安冨歩のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
敗戦80年の今年2025 年、かねてより念願であった旧満洲(中国では偽満洲国と呼ぶ)の首都、長春の皇宮跡を訪れる事ができた。かつてその地で何が行われたのかを知りたいと思い本書を手に取った。
14年にわたる植民地経営下での出来事については詳細が語られておらず、その意味では期待した内容ではなかったが、何が当時の日本をここまで狂わせてしまったのかが非常にわかりやすく詳述されており、期待以上の良書だった。
皇宮に隣接する記念館には関東軍による目を背けたくなるような残忍な所業が展示されていて、一人の日本人としていたたまれない気持ちになった。平頂山事件もさもありなんと思われる。
記念館の出口に「歴史 -
Posted by ブクログ
1.昔の時代の人の書籍を読み漁っているのでたまたま目についたから
2.老子と呼ばれる人は個人名ではなく、卓越した人のことを指しており、中国ではその呼び名が現在にまで影響を及ぼしています。本書では老子からみた世界と人間に対しての本質を説いています。愚かな人間と豊かな人間は何が違うのか、国はなぜ安定しないのか、今現代で起こっている問題は昔から何ら変わっていません。歴史は繰り返されるということも伝えたいのではないかと思います。ならば、かつての歴史はどのように解決してきたのかを学ぶことが本書の意義ではないかと感じます。
3.悲しいかな。歴史は残念ながら繰り返されるのが人間の性ではないかと思います。 -
Posted by ブクログ
「東大話法」シリーズ四冊目とのこと、あとがきが感動的である。歴史家かくあるべし。テイストは『ジャパン・イズ・バック』を思い出した。戦前〜戦後史、歴史は「物語」としてしか理解されない、その物語に引き込まれる説得力。前半の辛口な学歴エリートの生態から面白いのですが、後半、commitment や、懐疑主義からの離脱など、鮮やかで盛り上がる。「そのうちなんとかなるだろう」は恩師の近著のタイトルでもある。昭和三十年代は「生まれてませんから」という気持ちになりがち。わたしたち(団塊ジュニア)にはどんな歴史が語れるだろう、やっぱり絶望かな…(2019-12-10)
-
Posted by ブクログ
この本と著者の選書である『生きるための論語』との併用が、
好ましいと思います。
どうして、この著作で語られているような解釈になったか(普通の論語テキストは
性質が異なります)が、『生きるための論語』に記されています。
非常に参考になると思います。
また、著者の『論語』三部作、①『生きるための論語』②『生きる技法』
③『あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。 他人に支配されず、自由に生きる技術』を読むと、
①現代でどうしたら幸福に生きられるかという問題提起から、論語をどう解釈し直したか、
②現代人が幸福を考える上での8要素(1自立 2友達 3愛 4貨幣 5自由 6夢 7自己嫌悪 -
Posted by ブクログ
これは、本当にスゴい!
目から鱗がおちまくる。「論語」って、こういうことだったのか!!!
要するに「学習する組織」と一緒じゃないか!
誰でも知っている(と思っていた)冒頭の部分から全く違う。
「何かを学ぶことは、危険な行為だ。なぜならそれは、自分の感覚を売り渡すことになるから。しかし、学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の意味での理解が起きて、自分自身のものになる。学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。それが、「習う」ということだ。それはまさに悦びではないか。学習の悦びは、しばらく連絡もしない旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれたような、そう -
Posted by ブクログ
投稿日 2014-11-09 10:11:00
論語を通じてドラッカーを解釈する本。
といっても、それほど驚くことではないかもしれない。
なぜなら、日本の資本主義の創設者(?)の渋沢栄一は、すでに経営を論語を通じて、論じていたわけだし、日本のビジネスマンの必読書として、「論語」をわきにおいて仕事をしている人も結構いるんじゃないかな?(私もそう)
が、安富さんが主張する「論語」の読みは、「フィードバックを伴う学習のプロセス」ということ。これはかなりの驚きで、これまで読んできた「論語」はなんだったんだ!と目から鱗が落ちまくりなんです。
これって、もうセンゲの「学習する組織」そのものだよね。
-
Posted by ブクログ
「まるで個人など無いかのように組織の一員としてふるまう人々」
私はこれらを特別な、変わった人だなぁと思っていたのだが…………いやはやなるほど、立場論としてしまえば、非常に腑に落ちる。
個人ではなく組織の中に居れば、安全であるし、その組織を守る一員としての立場があるだろう。
しかしながら、立場論が通じるのは同じ文化を持つ人々の共通認識(正直なところ、共通幻想じゃないかしらと思うんだけど)がある間だけなのだ。
グローバル社会とか、文化の違う場所に行けば通用しない。
この本に書かれていることが確かであるならば、日本の国際化なんて誰もやる気が起きてないし、できることもないんだろうね。
-
Posted by ブクログ
ネタバレチェック項目28箇所。論語では「仁」ではなく、学習回路の閉じている状態を「悪」と呼ぶ、そして君子とは逆に、学習回路が閉じている者を「小人」と呼ぶ。何かを学ぶことは危険な行為だ、なぜならそれは、自分の感覚を売り渡すことになるから、しかし、学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の意味での理解が起きて、自分自身のものになる。学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、「なんてくだらないヤツだ」と思ってしまいがちだ、しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君子」なのだ。君子は、常にありのままの自分自身でいなければいけない、言葉と心とが一致してい
-
Posted by ブクログ
ネタバレ「霞が関文学」という文学がある。その中身はというと、霞が関の官僚が都合の悪いことを、うまく薄めるあるいは、抹殺するために句読点や「~等」、「原則~」という言葉を駆使して自分たちの利権をガッチリ確保する利権文学だ。
その一方で、話す方はというと「東大話法」がある。その心は、「霞が関文学」同様、政官財の世界で、自分たちの都合の悪いことを左から右に流すために、耳に心地の良いことや「専門用語」を駆使して、もっともらしく聞こえるために「厚化粧」して、やり過ごすという人々を惑わすもの。
この本の著者は、まさに「東大話法」の一丁目一番地にある東大の先生というだけに説得力がある。著者によると日本人は「