【感想・ネタバレ】異邦人(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作。(解説・白井浩司)

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Posted by ブクログ

「Il faut imaginer Sisyphe heureux」と彼が「シーシュポスの神話」にて述べたように、世界の捉え方は一切、その捉える主体であるその個人の意思によって定められるのだと自身は感じるのである。死という有限、別れ。それら事情に涙が付随するのはそこに我々主体が悲しみをもたらす意味を付随するからであり、その付随する行為は無意識的に思われるようで極めて能動的な営みなのかもしれない。すなわち彼が「慣れ」という言葉を多用するように、世界に溢れる制約=不条理は決してその事象そのものが不条理たるわけではなく、むしろ不条理と捉える我々主体の上に成り立つ概念であり、したがって慣れてしまえば、その不条理は不条理と感じられなくなる。といってもそれはあくまで不条理でないと自身を信じさせているに過ぎぬとの見方もできるがゆえに、それを不条理でないと信じ続ける営みは必要になる可能性はあるであろう。自由意志という言葉を自身が深く理解できていないためその使用は憚られるものの、やはり自分の意思で世界を捉える意味づけをなすその行為こそが自身の生命に煌めきを与えると信じているし、そのような営みを自身の生命活動を通じて継続していきたいものだ。それは自身の終焉である死に対しても同様であり、死という有限こそも自身で意味付けをなしむしろ能動的にその終焉を設計する営みこそおそらく自身の生命の煌めきを最大化するのであろうと感じるのである。

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2026年04月12日

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君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自信がない。私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来たるべきあの死について。そうだ、私にはこれだけしかない。しかし、少なくとも、この真理が私を捕えていると同じだけ、私はこの真理をしっかり捕えている。

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2026年04月11日

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ネタバレ

僕は言葉の上では絶望したがりなので浅はかにもカフカが好きなんだと思っていたけれど、もしかするとカミュのほうがよっぽど性に合っているのかもしれない。"どうしてこんな悲しいことが起きているのに自分は泣けないのだろうか"と考えた夜があったけれど、あの日の僕が少しだけ慰められた気がした。言葉にすることは、自分を取捨選択するというよりも、自分を言葉のとおりにすることなのかもしれない。だからこそ、ムルソーの極度な誠実主義は彼に黙ることを最善とさせたのだろう。

僕は極度に自己を中心とした世界に生きている。そのおかげか、所謂倫理観というものを人並みほどは持ち合わせていないらしく(友人に指摘されて気が付いた)、世間とチューニングがズレやすい。自分としては楽しく生きているつもりだが、ラクそうに生きているように見えるのだろう。知らぬ間に反感を買っていることが多い。どうせならいっそ僕のことも強い感情を以って殺してくれればいいのに!君たちの世界に僕を閉じ込めてくれ!Innocent World。

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2026年04月04日

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人が人を裁く時、人間はこうあるべき、という倫理のもと理由をつける。人が神を信仰するのも、何か理由を求めてのことだろう。弱さゆえ、こうすれば救われると信じたい。主人公のルムソーはそんな弱さを超越した自身の真理をもっている。強い光だと思った。夏の太陽みたいに。

ルムソーの生き様、わたしはめちゃくちゃかっこいいと思ったし憧れすら感じたけど、実際にこんな人間がいたら理解されないんだろうな。悲惨な事件があったとき「何でこんなことが出来るのか理解できない!」という声をよく聞く。犯人の動機、背景を突きつめていく。みんな理由がほしいんだ。

理由って本当に必要なんだろうか、って考えてしまうね。太陽のせいだと、なんで駄目なんだろう。ふと、いつもと違う帰り道を辿ったって、そこには理由を求めたりしないのにね。

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2026年03月11日

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残酷ではないのだろう、きっと何も知らないまま生きていただけ。愛も悲しみも幸せも感じられないまま育ってしまったのだろう。海の美しさに目を奪われながらも怒りや憎しみが抑えきれない彼を誰も許すということはできないのだろうか。何かを訴えかけるような太陽のせいという言葉にやはり引っかかる。考えさせようとしてくる作者が好きだ。

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2026年02月22日

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今までで一番揺さぶられた小説。主人公ムルソーの言動は読者の生活、人生そのものの基盤を根本から揺るがす。ムルソーは明らかに真理である。そしてそれは悲しいほどに非人間的で無関心な真理である。読んでいて苦しくなるが、これほどの重大な問題を突き付けてくるという意味で素晴らしい小説である。

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2026年02月21日

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これが「異邦人」か。ムルソーが不条理な人物なのだろうか、不条理な男が不条理な殺人を犯した話なのだろうか。生まれたら死ぬのが宿命だ、それを人為的に行うのが不条理なのだろうか。
44歳でノーベル文学賞を受け、当時活躍中のサルトルと並んでさまざまな見地から評される作品を書いた。
「実存主義に沿った作品かそうでないのか」当時、難しいサルトルの哲学をあてはめてよいやら悪いやら、という風潮もなかったとは言えないが、カミュとして、彼の作品はそういったサルトルの思想とは関係ないと断じている。

裁判に入り、ムルソーに対する裁判長の言葉はあながち間違っているわけではない。冒頭の「きょう、ママンが死んだ」にしても、母親がなくなっても悲しみもなく、年齢も知らず、柩を開けて顔を見るでもなく煙草を吸っていた。次の日友達の友達が持っている海岸の別荘に行き、真夏の海で泳ぎ、酒を飲み、女を抱き、砂浜でアラビア人ともめ、いったん引き挙げた後、戻ってまず一発、続いて四発の弾を撃って殺した。検事もそう述べた。

結果はそうであってもポケットに拳銃を入れたのは友人で、銃を持つことに他意はなかった。引き返したのではなくて海岸を歩いていて石の陰で寝ていたアラビア人を見つけた、近づくとナイフで襲って来た。暑かった、汗が瞼の上から流れてきた。アラビア人のナイフに太陽が反射して光った。
ムルソーはその時を回想しても、ただその時の暑さと、すべてがゆらゆらして沈黙が破れたことだけが思い返される。
拳銃の音は不幸の扉をたたいた四つの短い音にも似ていたとも。

その風景は裁判では伝わらなかった、弁護人は正しく弁護したにもかかわらず。彼の日常は平凡とは言えないと裁判所は判断した。彼に身近な人たちの証言も、彼の堅実な勤めぶりも聞き流された。パリ支店への昇格を断ったことの方が不審がられていたし、母親を養老院に入れて一度も会いに行ってなかったことも周りからあまりよく思われていなかった。

あとがきから
のちの作品『裏と表』で「彼らは五人で暮らしていた。祖母と、下の息子と、上の娘、その娘の二人の子供である。息子は啞に近く、娘は病身で何も考えることができなかった。ふたりの子供のうち一人は、既に保険会社で働いており、二番目のは学業を続けていた。七十になってはいたが、祖母はまだこの一家を支配していた。」とカミュは自身の家族を書いている。

しかしカミュ一家は慎み深く暮らし、彼は窮乏の中にいてもアフリカの海と太陽の光を受けて自然の中で成長した。幼い頃から優秀だった。
恩師にも恵まれ教育を受けることができた。

「異邦人」の主人公ムルソーはなぜか律儀な暮らしの背後にどこか説明のつかない現実との距離感がある。カミュはこんな主人公をなぜ作りだしたのだろう。
裁判の最中でもあまりの審理の長さに退屈して、アイスクリーム売りのラッパの音から、外の世界を思ったり、早く房に帰りたいなどと考えている。
ムルソーは上訴を棄却する、「人は死ぬ。三十歳で死のうが七十歳で死のうが、大した違いはない。いつであろうと死ぬのは私だ。死ぬときのことを、いつとか、いかにしてというのは意味がない。それは明白なことだ。
司祭の話にしても興味がない。
助けてもらいたくなかったし、また私に興味のないことに興味を持つというような時間がなかった。」と考えている。

最後に書かれている司祭とムルソーの問答でも、理解されないもどかしさにムルソーが怒り、憤怒の言葉を吐き続ける。
そして死んでしまったけれど、かえって生き返ったようなママンの生涯を思う。
人は環境に育てられる部分が多い。
彼は自由に生きたと思っていたようだが、あるいはカミュの育った究極の貧困を抱えた歪な家族の中で得ていた自由は、心の奥底には、自分のいる場所が現実と乖離するような部分を持つ、今でいうコミュニティー障害の種を抱えていたのではないだろうか。
カミュとムルソーを重ねてはいけないだろうが。

第二部の最終部分、彼は解き放たれた、多くの群衆の憎悪の中で生きて死ぬという、人の持つ宿命との連帯感が幸せだったのか。読み終えて何かもの悲しい不幸な作品だと感じた。

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2026年02月08日

匿名

購入済み

カミュの代表作を読めて良かった。ムルソーと同じことがいつ誰に起こるか分からないことを改めて思い知った。

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2025年12月13日

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説得力が凄い文章だった、主人公の生きていく行動は非常にフラットに描かれていたのが最後あたりになるとそれまでの反動、生きていることに対する感謝が爆発し物語は美しい結末を迎える。

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2026年04月12日

Posted by ブクログ

太陽や暑さの描写はよく伝わってきたけど、母の死で泣かないところとか、死刑を前にしても絶望しない主人公から心情を読み取るのは難しかった。でも、実際人間の気持ちなんて本人にしか分からないのだし、その状況になってみないと分からない。無いものを想像することと相手の立場を想像することは別で、想像力の在り方について考えさせられた。

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2026年04月12日

Posted by ブクログ

短い割に読み終えるのに時間がかかった。ムルソーは大多数の人にとって嫌な奴じゃないしむしろいい奴の部類に入るんだけど、結果的に損するタイプ。裁判の時にムルソーがありのままを話すのか嘘を重ねるべきだったのか正解はわからないけれど、就活してる身としてはこいつはどこにも就職できないだろうなと感じると同時に、少し羨ましくも思った。あとがきにも述べられていたが、一見ムルソーの回想録の様にも思われるけどもし自分で書いたならレトランジェという題名には違和感があるので私も別人が書いたものじゃないかなーと感じている。

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2026年04月07日

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ネタバレ

実存主義を調べていたところ、アルベール・カミュの「異邦人」が出てきたため読んでみた。
この世界に意味などなく、だから自分で生きる意味を切り開いていける。
この主人公は嘘をつくのを嫌っていた。母が死んだ翌日に笑い転げて、人を殺した理由を太陽のせいと言う。裁判の時も嘘をつかなかった。最後は処刑されて幸せだと言った。嘘をつかないことが幸せだったのかはわからない。
不条理に抗っている。死を悲しみ、人を愛しているかと聞かれて「愛している」とは言わない。演技をしない主人公だ。
どれだけ私という生が無意味かを自覚さねばいけないと思った。私は不自由であると自覚するところから自由は始まるのではないかと。

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2026年04月05日

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本屋さんで冒頭を読み気になり、名作と知り購入
人としての道徳、倫理観というか禁忌みたいなものを侵しまくっている正直な主人公。拒否反応を感じるのは、自分もそうあれたらという羨望からなのかそうであってはいけないと信じたいからなのか
彼が裁かれている理由が殺人ではなく、彼の人間性にあるところ。人が社会で生きていくために適応していかざるを得ない部分を削ぎおとした彼の存在が、自分達の立場やこれまでを揺るがす不安はよく分かる
殺人の理由は「太陽のせい」。あの描写を読んでいたらそうとしか言えないのも頷ける。
感情、感覚は言葉より先にあってこの世には言葉にならないことばかりなのに、全ての事柄に言葉での説明を求められるは疲れるよね。全ての行動に理由があるとは思えない、理由なんて相手に安心してもらうための後付けなことが多い。言葉にすると、全く違う感じがするのに、求められるから言葉にしなきゃいけなくて。でも自分の感情を相手に届けるにはやっぱり言葉が必要で。うーーん、ジレンマ。心理学の事例を読んでいるみたいな小説。この感情を描いている人が何年も前に存在したのか、人間って不思議

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2026年03月26日

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かなり内容が難しかったのでもう一度読みたいと思う。ムルソーと同じ様に自分の母親が死んだ時、悲しくないわけじゃないけど涙を流さなかったし、次の日には遊んだりしていたので自分自身にもムルソー的な何かがあると思う。

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2026年03月22日

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昭和29年発刊の本なのに、翻訳に違和感がなく、読みやすかった。本筋じゃないけど、犬がどこに行ったのか気になる。カフェオレのことを、ミルクコーヒーと訳しているのが逆に印象的。

ある視点では真実の連続で、それに運が重なると死さえも導いてしまう。今の時代に照らして読むと、ひとつの視点だけの正しさに凝り固まると、別の面が理解されず見えなくなってしまう危うさへの警鐘でもある気がしてくる。

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2026年03月21日

Posted by ブクログ

「きょう、ママンが死んだ」
通常の行動ではない、不条理の認識として社会から糾弾されるムルソーの心情について少しわかる気がする。サイコパスには思わなかった。

第二部、ムルソーは殺害ではなく母親の死に対して悲しみを見せなかったことや懺悔しなかったことを主な理由に死刑判決を下される。最後の場面で祭司に怒りを爆発させ死を覚悟した瞬間、ムルソーは自分の心を信じることがもっとも幸福だと受け入れる。ここまで極端な話じゃなくても、わたしも周りに流されるのではなく自分を信じて素直にそして後悔しないように生きたいと思う。

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2026年03月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

主人公ムルソーが自らを語るストーリーでありながら、終始傍観者のような口調で進む事の異質さ。
近しい誰かを失った時に、必ず涙を流さなくてはいけないのか?、悲しいですと言わなくてはならないのか?、映画を見て笑い転げることは不謹慎なのか?、感情を社会に合わせるべきか、これらをムルソーは偽らない。私には少々分かり得ない心情を描いた作品でした。

母を亡くした翌日に女性と海で遊び、喜劇映画を鑑賞し、求婚されるも他人事、そして太陽が眩しかったからという理由で人を射殺する。
ムルソーは母親に対して特別憎しみを持つ訳でも無く、ただ純粋に「無関心」だったのだろう。
憎しみを持っているなら、喜びを覚えるだろうし、縛られていたなら解放を感じるのだろうけど、ムルソーは、ただただ"無"である。
その感情を咎められる場面があるが、それで言うと、今で言う"不謹慎狩り"に通ずるものがあるのかもしれない。
感情は人それぞれだから、「こう思うのが正しい。こう感じない奴は異常だ。」は、社会の「不条理」なのだろう。

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2026年02月21日

Posted by ブクログ

まんまとやられた。
序盤からなんなんだこの無愛想な気怠げな男はと思っていた。自然と母親の事も愛していないものだと思ったが、マリイだけは愛してるような気がしてた。結局の所、彼には希望というか、それに似た情熱があった。まさに人生に対しての無意味さを見出しているが故の信念のある生き方だった。私が勝手に見出した無力性は誠に勝手であった事を反省すると共に、凄く深いところの哲学だと思った。

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2026年02月20日

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『アルジェリア、シャラ通りの小さな書店』→その書店から出版したカミュの最初期のエセー数作→の流れで十代ぶりに再読した。

母親の死後、通夜の明けた朝に門番からもらったカフェオレを一杯飲んだことを、のちに検察官から「門番がカフェオレを勧めたことには問題はないが、自分を産んでくれた人の死を前にしてそれを飲むべきではなかった!」と糾弾されたことに対して、十代の頃に仲間うちでフランス文化わかんねーとずいぶんネタにしたことを思い出した。日本人が通夜の席でビール飲んでお寿司食べてるの見たら気を失うかもしれない。

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2026年02月17日

Posted by ブクログ

物語が意外な展開をしていくところや、主人公の人柄に強い興味を引かれ再読。主人公の普段の生活では自分の意志があまりなく人に流されて生きているような人柄に感じたのですが、事件を起こし判決が決まってからの死や神に対する意志の強さが印象に残った。

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2026年02月17日

Posted by ブクログ

現代西洋哲学を学ぶ一環で読んだ。
一見冷たい人に思えるムルソーは、他人の物語に組み込まれるのをどうでもいいと感じていて、自分を取り巻く海や空や温度に自分を委ねていた。(委ねるというのも違うと思うけど適切な言葉が出てこない。)
マリイに対しても、結局他人だし自分の目の前を通過する物体であって、マリイの物語にも興味がない。ただ目の前に現れた自分の人生に登場する「魅力的な女性」なだけだった。

他人の物語に興味はないが、自ら然る「自然」にはよく耳を傾けていた
ただ在る、ただ生きてる、いつか来る死に向かって
そういうムルソーには、神を語る他人がいちばん煩わしいんだろうな。

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2026年02月10日

Posted by ブクログ

すごい小説だった。
カミュの処女作。

文章が非常に読みにくいのが、単純にそういう文章なのか、
主人公の分裂した思考を表現しているのか気になる。

後者だったらびっくりする。

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2026年02月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

あらすじに書いてあることがまさにそのまま起きる。
ただ、あらすじを読んだ感じではワルでサイコパスなよくあるエンタメ小説の殺人鬼みたいな主人公なのかとおもってたけど、実際は淡々としている主人公だった。

あらすじには一貫性がない男、と書かれているけど、私には一貫して無関心で他者に共感する心がない無神論者というようにかんじた。

他人がどう思おうがどうしたかろうが、まぁ自分に不都合がなければそれでいいのではないかというような徹底した無関心。
他人を理解しようとも理解されようともしないから、最後の牧師のようにズカズカ心に踏み込んでくる他者は煩わしい以外の何者でもないのかとおもった。
彼のなかには彼しかいないのだとおもう。
有名な『太陽のせい』というところも、特に深い裏の意味などなくそのままの意味じゃないかと。
私も暑さが相当に苦手で、それだけでイライラしたり心が荒くなったりする。
そんな思考力が低下している時にあんな煩わしい問題が目の前にあって、手元に銃があるならば、無関心を極めた無神論者の男なら撃ったとしても不思議でもないような気がする。

日本人にはあまり宗教に馴染みのない人が多いので(私も含め)、そのへんのことは理解しづらいけど、無神論者であるということはこの男を表す上で結構なポイントで、その辺にも意味があるとは思うのだけど、やっぱり理解が薄いのでよくはわからない。

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2026年03月10日

Posted by ブクログ

私には難しかった。

裁かれたのは、実は殺人そのもの以上に
「普通じゃないこと」だったとも読める。

ラストのムルソーの爆発した感情が理解できなかった。
ムルソーは感情がない訳では無い。
人にコントロールされる事を極端に拒んでいる。
・遅かれ早かれどうせみんないつか死ぬ
・結局において、人が慣れてしまえない考えなんてものはないのだ
・私に死刑を与えたのは、人間の裁きだ。
罪というものは何だか私には分からない
ただ私が罪人だということを人から教えられただけだ
・私は初めて、世界の優しい無関心に心を開いた。
・君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自身がない。わたしはといえば、りょうてはからっぽのようだ。しかし、わたしはじしんをもっている。自分について、全てについて君より強く、また、わたしのじんせいについて、来るべきあのしについて。そうだ、わたしにはこれだけしかない。しかし少なくとも、この真理が私を捉えていると同じだけ、私はこの真理をしっかり捉えている。私はかつてただしかったし、いまもただしい。いつも、わたしはただしいのだ。私はこのように生きたが、また別なふうにも生きられるだろう。

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2026年04月02日

Posted by ブクログ

 やっぱ難しい…。
 
 自分自身の感性に正直に、社会の規範や期待、共感という同調圧力に屈せず、「太陽のせい」で人を殺したと語る主人公ムルソー。
 
 人間の生への不条理に抗した、論理一貫性がない、などとされているが、社会の規範や期待に抗うという点で、実は社会の枠組みに囚われているのはムルソー自身では?これは自分の頭が悪いせいかな…頭のいい人、教えて。
 
 まあでもなんかわかるようでわからず、淡々と展開される雰囲気には何か惹かれるものがある。この点が古典的名作とされているの理由の1つかもしれない。

 おじいさんの愛犬は見つかったのかな…。

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2026年03月28日

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手元にあったこと、犯罪小説を強化して読もうと思っていたこと(無論、犯罪事態に興味があるわけではなく、勉強の必要性があり……と言う背景)から読んだ。古典的名作であること以外は知らなかったが、思った以上に読みやすいというのが第一印象。

ムルソーは母親が死んだ翌日に女を抱き、「太陽がまぶしいから」という供述のもと人を殺す。これだけ読むと異常者に見えるのがこの本を読んでいる間の彼の行動は極度に異常なものではなく、一般的な人の思考様式のひとつ……と思えてしまう側面もあるのだ。

ただ、彼のなかには激しい欲求があり、それを抑えることのできない人間である、ということはひしひしと伝わっている。女に感じる性的衝動の激しさは、殺人への刹那的欲求をそのまま爆発させてしまう手早さにもつながっている。

作品自体は不条理ではない。ムルソーという人間のなかに生じる不条理が徹底的に描かれている作品である。読み手のなかに確固たる条理、道徳、倫理規範があると信じられたうえで紡がれた作品であると受け取った。

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2026年03月17日

Posted by ブクログ

ネタバレ

裏表紙のあらすじ全部がネタバレでショックだった。

この本は、第1部と第2部に分けられて構成されている訳だが、第1部の文章が読みづらくて頑張ってざっくりと理解しながら読んだ。
老人がショートカットを駆使して葬儀の列に追いつく逞しさが滑稽でお気に入り。
第2部では刑務所で主人公が生活に順応していくさまが淡々と描かれていて、罰をうけている風に感じさせなくてちょっとだけ独房で過ごしてみたくなった。

その後の裁判シーンの罪の基準が人間性に重きを起きすぎているように感じでいまいち入り込めなかった。

不条理さにもあまりピンとこず…
共感能力の薄い順応力の高い男の話?
あまりに全体にピンとこなかったので、また再読してチャレンジしたい。

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2026年03月11日

Posted by ブクログ

第二部を読み始めてすぐ、第一部は第二部のための前振りだったのだなと気づいた。これは、第一部だけでも十分、不条理小説として成立すると思う。そして普通は第一部で終わるところを、第二部を書いたところがこの小説の独自性だと思った。
うっすらと全てがどうでもよく、うっすらと絶望していて、けれどやろうと思えば仕事も人付き合いも異性関係もできてしまう主人公の、たまたまそうなった人生の一つの分岐を書いたものと感じた。

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2026年03月07日

Posted by ブクログ

初めは主人公の人柄が掴めず、あまり作品に入り込めなかったのですが、中盤から主人公の思想が形を成していくように感じ、理解できるようになっていきました。共感できたか?と言われると微妙ですが…。
翻訳小説ということで、やはり日本語原作の小説よりも読みにくく感じました。
ただ、解説がとても分かりやすく、個人的にはとても納得のいく作品解釈が為されており、解説も含めると非常に良い作品だったと思いました。
解説の中で代表的作品として紹介されていた「ペスト」も、読んでみたいと思います。

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2026年02月26日

Posted by ブクログ

快不快、関心無関心をベースに皆生きているも、その内容が大多数と同じようにチューニングされていないと異邦人になってしまう
電車の軋み、夜がおりる前の空のざわめき、マリイとの触れ合い。主人公が思考を挟まずに五感レベルで味わっていた快感、不快感と同じように、社会が回りやすいように調節された場面-感情-行動の条件付けに従うことが五感レベルで皆には染み付いている
足で踏み締める砂の感覚が心地いい、焼けるような太陽の日差しが鬱陶しい、これらの感覚が肉体にとって真実でしかないのと同じように、さまざまな観念が知覚器官を通じて真にそこにあるものと判断される
一枚思考を隔てはするが、知覚の異なる他者の目にどう映るかということを指標に行動を変えることもできる。でも、そうすることで得られるメリットやデメリットに心動かされるかも含めて関心無関心装置の機能範囲内(だから170ページの解説「われわれは毎日、嘘をつく。ムルソーは外面から見たところと違って、生活を単純化させようとはしない。ムルソーは彼を絶対と真理に対する情熱に燃え、影を残さぬ太陽を愛する人間である。」とあるけど、なんかムルソーを神格化しすぎてる気がする、ただムルソーには嘘をつくことが関心の範囲外だっただけだと思ってしまう)。ただこの装置(関心無関心&その肉体的とまで言えるほどの原初感覚を放り込んだ時に、どういう行為をするのが自然で妥当かが出てくる関数、この関数処理すら近くを自覚する間なく行われるかもしれない)のなすがままに、こうした、こうしなかった、こうすることもできた、という経過が広がっていく。そうしてできた道をこの星の住人は否応なく舗道し、道を振り返って、整えた規則性を慈しむ。だが何よりもそうした営みすら「こうした」「こうしなかった」というただのランダムの下流でしかないような気がするので、すべて本気のおままごとにしか感じられない。ならば、たまたまこう感じた、たまたまこう思った、それくらいシンプルに生身に触れたものに沿って淡々と生活するのがいいのではないか。そう思うが、道の舗装すらも当事者にとってはそれくらい淡々と行われる自然なものなので、異邦人は理解不可能な整備作業によって排除されるしかない。
太陽が暑かった、人を銃でうった、4発さらにうった。
この流れを作った関数は、虫が嫌いだから後ずさった、と同じくらい説明するほどのこともない肉体に根ざしたものだと思う
人は異質性に遭遇すると、実感が不可能だからこそ、バケモノみたいな想像力がその存在による恐怖を肥大化させる自然法則に抗おうと、自分たちの見知ったものでできたネスト関数で言い当てようとする。その異質性ゆえにネストの正誤性を立証することも、しようとすることもない。
時間という概念を消せば、知覚の多様性を吟味する余地すらなくなって、事象がよりランダムに存在する、つまり解釈や正解(多数派の知覚)で断罪されることなく何かがただそこにある、無関心(関心がない、というのではなく関心無関心という区別すらない)で優しい世界が広がるのになあ

悲しくなるべきなのに涙が出ないから心が冷たい人間なんだろうなっていう状態の人は
大多数の人に搭載されている装置を肉体の中に内在しており、その存在にすら気づかないほど馴染んでいるけど、その装置にも個体差があるため、ある部分集合の中では機能のズレが出る。でもそのズレが装置ではなく操作者にあると疑うほど、装置の見た目が大多数と足並み揃っている人なのかなって
完全な異邦人もそれはそれで迫害されがちだけど、どこか違和感は抱えつつも異邦人かもしれないと自分を疑えないほどにはこの星の住人と見た目が酷似している人も、完全に追放される合法的逃亡権を得られず苦しさがありそう

解説
「ムルソーは、このような意味づけを一切認めない。彼にとって重要なのは、現在のものであり、具体的なものだけだ。現在の欲望だけが彼を揺り動かす。」
欲望と同じくらい意味づけも衝動的であり、周りから見て理解できるムルソーの反射的反応が、「喉が渇くと飲む」「女を欲すれば共に寝る」という原始的なものだから、欲望にだけ突き動かされるシンプルな人間というふうに解釈されてしまうが、意味づけもそれと同じくらい条件反応というかシンプルな欲求の一部なのでは?

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2026年02月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

主人公は倫理的に欠落しているところがあり、それが結果的に彼を処刑台に送ることになる。彼は人と違うところを持つことで(異邦人であることで)この世界に居場所がなくなったことを最後に受け入れ、救いを拒否する。何ならそれが彼にとっての救いであると言わんばかりの最後。テーマは不条理であるとのことだが、同じくカミュのペストがそれに抗い、最後は克服しながらも常に不条理はそばにあるという終わり方をしたのと比べると対照的な終わり方。異質なものを排除しようとする社会と、不条理を受け入れることによる救いを描いた作品と解釈。

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2026年03月29日

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