海部陽介のレビュー一覧
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ネタバレ日を跨いでほぼ一気読み。
性善説・性悪説、人種差別・民族差別について触れられていた箇所が、特に興味深かった。
中でも、ダーウィンの言葉が紹介された箇所で、彼の言葉に感動し目頭が熱くなった。
自分自身、少なからず人を蔑むような感情が生まれることがある。その度に罪悪感に苛まれる。
こうして人類学に触れて行くことで、今後自分がどう変化するのか、長い目で観察していきたい。
ということで、人類学について今後も学んでいくこととする。
読み終えて、ブックカバーを外し、改めて表紙の帯の写真を眺める。読み終えてこそ気づける何かがあったと思う。
読み進めるごとに、国立科学博物館に行きたくなり、次回上京の際はスケジュールの最優先とする。
講義形式の文体で大変に親しみやすかったこと。
また、学生さんの回答が素晴らしくそこにも感動したこと。
これからまだしばらく人として生きて行く上で、この本に出逢えて良かったと心から思った。
それにしても、「へーそうだったんだー」と思う箇所が多く、付箋を大量に消費した。 -
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日本人起源論の書だが、いくつか注目点がある。
まず、日本列島に到達するまでの人類史をダイナミックに捉えていることだ。隣国や東アジアのことただけではなく、世界規模で考えられている。
日本列島へのルートは朝鮮半島、琉球、そして地続きだったこともあるサハリンと北海道から、津軽海峡を越える3つがあった。何も渡海が条件となるというのが特徴だ。
三方向から来た原日本人は、どれかが他を打倒するのではなく、緩やかに混血していき、それぞれの遺伝子が受け継がれている。さらに農耕文化を持った弥生人と呼ばれる人が長い年月をかけて日本列島に渡来し、原住民と混血したことで日本人の原型ができたという。
あとがきで筆者は本書が取り上げたのは日本人だけの問題ではなく、どの民族も他との関係の中でたまたま現在の形になっているだけで、民族の優劣を語ることは間違いだという。全くその通りだ。この種の研究はナショナリズムに利用されやすい。学問的には間違っているのだ。
後半の三万年前の航海の再現実験はまさに冒険のようで読んでいて楽しくなる。この実験は本書刊行後に成功したらしい。面白いことをやる人がいたものだ。 -
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川端裕人さんの読みやすい文と、海部陽介さんの新知見を盛り込んだ内容が面白くて、一日で一気読みした。
文句なしの星5つ。
序盤の化石についての概説は、退屈かもしれないが後半の理解には必要な情報であり、川端氏の『現地』描写を交えた筆致は決して飽きさせない。
そして怒涛の後半、第四の原人や、デニソワ人についての新たな提案。
この時、整理された理解の生じる快感、そこが面白い。
分からないことは、何が分かってないからなのか。
どこまでなら、コンセンサスがある話なのか。
この整理が、理科や歴史でざっくり
「アウストラロピテクス」とか「北京原人」なら知ってた
レベルの一般人にも伝わってくる。
小難しい数式とか一か所しか出てこないし、それもちゃんと図で示されてるから、根っからの文系でも問題なし。
そして、サイエンス系の本にはつきものの、『執筆時点では』という注釈。
それは、新たな化石の発見や詳細な研究によって、また仮説が更新される可能性があるということ。
本書を読んだ者は、その新たな仮説に対し、既存の議論を踏まえた解像度で食いつける、ということ。
知的興奮に動悸が高まるのを感じる。
かつて評論社から抄訳版が、後に集英社ホーム社から完訳版のでた、ジーン・アウルの『始原への旅立ち』シリーズは、素晴らしい小説だった。しかし、科学的知見としては当時の限界もあり、生活描写に関してはネイティブアメリカンやイヌイットの文化で大きく補綴された、ネアンデルタールとクロマニヨンズの物語であった。
しかし、本書にあるようなアジア原人、ひいては旧人と現生人類の研究が進めば、科学的知見でよりしっかり裏打ちされた、『東アジアの物語』がつづられる可能性もでてくる。
なんと胸躍ることだろう。
ぜひ手に取ってご一読あれ。 -
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「人類はどうやって海を渡って日本にやってきたか?」という問題に対して、人類史学者の海部氏は当時の環境や技術を考慮して実験的に解き明かそうというプロジェクトを立ち上げた。本書は6年に渡る壮大なプロジェクトを書き記したドキュメンタリーである。幾多のトラブルや失敗を繰り返しながらも、多数の支援者を巻き込んで、人力での黒潮横断に挑戦し、ついに水平線の向こうにある島に辿り着く…そんなドラマに惹きこまれ、読み進めるうちに自分も一支援者のようになっていく。
現代の技術をもってすれば島から島への移動はたやすいが、古代の人類はリスクを冒してまでなぜ海を目指したのか?実際に人類の挑戦を目の当たりにした著者の見解が興味深い。 -
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すごくおもしろかった。
アジアの原人の最新研究が、生き生きと読みやすく展開されていく。
アジアには多様な種族が存在していたことがわかるが、タイトルの意味は、それなのになぜ今はホモ・サピエンスだけなのか。
読書メモ:
人類 700万年 五段階 初期の猿人、猿人、原人、旧人、新人
300-200万年前 原人 ホモ・ハビリス
100-60万年前 旧人現る ネアンデルタール人
新人=ホモ・サピエンス アフリカ単一起源説
ジャワ原人 ピテカントロプス・エレクトス →その後ホモ・エレクトスに デュボア @トリニール
ソロ川流域 サンギラン、サンブンマチャン
玉ねぎ地層
ジャワ原人
停滞していたと思われていたが、咀嚼器官の縮小や脳容量の増大と進化していた。
しかし旧人や新人と違う特徴もあり祖先ではない。
フローレス原人
島嶼効果 大型動物は矮小化、小型動物は大型化
ソア盆地での発見 初期のジャワ原人→ソア盆地の人類→リャン・ブア洞窟のフローレス原人
アジア第4の原人
澎湖人(ポンフー) 海底から底引き網の漁であごの半分→コレクターへ
和県人
アジアは多様なホモ属がいたのに、なぜ今はホモ・サピエンスだけの均質になったのか?
ホモサピエンスは創造的な能力で地球上のどこにも行けたから均質になった。原人は行けなかった。
多様/均質、どこにでも行ける/閉じ込められている
宇宙への拡散
デニソワ人はネアンデルタール人と地元原人との混血の可能性
ジャワ原人とサピエンスの混血 アボリジニがジャワ原人と似た特徴を持つことを説明できる -
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数年前,「生命大躍進」という大変興味深い展示会を観ました。
そのとき,私が学校で学んだときから,かなり人類の進化に対する研究が非常に進んだことを知り,かなり驚きました。
本書は,その最新の知見について分かりやすく説明したもので,大変面白く読みました。
アジアには同時代に多様な人類の種類が存在した可能性があり,また旧人と我々人類は交雑したこともあるにもかかわらず,なぜ我々は我々だけなのか,この問いに対する答えが出るには気の遠くなるような研究の積み重ねが必要ですが,これほど興味の尽きないテーマもありません。
同じテーマを取り扱った本も読んでみようと思います。 -
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アジアの人類としての古代史が、こんなにも興奮に溢れる場だとは知らなかった!
ジャワ原人、フローレス原人、北京原人、名前は知ってるけど、はるか昔の曾祖父くらいのイメージしかなかった。
しかし実際は生物種としての適応と繁栄と消滅といったダイナミズムをもつ存在だった。
そして現在では我々は我々の種しかいないけど、それは昔からそうではなかった。多様な種が、祖先から綿々と旅をし、環境に適応し、進化し、そして(多分静かに)消えて行った、という壮大な物語の一端を味わえて大満足。
これからの研究の進展にも期待したい。
それにしても我々しかいないのは、拡散の速度が速すぎて均一化してしまった、というのは、宇宙はなぜこんなにも均一なのかというインフレーション宇宙論にも通じるものがあるなあと思ったりして、これもまたおもしろい -
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700万年前に生まれた猿人から300万年前に北京原人などの原人、30万年前のネアンデルタール人などの旧人がいて、そのうちのアフリカにいた原人、旧人から生まれた新人ホモ・サピエンスの一種である。アフリカやアジアにいた旧人は絶え、アフリカから世界に広がった一系統なのである。改めて考えるとすごい話で、コロンブスがアメリカ大陸発見!などという一万年以上前にアフリカからアメリカ大陸に渡った人たちがいたのである。
そして、世界にいる人間は一種類だそうだ。それも世界中にいる。そんな動物は人間だけだ。そして人種というのは生物学上は意味がないそうだ。いまだに人種で優劣を言いたがる人もあるが、個人差でしかない。
身体のつくり、脳の働きなど歴史を辿って人間と他との違いを語る。目から鱗の連続!言われてみればそりゃそうだみたいな話も多い。「人間は本来、自由で平等」という思想はルソーや福沢諭吉以降、当たり前のように語られるが、それは間違いで、猿の群れにボスがいるように本来人類の社会もボスがいたし、必要なのである。つまり群れの秩序と存続のための不平等となる。
人間らしさとは新たな可能性を生み出す妄想力と諦めない冒険心ということになる。700万年前から今日まで人間の性質は連続している。何万年も前から人間はあまり変わっていない。そして世界中にいる。スケールの大きい、面白い話である。数十年ぶりに人類学講義を楽しめた。 -
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人間らしさとは何か 海部陽介 河出新書
生きる意味をさぐる人類学講義
全て口語体で描かれた授業のコピーです
肌や目や髪の表面的な違いから見るとオリンピックの5色のマークを思い起こされますが
コレは紫外線などの地球上の環境の違いが生み出しただけのもので
全員が唯一生き残ったホモサピエンスの同胞であり
「人間らしさ」において同じ人種だと理解できるところにこの本の素晴らしさがある
それなのにホモサピエンスが獲得した物語を創り出して巨大な組織を作る能力を暴走させてしまい互いに憎み合う一神教の
分裂によって宗教戦争にのめり込み
余剰生産物が高まるにつれて愚かにも物欲に目が眩み
競争原理に陥り共食いと言う戦争三昧の現状に迷い込んでいる人間社会が情けない
この混沌現象から抜け出す為にも視野を広げて目を覚まして初心に戻り
調和による相乗効果を生む切磋琢磨の環境を目指したいものである
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初期の猿人から猿人、原人、旧人、そして現生人類へ。
昔々、学校でも、アウストラロピテクスが現れ、その後ジャワ原人、北京原人が現れ、ネアンデルタール人が出てきた、なんて勉強したような。
しかし、なかなかそれに興味を持つというところまではいかなかった。
それが、近年、大きな発見があったりして、ずいぶんと分かってきたことがあるらしい。
新聞報道などもあり、特に人類学に興味がなくても聞こえてくる、ホットな分野であるようだ。
そして、監修者である海部陽介さんも、テレビで何度も見る機会もあった。
本書は、しかし、海部さんが書いているのではない。
サイエンスライターで作家の川端さんが、海部さんを取材して研究を紹介していく構成となっている。
聞きなれない専門用語は、すかさず解説が添えられる。
図示により理解を助けてくれる。
おかげで、あまり予備知識がない自分にも最後まで読み切ることができた。
前半はジャワ原人の研究の歴史。
植民地時代から続く発掘は、すでに長い歴史を持つ。
第二次世界大戦期は、出土した化石の保管にとっても困難な時代であったことも知った。
咀嚼器官の縮小は、人類の進化の指標なのだそうで、原人の歯、下顎などを3Dスキャンなど、新しい技術を取り入れながら、細かくデータ化し、比較していく。
その過程では、現代人500人の歯型を収集したりもする。
後半は新たな発見に関わる話。
ホビットのあだ名を持つ小柄なフローレス人、そして台湾の海から漁師の網にかかって見つかった澎湖人。
一つ一つの話が自分にとっては新しい。
そういえば、表紙になっているのは科博(ということは海部さんたち)が作成したフローレス人の復元模型の顔の部分。
何かとても賢そうに見える。
ちなみに、本書の中には他の研究者(エリザベット・デネスさん)による復元像もあり、かなり印象が違うのが面白い。
当たり前のことかもしれないが、復元模型には研究者の想定や見解が含まれていて、同じ化石から復元したとしても同じ像になるとは限らない。
そんなことも面白く感じた。
フローレス人の研究では、これが他の原人の子どもや、身長が伸びない病気にかかったホモサピエンスではないことをいかに立証するかが焦点だったとのことだ。
子どもでないことは、歯の数などの違いでわかる。
病気でないということを確かめるために、海部さんは国立成育医療センターの医師の協力を仰ぐ。
発見されたLB1という標本の頭骨の変形は変形性斜頭症という、比較的よくみられるもので、成長を阻害するものではないと結論づけたという。
他の所でも感じたが、マイクロCTや3Dデータづくりなど、人類学って、多くの研究者の協力で進む大プロジェクトなんだな、と知る。
さて、「我々はなぜ我々だけなのか」というタイトルになる問いについては、終章で扱われる。
どの種族がどれくらい他のものと時期的に重なって生存していたのかはまだわからないことも多いとはいえ、特にアジアにはたくさんの原人たちがいたという。
それがいつ「我々」=ホモ・サピエンスに置き換わったのかはまだわからないそうだ。
ただ、現生人類との間の接触や混血の可能性があり、「我々」は「我々」だけなのだけれど、「我々」の内部には「彼ら」がいるかもしれない、と結ばれていた。
たしかに、この先、どんなことが分かっていくのか楽しみになってくる。 -
Posted by ブクログ
オーディブルにて 再読(以前は本で)
実はこのスギメの航海の話はすごく好きでオーディブルでタイトルを見つけて再読してしまいました。
以前、海部先生がこの内容について講演された時にもオンラインででしたが参加したことがありました。
すごくロマンを感じるしワクワクする。
こうやって実際に再現したしてみることで、机上でイメージするだけではふんわりしていることが、実感として具体的になるのが面白い。実際にやってみると、これはあり得ないんだなとか、こういう気持ちになるよねということが追体験できて、旧石器人はどうだったんだろうって改めてイマジネーションが広がる。