別のものであったかも知れぬという事実、判決が下着をとりかえる人間によって書かれたという事実、それがフランス人民(あるいはドイツ人民、 あるいは中国人民)の名においてというようなあいまいな観念にもとづいているという事実、
――――こうしたすべては、このような決定から、多くの真面目さを、取り去るように思われた。 それでも、そうして宣告がなされるや、その効果は、私が体を押しつけているこの壁の存在と同じほど、確実な、真面目なものになることを、私は認めざるをえなかった。」少なくとも私はこのように感じたことが、死刑と言っただいそれたもので無いにしても多々あるのだ。確かにムルソーが太陽の光に耐えかねて弾丸を5発も撃ち込んだことは不可解である。だが、意図していなかった殺人に対しての批判が人格否定にまで及ぶのは納得出来ないものがある。そういった些細なことであれば誰しもがマイノリティになりうるのではないだろうか。よそ者にならないように振る舞うことはとても難しいことに思える。
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Posted by ブクログ
ネタバレ難しい…。この世界の何ごとにも意味はないとして、自分に関するすべてを宙吊りにして流れに委ねるような、世界から距離をとるようなムルソーの生き方はペシミズムのように思える。でも最後、ムルソーは他の誰よりも自分を信じていて、自分に根付いているみたいだった。死に近づいて初めて感じる解放。世界の優しい無関心。
ママンの埋葬の日やアラビア人を殺害した浜辺での太陽の光の強さはなにかのメタファーなのかな。最近とっても暑いから、小説世界の暑さがよく想像できた。暑くて眩しくて、木陰の泉の安寧を求めていき、それを邪魔するアラビア人を銃殺した。人間世界の怨みのようなものはムルソーにはなくて、ただ自然の光と暑さが目にしみてムルソーを襲う。
太陽光や、養老院・バルコニーでの人工灯の光への嫌悪は、どこからくるんだろう。
ムルソーでも死に対する恐怖や死から逃れたいという感情はあるのだなと思った。
実存主義の文脈を理解しないと半分も理解できない気がした。いろいろ学んでみたい。でも何も知らないで読んでも、思ったよりずっと面白かった。
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Posted by ブクログ
・人生は不条理だけど、自殺は拒否する。だって自殺したら負けじゃん。
人生が生きるに値するか否か。
無論、人生は人生は不条理だ。自殺をするということは、《苦労するまでもない》と告白すること。ただそれだけに過ぎない。自殺をすることは、日々の無益を認めたということになる。
・不条理な日々を《すべてよし》として、腹を括って向き合え。
生きるとは、不条理を生かすこと。なによりまず、不条理を見つめること。日々に意識的であり続け、反抗を貫くこと。ひとはいつも、繰り返し繰り返し自分の重荷を見出す。ギリシャ神話で地獄で無益な労働に従事していたシーシュポスは幸福なのだ。