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母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作。(解説・白井浩司)
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Posted by ブクログ
素晴らしかった。 最初の方は何も事件も起こらずつまらなかったけれど。 母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告される恐れがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮らす社会では、異邦人として扱われるほかはないということである。 解説より。 主人公は、こんな世界でも嘘をつかずに生き...続きを読むた。 その結果、死刑判決を下された。 私はどう生きたらいいんだろうと考えさせられた。 嘘をうまくつく人たちが普通の人で、嘘をつかないASD の人が宇宙人と呼ばれるのにも似ているなとか思った。
アルジェリアの太陽と海の描写が美しかったです。 ムルソー氏の思想も、最後の司祭の思想も、あるいは検事や陪審員の思想も、それぞれの実存により形成されたものなので、本来的には、宇宙的に見れば優劣はない。 あくまで、私の価値観から見れば、ムルソー氏には、太陽や海を愛し、友や彼女、隣人を、そしてママンの...続きを読むことも大事していたように思えるし、誠実な面も多いにあった。だから、殺人は犯して欲しくなかったし、犯すべきでなかった。しかし、彼にはそうしてしまうような危うさが常に付き纏っていたように感じた。それは虚無感や気怠さであり、希望の欠如でもあると思う。 作中の最後に彼が見た希望は、出来れば、私的には、別の形での希望として、見出して欲しかった。
深い小説だ。そして人間存在に対する深い救済の小説だ。 そう思った。 アルベール・カミュ『異邦人』を読んだ。よく読後の感想で語られるように、確かに不条理といえばまことに不条理な話である。アラブ人殺しの罪ではなく、ママンが亡くなった時に涙ひとつ見せなかったことを理由に有罪、しかも死刑を宣告される主人公...続きを読む。死刑執行の方法は公衆の面前での斬首刑。被告人の主張はろくに聞き入れられず、国家によって罪を一方的に作られ、彼はただただ執行の日を待っている。 不条理といえば、殺人の動機を「太陽のせいだ」と主人公が主張するのもまた、不条理なのかもしれない。誰かを恨んでいるとか、仕返しをするとか、そうした明確な殺意とは遠く離れた動機だから。しかし最後まで読み切った時、「太陽のせい」としか言い得ないムルソーの心境はいくらか分かったような気がした。朝から夕方まで海辺でギラギラと照りつける、どこに隠れても照りつけてくる、その逃れられない太陽から逃れるために思わず引き金を引いたとすれば。 彼はとにかく逃れたかったのだろう。 ギラギラの太陽から。そう、逃れられない息苦しい社会から。 ママンのいた養老院しかり、理不尽な裁判体しかり、兄弟だと言って馴れ馴れしく言い寄ってきて抱擁まで求めてくる見知らぬ司祭しかり、彼を幾重にも取り巻く社会の襞からムルソーは逃れたかったのだろう。文庫版の末尾の解説に「母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告されるおそれがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮らす社会では、異邦人として扱われるよりほかはないということである」というカミュ自身の言葉が紹介されているが、都合の悪い真実はあえて見ず、道化のように芝居をしながら表層的に取り繕って動いているバカバカしい社会から、ムルソーは逃れたかったのではなかったかということである(この意味ではムルソーは覚者である。覚者であるがゆえに、彼は虚無的である)。 この作品が描かれたのは1940年という。第二次世界大戦の真っ只中であり、フランスの隣ではドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニが台頭し、混迷極まってゆく息苦しい世界情勢がこの作品の背後にはあるのだろうと思う。 だが、もう少し敷衍して考えてみると、この小説は80年前の歴史物語ではなく、まったく現代性を帯びていることに驚かされる。 忖度。マスコミによる強引な世論形成。本質を見ない雰囲気だけの投票行動。人気選挙。捜査機関による犯罪創作。事実隠し。 今私たちのこの社会には、薄黒く不穏でバカバカしい風が轟々と音を立てて吹いているが、この作品を読むと、この風は少なくともカミュの頃から(あるいはもっと以前から)ずっと吹いていたと知らされる。 さて、冒頭で私は、これは救済の小説だと書いた。 本作品末尾の「すべてが終わって」の部分が、解説が言うようにヨハネ福音書の「わがことすべて終わりぬ」に通じ、磔刑にかけられたイエス・キリストに繋がるのかどうか私にはわからない。しかし、訳のわからない理由で有罪を被せられ死刑宣告をされ、鬱々とした気持ちで執行の日を待つムルソーと同じく、鬱々とした気持ちで読み進めてきた私にとっては、ここへ来て一つの光明を見た気がした。カミュは(ムルソーも)人間という存在を深く信頼していたことを知ったからである。 L’Étranger。異邦人。 それは、マジョリティがマイノリティに対して使う言葉としてではなく、社会の真実を見、真理を見る者という意味で、人間存在に対するカミュの、限りない信頼の表現であった。
人生で大きく影響を受けた作品。人生は無意味でだからこそ自由なのだ、という達観と希望を交えた視点にムルソーという青年が至るまでの話。ムルソーの見出す世界の美しさを青年期特有の若々しさを持って描く反面、世界の不条理や誰からも理解されない孤独感のコントラストが秀悦です。最初から最後までとても美しい小説
4.5/5.0 ひたすらムルソーの内省が描かれている小説なのに、全くムルソーの「心」が見えない。 ハードボイルドで、ある種ロボットのような主人公は、何を思い、人を殺し、その理由を「太陽のせい」だと答えたのか。 ただ、この上手く言えない、自分でもよく分からない感じが凄く人間の本質を突いているように感...続きを読むじた。 そして、翻訳の文体がめちゃくちゃかっこいい。(なるほど、中村文則さんの文章は完全にここがルーツだったのか!)
人間誰しもが主人公のような所があるんじゃ無いかな。 倫理、ルール、道徳、宗教、空気感で役割を無意識に演じてるけどピュアな人間って主人公みたいな思考をするのでは無いかな。そのせいで見えてるものが見えなくなってる気がする。 彼女に愛してるかって聞かれて愛してないと思うと答えるシーンがすごく印象的だった。...続きを読む自分の感情に嘘偽りが無いんだなぁと。自分だったら反射で愛してるって答えちゃうなぁ笑
めっちゃすきだった。うむむ。こーゆーことってあるよね すべての行動に意味があるわけじゃないんだよね 言う必要ないことは言わない、これは人らしくないけど人らしいんだよな
結構よかった 太陽が常に眩しいような日常が穏やかでいい。 死を前にして「ありとある親しい物音を味わう」 自分目に見えるものをもっと大事にしたい 23歳で「世界をのぞむ家」に住む
主人公ムルソーは自分の母親の死についても無関心 母親の年齢すら知らず、ガールフレンドとの結婚についても「どうでもいい」と言う 友人から言われるがままに行動したり、全く主体性がない。 彼はこの世界からの異邦人であり、虚無的でその自覚すらない。 ある日浜辺でアラビア人を撃ち殺し、裁判にかけられる そ...続きを読むの法廷を持って初めて世界からの疎外感が芽生えるのである。 そして下された判決は死刑 なんとも皮肉だが「死の到来」をもって初めて「生」を実感し、 またこの世界との繋がりを感じ始めたのである。 前半部は淡々と綴られる情景描写が多いが、非常にシネマティックなシーンがある。 ガールフレンドに取り残され、朝を迎えたシーン「ベッドに彼女の髪の毛が残した塩の香りを求めた」 がとても美しい。
感情が読めない男の、感情にフォーカスしない物語。 不条理に抗うでもなく、解釈し、受け入れていく姿はカミュ自身を表現しているのだろうか。 ところでタイトルは「異邦人」だが、これはどう言う意味だろう
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異邦人(新潮文庫)
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カミュ
窪田啓作
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