安冨歩のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
■東大話法
1.自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する
2.自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する
3.都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする
4.都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す
5.どんなにいい加減でつじつまが合わないことでも自身満々で話す
6.自分の問題を隠すために、同様の問題を持つ人を、力いっぱい批判する
7.自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテルを貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する
8.「誤解を恐れずに言えば」と言ってウソをつく
9.自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する
10. -
Posted by ブクログ
著者の自己嫌悪との闘い。
そうだなと思うことが多かった。
特に組織のなかでどう動くかは、著者の苦難も想像しながら読んだ。自己嫌悪が激しい上司は、無意味な仕事を作ったり、全てを自分の思う通りにコントロールして把握しようとしたりすることで自己充足感を得ようとして、自己嫌悪の穴をみずから広げている。そして、繰り返す。パワハラである。
ただ、知識として知ることと、納得すること(心と身体で理解すること)は全然違うので、同じ道のりにはならないのではないかな、とも思った。
著者の歩みをみながら、私はどうしようか、と自分に問いかけていく。そのときにこそ、この本はひとつの道しるべになるのかも。
馬に乗ってみ -
Posted by ブクログ
日本人が日本語を話すのは当たり前と思うかもしれないが、実際はそうではない。日本語を話すといっても、語彙や表現、論理、非言語的なものを加えれば、それこそ、日本語を話すバリエーションは、
個人、個人かなり違う。
一般的に言って、沢山の語彙を知っていて、
論理的な表現方法を得意とし、難しい言葉を、
意図もなく使ってしまう人々をインテリと言う。
東大話法は、ある条件下で、自然と表現してしまう、インテリ独自の日本語表現方法だが、
これは、奇形も、奇形、社会的害悪以外何者でもないように思う。その奇形表現を、当たり前のように使う職業を官僚という。これは正直笑えない事実だと思う。
多くの日本人は、プリンシ -
Posted by ブクログ
うまく生きられないのは自己嫌悪があるからだということから出発し、自己嫌悪から脱し、自愛に達して、幸せになるためのガイド。他人を利用しあう関係でなく、頼り合う関係を築こうという提案。ただし、頼られても断る権利は持つこと。友達だから、同僚だから、家族だから、という条件での依頼は断る。単純に困っているのを知らされ、それを単純に何も見返りを求めずに助けたいと思うかどうか、それだけを基準に助けることが、自愛に通じる道と説く。
以下注目点
・したいことを実際にしてみる。そこから始まる流れに身をまかせ、渦をつくりながら拡大していく。それがイノベーションの本質です。
・分からないところ、違和感を覚えるところ -
Posted by ブクログ
なぜ自己嫌悪に陥るのか?
これは、非常に根が深い問題だと思います。
幼少期からの両親との関係や、生まれ持った性格、
受けた教育など、一概に、なぜ自己嫌悪になっているかの、
根本的な原因を知ることは難しいと思います。
中高生へのアンケート調査では、
半数以上が自己嫌悪に陥っていると統計もあります。
自分に自信がない、自分のことが嫌い、
こういう結果がでるのは、世界広いといえど、日本ぐらいです。
著者は、「超」がつく自己嫌悪をメンタリティーとして持っている人です。
しかし、今は突き抜けた感があります。
著者の語り口は、非常に訴える力を持っています。
問題提起、論理展開、結論と、超一流だと思い -
Posted by ブクログ
数年前に安富さんの「超訳論語」を読んで、衝撃をうけた。
え〜、論語って、そんな話だったのか!!!これまで「論語」だと思っていたのは、権力者が民衆を都合良く支配するためのツールのようなものだったんだ!
本当に安富さんの解釈の線で「論語」を読んでいいのかなと、何冊か論語関係の本を読んでみると、たしかに安富さんの解釈に繋がって行く可能性がある本もいくつかあった。
特に、センゲにも影響をあたえたと思われる南懐瑾の「論語別裁」は、かなり近い感じ。
というわけで、わたしのなかで、論語ルネサンスがおきて、論語を「学習する組織」の文脈、つまり「ダブルループ学習を通じた人と組織の成長」という視点で読むと