あらすじ
母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作。(解説・白井浩司)
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Posted by ブクログ
私を含め多くの人は、自分と違う感覚を持つ人を怖いと認識する。お母さんが死んだら涙を流すものだし、結婚は好きな人とするもの。終盤まで、ムルソーの心情が描かれず、淡々とした描写が続くが、最後の最後に本音を聞くことができて、どこか安心した自分がいた。最後のページ、もっと理解したい
Posted by ブクログ
裏表紙に書いてあるあらすじでネタバレを喰らった。
しかし、あらすじを読んだ時と物語を読み終わった時とでは、主人公の印象がだいぶ変わった。最初にあらすじを読んで良かったと思った。あえてネタバレしているのかもしれない。
あらすじだけ読むと、主人公がすごく冷酷な人間に思えるが、本編を読むと彼が嘘をつかないまっすぐな人間だとわかる。彼の自分に対しても他人に対しても嘘をつかないところを少し見習いたい。
Posted by ブクログ
薄い本のわりに読むのに時間がかかってしまった。一文一文が短く区切られていて読みやすい印象を受けた。特にムルソーがアラビア人を殺すシーンでは、短い文と、人を殺すときの、思考が高速回転するようなリズムがマッチしていてよかった。しかし、発言にかぎかっこがあったりなかったり、自分にとって難解な思想が語られていたりと、同じところを読み直すのが多かった。
自分は、ムルソーないしはカミュの思想に関して以下のように考える。彼は、いずれ訪れる「死」の立場から見れば、それまでの人生で何を信じ、どんな行動をするのかは、すべて同じ価値である、という風に考えていると思った。だから能動的に選択することは無意味であり、人生とは、たったひとつの「死」という宿命から立ち上ってくる暗い息吹の道筋をたどることである。
たしかにこの考え方だと、「幸せになるためには正解の選択肢をとらなければならない」という自分と周りからのプレッシャーからの解放を感じることができるし、そういう意味で、「世界の優しい無関心」というフレーズはとてもしっくりきた。
Posted by ブクログ
母親の死に反応悪かっただけで、裁判で不利な印象に持ち込まれる空気、小説の中の表現かもしれないけど、ありそうな話だし、心の中の閉塞感が自分もわからなくはないので、憂鬱に感する共感が残った。
難しいこと考えてるうちにもう疲れたぁってなる心象描写がめっちゃわかるなと思った。
Posted by ブクログ
冒頭「今日、ママンが死んだ。」が有名すぎて、逆に読んだ気になっていた一冊。実家のトイレに置いてあり、薄いので読もうとしてみたことは何度もあるが、当時はいい歳をしてクールぶった男の「ママン」呼びにウケてしまって、まったく先に進めなかったのを覚えている。
まさに「異邦人」と呼ばれてしかるべき特異性を持った主人公と、そのまわりの人々との生活が描かれており、よほどサメた性格の人間でなければ「新鮮である」と感じられるだろうし、私としてもとても面白かったのだが、エンタメとして見たときに、主人公が恋に落ちたり、会話をしたり、人を殺したりと盛り上がる場面で、さあここから盛り上がりのテッペンへ行くぞ!とこちらがワクワク思うと、その度に主人公は「まあ、いいか」とひとりで落ち着いてしまうのが、特色でもありひっかかりでもあった。そんな、サメてしまう主人公が変わっててオモシロい!と思える人もいれば、盛り上がりに欠けて萎える、と思う人もいるだろう。
後半につれて主人公の死刑も決まり、サメきった人間が、生命共通の恐怖である【死】に立ち向かう際の、たとえば突然の絶望や発狂を期待したものの、主人公は結局、内々で感情を飲み込み、解決し、理屈をつけてスンッ……としてしまった。私が死刑執行人であれば、なんと殺しがいのないと嘆いたことだろう。
そのあたりを加味して、星を4つに留めました。
Posted by ブクログ
「きょう、ママンが死んだ」という有名な冒頭から始まる本作。主人公は友人のトラブルに巻き込まれて人を殺し、その動機を「太陽のせい」と答える。母を悼むこともなく、理解不能な態度のせいで死刑判決を受けてしまう。
彼は社会的な「心の証明」や「物語化」に価値を置かず、ただ事実を受け入れる。
母の死を悼まなくても、生前に交わした時間は揺るがない。殺人の動機が太陽であろうと憎しみであろうと、起きた事実に変わりはない。しかし、その答弁が冷徹で心が欠落した人物に映り、話の通じない異邦人のように見えてしまう。
その思想が鮮やかに露わになるのが、ラスト近くの司祭との対峙。
司祭に「心が盲いているから生を諦めている」と憐れまれたムルソーが激しく怒りをあらわにし、逆に死んでいるように生きているのはお前だと、断じてからの怒涛の叫びのシーンが素晴らしかったです。
自分には死しか残されていない。だから生きていられる。いつだって私は正しかったし、誰もが処刑されるのだ。という事を滔々とまくしたてるシーンで初めて、ムルソーという人物を少し理解できたように感じました。
本作は同じ言葉を話しながらも、根底にある価値観がまるで異なる人間同士は、互いに理解不能な「異邦人」たり得ることを描いています。そしてその断絶が、時に社会からの排除や不条理へと繋がっていく。読み手に、普遍的で根源的な問いを突きつける一冊でした。
Posted by ブクログ
ネタバレあり
主人公は、どうしてもどうしても心にもないことを言いたくなかったから、殺人の動機も太陽のせいにしちゃったりしたのかな。
肉親が亡くなったときの感情も、女の子と付き合うときの心の動きも、その人その人が置かれた状況でそれぞれちがうだろう。
世間が「それは不謹慎だ」と型にはめたがるようなケース、言いたくないよね。
むしろ主人公は、自分の感情に素直に従って行動していたように見える。
一見それが突拍子のないものに見えても。
死刑を逃れるためにうまい具合に弁明すれば、正当防衛が認められたであろう罪状でも、彼はそれをしなかった。
「群集がののしりの声をあげて自分を迎えるのを望む」というのは、「最後まで、自分は世間に負けてウソなんかつかなかったぞ」という勝利宣言なのだろうか。