あらすじ
「東大話法」批判の安冨歩教授が
五年の歳月をかけて取り組んだ渾身の「老子」新訳!
斬新な解釈が大反響を呼び、中国語や韓国語にも翻訳された『超訳 論語』。
その著者・安冨歩東京大学東洋文化研究所教授が、今度は『老子』に挑んだ。
五年の歳月をかけ、数多く存在するテキストの吟味と綿密な解釈とを経たうえで、可能な限りわかりやすく現代語訳したものが本書『老子の教え あるがままに生きる』だ。
二千数百年前に書かれた『老子』という書物は、
具体的な人名や地名がまったく現れない、抽象的な議論に終始した内容であるにもかかわらず、長い年月にわたって東アジアの人々の思考の指針であり続けてきた。それはこの書物の内容の深さと広さとの証明である。
また、欧米の知識人の興味を強く惹きつけ、そのキーワードである「道(タオ)」という言葉は広く流通している。
世界全体を見渡せば、『老子』は『論語』よりもはるかに広く読まれ、大きな影響を与えているのだ。
『老子』がこれほど広く深い影響を与えた理由は、
その抽象論が、単なる思考の遊戯ではなく、生きるための実践的意味を持っているからだ。
その言葉を理解するための手掛かりは、本の中にではなく、私たちの生活の中にある。読者が、老子の言葉を手助けとして日々の困難を乗り越え、それらの経験によって言葉の意味を感じ取る、という過程が積み重ねられ、『老子』は二千数百年にわたって読まれてきた。
『老子』の思想の根幹は、その動的な世界観にある。
つまり、世界のいかなるものも、動かないものとしてではなく、生まれ、変化し、滅ぶものとして理解する。
そしてそれを、固定した動かし得ないものと思い込んでしまうことの危険性を、さまざまな角度から指摘し、粘り強く繰り返し、叱咤激励する。一度言われたらわかるようなことではなく、繰り返しとされなければ、私たちの中に入ってこないからである。
そうすることで読む者は、ここに込められた知恵を、生活の中で把握し豊かに生きる道を見出すことができるようになるのである。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
1.昔の時代の人の書籍を読み漁っているのでたまたま目についたから
2.老子と呼ばれる人は個人名ではなく、卓越した人のことを指しており、中国ではその呼び名が現在にまで影響を及ぼしています。本書では老子からみた世界と人間に対しての本質を説いています。愚かな人間と豊かな人間は何が違うのか、国はなぜ安定しないのか、今現代で起こっている問題は昔から何ら変わっていません。歴史は繰り返されるということも伝えたいのではないかと思います。ならば、かつての歴史はどのように解決してきたのかを学ぶことが本書の意義ではないかと感じます。
3.悲しいかな。歴史は残念ながら繰り返されるのが人間の性ではないかと思います。安定しない政治、治らない戦争、いっこうに縮まらない貧富の差、どれをとっても昔からずっと抱えている問題です。なぜ、変われないのか、答えは「それを望む人がいるから」だと考えてます。戦争は経済活動でしかないし、富を求めるなら誰かから搾取するしかありません。
自分はこのような本を読んだ時は「いつも結局そこなんだよな」って落ち着いてしまうので、諦めて終わってしまいます。ですので、自分でできる範囲を救うということを決めて生活するしかないなと思いました。
Posted by ブクログ
老師の教え 安冨歩 ディスカバー21
ものごとは常に変化しながら生まれては滅ぶ
その危うさをおそれる必要はない
それどころかあなた自身が
可能性に満ちた者であることを理解できれば
先の見えない不安から開放されて
創造の喜びを冒険できるだろう
239ページからの解説を読めば
本文よりも深くタオの真髄を理解できそうに思える
あとは「超訳論語」を読むべし
Posted by ブクログ
深かった。何を言っているのか分からないところもある。けれど、すごく「面白い」と感じ、どんどん読み進めたくなる本だった。心が綺麗になり、欲望が少なくなると感じる本だった。
これが2000年以上前に書かれたものとは、、。
人間の真理は、いつまでも変わらないのかもしれない。
柔らかく生きよう、欲深くなく生きよう、自分が偉いと錯覚しないように生きよう、周りを見下さないように生きよう、足るを知れる自分でいよう、と思えた。
「分かったつもりにならない」
「執着しない」
肝に銘じたい。
Posted by ブクログ
老子の意訳
手っ取り早く老子を読みたかった。
その目的は達したが、もっと読み込みたくなった。
順番が変わっているのはなんでだろう?
論語も読みたい。
Posted by ブクログ
老子とは孔子のように実在した人物ではなかったとこれを読んで始めて知った。
平易な言葉で読みやすく書かれているのに、読み終えたあと「どういう意味だ?」と読み返したくなる超訳。詩のようであり、おみくじのようであり、占いのようでもある。
解説を読むと、老子に関わる事柄が物語のようであり、人は見たいものを見るのだなぁとしみじみ感じ入る。
全体を再読したい。あと、1日1ページくらい読みたい。そう言うアプリないのか。
Posted by ブクログ
数年前に安富さんの「超訳論語」を読んで、衝撃をうけた。
え〜、論語って、そんな話だったのか!!!これまで「論語」だと思っていたのは、権力者が民衆を都合良く支配するためのツールのようなものだったんだ!
本当に安富さんの解釈の線で「論語」を読んでいいのかなと、何冊か論語関係の本を読んでみると、たしかに安富さんの解釈に繋がって行く可能性がある本もいくつかあった。
特に、センゲにも影響をあたえたと思われる南懐瑾の「論語別裁」は、かなり近い感じ。
というわけで、わたしのなかで、論語ルネサンスがおきて、論語を「学習する組織」の文脈、つまり「ダブルループ学習を通じた人と組織の成長」という視点で読むというが、一つのブームになった。
その安富さんが、「老子」に取り組んだのが本書。
「超訳論語」と同じ出版社からで、装丁も同じ感じ。色がグリーンで、「超訳論語」のブラウンと並べると美しい。
「超訳論語」と同じく、とても分かり易い訳文で、す〜と頭に入ってくる感じ。
「老子」については、もともと「かくあるべき」ではなく、脱力気味に、自由に読んでいたので、安富さんの解釈のものを読んでも、ある意味、衝撃はない。
あ〜、やっぱそんな感じだよね。
みたいな。
解説を読んで初めて、あ〜、そこは従来の解釈とは違うんだな〜、と気付く始末。
でも、解説を読んで違いに納得はするものの、「老子」という本の全体の印象が変る感じではない。
「老子」は、分からない文章があちらこちらにあるものの、その基本的なメッセージは単純で一貫しているように思える。
じゃあ、そのメッセージが本当に身体レベルで分かって、実行できるかというとそれは全く別の話。
「優れた人は、道理にかなった言葉を聞くと、努めてこれを実践しようとする。
普通の人は、道理にかなった言葉を聞いても、半信半疑である。
劣った人は、道理にかなった言葉を聞くと、大笑いする。
そういう人に笑われないようであれば,道理にかなった言葉だとはいえない」
ということです。
「老子」は、昔の本がいくつか発見されていて、実は、前半と後半が当初のものと入れ替わって伝わっているということはほぼ確実だと思われる。
で、「老子」の後半部分をそういう気持ちで読むと、これが「論語」とかなり近いセンスなんだよね。
とくに安富さんの訳した「論語」とは、直接つながっていくと思う。
中国では、表は「論語」で、裏は「老子」と使い分けてこられたみたいな話をきくことがあるけど、使い分けというより、それこそ陰陽みたいな感じで、一体のものとして、実践されてきたのではないかと思った。
ちょっとした思いつきだけど、「超訳論語」は、センゲの「学習する組織」、「老子の教え」は、シャーマーの「U理論」みたいな関係かも?
「生きるための老子」みたいな、解説書がでるといいな。
Posted by ブクログ
真理に触れる道理にかなった言葉を聞いたときの反応で、その人がどれほどの人物か評価できる。
優れた人は務めて実践しようとする。
普通の人は半信半疑である。
劣った人は大笑いする。そういう人に笑われない
ようであれば、道理にかなった言葉だと言えない。
隠れていて名付けられようのない道に従うことで初めて何ごとも善くはじまり、善く成長する
自分には理解できない、腑に落ちない箇所も
多々あり難しかった。
歳を重ねた後また読んでみたい。